(戸倉村)2
俺の視線が動かないのに気付いたのだろう。
祖父に尋ねられた。
「ダン、どうした」
咄嗟に言い訳が口をついて出た。
「川の水は、どこから来て、どこに流れてる、のかなあ」
幼児口調で問い返すと、祖父は口元を綻ばせた。
「向こうを流れる川を、ようく見な。
西の山々に降った雨が、あの川に流れ込み、流れ流れて、
ずっと東にある海に流れて行くんだ」
「そうか、東の海に、雨が、溜まるんだね。でも海って、なあに」
勘違いした祖父が海の話をしてくれた。
「大きな大きな水溜まりだ。そこから塩が生まれる」
川沿いに東へ下ると海がある、と言う。
東の集落の更に東、途中で道が途切れているが、
山を越えて三日も進むと海なのだそうだ。
入り江や砂浜があって港や塩田を造るのに適している、とか。
初耳だった。
祖父の話を聞きながらも、俺は行商人から目を離さなかった。
すると行商人がこちらに足を向けて来た。
橋を渡ってこちらの集落を目指すつもりらしい。
気になる別の人影を見つけた。
行商人から少し離れた後方に二人。
よくよく見ると、村人であった。
二人は時折、耳打ちを交わしながら、行商人を尾行していた。
あれは十日ほど前のことだった。
村を訪れた領内巡視の役人が父に、
「隣領を盗賊団が荒らし回っている」と語り、
「こちらの領地に流れて来るかも知れん」と注意を促した。
父はその日のうちに村の主立った者達を集め、
盗賊団対策を話し合った。
その中に今、尾行している二人の顔があった。
盗賊団の下見の者が行商人に扮している、とすれば納得がゆく。
俺は安堵して視線を祖父に向けた。
「お爺さま、お腹が、減った」
「そうか、そうか。屋敷に戻るか」
夜半から雨が降り始めた。
翌朝には本降りとなって二日降り続いた。
あれから六日目の深夜を過ぎた頃合いであった。
俺は胸騒ぎで目を覚ました。
ザワザワ・・・、勘を信じて五感を解放した。
ついでに仮想脳内モニターをオン。
気配察知機能を起動し、地図機能を連動させた。
周辺の地図が現れた。
情報量が多すぎた。
そこで識別機能をも連動させた。
人、獣、魔物の表示に切り替えた。
人は緑色、獣は茶色、魔物は黄色。
すると人を表示する緑色の点灯ばかり。
点灯しっぱなしで動かないのは就寝中。
村内は平和に寝静まっていた。
侵入して来るとなれば西か北だろう、と見当をつけた。
地図を拡大した。
見つけた。
村の外に多数の緑色と茶色、二色が点滅していた。
点滅は活動中の表示。
緑色が人、茶色の獣は常識的には馬だろう。
小さな点滅なので把握が難しい。
大雑把に数えた。
三十数人と三十数頭。
賊の一団に違いない。
速度から馬の手綱を引きながら忍び寄って来る様子。
村人達が気付かないのは、物音を立てないからだろう。
人と馬の口に枚を銜えさせている、としか考えられない。
熟れた連中のようだ。
魔法発動中の青い点滅がない。
戦場には探知スキルか気配察知スキルが使える者を帯同させた。
なのに連中には魔法発動の気配がない。
まあ、それも無理からぬことか。
賊風情に加わる魔法使いは滅多にいない。
彼等彼女等は希少で、引く手数多なのだ。
代わりに偵察要員として勘に優れた獣人を雇うのだが、
その辺りまでは識別できない。
だふん、この様子ではいないだろう。
賊の一団は村で飼っている犬や猫に騒がれぬように、
気配を消して侵入して来た。
西の集落を苦もなく通過した。
連中の目指すところは分かっていた。
この屋敷の蔵に違いない。
下見しているせいか、迷いがない。
