調教終了、そして……
エドモンドは、眼鏡も買ってくれた。
眼鏡をかけているリベリオは、常々予備を持ち歩いているという。
今持っている眼鏡と同じ度数にしてもらうことにした。
本当は視力がいいということを、ごまかすためである。
そのあと、彼は街のいたるところに連れていってくれた。
美術館、博物館、図書館、歴史資料館などなど。
しかも、展示物の説明までしてくれた。
軍人である彼が、文化的な知識まで幅広く持っていることに、驚くとともに憧れてしまった。
彼の説明はわかりやすく、素人のわたしでもよく理解出来た。
説明をする彼の顔は、まぶしいくらいに輝いていた。
街の食堂で食事をし、カフェでお茶を飲んだ。
それもまた楽しく、にぎやかである。もちろん、それらもすべて彼が支払ってくれた。
食堂やカフェに来ている街の人たちとも会話をかわしたりして、心から楽しめた。
「皇都にある三つの劇場にも連れて行きたいな」
街に三回目に遊びに行ったとき、彼はある大きな劇場の前で言った。
「芝居やパフォーマンスなど、様々な催し物があるんだ」
古く大きな建物の外壁には、蔦が這っている。
この建物だけでも、歴史的価値がありそう。
ソルダーノ皇国は、軍事力がずば抜けていて強大である。だからというわけではないけれど、野蛮で非文化的な国だと思い込んでいた。人々は荒々しく攻撃的で、計算高くずる賢い、とも。
だけど、実際のところはまったくの正反対である。
文化的活動が盛んで、人々は穏やかで親切でやさしい。
なにより、貧困の差がほとんど見受けられない。人々は、平和で満ち足りた生活を送っている。
もちろん、すべてを見ているわけではない。裏面はあるでしょう。
でも、表を見ただけでもひどい国は少なくない。それをかんがえると、この国は素晴らしいと思う。
彼と街へ遊びに行くのを、いつしか心待ちにするようになっていた。
これって、デートよね?
馬体をブラッシングしながら、真っ赤になってしまった。
彼にすれば、この街あるきは親友との遊びなんでしょう。
だけど、わたしにとってはデートになるんじゃないかしら……。
そう思うと、またしても心が苦しくなってしまう。罪悪感に苛まれてしまう。
一方、彼との付き合いが楽しいからか、調教の仕事も機嫌よくこなしている。
あるとき、師匠が風邪をこじらせ二日間寝込んでしまった。
そのときには毎日のルーティーンをある程度こなせるようになっていたので、馬たちの世話と調教を一人でこなし、師匠の世話もした。
料理も手伝うようになっていたので、押し麦の粥を作ったり、鳥肉のスープを作って飲ませたり、熱が高い夜には寝ずに看病をした。
それ以降、師匠がほんのちょっぴりやさしくなったような気がする。
そして、例の三頭の調教が終わった。
自分でもうまく言ったと思えるほど、バルドとリコは素晴らしい乗馬になった。
師匠が知らせたらしい。
エドモンドがリベリオとモレノを同伴し、厩舎にやってきた。
馬場で彼がリコに乗って大満足している姿を見て、ホッと胸をなでおろした。それから、うれしくなった。
彼は、今後リコに乗ることにするらしい。
そして、彼はリコとともに、バルドも連れて行ってしまった。
皇太子殿下に見せると言う。
その数時間後、モレノがバルドを連れ戻しにきた。
彼はそこにはいなかったらしいけど、皇太子殿下も満足しているのではないか、とのことである。
そのあとも、平和で楽しい生活が続いた。
ところが、とんでもないことが起きてしまった。
いえ。とんでもない人があらわれてしまった。
「おい、ミオ。これを見てくれ。柵が折れてしまっている」
馬場で馬たちを遊ばせていると、師匠が柵のある一箇所を指さしながら言った。
最近やっと、彼はわたしの名を呼んでくれるようになった。
「ほんとうだ。馬たちがひっかけたらケガをしてしまいます。柵の修繕をした方がよさそうですね」
柵を見ながら提案したが、師匠は無反応である。
どうしたのかと顔を上げると、彼は向こうの方をじっと見つめている。
「なんてこった。上の坊ちゃんがやってきた。何年ぶりだ?」
「上の坊ちゃん?」
「つまり、皇太子殿下だ」
「なんですって?」
思わず、甲高い声を上げてしまった。
「しっ、静かに。神妙に控えていればいい」
「ですが……」
まさか、あの「氷の貴公子」が?
どうして?
まさか、わたしの正体がバレてしまった?
緊張で体が震えはじめた。
師匠の隣で、片膝をついて控えた。
そっと上目遣いでみると、信じられないくらい美形の青年を先頭に、一団がやってくる。
あれが「氷の貴公子」……。
噂通り、かなりの美形である。
彼の美形のキラキラ度は、陽光の輝きもたいしたことがないくらいである。
皇太子殿下とエドモンドのお母様は、同じ側室らしい。
どちらかといえば、皇太子殿下のほうがより美形かもしれない。
だけど、どこか冷たく近寄りがたい雰囲気がある。
「氷の貴公子」とは、よく言ったものね。
「きみたちは、ここで待っていてくれ」
皇太子殿下は、馬場のすぐ近くまで来ると近衛兵たちに声をかけた。
その声は、うっとりするほど美しいテノールである。
それから、彼は馬場に入って来た。
「坊ちゃん。坊ちゃんがここにやって来るなんて何年ぶりでしょうかね?」
「二年九ヶ月ぶりですよ、ファビオ。元気そうでなによりです」
「それで?二年九ヶ月ぶりに来た理由は?」
師匠ってすごい。
まったく恐れることなく、「氷の貴公子」と話をしている。
それにくらべ、わたしは震えをおさえるのに必死である。
これだけ距離が近いと、上目遣いでこっそり見るわけにもいかない。
「エドモンドがサラボ王国で入手した馬のことでまいりました」
ホッとした。
すくなくとも、わたしのことじゃない。でも、ある意味ではわたしのことかもしれない。
調教したのはわたしなのだから。
「バルドのことで?何か不都合でもありましたか?」
「エドモンドから、サラボ王国の若者が調教した馬だとききました。素晴らしい馬であることは言うまでもありません。それ以上に、完璧に調教されている。ファビオ、あなたの仕事と遜色ないほどです。だから、興味を持ったわけです」
「ええ。ミオの調教は完璧です。なにより、彼は馬に愛されています」
師匠がそんなことを言ってくれるなんて。うれしすぎる。
って、感動している場合じゃないわよね。




