(戸倉村)1
いきなりだった。
足元から激しく突き上げられた。
身体が宙に飛ばされた。
俺だけではなかった。
行き交う人々も全員が宙に飛ばされた。
道路を走っていた車両も例外ではなかった。
乗用車のみならずトラックやバスまでが宙に飛ばされた。
人々の悲鳴と車両の衝突音が街中に木霊した。
が、それよりも、全てを打ち消す激しい地鳴りが、
まるでこの世の終わりを告げるかのように鳴り響いた。
着地に失敗して転けた。
受け身を取って立ち上がったものの、
地面が大きく波打ち続けていたので立ち続けてはいられなかった。
俺は四つん這いになって、低い姿勢で左右を見回した。
電柱が、ビルが、大きく激しく揺れ動いていた。
目の前に看板がガシャーンと落ちてきた。
マンホールの蓋がドーンと跳ね上がり、水がドッと噴き出した。
その水が押し寄せて来て手足を濡らした。
高層ビルと高層ビルの高層階同士がぶつかった。
双方が砕け、瓦礫となって落ちて行く。
それに人間達も混じっていた。
反対側の電線から火花、鼠花火の様に火花を散らして断線して行く。
強化されているはずのビルのガラスが割れ続け、雨のように降り注ぐ。
背中に激烈な痛みが走った。
見なくても分かった。
落ちて来た何かが刺さったのだ。
慌てて立ち上がった俺の耳に傍のビルの倒壊音。
俺の方に倒れて来た。
・・・。
遠のく意識の中で、区の防災無線放送が聞こえた。
「特別警戒放送です。
政府から全土に巨大地震警報が発令され」途切れた。
見知らぬ世界だった。
上を見上げれば眩い色彩。
下を見下ろせば漆黒の闇。
そこを俺は落下していた。
どこまでも、どこまでも・・・。
必死で手を伸ばすが何も掴めない。
声を出すが、何の応答もない。
俺以外、誰もいない。
漆黒の闇に包まれた。
時間の経過も分からない。
何時の間にか、再び意識を失っていた。
何かが聞こえた。
・・・人の声。
目を開けた。
目と目があった。
俺は驚いて声を上げた。
「おぎゃー、おぎゃー」
必死で声を上げた。
「おんぎゃー、ふんぎゃー」
俺に両手が伸ばされた。
首の後ろと背中に手が添えられた。
そのまま抱え上げられる気配。
「うんぎゃー、ふんぎゃー」
女が俺を覗き込んでいた。
優しい目色、優しい声。
「元気な赤ちゃんだこと。
お腹がすいたのかしら。さあ、オッパイですよ」
顔面に大きな乳房が押し付けられた。
強制的にオッパイを吸わされた。
考える時間は一杯あった。
なにしろ赤ちゃんなのでオッパイ、ウンチ、シッコ。泣くか、笑うか。
時には裏返しになったゴキブリのように四肢を激しく動かす。
俺は前世の記憶を持ったまま転生した。
この世界の言葉は理解は出来た。
なにしろ耳に飛び込んで来るのは慣れ親しんだ日本語なのだ。
それでも喋れないので、普通に赤ちゃんしていた。
それが大人な態度、というもの・・・。
ベビーライフも三日もすると飽きてきた。
さりとて散歩は出来ない。
なにしろ立てないのだ。
暇だなあ、と思っていたら、身体に違和感を感じた。
一箇所が妙に温かいのだ。
探ってみたら、丹田の辺り。
所謂、臍下三寸の位置。
生暖かい。
なんだろう、これ・・・。
ホッとするような心地好い温かさ・・・。
前世の祖父の言葉を思いだした。
古来より兵法修行というものは、
気を集める呼吸法が伴うもの、と言っていた。
要するに、丹田に気を集めて精錬する、という感じなのだとか。
真偽は分からないが、血液が血管を流れるように、
練られた気を体内に巡らされた経絡なる道を通じて流す、
それは兵法修行の一環らしい。
兵法家は置いといて、今の俺は病気知らずな身体が欲しい。
幸いというか、前世の我が家は古武道の道場を開いていた。
