(幼年学校)20
宮廷での私闘はあってはならぬこと。
それなのにバイロン神崎子爵は腰に下げていた短剣を抜いて、
エリオス佐藤子爵に背後から斬り掛かった。
無防備の老人の背中を切り裂いた。
衣服が裂けて血飛沫が飛び、老人の悲鳴が上がった。
エリオスに同行していたフランク板倉男爵が歩みを止め、
何事かと隣を見た。
倒れそうな様子の子爵を両手で支えた。
背中から噴き出す血と視界に入ったバイロンの様子に、
思わず息を呑む。
それは一瞬、直ぐに状況を察した。
あり得ぬ事。
絶対にあり得ぬ凶行。
それが今、自分の目の前で起きていた。
上司のエリオス佐藤子爵を庇いながら叫んだ。
「神崎子爵、お止めて下さい、ここは宮中ですぞ」
バイロンの表情はピクリともしない。
耳に入らないのか、届かないのか、殺気丸出しで短剣を握り直した。
そして直ぐに動いた。
フランクを押しやりながら老人の脇腹を刺した。
バイロンに同行していたクラウド守谷男爵も我が目を疑った。
目の前の凶行が信じられなかった。
金縛りにあったかのように全く動けなかった。
それを解いたのは同僚、フランクの叫び。
バイロンとは上司と部下の関係でしかないが、
フランクとは同じ男爵という事もあって親しい。
「お止めなさい、神崎子爵」
訳の分からぬ凶行に加わるつもりは毛頭ない。
クラウドはバイロンの背後に回り込み、羽交い締めにした。
それを好機と、フランクがバイロンの手から短剣を叩き落とした。
こちらに駆け付ける複数の足音。
幸い近くに何人か居たらしい。
園遊会の準備をしていた典礼庁のスタッフに違いない。
彼等が血相を変えて駆けて来た。
見覚えのある顔ばかり。
クラウドは彼等に指示をした。
「神崎子爵が狂われた。
私とフランクで子爵を抑えるから、
みんなは佐藤子爵の手当てを頼む」
クラウドとフランクの二人して抑え込むのだが、
それでも肝心のバイロンは悪足掻きを止めない。
隙を見ては叩き落とされた短剣に手を伸ばそうとした。
凶行の遂行を諦めていない。
国王の執務室に響くノックの音。
外からドアが開けられ、
廊下で立哨していた近衛兵が顔を半分覗かせた。
「管領様がお出でになりました。面会をご希望です」
ブルーノ足利が返事するよりも早く、
ボルビン佐々木侯爵が近衛兵を押し退け、
「気の利かない奴だ」と言いながら入って来た。
横柄な態度は何時ものことなんだが・・・、
今日は何かを隠している雰囲気・・・。
双眼が怒りに打ち震えているように感じ取れた。
この忙しい日に問題が持ち上がったらしい。
ブルーノは首を傾げた。
「爺、人払いが必要か」
ボルビンはドアを荒々しく閉めると、
ブルーノを獲物でもあるかのように見ながら、歩み寄って来た。
高齢、加えて痩身、吹けば飛ぶような体軀にも関わらず、
この威圧感、半端ない。
「不要。
秘書の方々の手も借りなければならぬでしょうからな」
「それで」
「拙いことが起きた。
・・・。
典礼庁の長官が私の所に駆け込んで来ましてな」報告した。
事件は庭園で起きた。
バイロン神崎子爵がエリオス佐藤子爵を襲い、
短剣で背中に斬り付け、さらに脇腹を刺した。
ブルーノは質問した。
「佐藤子爵の生死は・・・、
爺の落ち着きようからすると生きているのだな」
「なんとか。
ポーションが届くのが早かったから一命は取りとめた。
が、高齢だ。
魔法使いが治癒に取り組んでいるが、
二本足で歩けるようになるかどうかは分からんそうだ」
「そうか。
で、バイロン神崎子爵はどうなった」
「幸いにも居合わせた典礼補佐の男爵二人が取り押さえた。
今は、近衛が引き取り、地下牢にぶち込んでいる」
「何故、斬り付けた。口論か」
「口論はない。
擦れ違い様、行き成りだったそうだ」
「それなりに理由はあるんだろうな」
「理由はあるだろうが、佐藤子爵は今は口が利けない。
一方の神崎子爵は近衛の牢で死んだように黙りだ」
「困ったな・・・。
あそこには謁見場がある。
謁見の後には夜会と園遊会をセットにして行う予定も。
爺、どうする」
今日は目出度い日なのだ。
国王個人としてだけではなく、国家として最大の儀式を行う日であった。
既に凱旋パレードが行われていた。
外郭の東門から入場したバート斉藤伯爵やレオン織田男爵の一行が、
外郭の東西南北各街の表通りを一周している最中。
終えたら内郭、王宮区画で謁見する段取りになっていた。
さらに夜会と園遊会もある。
それを今さら中止にはできない。
「血は流れたが、幸い死んだ者はいない。
それに現場の者達の判断も良く、箝口令が徹底されている」
「そうか。
・・・。
死亡者がいなければ儀式の差し障りにはならぬな。
・・・。
確か、私の記憶に間違いがなければ、
バイロン神崎子爵とエリオス佐藤子爵は謁見と園遊会、
それぞれの責任者ではなかったのか」
「そうだが代わりは掃いて捨てるほどいる。
長官に聞いた限りでは、
現場に居合わせた典礼補佐の男爵二人も気が利いてるそうだ」
ブルーノは秘書達に視線を向けた。
「手を止めてっ、とっ、止めてるか。
聞き逃しはないな」
本日の予定に変更はなし。
事件と典礼二人が欠ける事によって生じる問題、
それらを洗い出して対処するように秘書達に命じた。
ブルーノが大筋を決め、仔細の詰めは秘書達側近の仕事。
これが主従のあるべき姿。
誰にも異論は言わせない。




