(三河大湿原)9
父も苦笑いを隠して乗ってくれた。
「こちらに異存はございません。大尉の指揮下に入ります」
一方のハロルド佐久間。
憮然としながらジャニスを振り向いた。
「異存ありません」言葉が絞り出された。
言葉を後押しするかのように女武者のエイミーが声を上げた。
「さあ皆さん、暮れる前に手早くやっちゃいましょう」
背後でカールの指示が飛び始めた。
これから先は子供の俺には関係のないこと。
ジャニスに声をかけた。
「向こうで一休みして待ちましょう」風上の一角を指し示した。
承知するかどうかは知らない。
返事は待たずに子供のブレットとデニスにも声をかけた。
「向こうにお嬢様の椅子とテーブルを用意して」
ケイトにも声をかけた。
「お嬢様に温かいミルクティーを淹れて持って来て」
再びジャニスに目を遣ると、皮肉を込めた言葉が飛んで来た。
「慣れているのね。まるで執事みたい」
無視した。
「さあさあ、邪魔にならぬように移動しましょう」
ブレッドとデニスが高台の端に椅子とテーブルを置いた。
キャンプ用の折りたたみ式の椅子とテーブル。
遣い込まれているが汚れてはいない。
そこへジャニスを案内した。
ジャニスは不満顔。
それでも大人達の邪魔になるのを理解したのだろう。
後ろにエイミーを従えて付いて来た。
そのエイミーだが、大人とばかり思っていたが間近にすると違った。
化粧映えする顔。
当人には聞けないが、十七から十八ではなかろうか。
鑑定すれば分かるが、するつもりはなかった。
ところが鑑定スキルが自主的にやってくれた。
「名前、エイミー。
種別、人間。
年齢、十六才。
性別、雌。
住所、足利国尾張地方領都住人。
職業、ジャニスの守り役。
ランク、D。
HP、90。
MP、40。
スキル、剣士☆、水の魔法☆」
ジャニスに付けられた守り役と分かった。
ステータスからの推測になるが、武家の娘に生まれ、
成人するとともに平民に落とされたのだろう。
ケイトが淹れたミルクティーを運んで来た。
「熱いですよ。気を付けてくださいね」
テーブルにソッと置くと、ブレットやデニスと同じ様に、
俺達とは距離を空けた。
どうやらお嬢さまの相手を俺一人に押し付けるつもりのようだ。
なんて思いやりのない連中。
気持ちは分かるが、あからさま過ぎる。
三人に非難の目を向けたが、一斉に逸らされてしまった。
うっ・・・、文句は言えない。
俺の言葉が届く位置にいるのが、せめてもの救いか。
俺も距離を空けたかったが、そうも行かない。
なにせ相手は領主の娘。
ミルクティーだけでなく丁寧に持て成さねばならない。
でも共通の話題がない。
空気が重い。
当のジャニスはミルクティーを美味しそうに飲んでいる。
脳天気に飲んでいる。
向こうから話を振る気配はない。
俺は楽しい会話の糸口を探った。
九才の脳を全開した。
「お嬢さま、どうしてこちらに」結果、ありきたりな質問をした。
ジャニスがマグカップから口を離した。
「貴男が誘ったからでしょう、お茶に。美味しいわよ」目は笑っていた。
「そうではなく、この三河大湿原には、です」
「ねぇ、ニャン。お嬢さまではなくてジャニスにしてくれない。
お嬢さまと呼ばれると気持ちが悪いの。
貴男も知っているとは思うけど、私は妾腹の娘よ。
お嬢さまと呼ばれると勘違いしそう。
ジャニスで許すわ」
なんて面倒臭い。
こうまで前世の女房に瓜二つとは。
彼女も妾腹の娘だった。
「それではジャニス様、どうしてこちらに」
「ミカワワニを獲りに来たの。
弟がワニの皮で防具を作りたい、と言っているの」
ホッと一安心した。
前世の女房は一人娘だった。
「ミカワワニですか」
「ワニ皮が頑丈で、防水にも優れているのは知っているわね。
それに魔卵を割って中の魔素を皮に馴染ませれば、
魔法攻撃を受けても威力を軽減できるそうなの。
それが欲しいんだって、うちの弟」
「そうなんですか」
「知らないの」
「初耳です。ワニ自体、初めて見ました」
「へえー、この辺りの子には常識だとばかり思っていたわ」
「ここに来るのもワニを見るのも初めてなんです。
それより伯爵家なんですからフルプレートアーマーがあるでしょう。
なかったらオーダーメイドでもすれば、そっちの方が簡単でしょう」
ジャニスが肩を竦めた。
「そうできればね。
・・・。
五才の子供だから夢見るのよ。
絵本の、白銀のジョナサン様に憧れたみたい。
敵の魔法攻撃をワニ皮の防具で受け流し、
敵陣真っ直中に突っ込む物語にね。
当人がミカワワニを捕らえに行く、と言うのを止めるのが大変だったわ」
ここで白銀のジョナサンが出て来るとは思わなかった。
罪作りな話し。
背後で大人達の声が響いていた。
中でも一際よく通るのはカールの声であった。
細々と指示して村のキャラバンを片側に寄せ、
空いた所にジャニスのキャラバンを収容していた。
カールの手際が良いのか、混乱は一切生じさせない。
ジャニスに迎えが来た。
「お嬢さま、馬車が上がりました。
こちらでは虫とか埃が立ちます。
馬車にお移りください」とメイド。
途端にジャニスの表情が変わった。
メイドを一瞥すると鷹揚に頷き、立ち上がると俺に優雅な礼をし、
メイドの案内で何もなかったかのような態度で立ち去って行く。
俺が変わりように驚いていると、エイミーに背中をポンと叩かれた。
彼女は、「ありがとう」と耳打ちすると、
これまた何事もなかったかのように早足でジャニスを追いかけて行った。
俺はドッと疲れが来た。
これまでの人生で脳味噌が疲れたのは生まれて初めてだ。
ブラック、ブラック。
手近の椅子に深く腰を下ろした。
ジャニスがそれまで座っていた椅子だった。
俺の傍に父が歩み寄って来た。
椅子を出そうとするケイトを手で制し、俺の横に立った。
「お疲れさん。感謝しているよ」
俺は疲れもあったのか場所も弁えず小声で尋ねた。
「あの時は本当に戦うつもりだったの」
父は笑顔。
「ああ」
「戦わないのが家の方針じゃなかったの」
「基本は、だが、時と場合にもよる。
今は跡継ぎが安全な所にいる。
そこに喧嘩を売られた。
安心して喧嘩を買う状況が生まれた。
となると買うしかない。
それが武家の嗜みだからな。
高台から相手の全容が見渡せたのも買った理由の一つだ。
相手の後ろの水辺にミカワワニがいたからな。
流れる血の臭いに誘われて確実に出て来る、と読んでいた。
そういう訳で負ける要素が一つもなかった。
・・・。
お嬢さまがいたのは誤算だったが、傷付けるつもりはなかった。
胸糞悪い連中を倒したら、急いで高台に収容するつもりでいた」
「家来同士の喧嘩になると領主から制裁が下されるでしょう」
「ダン、時流を読むんだ。
今、喧嘩が強い家来を制裁する領主はいない。
当家が佐久間家を潰したからといって、
当家まで制裁を下せば織田家の力が落ちるだけ。
織田家が損するだけだろう、違うか」




