俺、念願の調味料を手に入れる。
「だからね、手伝って欲しいのよ」
朝早く、鳥の囀りと共に起きたろちゃにそう言われた俺は、眠い目を擦りながらこの世界の話を聞いていた。
ろちゃが言うには、彼女は元々は魔導士で、それなりに名の知れたチームで魔王を倒す旅に出ていたのだそうな。
けれどひと月として同じ場所に居られないこの世界では、ひと月毎に異なった土地に飛ばされるらしく、結局のところ、魔王の城に辿り着くまでにチームも散り散りになり、挙句の果てにスライムになる魔法までかけられたろちゃは、今までずっとひとりぼっちで旅を続けていたのだと言った。
「でも、コウさんが異世界の人だなんてビックリだわ」
初めて見る異世界人に興味津々らしいろちゃは、俺の周囲をぐるりと周りながら俺を見て笑顔を浮かべる。
その笑顔に可愛いな、と思ったものの、この世界の事情を聞いた俺は、これからどうしたもんかと、やはり頭を悩ませるのであった。
だって考えてみろ、ひと月経てばどこかの土地に飛ばされるというのなら、目的地を決めて目指していたとしても、タイムリミットまでに辿り着かなければおしまいだ。
それに、一緒に旅を続けられる保障がない。
そのことをろちゃに伝えてみたら、ろちゃは耳に付けていたピアスを片方だけ取ると、座る俺の前に膝をつく。
体を寄せてくるろちゃに一気に眠気の飛んだ俺だが、続いて耳に走った激痛に悲鳴を上げた。
「イッテェーッ!!」
「大丈夫、大丈夫。傷が出来ても治してあげるから」
クスクスと笑う彼女は、強引に開けたピアスの穴に外したピアスを付けて〝ヒール〟とか何とか言った。
「あれ、痛くねぇ」
痛くはないが、心臓は爆発寸前だ。
「ね。もう痛くないでしょ」
傷の具合を確かめるろちゃは、俺の太腿を跨いで耳に顔を近づけ、オマケに息を吹きかけてきやがる。
そんなことをされたら、俺はもう堪らん訳で。
「ろちゃ――」
「そうそう。言い忘れてたんだけど……あれ、どうしたの?」
ガバチョ――と抱きつこうとした俺のふたつの腕は、いきなり移動したろちゃのお蔭て俺自身を抱きしめる形になってしまった。
虚しい……
不思議そうに俺を見るろちゃに小悪魔め、と心の中で思いつつ、言い忘れていたという話を聞くことにする。
「離れたくない人やペットにお揃いのモノを付けておくとね、ひと月後に飛ばされる時もその人と一緒に移動出来るのよ」
魔王の、せめてもの情けなんでしょうね。
そう言うろちゃは、スライムになってしまう魔法を解く旅と、ひと月経つと人間を飛ばす魔法をかけた魔王退治に、冒頭の言葉で俺を誘っている。
同意をしかねている俺だが、よくよく考えてみれば、ろちゃみたいに魔法も使えないし、この世界のことも殆ど解っていない俺が一人旅に出たところで、未知のモンスターに倒される未来しか見えない。
それならば、ろちゃと旅を続けるほうが心強いし、魔王退治はともかく、彼女をちゃんと人間に戻してあげたいと思う。
「ひと月経ったらどこかへ飛ばされるんだし、魔王退治までは約束出来ないけど……。ろちゃを人間に戻す為の旅だと言うのなら協力する。頼りないけど、傍に居るってので、駄目か?」
俺の言葉ひとつひとつにウンウンと頷いていたろちゃは、急に笑顔になって俺に飛びついてきた。
「うわあっ!?」
「ありがとう、コウさん。よろしくねっ! 私、三日間しか人間に戻れないから、スライムになってから今までずっと一人だったの」
だから嬉しいと言って抱きついてきた彼女に、俺は疚しい気を起こすこともなく、素直にろちゃを抱きしめて頭を撫でてやった。
ろちゃはひとしきり抱きついて満足したのか、頬にキスをして俺から離れる。
「な、何した、今……」
初心な少女のように頬を染めながら、キスをされた頬を自らの手で触れるというのは何とも滑稽な画だろう。
