ソルダーノ皇国
「ミオ、ミオ」
体が揺れされるような感覚があり、はっとした。
「すまない。もっと眠らせてあげたいんだが、昨夜言った通り明日の夜までには戻らなければならないんだ」
美形がすぐ真上にあらわれ、一瞬、自分がどうしているのかがわからなかった。
眠気がすこし取れると、そこでようやく思いだした。
「よく眠れたようでよかったよ。でも、きみは華奢なわりには豪快なイビキをかくんだね」
「はい?」
「たしかに。こちらのテントにまで響き渡っていましたからね。あれだけ豪快なイビキは、はじめてかもしれない」
リベリオまでのぞきこんできた。
「きゃっ!」
美形と知的な美形に、いえ、そもそも異性二人に寝顔を見られていたということ?
いえ。そこもだけど、イビキ?わたしがイビキを?
そこでふと思いだした。
お兄様たちが、「ミヤのイビキはドラゴンの咆哮よりすごい」って言っていたことを。
その都度、「お兄様方、ドラゴンの咆哮っておっしゃいますけど、ドラゴンに会ったことがあるのですか?ドラゴンの咆哮をきいたことがあるのですか?」って言い返していた。
てっきり、わたしをからかっているのだと思い込んでいた。
「『きゃっ』って、すいぶんとかわいらしい叫び声だな」
「リベリオ、いいじゃないか。彼は、わたしたちと違って華奢なんだし。ミオ、テントを片付けるから。モレノが、農家を見つけた。そこで何か食い物を分けてもらおう。馬車もどうにかしたいしね」
ダメダメ。すべての言動に注意しなくっちゃ。
彼らがテントを片付けている間、三頭の馬たちにくわえて彼らの馬、計六頭に挨拶をした。
彼らの馬も、なかなかいい馬である。
速くて持久力がありそう。
軍馬というわけね。
そのうちの二頭を馬車につないだ。
あたらしい三頭の馬たちは、調教をしないと鞍は置けない。でも、銜と手綱を装着出来るだけまだマシよね。
これだったら、ソルダーノ皇国まで連れてゆけるでしょう。
農家で馬車と引き換えに、果物と干し肉とパンを分けてもらった。とはいえ、少量ずつである。
井戸を使わせてもらって身づくろいし、水を補給して出発をした。
リベリオとモレノの馬に荷物を振り分け、わたしはエドモンドの馬に乗せてもらい、三頭の馬の手綱を握った。
旅は順調で、途中の町で食料の補給をしては進む。
馬たちは軍馬だけあり、タフで疲れを知らない。
馬たちは夜も休憩をとりつつ進み、翌朝にはソルダーノ皇国に入ることが出来た。
ソルダーノ皇国の領土の広さには、正直驚いてしまった。
通りすぎる町や村の人々は、裕福とまではいかなくてもそこそこの生活を送っているようである。
そんな大国が、ちっぽけなタルキ国やほかの小国を滅ぼしたり支配したりするなんて……。
大国だからこそ、なのかしら?
地方の町や村でこんな調子だから、皇都はさぞかし大都会なのかと思っていたけれど、意外と自然の多いきれいな街である。
もうすでに陽は暮れている。
向かったのは、皇都の中心地に近い離れた皇宮である。
きけば、軍の本営が隣接しているらしい。
調練場や宿舎も含め、この本営には一万人近くの将兵がいるという。
しかも、各地域にはさらに大きな調練場があるらしく、その数も何万人という規模らしい。
自慢じゃないけど、タルキ国なんて全部の将兵をあわせても一万人もいない。
戦わずして降伏するのも当然かもしれない。
さして長くない旅の終着点は、いくつもの馬場を備えた厩舎であった。
そこで、馬の調教を一手に担っている老調教師に紹介された。
「あああああ?坊ちゃん、また馬を?たしか、任務で隣国に赴いてるときいておりましたが?」
「ファビオ公からもきつくおっしゃってください。持ち金がなくなっただけではなく、帰りはほぼ飲まず食わずだったのですよ。すべては、閣下が馬を買ったせいです。しかも、三頭もです」
「それを止めるのが参謀の役目じゃないのか、リベリオ」
「勘弁してください。さすがに、プライベートなことにまで口出し出来ませんからね」
リベリオは、両肩をすくめてから指先で眼鏡を押し上げた。
老調教師は、いかにも頑固そう。『老』と言っても、そこまで老人なわけじゃない。五十代前半くらいかしら?
厳しいのは、みずからの腕に自信があるからなのね。
それにしても、リベリオはさっきエドモンドのことを『閣下』って言わなかった?
「それで、そこのガキは?」
老調教師がわたしの方に顎をしゃくった。
渋めのイケメンの額に、何本もの皺がよっている。
「ファビオ。じつはあの黒馬が逃げだした際に、彼が落ち着かせてくれたんだ。サラボ王国のさる貴族のところで馬丁をやっていたらしい。どうだい、助手として使ってやってくれないか?」
老調教師、つまりファビオはわたしを上から下まで無遠慮に見た。
「レディみたいな面に体格だな。こんなんで、馬の世話が出来るのかね?」
ドキッとしてしまった。だけど、ここまで来てほっぽり出されたら、行くあてがない。どうしていいかわからない。
なにせ、ここはわたしにとって敵国のようなものなのだから。
「ファビオさん、お願いです。がんばりますから、置いてください」
思わず懇願していた。
「頼むよ、ファビオ。彼を誘ったのはわたしだ。わたしに免じて。一生のお願いだ」
「坊ちゃん。坊ちゃんは、もう五十八回は生まれかわってわたしにお願いをしている計算になりますよ」
ファビオが生真面目な顔でやり返すと、リベリオとモレノがふきだした。
「閣下もファビオ公の前では、いつまでたっても子どものときのままですね」
「うるさい、モレノ」
エドモンドのすねている顔は、かわいい。
「わかりましたよ。坊ちゃんにそこまで頼まれたら仕方がない」
「恩にきるよ。ミオ、彼はファビオ・モリーニ。もともとわが軍で軍馬の管理を受けもっていた士官なんだが、いまは皇族専属の馬の調教師をやってもらっている。まぁ、ときどきは軍馬の方も任せているがね。ファビオ、彼はミオ・マッフェイだ」
「ミオ・マッフェイです。よろしくお願いします」
頭を下げたが、ファビオは鼻を鳴らしただけである。
「ミオ、また様子を見に来る。がんばれよ」
「ありがとうございます」
エドモンドに礼を言った瞬間、ファビオに怒鳴られた。
「新入り、その三頭を空いている馬房に入れろ。夜露はよくない」
「は、はい」
こんな調子で、わたしのあらたな生活がスタートした。