(旅立ちと魔物の群の大移動)8
同日、日が暮れた頃合い。
ここは美濃地方の領都、城郭都市。
長良川沿いにある岐阜の人口は20万余。
豊かな水量を5メートルの深さの外堀に流し込み、
さらに5メートルの高さの外壁で囲んでいた。
難攻不落の一言。
東海道が三河大湿原で途絶えてからは、
領都内の金華山に築かれた岐阜が、
中山道と新東海道双方に睨みを利かせていた。
予想された魔物の群が郊外に大挙して現れた。
木曽の大樹海から移動して来た魔物の群だ。
途次、取り急ぎ築いた砦を強引に打ち破り、津波のように押し寄せた。
魔物の群もここまでの間に学習したのか、無闇には接近してこない。
外壁の上から睨む迎撃陣を警戒し、距離を置いていた。
鐘が乱打されて外にいた人々を飲み込むと、
外堀に架けられた跳ね橋が上げられ、城門が固く閉じられた。
外壁の上を大勢の兵士が走り回った。
篝火に点火して行く者、連弩の矢を運ぶ者、櫓に登る者。
発せられる命令が順次、成されて行く。
それでも行き違いはある。
怒号が飛び交う。
喧騒のなか、誰かが躓いて倒れる。
漏れる失笑。
薄闇に沈む魔物の群の鋭い眼光。
外壁の上の篝火に燦めく槍の穂先。
双方が遠間で静かに対峙していた。
満天の星。
頃合いとみたのか、魔物の群が一斉に前進を開始した。
地を揺らし、咆哮を上げ、速度を上げて行く。
外壁上の将官が間合いに入ったと判断して合図した。
途端、城郭内のカタパルトが次々にうなりを上げた。
四輪の大型の投石機から人の頭より少し大きめ石が投射された。
カタパルトは全部で十二両。
一斉に十二個の石が宙を飛ぶ。
投射された石が外壁を軽々と越えて寄せて来る魔物を襲う。
手早く次弾が用意された。
カタパルト隊を任された将校の合図ですかさず次弾が投射された。
外壁の上に並べられた連弩もうなりを上げた。
鉄矢が二本、同時に射られた。
別の合図で火矢が飛ぶ。
堀の向こうに前もって用意されていた枯れ草の山、枯れ枝の山。
それらに命中して火をつけた。
接近して来た魔物は魔法使いが撃退した。
魔物の群から悲鳴と思わしき呻り声が上がるが、
誰一人として手は止めない。
「夜明けまで死ぬつもりで頑張れ。
夜明けとともに加勢が駆け付ける。
それまでの辛抱だ」将官が叱咤激励の声を振り絞った。
夜が明けると大晦日だった。
俺は日の出とともに起きて裏庭に下りた。
道中では出来なかった朝の体操を始めた。
村でも家の者達の手前遠慮していたが、ここでは自由だ。
なにしろ知らない土地。
誰に憚ることがあろう。
身体を温めたら次はボクシングのステップワーク。
まず最初は縄跳びから。
前世の祖父の実家が古武道・陰流関根派の宗家という関係で、
俺も小さな頃から古武道には親しんでいた。
基本は剣術だが柔術や槍術・杖術も含めての陰流関根派であった。
その修行の過程でボクシングも囓った。
剣と拳では、かけ離れているように思えたが、そうでもなかった。
ステップワーク、足運びに古武道との共通性をみて、
広く浅くの精神で俺はボクシングを取り入れた。
それが今の俺には役立った。
体幹を鍛えられると確信しての縄跳び。
筋肉を無闇に増やすのではなく、
足腰と身体の軸を鍛えて柔らかい筋肉で全身を保護する、
その方向性を重視した。
村では山野で隠れてトレーニングしていたので、
段取りに戸惑いはない。
猫か兎のような軽いフットワーク。
我ながら、その足捌きに惚れ惚れした。
軽い、軽い。
背後から声がかけられた。
「こんな朝早くから何してるんだ」
振り返るとサムがいた。
後ろにイライザもいた。
二人して木剣を手にしていた。
「起きたばかりだから、まず身体を温めてるんだ」
イライザが首を捻った。
「身体を温める・・・」
「起きて直ぐに激しく動くと身体に悪いから、
手始めにまず身体の筋肉を温める。
それから少しずつ身体を慣らし行く」
二人とも理解できないらしい。
キョトンとしていた。
面倒なので説明は止め、「片田舎の習慣」と誤魔化した。
サムとイライザの兄妹は近くで木剣の素振りを開始した。
八百屋の兄妹だと思っていたが、なかなか踏み込みが鋭い。
もしかしてだが、カールが教えたのかも知れない。
兄妹は素振りを終えると言葉も交わさずに組み稽古に移った。