俺は困った。
どうすべきか。
このままでは・・・。
と、予想外のことが起こった。
俺だけでなく下見の者も見逃していた点が一つあった。
村には人ばかりではなく獣人もいた、ということだ。
数こそ少ないが、五家族を村人として迎え入れていた。
獣人の特徴は屈強・俊敏な戦士というだけではない。
目・耳・鼻が優れているので偵察・警備要員としても使えるのだ。
村人のうちの点滅を始めた緑色が、それだ。
少数だから分かれて効率的に各集落を走り回っていた。
夜目の利く彼らは灯りを点けず、小声で村の家々を起こし回った。
前もって賊の襲来を想定していたので無用の混乱は生じない。
敷地内の長屋に住んでいる男達も獣人に起こされた。
村人達の緑色の点滅が次第に増えて行く。
村人の一人の、緑色の点滅に青色の点滅が少しずれて重なった。
それは魔法の発動中を意味する表示。
場所からすると神社の宮司。治癒魔法の使い手。
獣人に起こされなくても剣呑な気配から、それと気付いたのだろう。
彼は宮司としての役目柄、治癒魔法に特化しているのだが、
他の魔法が使えない訳ではない。
本人の言うところでは、何れもが低レベルなのだそうだ。
おそらく今、この瞬間、低レベルの探知スキルを発動したに違いない。
俺は低レベルでも警戒した。
困った、困った。
探知スキルが俺の仮想脳内モニターに接触するかも知れない。
特定までは難しいだろうが、興味を持たれたくはない。
慌ててモニターをオフにした。
階下から上がってくる足音がした。
軽い足音からケイトと知れた。
獣人の娘で俺より二つ上。
ノックもなく、ドアが開けられた。
俺も夜目が利いた。
両手を上げて彼女を迎えた。
「まあまあ」とケイトが俺と視線を合わせ、
「変な子よね。私達みたいに耳も夜目も利くんだから」呆れながら、
愛おしそうに俺を抱き上げた。
二つ上でも獣人の成長は早い。
見た目は、俺の五つ上の次兄・カイルと同じ体躯であった。
獣人は全身毛むくじゃら、という訳ではない。
特徴は耳と尻尾、毛髪にあった。
男は尖った堅い耳と、長くて太い尻尾。
女は長くて柔らかい耳と、丸くて短い尻尾。
毛髪は、大多数が男女ともに天然パーマ。
他の部位は人と変わらなかった。
ケイトは俺を胸元に抱えながら、二人の兄達を起こして回った。
「声を出しては駄目だそうです。
分かったら静かに一階まで下りますよ」
月明かりを盗賊団の首領は見上げた。
足元が見えるので侵入は思ったよりも迅速に行えた。
口元を綻ばせた。
喜びが隠せなかった。
なにしろ戸倉村はお宝の山のようなもの。
辺境の地にあるので今まで気にも留めなかったが、
領都で仕入れた情報によると、
戸倉村は米・麦だけでなく牛馬を飼い、その上、
木材・石材の加工に鍛冶をも行っているとか。
そして村最大の収益源は馬車の製造。
台数こそ少ないが、
製造される荷馬車・幌馬車・箱型馬車等は最高の仕上がりなので、
商人達は高値でも喜んで仕入れるのだそうだ。
彼は村長の蔵には、お宝が眠っていると確信した。
それに時間が余れば、集落全ての家捜しも出来る。
略奪品を積む馬車があると分かっているので、さらに欲をかく。
馬車に余裕があれば、村人を拉致して奴隷としても売りさばける、と。
中央の集落は目前、彼は命じた。
「馬に乗れ。これより突っ走り、村長屋敷を襲撃する」
一斉に鬨の声が上がった。
鼓舞する為だけに荒っぽい手段をとった訳ではない。
手下一同の怒号と馬の嘶きで村全体を恐慌に陥れる目的もあった。
これまでは、この手法で相手側の士気を挫いた。