第20話 修学旅行
「ご搭乗の皆様、大変長らくお待たせいたしました。当機はただいまより離陸いたします」
キャビンアテンダントのアナウンスと共に、私たちが乗った飛行機が搭乗場所から離れ、滑走路へ向かっていく。
両翼に備えたエンジンが甲高い音を発しながら徐々に回転数を増していき、少しして体をシートに押し付けられるような重圧を感じる。
窓の外をのぞけば飛行機はどんどん加速していき、やがてふわりと中へと舞い上がった。
徐々に陸が離れていく様子を見ながら、私はなんとなく修学旅行の準備期間のことを思い出した。
◆◇◆
「そういえば、部長はもうすぐ修学旅行でしたよね?」
文隆君がなんとなくといった様子で訊ねてきた。
私は仕事のほうの執筆を進めながら応じる。
「ああ、ちょうど一週間後だな」
「行き先は?」
「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」
「いや、そこは普通にイギリスでいいじゃないですか……。まぁいいや。それで? どこを回るとか決めてるんですか?」
「まずはホグ○ーツだな」
「いきなり架空の学校!?」
「できれば、九と四分の三番線も見ておきたいところだな」
「存在しませんよ!?」
「後は、シャーロック・ホームズ博物館にも行きたい」
「ああ、イギリスの中でも有名ですからね……」
「そして、そこに届けられる事件を解決したい!」
「名探偵!?」
「見た目は女子高生! 頭脳は高校生! その名も……女子高生、五十嵐瑞枝!」
「そのまま!? 名探偵を自称すらしない!?」
「考えてもみたまえ。名探偵現るところ、必ず事件が起こるんだぞ? そうなったら修学旅行を楽しむこともできないじゃないか……」
「あ~。そうですね……はいはい」
「……後輩がツッコミを放棄した件について……」
「だって疲れましたから……」
「…………そうか……」
「はい、そうです」
文隆君がそれだけ言って自分のことに集中してしまったので、私も自分の作業に集中することにした。
翌日出来上がった原稿を担当編集の上田さんに原稿を直接チェックしてもらっているときに、ふと修学旅行の話になった。
「そういえば、瑞枝ちゃんは今度修学旅行に行くんだっけ?」
「はい」
「どこ行くの?」
「イギリスです」
「イギリスかぁ……。いいなぁイギリス……。ん? 待てよ? イギリスといえば……」
突然上田さんが何かを思い出したようにパラパラと手帳をめくっていきながら、何かをぶつぶつとつぶやき始めた。
そして、徐に携帯電話を取り出すとどこかへと電話をかけ始めた。
「あ、編集長……私です。ええ、はい、それは大丈夫です。それでちょっと相談なんですけど……、ええ、例の件です。はい、実は本人が来週にあっちに行くそうなので……、はい、ちょうどいいかなと思うんですけど……。はい……、ただ修学旅行で行くのであまり無理は……。え? ああ、そうですね、それがいいかもです。分かりました。はい、ではそちらはよろしくお願いします。はい、失礼します……」
上田さんは携帯電話を切ると、私に向かってにこりと微笑んだ。
なんだか、その笑顔にはいやな予感がするんだが……?
「というわけで……。私もイギリスに付いていくことになったから、よろしく~」
「…………はっ? いや、ちょっと待ってください! 一体どう言うことなんですか?」
ひらひらと軽い調子で手を振る上田さんにあわてて待ったをかけ、説明を要求する。
「どうもこうも、瑞枝ちゃんの本が海外出版されるから、それのサイン会を修学旅行のついでにイギリスでやっちゃおうと編集長と話していたの」
「え? それは……困るというかなんと言うか……。修学旅行で私だけ別行動というのも……」
「大丈夫よ。学校の許可は編集長がとってくれるみたいだし、修学旅行が終わった後に、瑞枝ちゃんだけ残ってサイン会をする日程にするから……」
予想以上の手際のよさだった!
