手乗り王子様
早速ですが、わたしの婚約者は手乗りサイズです。
比喩でも冗談でもなく妖精のように小さいのです。鍛え抜かれた肉体にこの世の全ては俺のモノと言わんばかりにふてぶてしい顔。婚約者であるわたしに対してさえ『おい』とか『お前』と呼びつけ、わたしの名前なんてほとんど口にしたことはありません。
まさしく傲岸不遜の塊。
偉そうな態度が標準装備です。
まあ大陸でも屈指の大国ヴァージィアンが第一王子にして次期王ではあるので偉そうというか実際偉いのですが。
王たる者には相応の立ち振る舞いが求められます。与えられた権力に溺れるような者は王たる資格なしと見限られ、最悪王権を簒奪されることでしょう。反乱、などというつまらない真似を許さないのはもちろん、できると思わせないのが真なる王なのです。
ゆえにこそ。
婚約者として第一王子ルシア=ヴァージィアン=イルミメイト様が誤った道を歩まないよう尽力しなければなりません。
……ちなみに全て王妃様からの受け売りだったりします。というかルシア様の立ち振る舞いについて少々改めるようにわたしのほうから言い聞かせてほしいと王妃様に頼まれていたりします。
ーーー☆ーーー
学園でのことです。
学ぶだけならば必要な人材を必要なだけ呼びつければいい第一王子たるルシア様がわざわざわたしや他の生徒と共に学園で授業を受けている理由は一つ。有力貴族の子息子女が集まるこの学園で未来の国家中枢を担う者たちとの繋がりを構築するためです。
だというのに、ルシア様は基本的に自由に席を選ぶことができる中、わざわざわたしの机の上に手乗りサイズに合わせた机と椅子を並べ、これまた手乗りサイズに合わせた教科書をひらいています。これでは何のために学園側がわざわざ自由に席を選べる形にしているかわかったものではありません。もちろん婚約者との繋がりを深めるのも大切ではありますし、わたしを選んでくれたことに胸が高鳴りますが、それはそれとして次期王たる義務を果たさなければなりません。
「ルシア様、たまには他の生徒の机で授業を受けてはいかがでしょう?」
「嫌だ」
「しかし、ルシア様。有力貴族の子息子女と繋がりを深めることは次期王として必要なことかと。婚約を結んだ時点で一定以上の繋がりは確約できているわたしよりも、他の生徒との繋がりを深めることを優先するべきです」
「俺様は俺様のやりたいことをやる。いちいち口を出すな」
腕を組み、吐き捨てるようにそうおっしゃるルシア様。机や椅子、教科書と同じように魔法によるオーダーメイドの黒を基調とした──不純物を嫌うルシア様らしく王族にしてはシンプルな──服に身を包んだルシア様は掴んだ教科書をひらひらさせながら、
「そんなことより、お前。退屈だ、なんとかしろ」
「…………、」
これです。ええそうですね、傲岸不遜なルシア様らしいお言葉でございます。わたしがせっかくルシア様と共にいられる時間を捨ててでも、次期王としてやるべきことをやってほしいと身を裂く思いで伝えても少しも響きはしないのです。
「ルシア様、今は授業中でございます」
「すでに知り得ているものを聞かされても退屈なだけだろうが。退屈なんだよたーいーくーつー!」
ついには手乗りサイズの腕をばたつかせるルシア様。あら可愛い。いや本当可愛いなんですかその動きっ。顔立ちは傲岸不遜の塊であり、肩まで伸びた金髪や碧眼には宝石が霞むほどの輝きがあり、力強い肉体美をもっていて、それだけでも完璧なほどに格好良いのですが、そんなルシア様が小さな腕をばたつかせている様はまさしく愛らしく本当可愛いですうわっはあ!! ……ハッ!? 違う、違いますっ。わたしはルシア様に次期王てして果たすべきことを果たしてもらうため説得するつもりで、決して両手バタバタに見惚れてなどいませんっ。
さて、切り替えましょう。見なければなんとか、ええギリギリ耐えられます冷静になれます頑張りますなってやりますとも。
「おい」
ルシア様は第一王子にして次期王であります。いかに婚約を結んだとはいえ、一公爵令嬢でしかないわたしとの身分差は存在しており、ルシア様がやれと命じれば従うしかありません。
「なんで顔を背けるんだ? 寂しいじゃないか」
とはいえ、これっぽっちもわたしの注意が響かないのもどうかと思うのですが。仮にも婚約者なんです。少しはわたしの意見に耳を傾けてもよろしいのではないですか?
むう。冷静に考えれば考えるだけ、ちょっとむかっとしてきます。
とにかく! 退屈であるなら、ふふっ。退屈だなんて言えないようなことをやってやろうではありませんかっ。
「命令、しかと承りました。では失礼して」
「ん? おいこら何をする!?」
何をですって?
何事か言っていた気がするルシア様の胴体を左右の人差し指と中指で挟み込んだだけですけど???
