皇宮へ
「きみか?エドモンドから話をきいている」
「は、はい」
馬の蹄の跡がたくさんついている地面をじっと見つめつつ、その一言だけで応じた。
「顔を上げてくれ。わたしは、ベルトランド・スカルキ。エドモンドの兄だ。まぁ、一応は皇太子だ」
顔を上げろと命じられて上げないわけにはいかない。恐る恐る顔を上げると、金髪碧眼の美貌がこちらを見下ろしている。
その碧眼は、まるで冬の湖のように凍てついた光を放っている。
「ミ、ミオ・マッフェイでございます」
低い声になるよう、いつも以上に心掛けた。
「ミオ……」
あのー、じっと見下ろさないでほしいのですが……。
こちらのすべてを見透かすような、そんな視線に耐えている。
「ずいぶんと華奢なんだな。それに、レディのように美しい」
「い、いえ、ぼくなどは……。皇太子殿下のお美しさに、目がくらんでしまいます」
そうごまかして俯いた。
一応レディなんですから、華奢なのです。美しいというのは、皇太子殿下もそれしか言いようがなかったからね、きっと。
「ミオ、まずは礼を言わせてくれ。わたしも、馬は大好きでね。いまは頻繁に乗ることは出来ないが、いい馬との出会いはよろこび以上のものがある」
「ありがたきお言葉です」
「また会おう。ファビオ、風邪はもういいのですか?年齢が年齢です。どうかお気をつけて」
「ふふん。後継者が出来たので、今度こそ引退をさせてもらいたいものですな。年齢が年齢だし」
師匠が冗談、よね?とにかく、そんなふうに返すと、皇太子殿下は乾いた笑い声を上げ、踵を返して去って行った。
「いままでどんな駿馬に出会っても、ここに来たことはなかったんだがな」
立ち上がると、師匠がかれの背を見ながらつぶやいた。
だったら、どうしてこんなタイミングで来るわけ?
不思議に思ってしまった。
その二日後、馬場の柵を修繕していると、この前皇太子殿下といっしょにここに来た内の一人がやって来た。
彼は、近衛兵ではないみたい。そのときも、いまと同様、ジャケットにズボン姿だったかと記憶している。
「ミオ。わたしは、パオロ・アマーティー。皇太子殿下の側近だ。いま、すこしいいかな?」
「あ、はい。ミオ・マッフェイです」
「殿下が、今日の昼から会いたいそうだ」
「はい?」
パオロの言う意味がわからなかった。
「昼から、皇宮に来てほしい。ファビオ公には、わたしから話をしておく。皇宮の入り口に近衛兵がいるから、名乗ってくれ。案内するよう申しつけておく」
「でも……」
言いかけたけど言えなかった。
断われるわけもない。
パオロが師匠に会いに厩舎に入ってゆくのを見ながら、焦燥と混乱でいっぱいになった。
バレた?だったら、レディってことが?それとも、タルキ国の王女だってことが?
それとも、その両方?
呼びつけられる理由は、そんなことくらいしか思い浮かばない。
それからずっとそのことが心配なあまり、柵の修繕がはかどらなかった。
昼食のサンドイッチも上の空でかじっていて、師匠に「どうした、大丈夫か?」って心配をされてしまった。
重い足を引きずりながら、皇宮へと赴いた。
ここに来て、皇宮をはじめて見た。
その荘厳さは、タルキ国の王宮の比ではない。
ポケーッと突っ立って見ていると、近衛兵の制服を着用した青年が駆けてきた。
彼も、このまえ厩舎に来ていたわね。
わたしと同じ位の年齢かしら?まだ少年のような顔立ちである。
「ミオ・マッフェイさん?」
「はい」
「お待ちしておりました。殿下の執務室にご案内いたします」
えくぼが可愛い。
彼は、先に立って歩きはじめた。
それはそうと、外観もすごいけど、皇宮内もすごい。
だけど、下品なすごさではない。煌びやかさよりかは、落ち着いた感じがする。
ところどころに絵画や彫刻が飾ってある。
わたしは美術はまったくわからない。だから、これらがすごい画家や彫刻家の手によるものかもわからない。
絵も彫刻も、ありふれた日常や風景を題材にしているみたいなので、眺めていると心が静まってくる。
「美術に興味があるんですか?」
案内の近衛兵が立ち止まってこちらを見ていた。
それではじめて、歩を止めて絵を眺めていることに気がついた。
「す、すみません。あ、いえ。美術はわからないんです。ですが、ここにある絵や彫刻は、どれも心を洗ってくれるようで……」
「だったら、わたしの絵を見てみませんか?あっわたし、サンドロ・ファラーチです。皇太子殿下付きの近衛兵を務めております」
彼は、さっさと歩きはじめた。
途中、大広間があり、彼はその大扉を開けると、扉の隙間から顔だけ中に入れた。
「大丈夫。だれもいません。さあ、ミオさん。中に入って」
彼と一緒に、隙間から中に入り込んだ。