退職した祖父が庭の一角に構えたのだ。
その祖父に小さな頃から鍛えられた俺は、
兵法修行の一環として呼吸法を習っていた。
今の俺は赤ちゃんなので座れないが、そこは大雑把に。
寝かされた姿勢で呼吸法を行うことにした。
勿論、気を集めて練る作業。
赤ちゃんなので時間は腐るほどあった。
呼吸法だけでは飽き足りないので、
「無病息災」とイメージしながら行う事にした。
病気にも怪我にも負けない身体が欲しい。
ついでに幸せも・・・、「千客万来」ならぬ「千吉万来」、
沢山の大吉がひっきりなしに訪れるように、願いをこめて。
呼吸法は手順とイメージ。
まずは排気から。
鼻からゆっくり長く、最後の一滴まで吐き出す。
体内を空にしたら吸気。
鼻からゆっくり長く深く吸い込む。
それを丹田に誘導。
丹田は溶鉱炉をイメージ。
集め、満たして精練。
練った気を経絡なるものを通じ、血のように全身に行き渡らせる。
全て行き渡らせたら再び排気。そして吸気。精練。
そんなイメージ、イメージが大事
暇なベビーライフだから出来る気長な修行だ。
前世への未練はない、と言えば嘘になるが運命には逆らえない。
なにしろ政府から全土へ巨大地震警報が発令されたのだ。
全土とは前代未聞。
二箇所を震源とする地震が相前後して起こった、と確信出来た。
そしてそれは、三つ目の地震を誘発した可能性が高い。
であるなら、おそらく日本は灰燼に帰したであろう。
否、日本だけの問題ではなかろう。
日本列島全体が震源地だとするならば、世界にも波及しただろう。
巨大な津波が地表を何度も何度も襲い、
海岸線に住む人々のほとんどを洗い流したに違いない。
こんな形ではあるが、俺は生きていることに感謝したい。
記憶を持ったままの輪廻転生に感謝を・・・。
そう言えば転生の常識である女神様は現れなかった。
大勢が亡くなったので、俺一人に構っている暇はなかったのだろうな。
たぶん・・・。
そこでステータスオープンを試した。
正確な発音は無理だから同時にイメージも。
「ぶんぎゃー、おんぎゃー、ぎゃー」
何も起こらなかった。
ベビーライフしながら情報収集に努めた。
目と耳で可能な限り集めた。
それでこの世界は魔素が溢れている、と知った。
一定の量以上の魔素を体内に持って生まれた人は魔法使い、
獣は魔物、ファンタジーな世界であった。
魔法使いではないが、俺の母はちょっとだけ魔法を使う。
指先から少しだけ水を垂れ流した。
父もそうだ。
指先から種火程度の火を出した。
しょぼい。
こんなのは魔法使いとは言わないそうだ。
俺は試さなかった。
赤ちゃんの身体に悪影響を及ぼしそうなので、
身体が立派に育つまで待つことにした。
父はアンソニー佐藤、母はグレース。
祖父はニコライ、祖母はエマ。
長兄はトーマス、次兄はカイル。
そして末っ子の俺。
三世代、七人家族。
名はカタカナ、姓は漢字で分かるように、
この世界では漢字カタカナ平仮名が普及していた。
目立つ違いと言えば頭髪の色であった。
村の者達は四色に分類された。
金髪、銀髪、茶髪。
我が家は多数派の黒髪。
聞いた話では他の色の頭髪もあるそうだ。
赤髪、橙色・・・、これこそ十人十色。
しっかり歩けるようになった俺は祖父に手を引かれ、裏山に登った。
時間はかかったが、幼児の足でも険しくはなかった。
そこは整備された段々畑が広がっていた。
頭上の太陽が眩しい。
時折、風に首筋を撫でられた。
途中、出会った老爺が俺達に会釈した。
「大旦那様、大丈夫ですかい」
老爺に心配された祖父は、
「馬鹿者、お前よりワシはまだ若い」苦笑いで返した。
過ぎた背中に老爺の呟きが聞こえた。
「なんともまあ、末っ子様は身体が大きいこって」
