異世界清掃員
「タスクさん、血がこびりついている通路をど、どうしたら……」
「スピアさんはこの洗剤とブラシも粗いのに替えて! それでも落ちなかったら高圧洗浄機使ってみて!」
濃い緑の作業服を着た背の高い女騎士に俺は指示を出す。
「ねえ、こっちはこれでいいの?」
「バックラーさんはバキュームをお願いします! 水が満タンになる前にこまめに地底湖に流して」
辺りをきょろきょろと見回して、落ち着かない様子の女騎士に汚水の処理を頼む。
彼女は人よりも背の低い種族らしいが力があるので、バキュームを操るのには向いている。
「冒険者の遺品は荷台に乗せておきますね」
この部隊のリーダーである金髪の女騎士が魔物に殺された冒険者達の遺品を搔き集め、ワゴン車の後ろに備え付けてある馬車の荷台に放り込んでいく。
「レイピアさん頼みます! ダンジョンに魔物が湧くまであと二時間しかないから手際よくお願いしますね!」
「「「はい!」」」
清掃会社クリーンツバサの社長である俺は、汗水流しながら懸命にダンジョンの清掃をしている。
何故こんな事になったのかと、たまに冷静になる事もあるが、やりがいのある職場であることは間違いない。
一歩間違えると死と隣り合わせなことを除けば。
「あと三十分です! 皆さん片づけに入ってください! 急いで撤収しますよ!」
清掃道具をワゴンの後ろに詰め込み、女騎士団員……今は社員でもある彼女達を乗せて出発する。
時間ぎりぎりだがこのままだったら間に合うだろう。
アクセルを踏みながら小さく息を吐き、少し冷静になった頭で何故こうなったのか思い返してみる事にした。
「よっし、気合入れていくぞ!」
独立して初めての仕事だ、ミスは許されない。
愛車のワゴンの後部座席を全て取り払った場所には、清掃道具が整然と並べられている。
ポリッシャー、バキューム、窓の清掃用具一式、洗剤、ワックス、高圧洗浄機等、清掃に必要な物は全て揃った俺の宝箱だ。
高価な清掃機器は中古品や譲り受けたものばかりだが、綺麗に磨き上げ整備しているので新品と変わらぬ活躍が期待できる。
そこに今日はもう一つ荷物を積んである。
我が清掃会社クリーンツバサの秘密兵器、発電機だ。
清掃現場によってはコンセントが使えない場所や届かないところもあるので、発電機が活躍する場面も結構ある。ちなみに燃料はガソリンを使う。
これだけは新品でそれなりに値が張ったが、今後活躍することを期待して購入しておいた。その甲斐があって初仕事でいきなりの出番だ。
「お前らよろしく頼むな。初めての大きな仕事だ、絶対にものにするぞ!」
ポンポンと仲間の肩を叩くように清掃道具に接すると車のエンジンをかけた。
現場は山奥の廃工場で最近まで人の手が入らず放置されていたのだが、廃工場ツアーやコスプレをする人たちの撮影会の場所に使われるようになったらしく、休憩所や食堂だった部屋の清掃を頼まれている。
既に電気は通っていないので発電機の出番というわけだ。
「はぁー、緊張する。夢の独立の初仕事がかなり実入りのいい仕事で助かったな」
三十半ばで独立に踏み切ったのには幾つか理由があった。
まずこの清掃業というのは体が資本だ。正社員を雇う余裕がないので、基本一人でできる事は何でも自分でやらなければならない。
若いうちでなければ無理が利かない仕事なのだ。
人手が必要な時は前の会社のコネで人を派遣してもらうかバイトを雇ってやる事になっている。
今回は依頼側が人を貸してくれるらしく、楽な仕事を回せば初心者でも役に立ってくれるはずだ。
初めはおぼつかなくても一か月にも渡る長期の仕事なので、やっている内に覚えてくれて立派な戦力になってくれるだろう。
ナビにも載っていない山道を進んだ先に、指定された古びた工場があった。
トタンの屋根には穴が開き、骨組みには錆が浮き上がり、今にも崩れそうな外観をしているが大丈夫なのだろうか。
敷地内に入ってからは慎重に車を進ませていくと、進路方向に一人の女性が立っていた。
金髪で青い目をした美しい女性。
映画やドラマから抜け出してきたかのような、スーツをビシッと着こなした美女は今回の依頼主だ。
ロシア系のハーフらしく日本語はペラペラで、初めて会った時は話せない英語を無理に使って笑われてしまった。
「お待たせしましたー」
車の窓を開けて顔を出し、大声で呼びかける。
するとにっこりと笑って手を振ってくれた。
「ご苦労様です。車はこちらにお願いします」
彼女に誘導されるまま工場の中に入り、入り口の少し奥に駐車する。
「ここでいいですか?」
「はい、完璧です。では少し眩しいと思いますが」
「眩しい?」
俺がそう訊ねると、彼女は両腕を万歳するかのように天井に向けて掲げた。
すると地面に黄色い線が走り、それは円と模様のようなものを描き始める。
「な、何ですかこれ⁉」
「ザシリギエリグリフヘイリィーフログ」
「ロシア語?」
意味のまったく分からない言葉が彼女の口から発せられると、光は輝きを増して目を開けていられなくなった。
大きく車体が一度揺れ、恐る恐る目を開けると辺りの光景が一変していた。
「……へっ?」
