(幼年学校)10
固辞してもウォルト柴田は引き下がらない。
立ち姿で身を乗り出した。
「伯爵様のご厚意です。遠慮はいりません」
俺は丁寧な言葉遣いを意識し、徹底して固辞を続けた。
次第にウォルト柴田の表情が・・・、このままでは沸騰しそう。
実に分かり易い。
交渉事に向かない人物を何の目的で差し向けたのだろう。
喧嘩を売るため・・・。
まさかとは思うが、自分から買って出た・・・。
それはそれで問題だが。
幾度目かの固辞、ついにウォルト柴田が切れた。
「下手に出ておれば付け上がりおって。
貴様、何様のつもりだ」鬼の形相で睨む。
ただの児童なら一睨みで竦んでしまうだろうが、俺には効かない。
「平民様ですが、何か」と思わず応じてしまった。
ついでに余裕の微笑み返し。
喧嘩は売らないが、買うのは好き。
挑発するのは、もっと好き。
癇に障ったのだろう。
ウォルト柴田は苛立ちを顕わにした。
それをテリーが、「相手は子供ですよ」と制した。
決まり悪そうなウォルト柴田。
俺から顔を背けた。
話の接ぎ穂を失った事に気付いたようで、表情が歪んでいた。
埒が明かないと見たのか、テリーが言う。
「話も終わったようですね」
ウォルト柴田が途端に顔を俺に向けた。
グッと前のめりになって言葉を吐く。
「ダンタルニャン、お主の親父殿は伯爵様の家臣であろう。
お主一人の問題ではないぞ。そこのところは分かっておるのか」
搦め手から来た。
分かり易い。
「勿の論、分かってますよ。
貴方様のような伯爵家の旗本とは身分が違いますがね。
・・・。
我が家は家臣と言っても土地に根差した在郷の武士。
村長をしているから家臣の端っこに加えられているだけ。
伯爵家の家臣と言うより、正しくは尾張武士団の一人。
伯爵様が偉くなって大きな領地に転封されれば、
旗本を連れて出られるが、尾張武士団は残される。
それだけの関係。それが何か」
言い返してしまった。
事実を言っただけだが、皮肉に聞こえただろう。
貴族には権威も権力もある。
しかし絶対ではない。
在郷の武士や平民は身分的には下だが、それが全てではない。
貴族に抵抗できる物を幾つか持っている。
その一つが所有権だ。
公的に認められた所有権は何者も侵す事が出来ない。
土地の所有もそうだ。
在郷の武士は村や集落を所有していて、
その有り様は貴族の旗本とは根本的に違う。
生産し納税もする在郷の武士。
伯爵家から与えられた俸禄のみで生活する旗本。
旗本を貴族の正規の家臣とするならば、
在郷の武士は地域限定家臣と言えよう。
ウォルト柴田の表情が青くなった。
視線も落ち着かない。
よもや子供相手に手こずるとは思っていなかったのだろう。
額から冷や汗・・・。
テリーが頃合いと見たのか、仲裁に入った。
「纏まりそうにないですね。
今日はここまでにしませんか」
テリーは時の氏神だった。
ウォルト柴田は考えた末に頷いた。
俺も頷いた。
時間の無駄でしかない。
次の面会は・・・。
たぶんウォルト柴田は二度と来ないだろう。
来るとしたら別の人物。
俺としては誰が来ても面会には応じない。
挨拶もそこそこに、逃げるように応接室を飛び出した。
当初の目的の図書館に向かった。
食堂や浴場のある区画に隣接して建てられていた。
黴臭そうな感じの三階建てがそれだ。
用があるのは二階の魔導書のコーナー。
これまで魔法を系統立てて習った事がないので、
初心者向きの本を借りることにした。
あるある、選り取り見取り。
多すぎて困惑もした。
初心者向きの本を選ぶつもりだったが、活字中毒の虫が疼いた。
時間があるので棚晒しの関連本にも目を遣った。
埃も被っていて躊躇ったが何冊か抜き出した。
選んだ五冊を借りて寮へ戻ると、寮の入り口にトラブルの予感。
明らかに寮生ではない生徒九人が屯していた。
金髪の女生徒が俺の前に立ち塞がった。
俺を見上げて、グッと威圧して来た。
「貴男が十組の委員のダンダルニャンよね」
別の組の女の子だ。
名前は・・・、顔だけは見覚えていた。
入学式で新入生を代表して挨拶を行った女の子だ。
「そうですが、貴女は」
「一組の委員のパティー毛利よ」
毛利侯爵家の分家筋の子女が一組に在籍している、との噂があった。
「パティー様ですか。
それが僕にどんな御用でしょうか」
パティー毛利が威圧を強め、「貴男、馬鹿なの」と怒鳴った。