聞こえたのか、祖父が俺を見下ろして表情を緩めた。
「ワシに似ているからなあ」
時間がかかったが、切り開かれた頂上に祖父と二人、並んだ。
眼下に村の中心があった。
五十数戸ほど。
眼下の煉瓦造りの三階建てが我が家だ。
高い壁で囲まれた広い敷地には、
使用人の長屋や蔵・作業場等が整然と並んでいた。
少し離れた集落を見渡した。
西側に十数戸。
反対の東側に二十数戸。
川を挟んだ向こう、北側に三十数戸。
祖父が一帯を指し示して俺に言う。
「これが戸倉村だ」
我が家は土豪で、代々村長を務めていた。
領主よりも古い家柄で、平時は農業に勤しみ、
戦になれば一族郎党を率いて領主の膝下に入った。
俺は五感を解放した。
視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚。
遠くの、北の集落の細道を歩いている者をしっかり捉えた。
姿形からして行商人に違いない。
耳を澄まし、段々畑の手入れをしている農夫達の声を聞き分けた。
男衆が四人。女衆が二人、都合六人。
それとは別に子供三人が遊び回っていた。
首筋に当たる風が湿っていた。
頭上の太陽は眩しいが、
これから天気が崩れて明日辺りからは雨だろう。
鼻と舌で空気の湿り気具合を捉えて、そう確信した。
第六感が働いた。
思わず後ろを振り返った。
忍び寄っていたらしい。
俺の3倍ほどはある黒犬がいた。
目を合わせるより早く俺を押し倒した。
嬉しそうに俺の顔をペロペロ舐めた。
ペットには太郎とか花子と名付けるのが一般的だ。
俺を押し倒しているのは五郎。
五代目の犬だから五郎。実に分かり易い。
俺は五郎の頬に手を当てて優しく言った。
「もういいかい」
五郎は返事代わりに俺を解放し、立ち上がった俺に撫でて貰おうと、
頭を差し出してきた。
それを見た祖父が呆れたように言う。
「ダンは五郎を手懐けたのか」
俺はダンタルニャン佐藤。
みんなにはダンと呼ばれていた。
喜んで五郎の頭を撫でていたら、
何の拍子か胸騒ぎ、ザワザワ・・・。
そこで脳内モニターを始動させた。
丹田に気を集めて精練を繰り返し続けた結果、三週間ほど前だった。
摩訶不思議にも五感を解放すると、
第六感の勘働きと同時に脳内に仮想のモニター画面が出現した。
形状は前世のPCモニター画面そのもの。
無音だが、モニター画面には壁紙が張ってあった。
それがランダムに張り替わって行く。
日本の田舎風景。
最初は驚き、戸惑った。
でも、人脳の機能は完全に解明された訳ではない。
何が起こっても不思議ではない、として受け入れた。
伝説の第三の目が開眼した、とも信じることにした。
キーボードもマニュアルも無かったが、イメージの力技で克服した。
ついでにカスタマイズもした。
気配察知機能とズームアップ機能を連動させた。
北の集落を歩いていた行商人の顔がズームアップになった。
知らぬ顔。
気配察知機能が怪しいと指摘している、と理解した。
この村は街道から外れているので、訪れる行商人は限られていた。
顔馴染みの者達ばかり。
新しい行商人が訪れることは滅多にない。
来るにしても、一人で来ることはない。
隠居する行商人が代わりの新人の顔繋ぎに同行するくらい。
その行商人の足取りが怪しい。
時折、キョロキョロと左右を見回した。
迷っている訳ではなさそうだ。
それに商いする気配もない。
何やら探っている様子。
俺は祖父に告げようかどうか迷った。
常識的に、この位置から北の集落を行く者の姿形は分かっても、
村人なのか、行商人なのか、そこまでの判断はつかない。
ましてや顔まで詳しく分かるわけもなく・・・。
告げれば褒められるだろうが、俺に対する疑問も涌くはずだ。
悩む・・・。