08:責任の範囲
ディッドにずぶ濡れにさせられた後、私はククリの手を引いてダガットさんのところまで戻ることにした。そっちの方が私の家より距離が近かったからだ。
私が戻ってくると、ちょうど兄さんとファルも戻って来ていたところだった。三人は私の姿を見ると、ギョッとしたように見つめて来た。
「エリカ!? お前……どうしたんだよ!? なんでずぶ濡れになってるんだ!?」
「途中でディッドたちに絡まれて、ククリに水をかけようとしたから庇って濡れちゃった」
「ディッドたち……! またアイツらか!」
兄さんとファルは怒りの形相となって、今にも飛び出しそうになる。
「放って置いて。あんな奴等、構うだけ無駄」
「……エ、エリカ?」
私が淡々と言うと、さっきまでの勢いはどこに行ったのか、おずおずと私の様子を窺ってくる兄さん。ファルも似たような様子でオロオロしている。
そうしているとダガットさんが布を持って来てくれて、私の濡れた頭を撫でてくれる。
「……エリカ、ディッドたちはどうやってこんな大量の水を運んできたんだ? まさか桶に入れて持って来たのか?」
「違います。魔法を使われました」
「……やはりそうか」
私の返答に深々とダガットさんは溜息を吐いた。すると、また兄さんとファルがいきり立ち始めた。
「馬鹿じゃねぇのか、アイツら!? 魔法でエリカとククリに水をぶっかけたのか!?」
「アイツら……今度こそ絶対に許さねぇ!!」
「待ちなさい」
今度こそ飛び出そうとした兄さんとファルの首根っこをダガットさんが掴む。服を掴まれた勢いで服がひっかかり、二人は同時に咳き込んでしまう。
「何するんだよ、爺ちゃん!」
「お前たちが飛びだそうとするからじゃろうが」
「止めるなよ! いつもアイツらはエリカたちを虐めやがって! 今度こそ思い知らせてやる!」
「虐め、か。確かに何度かお前たちから話を聞いていたがのう……今回ばかりは、ちょっと話が違う。お前たちだけの問題では済ませておけんな」
「……爺ちゃん?」
ファルが普段の様子と違うダガットさんを不安げに見上げる。いつも穏やかに構えて優しいお爺さんといった様子のダガットさんが神妙な様子で表情を引き締めているからだ。
「お前たち、ディッドたちとはよく揉めていたな? お前たちから心剣を見せびらかしたり、報復に使ったりはしていないな?」
「する訳ないだろ! 心剣はそんな事に使っちゃダメなんだぞ!」
「そもそも俺は無属性だから、自分の魔法とかまだわかってないし……」
「うむ。ククリとエリカもだな?」
「……うん」
「はい、私は見せびらかしたこともありません」
あくまで貰った畑で力の練習に使っていたぐらいで、人前では心剣を出して使ったことはない。
「心剣の力は使い方を誤れば容易く人を傷つけてしまうものだ。だから喧嘩ごときに心剣を持ち出すのはやりすぎじゃ。これは子供の喧嘩で済ませられる範囲を超えてしまっている」
「範囲って、何の範囲……?」
「責任を取れる範囲じゃよ」
責任、と言われて兄さんはハッとして顔を上げた。そういえば最近、似たような話をしたのを私も思い出した。
「ディッドが水の心剣を授かったという話は聞いたことがあるが、水だからかけて良いというものでもない。例えば、これがもっと寒い季節であれば? それが原因で風邪を拗らせてしまったら? そして……そのままエリカが死んでしまったら?」
淡々と説明するダガットさんに兄さんもファルも息を呑んでいた。ククリも私の手を握って、縋るように身を寄せてくる。
「或いは、例えばディッドの心剣の力が火属性だったら? 怪我をしなければ良いと魔法を軽い気持ちでククリやエリカに向けていたら? それで火傷を負ってしまったらどうじゃろうか。ディッドはそこまで考えて魔法を使ったのか? 考えたなら、それは虐めでは済まされない行いだし、考えていないとしても見逃してはおけない問題じゃ。今回はエリカが濡れただけで済んだが、怪我をさせていた場合、お前たちだったらどうする?」
「どうするって……俺は、そんな事しない」
兄さんが震えるぐらいに拳を握り締めながら呟くように言った。そんな兄さんの肩に手を置いてダガットさんが語りかける。
「何故、レオルはそんな事をしないのじゃ?」