「えいっ」
「ぷふっ!?」
わたしは中指でルシア様の動きを封じ、人差し指で脇腹をくすぐります。退屈を紛らわせるためならなんでもいいはずです、だったら退屈だなんて考えることもできないほどにくすぐってやることは第一王子の命を忠実に果たしたと言えるでしょう。
「ぶぅふっ、待て、ふはっ、ひひっふっ、お前やめ、あは、あはははははっ!!」
「えい、えいえいっ!」
わたしの指の動きに合わせてルシア様が身をよじらせ、笑い声をあげます。傲岸不遜の塊のようなルシア様がわたしの手の中で良いように、なす術なく転がされているのです。うはっ、ほんのり涙目まで浮かべちゃって、まあっ!!
その姿になんだかぞくぞくっと背筋に感じたことがない震えが走りますが、これ以上はイケない気がして、ああですけど指が止まりませんっ。
むかっときたのを発散するのはもちろん、ルシア様に少し反省してもらうために、ついでに弱ったところに先ほどと同じことを提案すれば受け入れてくれる確率が高くなるのではと考えてのことですが、それらが霞むほどに熱い何かがわたしの中から湧き上がって──
「随分とお楽しみのようで」
「っ!? せ、先生っ。あの、これは、ですねっ」
「今が授業中でなければ、私も微笑ましく見守っていられたのですが。流石にそこまで騒がれると注意しないわけには参りませんよ?」
「はっ、はいっ。申し訳ございませんっ」
女教師さんの静かな叱責にわたしの中の熱が、湧き上がる何かが萎んで消えていきます。
う、うう、やってしまいました。今のはわたしだけでなくルシア様も授業中に騒いでいたと見做されますよね。ああ、ああっ。ルシア様を支えるべきわたしがルシア様の評価まで下げかねないことをしてしまうだなんて最悪です……。
ーーー☆ーーー
わたしは王妃となれる器なのでしょうか。
ルシア様との婚約が決まってから王妃となるための教育が始まりましたが、全くと言っていいほどついていけていません。
令嬢としては並程度。決して周囲よりも目立って劣っているわけではなく、しかし優れているわけでもありません。
家柄だけの女。そう評されているのは知っています。そう評されてしまう能力しかないことも、十分自覚しています。
どうしてわたしだったのでしょう?
他に優れた令嬢はいくらでもいて、第一王子ともなれば選び放題であったというのに、なぜ家柄くらいしか優れたもののないわたしが選ばれたのでしょうか……。
もしかしたら。
わたしがやるべきは王妃様のお願いに従ってルシア様に立ち振る舞いを見直すよう進言することではなく──
ーーー☆ーーー
お昼のことです。
ルシア様は何やら用事があるとのことでバサバサと去っていきました。
というわけで一人寂しく食堂にやってきたわたしを出迎えたのはアリティアを中心とした一団でした。
アリティア=リーフルング公爵令嬢。
当主同士が長年のライバルということもあってか、幼少の頃より何かと張り合うことの多い相手です。
金髪に碧眼。ルシア様と同じ色を持ち、煌びやかなドレスや装飾品で着飾ったアリティアはばっさ、と特徴的な豪華絢爛総勢十六もの縦ロールを手で後ろにやり、わたしに指を突きつけます。
「聞きましたわっ。貴女、先の授業において随分と派手にやらかしたそうですわねえ?」
「うっぐ。もうアリティアの耳に入るくらい広まっているんですね」
「恐れ多くも殿下の婚約者ともあろう者が授業中にちっちちっ、乳繰り合うなどもってのほかですわっ!!」
「あれ、変な広がり方してません?」
いつものように『そうよそうよっ』と合いの手を入れるためだけにアリティアが雇った取り巻きさんたちの声を聞き流しながら、わたしは首を傾げます。
ちなみに取り巻きさんは『そうよっ』や『流石はアリティア様っ』と合いの手を入れるだけで結構なお金になるそうで、男爵家の子女を中心に人気なのだとか。一流の淑女は取り巻きを侍らせるものですわよ、とアリティアは言っていましたが、果たしてお金で雇うのはどうなんでしょう?
