海の絵
「まぁ……」
大広間の荘厳さは、拍車がかかっている。
思わず、声を出してしまった。慌てて、口を手でふさいだ。
ガラス窓がたくさんあり、そこから陽光が燦燦と射し込んでいる。そのガラス窓の下には、ガラス扉があり、そこから庭園に出ることが出来るようになっているみたい。
庭園には花が咲き誇っていて、そこでもパーティーが出来るようになっているんでしょう。
「ミオさん、こちらです」
彼が手招きするのでそちらに行ってみると、大きな円柱の間に一枚の大きな絵画がかかっている。
「これは、海?」
青空に白い雲がゆったりと浮かんでいて、そこから太陽が顔をのぞかせている。その下には水面がひろがっていて、陽光を受けてキラキラ輝いている。
沖には点々と船が浮かんでいる。
ああ、この景色を実際見てみたい。
感動のあまり、震えてしまった。
「ええ、海です。あなたは、サラボ王国の出身ですよね?この国もサラボ王国も海はないですものね。わたしは、この国からずっと遠く、大陸の端の国の出身なんです。この絵は、わたしの家の近くの岬から眺めた風景なんです」
彼が事情を語ってくれた。
圧政により苦しむ彼の国の人々は、その多くが他国に出稼ぎに行くという。が、彼は絵を描く以外たいして取柄はない。文化的に水準の高いソルダーノ皇国に来ればどうにかなるかもと、やって来てみた。だけど、結局は絵だけでは食べていくこともままならない。ましてや、国で待っている親兄弟に仕送りをすることなど、到底出来ない。
偶然にも、絵のコンテストがあったらしい。毎年、皇宮内に飾る絵をコンテストで決めるというのである。
彼は、迷わず故郷の景色を描いた。
それが、皇帝陛下や皇太子殿下の目に留まったらしい。
「殿下のはからいなんです。本当は、宮廷画家の先生について学ばせてもらうだけなんです。それも、衣食住はすべてかかりません。ちょっとした小遣いもいただけます。それだけでも破格の待遇です。ですが、わたしの事情を知った殿下は、先生の指導がない時には近衛兵として働けばいい、と。もちろん、わたしには殿下をお守りすることは出来ません。ですので、近衛兵としての仕事はこんなふうに使い走りだけです。ですが、給金がすごいのです。わたし自身、必要な金はお小遣いとしていただけるので、給金はすべて家族に仕送りをしています。家族は、ずいぶんと生活がラクになったとよろこんでいます」
童顔には、皇太子殿下に心からの感謝の気持ちがあらわれている。
万が一、絵画から離れるようなことになり、ほかに仕事が必要になったような場合でも、近衛兵だったという経験が有利になるだろう。
彼は、そう皇太子殿下から言われたのだと付け足した。
「氷の貴公子」が?
彼の話に、単純なわたしはただただ感動してしまった。
「あ、すみません。寄り道したことは、だまっていてもらえませんか?隊長に怒られてしまいます」
「わかりました。すごく素敵な絵です。絵を見てこんなに感動したのは、生まれてはじめてです。それと、いつか海を見てみたくなりました」
海の絵に背を向けたけど、もう一度見てしまった。
もう二度と見ることが出来ないから、目に焼き付けたかったからである。
それから、彼と駆け足で皇太子殿下の執務室に向かった。
皇太子殿下の執務室の控えの間に入ると、近衛隊長が待ちかまえていた。
この前来ていた人である。
「遅かったではないか。まさか、また絵を見せびらかしていたのでは……」
「申し訳ございません。わたしが遅れたのです。それから、あまりにも皇宮や皇宮内の絵画や彫刻が素晴らしく、立ち止まっては眺めてしまったもので」
近衛隊の隊長の八の字の口髭を見ながら、思わず言っていた。
あんなに素晴らしい絵を見せてくれた恩返しのつもりである。
すると、近衛隊の隊長の口髭の下にやさしい笑みが浮かんだ。
「そうだったのか。サンドロ、怒鳴ったりして悪かった。もう行っていいぞ。宮廷画家の先生によろしくな」
「は、はい、隊長。ミオさん、ありがとう。また会えるといいですね」
「わたしもです、サンドロさん」
サンドロはわたしたちにぺこりと頭を下げ、慌てて控えの間を出て行った。
「近衛隊隊長のオレステ・ムッティだ。よろしく」
「ミオ・マッフェイです。よろしくお願いします」
ちょっと、わたしってばひっそりと隠れていなきゃいけない身分なのに、つぎからつぎへとソルダーノ皇国の貴人と知り合いになるなんて、どういうつもりなの?
彼と握手を交わしながら、心の中でつくづく思った。
「殿下がお待ちだ。こちらへ」
彼は執務室をノックし、返答が返ってくると樫材のドアを開けた。
その後につづいた。




