第1話 大魔王からは逃げられない
しんとした教室のなかで、僕が定期的に紙をめくる音だけが静かに響く。
開け放した窓からは、時々運動部の掛け声が聞こえてくる。
一人、放課後に静かに読書に勤しむ文学少年、それが僕、西村文隆だ。
僕はもともと体があまり丈夫じゃなく、激しい運動は医者に禁止されている。だから、本当は、あの運動部の皆に交じって青春を謳歌したいのを我慢して、こうして放課後に、一人で読書をしている。
「君は一人で何を言ってるんだ……?」
部長に呆れるように言われ、僕は読んでいた本をぱたりと閉じる。
「ちょっと、部長……。せっかく僕が儚い文学少年を演出していたんですから、空気読んでくださいよ~……」
僕が顔を上げて文句を言うと、部長が盛大にため息をついた。
「何を馬鹿なことをやってるんだ。儚げな文学少年がそういう風に文句を言うとでも? そもそも君のどこが儚げなんだ? というか、君が文学少年というのは、些かどころか、かなり無理があるだろう」
そこはかとなく失礼なことを言われた気がする。僕がそれに対して文句を言おうとする前に、部長がびしりと僕に指を突きつけてくる。
「それよりもだ。昨日、君に出した宿題はやってきたのか?」
「やってきましたよ。ちゃんと……」
僕は鞄をごそごそと漁り、部長に言い渡された宿題の成果、一つのUSBメモリを取り出し、部長に手渡した。
「よろしい。さっそく拝見させてもらおう」
部長は備え付けのパソコンを立ち上げると、早速僕の宿題を見始めた。
その間、手持ち無沙汰になった僕は、改めて部長を見てみた。
こうしてみると、美人でスタイルもよく、文学少女という言葉が似合う部長に人気があるのは頷ける。
「文芸部の部長、五十嵐瑞枝」と言えば、校内でもちょっとした有名人だ。
僕が誰に向けたわけでもない解説をしていると、僕の宿題を見終えたのか、部長が大きく息を吐いた。
「ふぅ~~~~。登場人物の個性がないとか、テーマが分かり辛いとか、起承転結が甘いとか、いろいろ言いたいことはあるけど、その前に文隆君……」
「何ですか、部長?」
「お題はどうした?」
「お題?」
「私は昨日、君にこう指示したはずだ。『水』、『時計』、『太陽』の三つを使って、話しをかけと」
「ああ、はい。確かに言ってましたね……」
「覚えてるなら、なぜお題を入れなかった?」
「気分!」
「気分!?」
「すいません、間違えました」
「そうだよねぇ……」
「面倒だったから!」
「余計駄目になった!? 面倒ってどういうこと!?」
「最初はちゃんと考えてたんですけど、途中で面倒になりました」
「それは胸を張って言うことじゃないよねぇ!?」
「むぅ……、じゃあ、どんな理由ならいいんですか?」
「それって聞くことかなぁ!?」
「じゃあわざとでいいですよ……」
「駄目だよ!?」
僕の連続したボケに、律儀にツッコんだ部長が、ぜぇぜぇと肩で息をする。
僕はそんな部長の肩を軽く叩くと、心からのサムズアップを見せた。
「部長、いいツッコミでしたよ♪」
その瞬間、部長がゆらりと立ち上がり、暗く笑った。そして、嫌な予感がした僕が逃げ出そうとするよりも早く、僕の肩をがしっと掴む。
「ふふふふふふふ、そうか。君はそんなにも死に急ぎたいのか。よろしい、ならばその願い叶えよう」
「ぶぶぶぶぶぶぶ、部長……?」
「ん? 何かな?」
とてもいい笑顔で笑う部長(ただし、目だけは笑っていなかった)。命の危機を感じた僕は、勢いよくその場に土下座する。
「ごごごごごめんなさい!!」
「それが最後の一言ということでいいんだな?」
「えっ!? ちょっ!? 待っ……………………。ぎゃ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~す!」
部長に流れるように関節を極められ、僕の悲鳴が放課後の部室に響き渡った。
「うぅ……、酷いですよ……部長……」
痛む関節を摩りながら文句を言うと、部長はじとっとした視線を向けてくる。
「君が年上のお姉さんをからかうのが悪いのだろう……」
「年上のお姉さんて……」
「何か?」
「イエ、ナンデモアリマセン」
「……まぁいい」
部長が呆れたようにため息をついた瞬間、部活動終了のチャイムが鳴り響いた。
「むっ? もうこんな時間か……」
パソコンを操作してUSBを抜き取った部長は、それを僕に放り投げた。
「わたっ!?」
どうにか受け取った僕に向かって、部長が宣告する。
「明日、また見せてもらおう。お題は同じものでいい」
「ちょっ!? 部長!?」
「何だ?」
「や、何だって……、僕、今日宿題もあるんですよ!?」
「それがどうした?」
「どうしたって……、それやって、更に小説なんて書いてたら、僕寝れないじゃないですか!」
「寝れないなら、授業中に寝ればいいじゃない?」
「や、そんな『パンがなければ~』みたいに言われても……」
「ちなみにそのセリフ、実はマリー・アントワネットが言ったわけではないらしい」
「そうなんですか? ってそんなんじゃ誤魔化されませんよ!?」
「ちっ!」
「舌打ち!? まさかの舌打ち!?」
「がんばれ! 負けるな! そこだ! もっと踏み込め! 君ならいける! まだまだやれる!」
「そんな某熱血テニスプレーヤーみたいに言われても……」
「書くのなら早くしろ。でなければ…………書け!」
「お父さん!? そこは帰れでしょ!? セリフ違いますよねぇ!?」
「……うぐぅ……」
「たい焼き娘!? 節操がないですよ!?」
「ふぁいと、だよ!」
「急に統一してきた!?」
「あさ~。あさだよ~。朝ごはん食べて学校行くよ~」
「すでに夕方ですけど!?」
「一昨日はウサギを見たの。昨日は鹿、今日はあなた……」
「ああ、あれはすごく良かったですよねぇ。僕、あのルート好きです」
「む、君は彼女推しか? 私はやはりメインヒロインの……」
「そこまでです! それ以上の発言は危ないです! っていうか、話しがずれてる!」
「さて、何の話だったかな……。そうだ、君の一押しのエロゲの話だったな……。まったく昨今の青少年は……」
「違いますよ!? 後長い! 部長のボケ長い!」
ずっと部長のボケにツッコミし続けて息が切れた僕は、肩でぜぇぜぇと息をする。
そんな僕を見た部長は、「やれやれ、仕方ないな……」といいながらメガネをメガネをはずし、少し屈むと、瞳を潤ませながら上目遣いに僕を見つめる。
「だめ……か?」
部長の十八番にして、対僕用最終究極兵器。その名も「男殺し」(命名、僕)。
これを発動されると、僕はどんな無茶なお願いでも聞き入れてしまう。そしてそれは、今回も同じだった。
「ああもう! 分かりました! やります! やらせていただきます!」
「そうか」
部長はふわりと笑う。しかし、その魅力的な笑顔を一瞬で引っ込めた部長は、にやりと意地の悪い笑みを浮かべる。
「大魔王からは逃げられない」
「っ!?」
部長のセリフに心が折られた気がする。