こうなると、もう何を言っても無駄だと最近になって悟った私は、素直に諦めることにした。
こうして、修学旅行が終わった後、私だけ残ってのサイン会が開催されることになった。
◆◇◆
「……え! み……え! ……瑞枝!」
「うぅん……」
真子に肩を揺り動かされて、私は意識を取り戻した。どうやらいつの間にか眠っていたらしい。
「ほら、もうすぐ着きますよ」
真子が眼を輝かせながら窓の外を指差し、それにつられるように私も窓の外を覗きこむと、はるか下にのぞく町並みが確かに私の知る日本のそれと大きく違っていた。
そして飛行機は徐々に高度を落としてゆっくりと着陸し、私たちはイギリスに到着した。
テンションがあがりっぱなしの真子に引っ張られるように入国審査を済ませ、飛行機から下ろされた荷物を受け取って、先生の指示に従って一度ロビーに集合する。
そこで、先生からの注意事項を聞き、そのまま宿泊する予定のホテルに移動、それぞれに割り当てられた部屋に分かれて一日目が終了した。
そして二日目。
なんとなく朝早くに目が覚めてしまった私は、同室の真子を起こさないようにしながらそっとカーテンを開ける。
そこからのぞく景色は、当然のように日本のそれと違っている。
道行く人たちも、走る車も、あちこちに見える看板も何もかも。
そうして改めて実感する。自分はイギリスに来たのだと。
「ふぁ~~~~……」
どうやら真子も目を覚ましたらしく、かわいらしくあくびをしながら「にへら」と笑った。
「えへへ、おはようございます瑞枝」
「ああ、おはよう真子」
「でも、不思議ですね。こうして朝、目が覚めたら、友達が目の前にいるなんて……」
「そうだな。それに目が覚めたら違う国というのも不思議な感覚だ」
「そうですね。うふふふふ」
「あはははは」
「うふふふふふふ」
「あはははは」
「うふふふふふふ」
「あはははは」
お互いに笑いあっていると、いきなり部屋の電話が鳴り響いたので受話器を取る。
「ハロー?」
『朝からなにコントみたいなことをやってるんですか、あなた達は……。もうすぐ朝食の時間ですから早くしてくださいね』
電話の相手――生徒会副会長の黒野君は、一方的にそれだけ告げると電話を切ってしまう。
しかし、みてもいないのに朝からコントをやっていたことを見抜くとは……。
黒野君、君はエスパーか?
いやいやそんな馬鹿な。
私は軽く頭を振って馬鹿な考えを追い払うと、さっさと着替えを済ませて、真子と一緒に朝食の石へと向かった。
ビュッフェ形式の朝食をたっぷりと楽しんだ後は、先生の注意事項を聞いてから、拡販での自由行動だ。
私は同じ班である生徒会メンバー、つまり真子、黒野君、向井君の四人で班行動をすることになる。
「さてと、まずはどこへ行くんだったかな……」
几帳面な黒野君がメモを取り出しながら予定を確認する。
「まずは近場のビッグ・ベンからか……、それじゃあさっさと行きましょう……っておい!」
甘いな黒野君。
私たちが予定通りに動くとでも思ったか?
なんてことを考えつつ、私と真子、それに犬のようにつき従う向井君は、早速予定と違う行動、簡単に言えば眼に入った紅茶のお店へと突入していた。
「予定はどうした!?」
黒野君のツッコミが聞こえてきたしたが、そんなもの聞こえないふりをしながら買い物を楽しむに決まっているじゃないか。
そんなわけで、早速真子と一緒に紅茶を注文しようとしたら……。
「あんたらいい加減にしてくれませんかねぇ!?」
いつの間にか傍に来ていた黒野君が、般若もはだしで逃げ出しそうな恐ろしい顔をしていた。
「「「はい、すいません。調子に乗りすぎました」」」
結局あの後、黒野君も加わって四人で紅茶を堪能し、改めてビッグ・ベンへと向かった。
「ほぅ、さすがビッグ・ベン。歴史の重みを感じさせるつくりだな」
「レンガ造りなのも、すごいですよね」
「さすが、イギリスの中でも随一の観光名所ですね。観光客の数が……」
「とりあえず、記念写真を撮りましょう?」
真子が手荷物の中からデジカメを取り出して、その辺を歩いていたおじさんに声を掛け、何事かを交渉する。
おそらく写真を撮ってくれるように頼んでいるのだろう。
少しして、真子が微笑みながら戻ってきた。その手には件のデジカメがある。
「面白い人でした」
「「「写真は!?」」」
ニコニコ笑う真子に、全員で突っ込みをしてしまった。
「まったく……。仕方ないな。真子、カメラを貸せ。私が交渉してこよう」
そう言って真子からカメラを受け取り、ちょうど犬の散歩をしていた現地の人に声を掛ける。
……おや?
