お知らせです。
体調を崩してしまいました。
本日の更新をお休みます。
ゴメン。
これより下は仕様の都合で、規定の文字数があるのです。
大昔の物をコピーします。
拙い物でゴメン。
マンションに戻るのが遅くなった。
じきに朝日が昇る頃合いだ。
早足の俺の脇を新聞配達のバイクがゆっくり抜き去った。
マンションには真っ直ぐ向かわない。
迂回した。
付近に不審車がないかどうかを調べた。
毎度のルーティーン。
安全を確認した。
男が一人、マンション玄関から急ぎ足で飛び出して来た。
知っている男であった。
同じマンションの住人だ。
言葉を交わしたことはないが、
マンション入り口でこのように幾度か擦れ違っていた。
たぶん姿形からしてサラリーマンと思われた。
男は俺を一瞥すると、知らぬ男とばかりに無表情で擦れ違った。
俺が分からないのは当然だ。
俺が俺でなかったからだ。
今の俺は外見からして別人。
それには説明し難い深い分けがあった。
たとえ丁寧に説明しても無駄に終わるはず。
エレベーターで五階に上がった。
自分の部屋だが鍵を持っていない。
誰も廊下に出て来る気配がないのを確認し、
ピッキング器具を取り出した。
この手の作業には慣れていた。
シリンダー錠なので、ものの数秒。
解錠して室内の物音に耳を澄ませた。
当然だが人の気配はない。エアコンだけが仕事をしていた。
素速く玄関に入った。明かりは点けない。
勝手知った我が家なので暗くても歩けた。
抜き足、差し足、忍び足。
まるで泥棒。
奥へ進むに従い、微かな異臭が漂って来た。
嗅ぎ分けた。
これは血と糞尿の入り混じった遺体特有の臭い。
腐敗を遅らせるためにエアコンが一人、頑張っていた。
でも我慢出来なかった。
窓を開けて空気を入れ替えた。
朝日が頭を出した。
床を見下ろすと、男が仰向けに寝かされていた。
見覚えのある顔。
そう、俺。
これまで幾人もの人間を殺してきた。
飽きるほど死に顔を拝んできた。
でも、自分の死に顔を見るのは今回が初めて。
横たわる自分を見下ろした。
見間違えようがない。何度見ても俺そのもの。
分かってはいたが、俺は不思議な気分に包まれた。
これが寂寥感というものなのだろうか。
洗面所に向かった。
鏡を見た。
知っている男が映っていた。
大柄で獰猛な顔。
名は前田清三。
俺の同期で信頼に足る男だ。
信頼に足りたからこそ部屋に入れた。
それが甘かった。
俺は怠さを感じた。
疲れが出たらしい。
なにしろ殺されてからが忙しかった。
それに、この新しい身体に慣れるのに苦労した。
寝室には死体が転がっているので、リビングのソファーに横になった。
けれど横になっても寝付けるものではない。
目を閉じたまま、ここまで間違いがないか、足取りを検証してみた。
始まりは昨夕。
風呂から上がると携帯が鳴っていた。
前田清三からだった。
「相談がある、お前の部屋にこれから向かう」と言われた。
30分後、彼が律儀にも手土産持参で現れた。
年代物の国産ウィスキーと肴。
「相談は後回しで、まずは飲もうか」と提案された。
「酒が入ったほうが舌が滑らかになる」と言うのだ。
断る理由がなかった。酒から入った。
俺と彼は出身組織が違っていた。
警察から出向の俺と国軍から出向の彼。
年齢も違っていたが、出向先では同期であった。
訓練を受けた際の相棒なので気心は知れていた。
現場に配備後も何度か組んで仕事をしたもあり、資質も知っていた。
背中を預けるに値するのは前田清三だ、と信じていた。
アルコールが回ったころに彼が問うてきた。
「先週の仕事で、何かを預かったそうだな」
殺した相手が息を引き取る寸前、
「これを娘に渡してくれ」ポケットから小さな箱を取りだし、俺に手渡した。
承諾も拒絶もなかった。
相手はそのまま絶命し、俺の手には預かり物が残された。
「よく知ってるな」実際、報告せず内緒にしていた。
ほんの一瞬、相手が俺に向かって倒れる際の出来事だった。
それを正確に目撃されていたとは。
「誰に聞いた」
「事務所の者」
仕事の際には、事務所からスコアラーと呼ばれる者が一人派遣された。
彼らは離れた地点から俺達実行役の仕事振りを見届けて、
詳細な報告書にして提出するのを役目としていた。
あの日、俺はスコアラーの目は誤魔化せた、そう思っていた。
俺は今の出向先に愛着はない。
どんなに綺麗事を囁かれようが、無理なものは無理。
公務員のする仕事ではない。
それに、出向命令自体に不満が募っていた。
だから最近では仕事をこなすにしても、ルーズに事を運んでいた。
下見もせずに実行した案件も何度か。それでも一度として失敗はない。
今回の預かり物の一件も事務所には告げていない。
子供じゃあるまいし、と事後報告をしなかった。
俺は前田を正視した。
「娘に渡してくれ、と頼まれた」
「それでどうした」
「俺が娘に手渡すと思っているのか。
どんな顔して会えばいいんだ。
見られていたのなら事務所の監視が付いていた筈だ。
俺が娘に会っていないのは彼等が証明してくれる」
娘の前に顔を出せるわけがなかった。
娘が知らなくても、俺は知っていた。
俺が娘の父親を殺したことを。
だから預かり物は手元に残ったまま。
前田は苦笑いで肩を竦めた。
「それもそうか。
よかったら預かった物を見せてくれよ」
俺はアルコールで思考力が鈍っていたらしい。
「いいとも、持ってくる」気楽に立ち上がった。
寝室の隠し金庫に入れていた。
それほど重くはない。キャスター付き。
ベット下からコロコロと引き出し、ダイヤル錠の数字を合わせて開けた。
非常用の現金の隣にそれを置いていた。
預かった小箱だ。
指輪でも入れてあるような小さな木箱。
それを持って立ち上がった。
何時の間に忍び寄っていたのか、背後に前田が立っていた。
アルコールで危機意識も薄れていたらしい。
振り返って苦笑い、「脅かすなよ」と。
同時に前田の手が素早く動いていた。
ナイフ。
気付いた時には脇腹に深々と突き刺さっていた。
驚くので精一杯。
抜かれたナイフが宙を舞うような軌道を描き、俺の頸動脈を襲った。
躊躇いがない。
前田が仕事モードに入っている、と分かった。
反撃するには遅すぎた。
俺は不思議な感覚を覚えた。
自分が殺されるのを他人事のように見ていた。
天井付近から、ただじっと。
俺は直ぐに納得した。
刺されたショックで幽体離脱してしまった。
小さな頃から何度も経験していたので、
俺にとって幽体離脱は珍しい事ではなかった。
履歴書の得意項目には記していないが、完全に慣れ親しんでいた。
勿論、幽体離脱しようとして出来るものではない。
何かの拍子に起こるのだ。
一番多いのは疲れた夜。
次ぎにストレスを溜めた夜。
とにかく俺は幽体離脱し易い体質には違いない。