けれども、俺にとって頬であってもキスが初めての体験は、思考を停止してもおかしくはない出来事であった。
「なに照れてるのよ。ほっぺにチューなんて、挨拶みたいなものでしょ?」
変なの――
笑う彼女は黄色のコートを翻して川に向かう。
両手を川に向けて風を起こしたろちゃが、手を交差させて魚を巻き上げ、一瞬で二匹の魚を捕まえていた。
「ねえねえ、魔法が使えない人間って、どうやって火を点けるの? 見せて見せて」
魚は既に、彼女の持つアイテムボックスの中に収納されている。
戻って来たろちゃの期待に満ちた目を見ていたら、面倒なんて言葉は出てこない。
「まず、燃えやすい乾いた枯れ葉や枝を集めるんだ」
ドキドキしていたことも忘れて、俺は火おこしに使えそうな物を集めだす。
火きり板に火きり棒、摩擦で火種を作って火口に火種を移し、ゆっくりと息を吹きかけて空気を送り火を点ける。
十分ほどで点いた火にろちゃは喜び、枝を削って作ったフェザースティックが燃えて大きな火になると、手を叩いて俺の火おこしを褒め始めた。
「でも、魔法のほうが一瞬で点くから、面倒だろ?」
照れ隠しのように笑いながら言うものの、ろちゃは首を横に振る。
「魔法だって万能じゃないもの。疲れている時は何も出来ないわ。だから、凄いって思っちゃう」
ニコッと笑う彼女に、火おこしも毎回上手くいくとは限らないと言い、ろちゃの捕ってくれた魚を枝に刺して焼き始めた。
パチパチと燃える火は、見ていて安心出来る。
「ご馳走様」
二人仲良く朝ご飯を済ませると、火を消して下流に向かって歩きだした。
ゴツゴツとした岩が多かった上流の川の岩が、徐々に小さい物に変わっていく。
生えていた植物の種類も変わり始め、下流に向かうにつれて手入れされている植物も見え始めた。
「あそこに家があるみたい」
ろちゃが指差す方向を見ると、煙突から煙を出している何軒かの家が見える。
「行ってみようぜ」
煙突から煙が出ているのは、人が生活をしている証拠だ。
急ぐことをせずにゆっくりと家の近くまで来れば、柵に囲われた場所で羊や牛が牧畜されているのが見える。
「こんにちはー。誰か居ませんか」
玄関扉の横に付いているベルの紐を引っ張ると、チリンチリンと鳴ったベルの音に気づいた住人が扉を開けた。
「初めまして、あのー……」
五十代くらいと思わしき女性が、不審な目で俺たちを見ている。
俺はどう言葉を続ければいいのか悩んだ。
だって、この世界のことはろちゃから聞いたし、いきなり初対面の住人に同じようにこの世界のことを聞いても、不審者丸出しでしかない。
「この土地の名前を知ってたら教えて欲しいの。私たち、飛ばされてきたばかりで」
「ああ、それなら――」
女性の前で硬直してしまった俺に変わって、慣れているろちゃはそう言って女性と会話を続ける。
「二軒先の家は誰も居ないから、そこで休めばいいと思うよ。もしかしたら前の住人が、書置きをしているかもしれないしね」
この土地の名前は分からないけれど、女性は空き家を紹介してくれた。
「勝手に入っていいのか?」
先導するろちゃが、鍵のかかっていない空き家の扉を開けて中に入るものだから、俺は慌ててあとを付いて行く。
「みんなひと月として同じ場所に居られないんだもの。この世界の常識ではね、空き家は住んだ人のもの。鍵は基本開けっ放し。店や仕事は出来る人がやる。そう決まっているのよ」
つい先日まで人が住んでいましたというような、掃除の行き届いている綺麗な部屋の中は、野宿をしないで済むという安心感が得られる。
「あ、ノートだ」
「前の住人たちの記録ね」
ろちゃがノートを手に取って読み始める。
今更だが、当たり前のように言葉が通じ、文字も読めることに感謝した俺だ。
