怜司
「よぉ、久々だな。」
淡々としていて、低くよく通る声。
―怜司だ。
拓海は懐かしい友人の声に体を堅くした。
小森怜司は拓海の同じバンドのベースで、高校からの友人だ。
常に冷静な態度で拓海とは性格も間逆、初めは鼻持ちならないヤツだと拓海は色眼鏡で見ていた。
しかしクールな顔の裏には誰よりも熱い顔があり、二人は気がつくとお互いに一番の理解者になっていた。
だから―。
拓海は誰より怜司に会いたくなかった。
今の情けない自分を見られたら、失望されるかもしれない。見限られるかもしれない―…。
去ってしまうなら…自分から去った方がましだ。
意固地になり拒絶してきた。
今では事故当初の激情も収まり、ある程度冷静に物事を見るようになった。
しかし冷静になったらなったで、次はあれほど激しく拒絶した相手にどんな顔で会えばいいか分からない。
電話では2、3度話したがぎこちない会話しかできなかった。
だから今―…拓海はものすごく居心地が悪かった。
「やっぱり、逃げてたな。」
淡々と怜司が言う。
「そうなのよ、この子都合悪いとすぐ姿隠すの。怜司君来るって連絡もらって見にきて見れば案の定!しかも公園から出てどこに行こうとしてたのか。」
「ほんと…お前、あの公園好きだな。何かあるといつもあそこだ。」
「もっと言ってやって!」
怜司の言葉に被せるように沙弥香の一際大きな声が部屋に響いた。
―うるせぇよ。
拓海は苛立たしげに、声のする方から顔を背け、心の中で舌打ちした。
図星なだけに更に居心地悪い。
久々に怜司に会うのかと思うと変に緊張してしまって、部屋にいられなくなったのだ。
何かから解放されたくて、自由になりたくてあんな行動にでてしまった。
まさかあんなコトになるなど、拓海も思わなかったが…。
「まぁ隣の家の人があんたの居場所教えてくれて、本当よかったわ。」
沙弥香の言葉に拓海は反応する。
「隣人?」
「ええ、そうよ。あんた本当に知らなかったの?あの子は知ってたみたいだけど?」
―知らない。
一人暮らし用の1DKのマンション。
誰も自分のことだけで、他人など気にしない。
拓海もそうだった。
いつもうるさいと苦情を言ってきていた男以外、このマンションで顔見知りなどいない。
―隣に住んでるやつなんて…そんなの知らない。見たことない。
「まぁ仕方ないわよね。あんたとは生活リズム違うだろうし。」
拓海の気持ちなど知らず、沙耶香はしたり顔で頷いた。
―知ってるなら知ってるで声かけてくれてもいいだろう。
拓海は今までの不機嫌さにプラスして複雑な気持ちになった。
「はい。怜司君、お茶。拓海、机の上にあるから。こぼさないでよ。」
「ありがとうございます。」
「分かってるよ。」
ぶすりとする拓海を気にせず、沙弥香は買い物をすると言い残して部屋を出ていった。
ふいに二人きりになり、微妙な空気の中、拓海も怜司も黙り込んだ。
怜司はどんな顔をしているのだろうか。
顔が見えないと不安になる。
怜司の心が分らない。
拓海の心臓が跳ねる。
―ダイジョウブ。
ふいにその言葉が拓海の胸に浮かんだ。
何故だろう。
心の漣がその動きを止めた。