(戸倉村)7
ただの子供であれば今頃は失禁して気を失っているか、
発狂しているかの何れかであっただろう。
生憎、俺は形こそ子供だが、心は大人。
薄汚れた心には自信があり、まだ折れてはいない。
大きく深呼吸した。
疲労困憊で身体は動かしようがないが、
鼓動を鎮める為に丹田を意識して呼吸をコントロールした。
このような状況下では勝利は覚束ない。
それでも生き残ることには拘りたい。
可能性は残されていた。
何しろ相手は魔物と言っても所詮は四つ足。
脳内モニターで魔物の動きを探った。
茶色の点滅が二つ。
二頭はウロウロしていた。
唸り声も漏れ聞こえた。
焼けた死体がないことに戸惑っていた。
どうやらブレスで嗅覚が鈍っている様子。
丹田に溜めている力の残量を探った。
意外と残っていた。
テレポートで使い切ったと思いきや、まだまだ余裕。
過激な念力使用に身体が追い付かず疲労困憊しているだけだ。
生き残る為の小細工を思い付いた。
寝たままの姿勢で頭を軽く擡げ、視線を左右に巡らせた。
最適な的を見つけた。
距離は離れているが、真正面の木立。
こんもりした藪と、その先の細い木。
掌の拳大の石を握り締めた。
的をガン見。
藪を突き破り、幹に当てる。イメージは剛速球。
肘を立て、手首のスナップを利かせた。
最後まで引っかけていた人差し指・中指の二本に念力を集中し、
離す寸前に重さを付加した。
不格好な投げ方だが、指の引っかかり具合が良かった。
手応え充分。
期待に応えて拳大の石が飛んだ。
低空飛行で的に向かった。
少年野球と言うよりは、中学野球のエース並みの速さではなかろうか。
自分で言うのも何だが・・・。
狙い通りに藪の中を、「ガサゴソ」と通り抜け、
その先の幹に当たって小気味良く、「カーン」と音を立てた。
弾かれたように二頭の魔物が反応した。
咆えて、そちらに飛ぶようにして駆けて行く。
安心した。
ついでに一休み、一休み。俺は一休さん。
初動は人力で補う必要がある、と実感した。
今日まで念力と並行して身体を鍛えてはいたが、
あくまで別物と考えていた。
どうやらその認識を改めなければならぬらしい。
脳内モニターで魔物の行方を追った。
二頭は困惑しているのか右往左往し、どちらにも進みかねていた。
と、新たな点滅が発生した。
緑色。
緑色の点滅は人。
左から三つ、右からも三つ。麓からこちらに向かっていた。
移動速度と人数から村の周辺を見回っている獣人であろう。
彼等は常に槍一人、盾一人、弓一人で組んでいた。
今回も、魔物が咆え呻り騒いだのを耳にし、急行して来たのだろう。
彼等獣人は魔物が相手でも一歩も退かない。
害獣退治と同様に盾持ちが囮になり、
側面に回った弓槍二人が援護する態勢をとる。
盾で止めた魔物を矢で手傷を負わせ、弱らせてから槍で仕留める。
魔物の数が多ければ角笛で急を知らせ、
仲間が集まるまで魔物を足止めする。
彼等は優れた狩人の集団なのだ。
やがて彼等の声が聞こえてきた。
飛び交う声から、興奮している様子が伝わって来た。
「おっ、やっぱり魔物だ」
「それも二頭。番いだな」
「この辺りでは見られない奴だ」
「ヘルハウンドだ」
犬の種から枝分かれした魔物の名前が飛び出した。
「木曽谷に生息する奴に似ているぜ」
「木曽谷の大樹海か」
反対方向からの呼びかけ。
「おーい、そっち、聞こえるか」
「聞こえる」
「こっちの一頭は貰った。そっちは任せた」
「おう、任された。ブレスがあるから盾は無しだぞ」
「わかった」
魔物も俺のことはそっちのけで、新手の出現に興奮した。
双方に向けて咆哮、威嚇した。
立て続けに矢音。
藪が揺れる音。
枝が折れる音。
何かが駆ける物音。
獣人の掛け声。
魔物のものと思しき悲鳴。
それも間もなく終わった。
脳内モニターで確認すると、茶色の点滅が消えて、
緑色の点滅のみが残っていた。
「こっちは怪我人なし。そっちはどうだ」
「怪我人なし。
ただ、困ったな。
この大きさだと、村に持ち帰れない。どうする」
「心配すんな。
この騒ぎだ。他の組も嫌でも気付いた筈だ。それを待とうぜ」
脳内モニターで監視していると、新たな緑色の点滅が現れた。
時間差はあったが巡回している獣人だけでなく、
ただの村人達も大勢が駆け付けた。
麓で立ち働いていた者達が斧や手槍を手に、
決死の覚悟で上がって来た。
暫くすると聞きなれた声が。
父だ。
アンソニー佐藤は案内されて仕留められた魔物と対面した。
番いの二頭。
この辺りでは見慣れぬ種類だ。
獣人の頭、クリフに問う。
「もしかして、これは」
「ヘルハウンドです。
こいつは木曽谷に縄張りを持つヘルハウンドに似ています。
おそらく・・・」
だとすれば容易ならぬ事態だ。
通常、木曽谷のヘルハウンドは大樹海を縄張りとし、
めったに外に出ることはない。
が、ある一定数に達すると突然、群れが二つに割れ、
一方が新たな地を求めて移動を開始する。
民族の大移動ならぬ魔物の大移動だ。
魔素の多い新天地を目指して旅をし、途中の町や村だけでなく、
城郭都市までも遠慮なく襲う。
辿り着いた新天地の魔物が邪魔すれば、それも食い荒らす。
同種のヘルハウンドでもだ。
身内以外は一切容赦しない、と言われていた。
「どう見る」
「何百年かに一度の大移動、とは聞いています。
それが今年なのかどうかは・・・」
「早計に判断するのはどうかな、というところか。
二頭がはぐれただけなら良いのだが、気になる。
・・・。
木曽谷から出るとしたら、まず美濃か信濃だ。
それが尾張まで来ているとなると、おかしいな、
途中どこかで人の目に触れている筈なんだがな」
「発見したとは、どこからも届いていません。
獣道から獣道を辿る知能を身に付けたのでしょうか」
「・・・、かも知れん。
とりあえず領都には知らせておこう」
「首を切り落とし、塩漬けにして手土産にしますか」
「それが良いだろう、そうしてくれ」
体力に回復の兆し。
俺は片手で岩につかまり、よろよろと、なんとか立ち上がった。
みんなに見つからぬように、魔物の解体を見物した。
特に目を引いたのは魔物の体内から、
「魔卵」と呼ばれる物を取り出す作業だ。
実際には魔物の卵ではない、
形状が卵型なので、昔からそう呼ばれているだけだ。
厚い殻を割ると中には魔素なるものが詰まっているのだそうだ。
下手に割ると魔素が零れ落ちて売り物にならなくなるので、
素人には絶対に触らせない。
なにしろ高価なのだ。