とはいえ、どうせなら魔法のひとつくらい使えるようにしてくれればよかったのにと思ってしまう。
「グリーンドラゴンの村だって」
「え、ドラゴンが出たりすんの?」
「地図があるわ」
最後のページに挟まれた紙を広げると、この周囲の地図が描かれていた。
「この村の近くにある森がドラゴンの形をしているから、この村の名前がグリーンドラゴンの村なのね」
でももしかしたら、ドラゴンの一体や二体出てもおかしくはないと付け加えたろちゃに、俺は冷や汗を流す。
「あら。ドラゴンは美味しいのよ。見つけたら捕まえなくっちゃ」
いやいやいやいや、危険でしょ。
思わず口を引き攣らせる俺だが、ろちゃは出会ったら狩る気満々のようだ。
俺に出来ることと言えば、その時にはろちゃの邪魔にならないようにするだけだろう。
思わず某昔話の龍を想像した俺は、腹の鳴る音で我に返った。
「レッドボアのお肉でも食べる? フルーツも野菜もアイテムボックスにあるわよ」
「おお。食おうぜ」
キッチンに向かえば、当たり前のように並んでいる調味料を見て、俺は思わず前の住人たちに感謝をした。
旅の途中で食べてきた魚や肉は美味かったけど、やっぱり調味料のあるなしでは、あるほうが美味いに決まってるからな。
レッドボアだと言うあの大猪の肉をミンチに、タマネギをみじん切りにする。
外に居た鶏から拝借した卵とパン粉、肉とタマネギを捏ねてハンバーグにして焼いた。
ろちゃ曰く、フライパンや鍋には魔石が埋まっているから、ボタン代わりの魔石を押すと、火がなくてもフライパンや鍋を熱することが出来るらしい。
焼き上がったハンバーグにソースをかけ、パイナップルを添える。
千切ったレタスの上にキュウリとトマトを乗せて、マヨネーズをかけてテーブルに置いてやると、目をキラキラとさせたろちゃがいただきますと手を合わせた。
「いただきます」
「はい、召し上がれ」
生き物の命を頂くのだから、この世界でも〝いただきます〟の習慣があるのは嬉しいと思う。
「美味し~いっ! コウさんって料理上手なのね」
ろちゃは美味しいと言い、顔を綻ばせている。
美味しそうに食べる彼女を見ているだけで幸せな気分になれる俺は、今後もろちゃの為に料理を頑張ろうと思った。
まあ、極力ドラゴンには会いたくないと思うが、きっとろちゃが簡単にやっつけてしまうのだろう。
その時の為、今後の為にもまずはアレだ。
「調味料が欲しい!」
「いきなりどうしたのよ」
いや、だってな、料理が美味いと思えるのも調味料があってこそだし。
「店があるかもだから、村を回ってみる?」
「お、いいね」
外に出ると、涼しい風が吹いている。
重なった太陽が月に分かれ始めるところを見ると、もうそろそろ夜なのだろう。
一日の時間が二十四時間だから、十二時間毎に太陽と月が交わることになる。
零時と十二時に月と太陽はふたつずつになり、十八時と六時にひとつに重なる。
月がふたつに分かれ始めた今の時刻は、十八時過ぎと見ていい。
薄暗くなり始めた世界は、ちらほらと星の存在も見せ始めてくる。
「店っぽいのはあるが、無人だな」
多分店番をしていた人が、つい最近飛ばされたのだろう。
「だったら、お金だけ置いて、好きな調味料買えばいいじゃない」
何も問題はないというように言ってのけたろちゃに、それでもいいのかと呆気に取られた俺は、この世界の金を持っていないことに気づいて絶望した。
「あの……。ろちゃさん」
「大丈夫よ。お金ちゃんと持ってるから。その代わりに美味しい料理楽しみにしてるね」
ニッコリと笑う彼女はやはり可愛い。
念願の調味料も手に入れて家に戻った俺は、風呂も入ることが出来て幸せだった。
あとは寝るだけという段階になって寝室に入った俺は、部屋の真ん中にひとつだけあるダブルベッドを目にして、ガクリと膝をついたのだった。