(戸倉村)9
名古屋の屋敷でアンソニー佐藤は目を覚ました。
その部屋に近付く足音。
自室の前で止まり、声がかけられた。
「御主人様、朝食の用意が整いました」
昨夜、部屋に案内してくれたメイドに違いない。
「わかった」
メイドが立ち去るとアンソニーはベッドで大きな伸びをした。
新築の匂いが鼻をついた。
屋敷自体が建てられて半年ほど。
この母屋は当主も家族も不在なままなので、
全くと言っていいほど使われてはいない。
長屋に住み込みの執事やメイドが毎日、空気の入れ替えをするくらい。
このまま当主不在という訳ではない。
いつ呼集がかけられるか分からないからだ。
今、村では武家に相応しい人員の訓練と編成を行っていた。
騎乗の者十騎、槍足軽二十人、弓足軽二十人。
これに文官を加えると最低でも七十人を必要とした。
幸い人員は満たしたのだが、訓練と編成が終わっていない。
それに最大の問題は、村の代官を誰にするか、であった。
戸倉本村と漁村を管理するわけだから、能吏は必要。
伯爵家に事情を話し、暫くの猶予を貰っていた。
期限としては、遅くとも来春まで。
全て完了すれば引っ越す予定でいた。
食堂に行くと既に二人の息子が着席していた。
アンソニーが入って行くと二人が立ち上がり、朝の挨拶。
「おはよう御座います、父上」
打ち合わせでもしていたかのように声を重ね、軽く頭を下げた。
慣れていないのでアンソニーは苦笑い。
「おはよう」
彼の着席を待って息子二人が腰を下ろすと、
メイド三人が食事を運んで来た。
執事が現れてアンソニーの耳元に囁いた。
「村に戻られるのを少々、繰り下げる必要が出てきました」
「どうした」
「面会の申し込みがあるのです。それも三件」
「私は昨日、着いたばかりだぞ。どうして私が来た、と分かったのだ」
「相手は商売人ですから」
「塩か」
漁村での塩田開拓が順調で、
少量ではあるが村外に売却できるところまで進んでいた。
それに目をつけたのであろう。
執事によると今朝、それも早朝、
三つの商会の使いの者が息を切らせて現れた、と言う。
商会は何れも領都では有名どころばかり。
これまでの戸倉村は馬車の製造で知られていた。
これに塩が加わるのだ。
村の経営は順風と言っても過言ではない。
名古屋は外堀に囲まれた城郭都市であった。
跳ね橋を四方に持ち、治安だけでなく、
籠城戦をも見据えた都市設計が成されていた。
城郭内は名古屋城を中心に四区画に分かれていた。
伯爵家や寄子の貴族が屋敷を構える東街。
伯爵家の家臣が住む西街。
一般市民の南街。
商人等が集まった北街。
それぞれに通用門が幾つもあり、平時は自由に行き来ができた。
領都であるので、人口も敷地も満杯かと思いきや、そうではなかった。
籠城戦や火災、疫病等に備えて、空き地も残されていた。
城郭内に空き家が見つけられない者が希望すれば、
跳ね橋に通じる街道沿いに家を建てることが許されたので、
領都は城郭外にも延びていた。
城郭の門限は厳しい。
平時は東西南北にある跳ね橋が朝五時に下げられ、
夜八時には上げられた。
各街区を繋ぐ通用門もそれに準じて開け閉めされるので、
規則正しい生活が求められた。
アンソニー佐藤家は城郭の東門外の街道に屋敷を構えていた。
佐藤家だけが珍しいことではない。
家臣でも貴族でも郭外に屋敷を構える者は多くいた。
ことに新規採用の武士や貴族の多くは堅苦しい郭内生活を嫌い、
治安には目を瞑って自由な生活を求めて外に出た。
アンソニーは一行を率いて名古屋城へ向かった。
アンソニーの乗る一頭立ての幌馬車と、
魔物の首を運ぶ一頭立ての荷馬車。
馭者と徒歩の雑兵で計九人。
東門の門番に身元を現す胸元のタグを確認させ、
公用の手形を取り出し、「奉行所へ向かう」として跳ね橋を通った。
東門を抜けると向こう正面に白い五層の天守閣が聳え立っていた。
雑兵の一人が初めて見たのだろう、「うわっ」と思わず足を止めると、
同僚の一人に、「他の通行人の邪魔になるから進め」と笑われた。
指定されたのは名古屋城正門前の奉行所だったので、
そのまま真っ直ぐに進んだ。
当然のように奉行所は城の堀の外にあった。
奉行所は領都を管轄する役所で、治安を統轄していた。
アンソニー一行は内庭に案内された。
待たされることはなかった。
十数人が早足で庭先に現れた。
驚いたことに奉行だけでなく、伯爵家の執事や重臣も含まれていた。
如何にも冒険者といった身形の者もいた。
皆の目が血走っていた。
その様子からアンソニーは挨拶もそこそこに、荷馬車の覆いを外した。