血まみれの手
「このガキッ!」
「ミオッ!」
ホッとしたのも束の間、二つの叫び声がすぐ近くで起こり、同時に背中にあたたかみと重みを感じた。
「エドモンド様っ!」
背中の重みは、エドモンドの体だった。彼は、わたしの背中に覆いかぶさっている。
彼の顔が、わたしすぐ横にある。
なぜか、ドキリとしてしまった。
「ミオ、ケガは?ケガはないか?」
さきほどとはうってかわり、彼はわたしにやさしい声音で尋ねてきた。その美形には、やわらかい笑みが浮かんでいる。
彼の腕がわたしの肩を抱いている。そして、彼の胸板がわたしの背中にあたっている。
筋肉質で立派な胸と腕だと、いまさらだけど実感した。
彼の手が、わたしの頬をやさしくなでた。
「エ、エドモンド様っ」
思わず、声にもならない悲鳴を上げていた。
その彼の手が、血にまみれていたからである。血まみれの手が、わたしの頬をやさしくなでたのである。
エドモンドの部下の兵士たちは、さすがである。
異常に気付き、隊長の号令の下、厩舎を取り囲んで突入の手はずを整えていたのである。
同時に、すぐにリベリオとモレノに伝令が走った。
わたしが厩舎にやって来たとき、護衛隊の隊長が『怪しげな人影』と言っていたのは、悪役たちの仲間だった。彼らは、見張りの兵士たちを陽動する役目だった。
全員が捕まった。
あの大きな『バンッ!』という音は、厩舎の裏口の扉を破壊した音だった。
その音に、悪役たちやわたしが驚いたわけである。
その後すぐ、兵士たちが突入してきた。
悪役から逃れようとしたわたしは、無様にも前のめりに転んでしまった。そのわたしをナイフで刺すか突くかしようと、わたしを人質に取っていた悪役が襲いかかった。
無様に転んだわたしを、エドモンドが身をていしてかばってくれたのである。
彼は、自分を包囲していた五名の男たちを一瞬にして倒してしまったらしい。
拳と蹴りで、である。
事の顛末は、あとでおしえてもらった。
あいにく、わたしが見たわけではない。
というのも、情けないことにエドモンドの血を見た瞬間に気を失ってしまった。
彼が死んだとか致命傷を負ったとか、とにかく彼がとんでもないことになったとショックを受け、目の前が真っ暗になってしまったのである。
瞼が開いても、目の前がボーッとしている。
時間が経つにつれ、意識と目の前が段々晴れてきた。そこでやっと、見上げているのが自分の部屋の天井であることに気がついた。
自分の部屋というのは、厩舎の方の自分の部屋である。
ああ、そうなのね。きっと、わたしは気を失って倒れてしまい、自分の部屋に運ばれたのね。
何時くらいなのかしら?
頭の中がはっきりしてきた。
そこでやっと、厩舎での一幕をはっきり思いだした。
部屋の唯一の明かりであるランプが、室内をボーッと照らし出している。
そのときになってやっと、寝台のすぐ横にだれかがいることに気がついた。
いる。
はっとして顔をそちらに向けた。すると、椅子に座って皇太子殿下がうつらうつらしている。
驚きすぎて飛び起きてしまった。上半身を彼に向け、その寝顔にしばらく魅入ってしまった。
美形は、眠っていても美形なのね。
心から感心してしまった。
わたしは口呼吸することが多く、口をパカーッと開けて眠っているらしい。らしいというのは、自分では自覚がなく、お兄様やお姉様が言っていたからである。
お昼寝のときなど、よく顔に白い布がかけられていた。
『よだれを垂らし、寝言を言いまくってあまりにもみっともない寝顔』
だから、らしい。
わたしと比較するのはおこがましすぎるけれど、とにかく皇太子殿下の寝顔はきれいすぎる。
疲れていらっしゃるのね。
毎日、朝早くから夜遅くまで書類仕事や視察、官僚たちとの打ち合わせなど、激務をこなされている。それこそ、眠る暇もないほど。
疲れていて当然だわ。
起こさないようにしなきゃ。
っていうか、もしかして、わたしのためにわざわざ厩舎にいらっしゃったの?それで、わたしに付き添って下さっていた?
皇太子殿下は、わたしが女性だと気付いている。
うわぁ……。
急に意識してしまった。
きっと、見苦しい寝顔を見られたにちがいない。
どうしよう……。
寝言もきかれたにちがいない。
は、恥ずかしすぎる。
顔が火照ってしまう。
そうだわ。わたしの寝顔云々は仕方がない。そんなことより、エドモンド。そう、エドモンドよ。
エドモンドは、どうなったのかしら?




