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『はい、あーんして』

 母屋の食堂には、師匠をはじめとして複数人の調教師たちがいっせいに食べることが出来るだけのテーブルと椅子がある。


 師匠一人だけで使っていた時間が長く、わたしがやってきたときは二人っきりで使っていた。


 これだけの人数でこの食堂を使うのは、いったいどの位ぶりなのだろう。


 というわけで、当然食器もたくさんある。だけど、長年使われていないため、食器を洗うところから始めなければならなかった。


 それはわたしが担当し、そんなに時間をかけることなく食事にありつけた。


 とはいえ、もうすでに日付がかわっている。


 バラド兄弟との勝負は、いよいよ今日になってしまった。


 師匠特製の野菜のシチューとミートパイ、それと夕方に焼いたパンである。


 デザートは、ベリーのタルト。


 どれもわたしの大好物なのよね。


 本来なら、昨日の夕食になるはずだった。


 師匠は勝負の前日に、わたしの大好物ばかりを作ってくれたわけである。


 残念ながら、昨夜の騒動で食べるのは日付がかわっての真夜中になってしまったけれど。


 みんな、よほどお腹がすいているのね。


 というよりかは、わたし自身が余裕がないほどお腹がすきすぎている。


 テーブルにつくなり、一心不乱に食べてしまった。


 会話などいっさいない。全員が無言である。


「おかわり」

「ぼくも」


 空になったシチューの皿を手にとった瞬間、モレノと視線が合ってしまった。


 二人の間でバチバチと音がするほど視線それが絡み合う。


「負けるものか」

「ぼくもです」


 同時に立ち上がった。


 彼とわたしは、ライバル同士なのである。もっとも、彼にいつも遅れをとってしまうけれども。


「わしをこき使うつもりか?自分たちでとって来い。それに、この真夜中に食いすぎるな。ミオ、おまえはとくにだ。バルドに負担がかかる」


 そうだったわ。


 勝負があるんだ。


 バルドに負担をかけちゃダメ。


「師匠、わかりました。あと一杯だけ」


 でも、一杯だけならいいわよね?


 結局、今夜のモレノとの大食いと早食いの勝負は引き分けである。


 自分自身の欲求を満たしてから、やっと気がついた。


 モレノとわたし以外は、まだ食事が終わっていない。


 わたしの隣の席で、エドモンドが悪戦苦闘している。


 そうだったわ。わたしをかばったとき、彼は利き手である右手と腕を負傷したのだった。指先まで巻かれた包帯。その手で食べられるわけがない。ということは、必然的に左を使うことになる。


「ああ、くそっ」


 左手だけでスプーンを使ったりパンをちぎったりという動作は、むずかしいに決まっている。


 そんなことも思いいたらず、わたしは自分だけさっさと食べてしまった。


 申しわけなさでいっぱいになってしまう。


 しかも、彼はわたしの隣の席なのに。


 というか、皇太子殿下と彼は、どうしていつもわたしを真ん中にはさむの?


「エドモンド様、気がつかずに申し訳ありません。ぼくが、食べさせてあげます」

「え?」

「え?」

「あははははっ!」


 体ごとエドモンドに向いて申し出た瞬間、彼と皇太子殿下が驚きの声を上げた。そして、なぜかリベリオは楽しそうに笑った。


「いや、いいよ」


 エドモンドに拒否されたけど、テーブルクロスも彼の軍服のシャツにもシチューのシミやパンくずやパイ生地の欠片がくっついてしまっている。


「ほら、エドモンド様。口許にパイ生地がくっついています」


 ナプキンで彼の口許を拭うと、彼はなぜか真っ赤になって椅子をずらした。


 その拍子に、エドモンドの体が向こう側の席の師匠にぶつかってしまった。


「片手では不便ですよ」


 シチュー皿からシチューをすくい、椅子を彼の方にずらして迫った。


「はい、アーンして」


 わぁ!一度でいいから、こういうのをしてみたかったのよね。


 わたしが大きくなってからでも、お兄様やお姉様たちはわたしをからかってよく「はい、あーんして」ってしていたのよね。


 末っ子の運命だって、よく言われたものだわ。


 だから、ずっとやりたかったのよ。


「これは見物だ。最高に面白い」


 リベリオは、テーブルの上を叩きながら一人興奮している。


「あ、いや、その……」


 エドモンドは真っ赤になっている。きっと、葡萄酒のせいね。ケガをしているから、酔いがすぐにまわってしまったのかもしれない。


「エドモンド様。ケガをしてらっしゃるのですから、仕方がありません。美味しい食事を思うように食べることが出来ないことほど悲しいことはありません」


 わたしだったら、泣いてしまう。


「じゃ、じゃぁお言葉に甘えて……」


 彼は椅子ごとずらしてきて、口を開けた。


「はい、あーん」

「あーん」


 彼の口にスプーンを運んだ。


「ひー、面白すぎて腹が痛い」


 リベリオの面白いというツボが、よく理解出来ない。


 彼は、いまやうるさいくらいテーブルを叩きまくって笑っている。


「おいおい、リベリオ。そんなに笑ったら、また腹が減るだろうに」


 モレノが呆れ返っている。


 っていま食べたばかりなのに、「また腹が減る」ってどういうこと?




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