眼鏡
「え?たぶん、馬場に落ちていると思います。もしかしたら、人か馬に踏みつけられたかもしれません。せっかくエドモンド様に買っていただいたのに……。申し訳ありません。ですが、眼鏡がなかったら、扇の先端が目に当たったはずです。失明、なんてことになったかも。ということは、エドモンド様はわたしの目の恩人というわけですね」
「よかったよ」
彼は、気弱な笑みを浮かべてから嘆息した。
「きみがそれほどのケガを負ったのなら、わたしは彼女に暴力を振るったかもしれない」
その言葉に、すくなからず驚いてしまった。
一瞬、サラボ王国のヴィエリ男爵に閉じ込められ、暴力を振るわれたことを思いだしてしまった。
あのときの痣は、まだ体や手足に残っている。顔はもともとそうひどいものではなかったので、もうほとんどわからない。
「彼女の言う通りだよ。軍人は、野蛮人だ。戦いに染まれば染まるほど、自分の中の何かがかわってゆく。凶暴になってゆくのがわかるんだ」
彼は、自分の手を見下ろした。
「だけど、わたしにはこれしか出来ない。戦うことでしか、兄上を助けられない。だから、戦い続ける。兄上が立派な皇帝になり、わが皇国だけでなくたくさんの国の人々が平和で穏やかにすごせるようになるまで……」
分厚い手を見つめつつ、つぶやく彼を見ながら、またしても驚いてしまった。
どういうこと?一番最後の『たくさんの国の人々が……』というのは、どういう意味?
支配下において、という意味なのかしら?
そのことは、またかんがえましょう。
「エドモンド様、あなたは野蛮人などではありません。軍人が野蛮人だなんて、とんでもない中傷です」
彼があまりにも切羽詰まっている感じなので、ついそう慰めていた。
これが本来のわたしの姿なら、恥ずかしすぎるけど手を握ってとかありかもしれないけれど、さすがにこの恰好では気持ち悪がられるわよね。
それでなくっても、第三者に誤解されているみたいだし。
だから、肩に手を置いた。たかだか馬の調教師が触れていいわけじゃない。だけど、いまの彼にはそんなスキンシップが必要だと思う。
だって、馬だってそうだから。
「エドモンド様、ぼくのせいで申し訳ありません」
「す、すまない」
彼は、驚いたみたい。
慌ててこちらを見た。
「こんな弱音、リベリオやモレノにすら吐いたことがなかったのに……。ミオ、すまなかった」
そして、また視線が絡み合うわけで……。
またドキドキしてきた。
「ミオ、大丈夫か?」
そのとき、なんの前触れもなくドアが開いた。
とっさにエドモンドから離れた。
「師匠、ノックをしてくださいっていつもお願いしているのに」
「悪い悪い。ま、いいじゃないか。男どうしなんだし」
さすがは師匠。これまで二十九回はお願いしているのに、そのお願いの言葉が終った瞬間からノックなしでドアを開けてくれる。
それに、いくら男どうしでもプライバシーというものがあると思う。
「これ、探してきたんだ。だが、これだと修復は難しいな」
師匠は、眼鏡だったものをわたしの掌の上にのせた。
馬場で探してくれたのね。
「また買いに行こう」
「エドモンド様、大丈夫です。じつは、最近眼鏡に頼らず生活してみているんです。もともと、そこまで悪くなかったので。すこしずつ視力が回復しているみたいです。これなら、最初にしていたものがあれば充分かもしれません」
本当は必要ないのに、これ以上眼鏡を作ってもらうわけにはいかない。
それに、わたし自身慣れてきているものの、裸眼のほうがやはり見えやすい。
こんなに短期間で視力が回復するわけもないけれど、そこは気にしない気にしない。
「必要だったらすぐに言ってくれ。いいね?」
エドモンドはやさしすぎる。
せっかくの好意だし、そこは素直にうなずいておいた。
そのあと、まだ怒り心頭なリベリオをエドモンドと師匠とモレノと四人でなだめにかかった。