「……だ、だって、怪我させたら痛いし、治らなかったら、俺じゃどうしようも出来ない」
「そうじゃよ。自分が何かを起こしてしまった時、それを謝ったり償ったりすることが出来るのが責任じゃ。レオルは怪我をさせたら償えないことがわかっているから、それを悪い事だとわかっておる。では、ディッドはどうだ?」
「……あいつも、責任が取れないと思う」
「だから子供だけの問題では終わらせられない、という事じゃ。例えば、お前たちも怒りのままにディッドたちに仕返しをしたとしても、それも問題じゃ。もしディッドがお前たちの仕返しに心剣を使ってきたら、お前たちも剣を抜いてしまうかもしれないじゃろ?」
否定出来ない、と言うように兄さんとファルは黙り込んでしまった。
だってあっちが先に抜いたんだから、と思ってしまえば歯止めが利かなくなる可能性なんて大いに有り得るだろう。
「レクダには儂から話をしておこう。その後はディッドたちと、その親を交えて今回の件を話し合う必要がある」
「親に言っていいんですか? 俺たちの喧嘩なのに、親を頼るなんて……」
「もうお前たちの喧嘩では済ませられない事をディッドはしてしまったのだよ。心剣の力を迂闊に使うな、と言われておるだろう? 何故親がそう言うのか、良い機会だから改めてよく考えておきなさい」
まだ飲み込めたとは言えない様子の兄さんの頭をダガットさんは撫でる。
「子供が取れない責任を親が取るのは、親の役割なんじゃよ。それを放棄してしまえば皆、不幸になってしまう。子供は失敗しながら学んでいくものなのじゃからな」
ダガットさんの言葉に兄さんは何か考え込むように黙り込んだ。
それから私は濡れた服をククリの服を借りて着替えて、家へと戻った。家には母さんがいて、ダガットさんが一緒に来たことに怪訝そうな顔をした。
「あら? ダガットさん、どうされたんですか?」
「こんにちは、シスカさん。実はですね……」
事情を説明されると、母さんは驚きに目を見開かせた。すぐさま私に怪我がないか確認してにホッとしていたけど、真剣な顔付きで父さんを呼びに行ってくれた。
「エリカ! 本当に怪我はないのか!?」
慌てた様子の父さんが戻って来ると、母さんと同じように私に怪我がないかどうか確認した。私に怪我がなかったことに深々と息を吐き出して、それからはダガットさんと母さんと一緒に話し合いをするようだった。
私たちは部屋で待っているように言われたけれど、兄さんは自分の部屋に戻らず私の部屋にやってきた。そうすると自然とファルとククリも私の部屋に集まる。
ククリはずっと私の側にいて、服の裾を掴んで離れなかった。その間、ククリはずっと無言で俯いていた。
ククリがそんな様子だったからなのか、兄さんもファルも心配そうに私たちに視線を向けてきても何も言わなかった。
そんな何とも言えない気まずい沈黙の時間が過ごしていると、父さんが私たちを呼びに来た。
部屋を出て居間へと向かうと、居間から人の気配が複数あるのを感じた。そして居間に入ると、そこには俯いたディッドたちと、その横や後ろで顔を真っ青にさせている彼等の親がいた。
「エリカちゃん……」
私に声をかけてきたのはディッドの母親だった。ディッドのお母さんは私を見ると、その目を閉じて震えた息を長く吐き出した。
「あの、本当に怪我はない?」
「……ありません」
「そう……あの、ウチのディッドが水をかけたって、本当なのかしら?」
「本当です」
私はただ淡々と質問に答えていく。するとディッドたちが僅かに身動ぎをして、その親たちの顔が強張っていく。
暫く重苦しい沈黙の間が流れる。その沈黙の間を破ったのはディッドの母親だった。
「本当に申し訳ないわ。この子にもしっかり反省させるから、許してくれないかしら? この子も悪気があった訳じゃ――」
「――は?」
思わず感情が抑えきれずに私はディッドの母親を睨み付けた。悪気がなかった? この人は何を言っているんだと、本気で理解が出来なかった。
「――人のことを腐り女って罵って、臭いとまで言われて、魔法で水までかけられるのが悪気がなかったって言うんですか?」
怒りを込めすぎて低くなった声で問いかけると、ディッドの母親は青くなっていた顔が更に白く変わっていった。