(叙爵)10
東区画の貴族街。
その一角に彼女の屋敷があった。
クラリス吉川。
評定衆に名を連ねる女侯爵だ。
彼女は王宮に上番する日ではなかったが、
話題の叙爵・陞爵があったので王宮を訪れた。
なにしろ一人の児童を叙爵し、当日そのまま陞爵すると言うのだ。
事情は呑み込めなかったが、異例の好待遇という事だけは分かった。
そこで彼女は事情を知る為に儀式に列席した。
見届けると彼女は屋敷に舞い戻った。
執務室に入ると執事が口を開いた。
「ご機嫌斜めですね」
「理由は言わなくても分かるでしょう」
「気に食わないと」
「どこにでも転がっていそうな子供よ。
それが叙爵、陞爵、・・・笑っちゃうわ」
「まさか儀式の最中に」
「そこまではね。
私は自制が効くのよ。
・・・。
列席してる佐藤家諸家の連中の顔は見物だったわね」
「ということは本気で、佐藤家諸家の旗頭にお子様子爵を」
「そうみたいね。
諸家を強制的に列席させて、王家の意向を示したわ」
「お子様子爵で旗頭が務まるのですか」
「後見は細川子爵、実務はその実弟よ」
「実弟・・・、あの噂になったアレですか」
「そうよ。
元国軍大尉でCランクの冒険者。
それがこれを機に貴族として復帰したわ」
「手強そうですね」
彼女は話題を変えた。
「但馬地方の例の件はどうなってるの」
「失踪ですか」
「他に何があると言うの」
彼女は伯爵時代に但馬地方の寄親をしていた。
侯爵に陞爵された際に嫡男に伯爵位を譲ったが、
気持ちは今も寄親のつもりでいた。
その但馬で家族揃って失踪するという事例が相次いでいた。
引っ越しではない。
全員が生活の匂いを残したまま姿を隠した。
家具も金銭も残したまま、整然とだ。
血痕でも残っていれば事件性があるのだが、それはなかった。
まるで神隠し。
「伯爵様の軍だけでなく、当家の者も動かして捜査していますが、
何ら進展していません。
ただ・・・」顔を顰めた。
「ただ・・・、どうしたの」
執事は意を決したかのように答えた。
「故バイロン神崎子爵家絡みかと思われます」
王宮区画でエリオス佐藤子爵に手傷を負わせたのがバイロン神崎。
彼女は首を傾げ、執事を睨むように見た。
「貴方の推測でいいから聞かせてちょうだい」
「失踪届けの名前に疑問を覚えました。
最近、聞いた名前が多かったものですから」
「それで・・・」
「何れも神崎子爵家の家臣だった者達でした」
「本当に・・・」
「はい、子爵家の断絶により多くの者が帰農しています。
・・・。
失踪したのは問題になった五十二人の身内ばかりです」
エリオス佐藤子爵家が焼き討ちに遭い、
現場に残された身元不明の焼死体が五十二人。
事件前、一斉に姿を隠した神崎子爵家の家臣陪臣も五十二人。
「面妖な話ね」
「はい。
帰農せずに領地を離れた者達もいるので追跡調査させました。
すると、行く先々で不審な連中に遭遇したそうです」
「一体何者なの」
「近づいて誰何すると、威嚇して姿を消すそうです」
彼女は顔を強張らせた。
「捕まえなかったの」
「他領なので力尽くは拙いと思って控えたそうです」
「そうよね。どう思う」
「あくまで推測です。
現場に乱れも血痕も残されていないという事は、魔法で身動きを封じ、【奴隷の首輪】を嵌めたのではないのかと」
「なるほど、・・・そうね」
俺は疲れてしまった。
心身共に疲れてしまった。
これが貴族生まれなら違っていたかも知れない。
でも、生憎と平民。
前世も平民。
晩餐を終えて細川子爵を見送ると、一気に疲れが噴出した。
膝をつきそうになった。
そうと察したのか、カールが手を貸してくれた。
「大丈夫ですか」
「大丈夫じゃないみたい。
酷く疲れた。
こういう生活がずっと続くのかな」
「続きます。
でもその前に慣れますよ。
どこで手を抜けば良いのかも分かるようになります」
「それに期待しよう。
カール、今日はありがとう。
皆もありがとう。
今日はもう寝るよ」
本来ならライトリフレッシュで乗り切るべきなんだろうが、
皆の目の前で披露すべき手段じゃないので、こんな有様。
ボロボロ。
見かねた従者のスチュアートがカールに代わって肩を貸してくれた。
それで自分の部屋に向かった。
俺の専属メイドになるドリスとジューンによると、
日当たりの良い部屋だそうだ。
本館三階の自室は。
疲れた身体を引き摺るようにして階段を上がった。
その殆どはスチュアートの力だ。
部屋に入ると室内脇のドアが開けられた。
スチュアートが俺をドリスとジューンに引き渡した。
「さあ、お風呂で疲れを取りましょうね」どちらかが言った。
続き部屋は浴室になっていた。
魔道具で湯を張り、そのまま温めていたのだろう。
部屋自体からして暖かい。
夏なんだけど。
事前の言葉もなく、二人が連携して俺をスッポンポンにした。
もう二人の為すがまま。
助かったのは二人の事務的な仕事振り。
お陰で恥ずかしがらずに済んだ。
ついでに目が覚めた。
「先に流しましょう」ドリス。
もう任せる事にした。
二人にとって俺は所詮は子供。
遠慮する年齢じゃないのだろう。
お風呂の効果かどうかは知らないが、翌朝はスッキリ目覚めた。
明るい方に視線を転じた。
窓に薄日が差していた。
俺はゆっくり起き上がると、カーテンを開けた。
まだ陽は顔を上げ切っていない。
もったいぶったかのように、ほんの一部だけが顔を覗かせていた。
辺りを見回すと貴族街は静まり返っていた。
こんな早朝から動く者はいないのだろう。
いや、下の階で人が動く気配。
使用人達が音を立てずに働いている様子。
厨房かな。
元気な声がした。
『おっはよう』アリスしかいない。
お気に入りの白い子猫姿で俺の頭に飛び乗って来た。
当然の様に腰を下ろした。
『どう、疲れは取れたかしら』
『なんとかね』
『お姉さん二人に身体を洗ってもらった効果ね』
『見ていたのか』
『当然でしょう、眷属なんだから』