「貴女のような家柄だけで殿下の婚約者と選ばれた者がいずれは王妃となるだなんて末恐ろしい限りですわ。お得意の空回りで醜態を晒して不利益を被るのは殿下ですわよ?」
「そ、それは……」
た、確かにわたしは王妃としての教育の覚えも悪いですし、ちょっとやらかしてしまうこともあります。こんなわたしが未来の王妃だなんて、周囲から見れば家柄だけの女に務まるのかと疑問に思うことでしょう。
同じ公爵家でも目の前のアリティアなど能力も外見もわたしなんかより遥かに優れていますもの。相応しくないと、そう思っても不思議はありません。
自分のことは自分が一番よく知っています。わたしの能力は並の令嬢の域を出ておらず、アリティアのように学園で常にルシア様と成績トップを争うことなどできず、周囲が見惚れるほどの礼儀作法や美貌を持ち合わせてることなく、わたしには特別なものなんて何もないんです。
それでも、わたしはルシア様の婚約者と選ばれた時、跳ね除けることはできませんでした。実際に王命を断れるか否かはともかく、相応しくないと一言伝えることもできなかったのは、わたしがルシア様のことを──
「今のうちに婚約の解消を進言すること、それこそが殿下のためであると思いますが?」
「……ッ」
ですけど。
内なる想いとは裏腹に、アリティアの言葉が突き刺さります。今回の一件だけに限ることではありません。不相応であると、そう実感することは多々ありました。その全てが重荷となって押し寄せます。婚約を解消することが殿下のためになる、それは無自覚のうちに心のどこかで考えていたことなのですから。
アリティアの言葉がわたしの中の悪感情を引きずり出します。募って、膨らみ、押し寄せるドロドロとしたものがわたしの中に光る何かを塗り潰していくのが感じられます。
アリティアの言う通り、ルシア様のことを思うのならば婚約を解消するのが一番なのでは──
「ふんっ、くだらん話をしているな」
バサバサと。
手乗りサイズの毛並みもふもふリトルグリフォンがわたしとアリティアとの間に割って入ります。
その背中にまたがり、もふもふ毛並みに身を沈めるはルシア=ヴァージィアン=イルミメイト様その人でした。
基本的にルシア様の移動手段はリトルグリフォン(七歳、メス)、名をネネに運んでもらうか、わたしの肩や頭の上に乗っかるといったものなんですよね。
ルシア様はいつものふてぶてしい笑みと共にこう言います。
「リーフルング家が令嬢よ。お前は勘違いをしている」
「勘違い?」
「ああ。そもそもだ、そこの馬鹿が平凡なことはとっくの昔にわかっていたことだ。ついでにどこかズレているから、たまに突拍子もないことやらかすんだよな。子犬と思って拾ったのが実はケルベロスだった、なんてのを聞いた時は流石に耳を疑ったぞ。力の波動の一つも感じ取ればすぐに普通でないことはわかるだろうし、最悪力の波動が感じ取れなかったとしても首が三つもあればおかしいと思うだろうに」
うっ。そ、それは、少し頭が増えて生まれちゃったのかなと思ったんですっ。ほら、たまに指の数が増えて生まれる人なんかもいますし、そういったものと似たものなのかとっ。
「そんな奴でも俺様の婚約者は務まる、というか、俺様は婚約者に能力など求めてはいない。婚約者の助けなどなくともやっていけるし、何なら婚約者がやらかしたって補って余りあるほどの才覚に満ちている。ゆえにこそ、俺様にとってはどこの誰も格下でしかなく、多少の能力の差などなきに等しい。リーフルング家が令嬢だろうが、俺様の婚約者だろうが、能力的には大した違いなんてないというものだ」
ルシア様らしいお言葉でした。口だけでなく、そう言ってのけるだけの実力がルシア様にはあるんですよね。
と、リトルグリフォンの上でふふんっと鼻を鳴らし、傲岸不遜に胸を張るルシア様。そんなルシア様を前にぷるぷると肩を震わせるアリティアが口を開きます。
「では、ルシア様は婚約者に何を求めておいでなので?」
「もちろん惚れ……ごほんごほんっ。な、なんでもいいだろうがっ」
ふんっ、とそっぽを向くルシア様。手乗りサイズの王子様の耳は微かに赤く染まっていました。
その様子にアリティアの震えが大きくなります。震えて、震えて、そしてぱんっと手で顔を押さえ、こう絞り出しました。
「か、かわいいですわあっ!!」
…………。
…………。
…………。
「わかりますっ、ルシア様はもちろん格好いいですが、それはそれとして可愛いんですっ。今の、わっはあっ、恥ずかしげに顔を逸らすだなんて反則級ですって!」
「……、な、ん?」
「もう、もうもうっ。かっわいいですわあっ。殿下、どうしてそうも恥ずかしがっているので? もしや、あらあら、もしかして殿下ってば婚約者のことを……くううっ! 貴女っ。殿下がお選びになったのならばわたくしからは何も言えません! 殿下の隣に立っても恥ずかしくないよう努力するように!! 殿下からこんな可愛い反応を引き出すために貴女の存在が必要ならば、わたくしも貴女が未来の王妃としてやっていけるよう協力を惜しみませんからっ!! 協力、ふっふ、貴女に協力すれば自ずと殿下のこんなにも可愛らしい反応を見ることが、ふひっ、ふへっふふっ」
「いや、待て、何か流れおかしくないか?」
「アリティア、ルシア様の可愛らしさは広く世間に知られるべきもの。協力してくれるか否かに関わらず、いくらでもご覧になっていいのです!!」
「おいっ、俺様を放って話を進めるな!!」
ぴょんぴょんっとリトルグリフォンの上で飛び跳ねるルシア様。子猫がじゃれつくような動きについに限界を迎えたアリティアが鼻血を噴き出しました。気持ちはわかります。わたしもそろそろ限界ですもの!!
その後、悪態と一緒に色々と協力してくれるアリティアのお陰でなんとかルシア様の婚約者としてやっていけるようになったわたしですが、ついにルシア様の傲岸不遜が治ることはありませんでした。まあそれはそれで格好いいし可愛く、ついでに有能ということで人気を博したルシア様は歴代でも最高の王様として名を残すことになるのですが、それはまた別のお話。