(大乱)19
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関東以北は畿内から遠いので特殊な政治状況にあった。
万一の際、畿内から大軍を送り込むことが難しいからだ。
東海道は三河大湿原により分断。
中山道は木曽大樹海の魔物により大軍の通過は不可能。
結局、近江から越前、加賀、越中、越後へ抜ける北陸道しかなかった。
その為に関東、東北、北海道の三か所に代官所が設けられ、
王家の代理として大きな権限を持っていた。
十月初頭、王家から国王陛下の崩御が発表された。
事前に容態が悪化の一途を辿っていると知らされていたので、
それほどの衝撃ではなかった。
ついにこの日が来たのか、皆そう思った。
同時に国葬日時も発表された。
遠方からの参列に考慮して十二月十二日。
有力貴族は葬儀に参列する為、余裕を持って国都へ向かった。
葬儀は故人を送るだけではない。
社交の場でもある。
血縁地縁の者とより誼を深め、疎遠な者と積極的に交わる。
皆がそんな思惑で動いた。
だが動きの鈍い者がいた。
関東代官所の代官・トム上杉侯爵。
もう一人は武蔵地方の寄親・ウィル太田伯爵。
関東代官所は武蔵地方の江戸。
武蔵地方の領都は川越。
互いの距離が近いだけではなかった。
より近しい血縁にあった。
上杉侯爵家は断続的に王家の王子を養子として、
あるいは婿養子として受け入れる役割が課されていた。
そして弾かれた上杉侯爵家の嫡男はこれまた太田伯爵家が、
養子ないしは婿養子として入れるのを慣例にしていた。
これは遠隔地の支配を盤石にする施策の一つ。
東北代官所も北海道代官所も同様であった。
この施策下にある各家の立ち位置は微妙なもの。
まず貴族としての格付け。
侯爵家は公爵格。
伯爵家は侯爵格。
王家の血が断続的ではあるが色濃く流れているは確かなので、
王族に準じて扱われた。
格別の御家とも遇された。
江戸の関東代官所を武蔵の寄親・ウィル太田伯爵が訪れた。
近距離なので供廻りは少ない。
伯爵の馬車と護衛の騎兵が十騎。
事前に通告がなされていたので執事が直ぐに伯爵を案内した。
トム上杉侯爵は執務していたので、入室に気付いても顔は上げない。
何時もの事なのでウィルも気にしない。
同じく両者の執事も近習もいつもの事なので気にしない。
代官の仕事は関東全域の司法立法行政。
多様な書類が代官所に届けられ、それらは窓口で振り分けられる。
代官が目を通す必要がある書類、署名する必要がある書類。
厳選された結果が室内にある。
四名の秘書がより厳選して仕分けても、これ。
代官の執務机は書類で溢れていた。
ウィルは勝手にソファーに腰を下ろした。
すると見計ったかのように続き部屋からメイドが現れて、
淹れ立てのコーヒーを差し出した。
「いつもいつも気が利くね。
俺の嫁に来ない」
メイドも慣れたもの。
「はて、閨は何番目でしょう」
「ん~、何番目かな」
「お代わりの際はお声をかけてくださいね」
「はい、は~い」