この犬は……。
「Excuse me?」
「Yes」
「Can I play your dog?」
「Sure」
「Thank you!」
おお、よしよし。
可愛いなぁ。
私は思う存分犬と戯れた後、満足しながら真子たちの下へ戻ってきた。
「ふぅ。可愛かった」
「「「犬と戯れただけ!?」」」
「おおぅ……しまった!」
私としたことが、犬の可愛さに気を取られてすっかり本来の目的を忘れていた。
「まったく、二人とも名にやってるんだか……」
呆れたようにため息をついた黒野君が、私からカメラを受け取ると、適当に歩いていた人に声を掛け、身振り手振りを交えて交渉し、やっと記念写真を撮るという目的を果たすことができた。
写真を撮るだけで疲れてしまった私たちだが、今日の目的はまだまだ終わっていないというわけですぐに次の目的地へと移動していく。
その後も黒野君の先導の下、次から次へと観光名所をめぐっていき、全てをめぐり終えたときには、私たちは疲れ果ててしまっていた。
「明日はもうちょっとゆっくりしたいです……」
真子がぐったりといすに座り込み、
「そうだな。今日はちょっと急ぎ足過ぎた」
私もベッドに力なく腰掛け、
「さすがに今日の予定は詰め込みすぎましたね」
黒野君がベッドに寝転ぶ。
「ああっ! 会長! そこ! だめぇっ!」
……真子に踏みつけられていた向井君が変態的な声を上げていたが、私も黒野君もツッコむ元気がなかったので放置することにした。
そして、夜が明けて修学旅行最終日。
この日は後輩や家族にお土産を買おうと決めていたので、宿を出た後は近場の免税店を回っていくことにした。
「あ、これなんかどうかしら?」
そう言って真子が広げたのは一枚のTシャツで、胸の真ん中にでかでかと「忍」と書かれていた。
「いや、それはさすがにないだろう……」
ツッコみつつ、私も文隆君や直重君、家族の分のお土産を物色していく。
家族は紅茶が好きだからダージリンの茶葉を買っていくとして、問題は後輩二人の分か……。
ここはあえてボケるべきか?
そんなことを考えつつお土産を物色していた私の目に、とある物が眼に入った途端、私は思わず手にとってしまっていた。
これだ! 彼らのお土産はこれにしよう!
「文隆君、直重君。君たちのお土産、期待していてくれたまえ。……ふふふふ。ははははははは。ふはははははははははは!」
悪役のような算段笑いをしながら、私は遠く日本のほうを見た。
◆◇◆
――ぞくり
「っ!?」
言いようのない悪寒が走って、僕は辺りをきょろきょろ見回した。
かざりっけのない自分の部屋が見えるだけだけど、悪寒は止まらない。
この感じ……まさか……?
「そんなわけないよな……」
軽く頭を振っていやな予感を振り払うと、携帯に届いていた六花からのメールに返信をした。
◆◇◆
「さてと、全員いるな? これから飛行機に乗るぞ! あ、五十嵐はこの後も少し残るんだったな?」
先生の問いかけに軽く頷くと、先ほど空港で合流した担当編集の上田さんに先生がぺこりと頭を下げた。
「五十嵐のこと、よろしくお願いします」
「はい、責任を持ってお預かりします」
どこか子ども扱いされているようで不満ではあるが仕方ないことだろう。
「それじゃあ、瑞枝。一足先に帰ってますね。気をつけてくださいね」
「ああ、そっちも無事を祈る」
その後ゲートの前で真子たちを見送った私は、上田さんが手配したという宿に移動し、明日行われるサイン会について、軽く打ち合わせをする。
「明日は十時から入場開始で、瑞枝ちゃんは九時半ごろには会場でスタンバイしてね? 通訳さんとも顔合わせをしておくから。あと、これにサインお願いね」
そう言って机に置いたのは、大量の色紙。
どうやら明日、物販コーナーで販売するらしい。
商魂たくましいことこの上ないと思いつつ、さらさらとサインをしていく。
明日は何事もないといいのだけど……。
なんとなくそう思いながら、暗いロンドンの空を見上げた。
結論から言えば、ロンドンでのサイン会は何事もなく無事に終わった。
別に本を狙ったテロだとか、どこぞの施設武装組織が武力介入してきたりだとか、悪の魔法使いが乗り込んできたりだとかそういうトラブルは一切なく、無事に私たちは帰りの飛行機に乗ることができた。
「ふぅ……」
とは言え、さすがに疲れてしまい、思わず座席に深く身を預けながらため息をついてしまう。
隣では、上田さんがくすくすと笑いながら手帳を見ていた。
「さすがの高校生作家、江藤泉も疲れた?」
「まぁ、修学旅行の後ですからね。……でも楽しかったです。こちらの人たちがたくさん私の本を読んでくれていることも、素直に嬉しかったですし、あんなにファンが集まってくれたのは感激でした」
「瑞枝ちゃん、会場のお客さんを見たときびっくりしてたしね」
「あはははは。まぁ、でも……」
「ん?」
「たまにはこういうのもいいですね」
「そう……。じゃあ、またサイン会の予定を入れておくね?」
「はい、お願いします。でも、できれば今度はゆっくり……したい……ですね……」
さすがに疲労が限界を迎えて、私は気を失うように眠ってしまった。
「あらあら」
最後に上田さんの仕方なさそうな声が聞こえた気がした。
そうそう、帰りの飛行機では上田さんがファーストクラスを手配してくれていて、とても寝心地がよかったことを追記しておく。
ふふふ、羨ましいだろう?
~~あとがき~~
文隆「あれ!? 僕の出番アレだけ!?」
直重「ふふふ、まだいいじゃないか……。僕なんて名前を呼ばれただけだよ? セリフもないし……」
文隆「お……おう……」
直重「他のみんななんて粟飯原君の名前が少し出たくらいだし……」
文隆「正直すまん!」