(三河大湿原)7
待ちくたびれたのか、数人の武者が上がって来た。
その一人が父を指差した。
「貴殿はアンソニー佐藤殿ではないか」
呼ばれた父は相手を睨むように見た。
「いかにも。で、貴男は」
武者は胸を反らして答えた。
「貴殿と同じフレデリー織田伯爵家に仕えるハロルド佐久間である。
爵位は上大夫爵である」
自分の爵位を誇る。
爵位は上から公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵、騎士爵、上大夫爵、
下大夫爵の八爵位。
公爵から男爵までは国王が授けるが、
騎士爵、上大夫爵、下大夫爵となると違った。
地方の寄親の立場にある貴族の裁量に任されていた。
尾張地方の寄親は織田伯爵。
本来は功績のあった自分の家来や、
寄子の貴族の推薦する者に授けたのだが、それは昔の話し。
今や形骸化して名誉と言えるものからは遠ざかっていた。
と言うのは、金銭で売買されるようになり、
豪商や豪農が地方の貴族の席に列するのが、
当たり前の光景になっていた。
これは他の地方でも同様であった。
父は事態が飲み込めたらしい。
驚いたように目を見開いた。
にも関わらず姿勢だけは崩さない。
村の者達に引き下がれ、とは口にしない。
「それはそれは、遠来よりご苦労様です」丁寧に応じただけ。
村の者達の方は事態の急展開に戸惑いが隠せない。
父と相手方を交互に見遣った。
でも、少しすると父の覚悟が分かったのだろう。
武器を持つ手に再び力を込めた。
ハロルド佐久間が呆れたように言う。
「佐藤殿の慧眼なら、もうお分かりであろう。
こちらのお嬢様は伯爵様のご息女である。
ジャニス様と申される。
早々に引き下がるのが臣下の務めではござらんか」念を押した。
父はジャニスに対して深く頭を下げ、
「ジャニス様には遺恨は一切ございません。
これは武士の意地にございます。
とっとと立ち去れとの上から目線の物申されようは、
在の者と侮られての事であろうと察せられます。
なれど在の者でも武家は武家。
武家に違いはございません。
ここで簡単に引き下がっては家名が泣きます。
慕ってくれる者達にも申し訳ありません。
・・・。
ジャニス様には、はなはだご迷惑でしょうが、
馬車にお戻りあそばして少々お待ち下さい」堂々と言い切った。
鼻白むジャニス。
視線を父から佐久間に移して片手を頬に当て、
女武者のエイミーに何気なさそうに言う。
「もうすぐ今年も終わりよ。それまでに終わるのかしら」
「お嬢様、笑えない冗談ですね。
そろそろ夕陽が沈みます。
寒くなって風邪を引かれては困りますから、さあ、馬車に戻りましょう」
ジャニスは何やら迷っている様子。
対峙する両者から視線を外した。
そこで偶然、俺と視線がかち合った。
一度過ぎてから、再び俺に戻した。
小さく、「子供」と呟いた。
お前も子供だろう、と返したかったが我慢してスマイル、スマイル。
身分差を承知でジッと見返した。
織田伯爵は国都の屋敷に正室を住まわせ、
国元には国元夫人と呼ばれる側室を置いていた。
その国元夫人は傾国の美女、と妬まれる人。
彼女から生まれたのがジャニス。
何もかも見通すかのようなジャニスの聡明な目。
それにしても、年端も行かぬのに美しい。
このまま順調に育つと先が思いやられる。
確実に多くの男達を撃沈させるだろう。
そのジャニスが微笑み返して来た。
戸惑いの俺。
これで惚れてしまっては前世の二の舞。
視線を外してその場に片膝ついて挨拶した。
「僕はアンソニー佐藤の息子、ダンタルニャンと申します」
頭は敢えて上げない。
実年齢は子供なんだが、
前世の記憶があるので精神年齢は、・・・たぶん俺が上。
それでも視線を合わせれば自分が負けるのが分かっていた。
何を思っているのか、ジャニスが俺の方に歩み寄ってきた。
細い足が目の前で止まった。
「ダンタルニャンね。
そうなると、ニャンかしら。良い響きね、ニャン」
何が・・・良いんだ。
ニャン、ニャン、猫かよペットかよ、とは返せない。
黙っている俺に言葉が下りてきた。
「ニャン、なにしているの」
「なにをって、・・・挨拶です」
「そう、子供なのに堅苦しいわね。
さあ、立ちなさい、ニャン」
ニャンに確定した。
視線を合わせないようにして立ち上がった。
彼女の方が背がちょっと低い。
黙っていると、尋ねられた。
「ねえニャン、何才なの」
「九才です」
「そう、私は十一才。
生意気に年下の貴男の方が背が高いのね。
許せないけど、骨ニョロだから目を瞑ってあげるわ」
骨ニョロの意味が・・・、許してくれたので感謝した。
「それは有り難うございます」
「ねえニャン、どうして目を合わさないの」
「えっ、それは失礼に当たるでしょう。
僕は貴女の家の家来の息子です。身分が違います」
「許すわ。
許すから目を合わせなさい。
話し難いのよ」
逃げられない。目を合わせた。
彼女は獲物を狙う目で俺を見てニッコリ微笑む。
「ねえニャン、困っているの。
何か良い考えはないかしら。
このままだと私、寒くなって風邪を引いてしまうわ」
予期せぬ言葉に戸惑う俺。
「どうして僕が」
「一目見て分かったの。
ニャンなら何とかしてくれるって」
買い被りだ。
困っていると、みんなの視線を集めていることに気付いた。
敵味方双方からの色々な意味の視線が俺に突き刺さっていた。
これでは躱しようがない。