さっきまでの廃工場は跡形もなく消え去り、代わりに山の斜面に空いた大穴がフロントガラス越しに見える。
目を閉じて大きく深呼吸をして、もう一度目を開く。
「変わりなし、か」
右に目を向けると木の板を組み合わせただけの露店がずらりと並んでいる。祭りで見かける露店に似てはいるが派手な飾りつけはない。
左に目を向けると幾つもの建物が目に入った。木造や石造りの建物で素朴な外観をしている。
バックミラーで後ろを確認すると道が一本見える。俺が廃工場に来た道とは違い舗装が全くされていない。
意味不明な状況に、頭を抱えて叫びたくなる心を強引に抑えつける。
取り乱しても何もいい事はない。冷静になれ冷静になれ。
「許可も得ずに召喚してしまい、申し訳ありません」
車の前に立ち深々と頭を下げる依頼主。
彼女がこの意味不明な状況を引き起こした犯人とみて間違いないだろう。
俺はそっと車のロックをする。
見た目の美しさに騙されてはいけない。こんな超常現象を引き起こせるような相手は警戒をしすぎても損はない。
「みんな出てきて」
顔上げた彼女が誰かに呼びかけると、木々の間から三人の人物が現れた。
「おいおい、コスプレ……じゃないんだろうな」
三人は異様な格好をしていた。
二人の女性は銀色に輝く西洋の鎧を着込み、もう一人は裏地が血のように赤い漆黒のマントを羽織っている。
第一印象を正直に口にするなら。
「女騎士と魔法使い」
ファンタジーが題材のゲーム、漫画、アニメ、小説で何度も目にしてきた格好だ。
まともな神経をしていたらまずコスプレか何かだと思うだろう。だがこの状況下に置かれたらそんな考えは吹っ飛ぶ。
こういう場面では無駄に考えるよりも相手に問いただした方がいい。
「どういうことですか。私は廃工場の清掃の依頼を受けたはずですよ」
取り乱している事を悟られないように敬語で話す。
この方が客観的に物事を理解できそうな気がするからだ。
「申し訳ありません。本当の依頼内容はダンジョンの清掃なのです」
彼女は今ダンジョンと口にした。それにさっきは召喚という頭の痛くなりそうな事も言っていた。
地面に描かれた光の模様は今思えば魔法陣のようだったな。
彼女達の格好。
召喚やダンジョン。
これだけ条件が揃えば予想はつく。が、それが真実だと柔軟に受け入れるには少々歳を取りすぎている。
でもそれしか考えられない。自分で口にするのも恥ずかしいが。
「もしかして、異世界に召喚されたとか?」
「直ぐに理解していただけたようで助かります。タスク社長はダンジョンを経営するこの街に召喚されたのです」
……あっさり肯定されたかー。
ぷっ、バッカじゃないの。と笑いだして背後からカメラマンが飛び出してきて、大掛かりなドッキリ! の方がまだマシだった。
それだったらうちの会社の宣伝にもなるから許せたのだが。
「車内から失礼だとは思いますが、このまま詳しい事情を話してもらえますか?」
相手が美人揃いとはいえ油断する気にはなれない。
車から降りた途端にそこら中から人が出てきて取り押さえられる可能性だってある。
映画でこういう状況で直ぐに車から出ていく人がいるが、俺には理解できない。
強気に出て相手を不機嫌にさせる必要もないので、丁寧な口調は忘れないでおこう。
もし彼女達が暴力に訴えたり不穏な動きをしたら、このままアクセルを踏んで跳ね飛ばして逃げる覚悟だってある。
「はい、そのままで結構です。この世界は地球とは別の世界になります。こちらには魔法が存在し、魔物や亜人といった地球には存在しない生物も多数います」
「地球の事は詳しいのですか?」
「はい。私の祖父が地球からの迷い人でしたので。あっ、迷い人というのはこの世界に迷い込んできた地球人の事です。大掛かりな魔法や召喚儀式の際に空間にひずみが生じ、異世界の物や人がやってくることがあるのですよ」
そういう作品を幾つか目にした事がある。
定番中の定番の設定だな。ああいう作品を書いている人達は意外と実体験だったりするのだろうか。
「私もその迷い人じゃないですよね。依頼主さんが召喚したみたいなことを言ってましたから」
「はい、そうです。タスク社長は故意に召喚しました。都市国家アサエズのダンジョンを掃除してもらうために!」
拳を握りしめ格好良く言われても反応に困る。
未だに状況についていけてないのにポンポンと設定が出てくるな。
「ここが都市国家なのは分かりましたが、ダンジョンの清掃なんて聞いた事もないのですが。そもそもダンジョンと言うのは何なのでしょうか?」
一応ゲームでの知識でいいならダンジョンぐらい知っている。RPGをやっていたら嫌でも目にするから。
でもこの世界のダンジョンと俺が認識しているダンジョンに違いがあるかもしれない。
「ダンジョンと言うのは何階層にもなっている迷宮のような空間です。各階層にはボスと呼ばれる特殊な魔物が存在して、それを倒すと次の階層に進めるようになっています」
うん、ダンジョン探索ゲームと同じだこれ。
分かりやすくて非常に結構なのだが。……異世界よ、そんな安易な設定でいいのか?
「そもそも、ダンジョンの成り立ちは千年もの昔。今よりも魔法が発達した時代がありました。その時代には十人の偉大なる魔法使いがいらっしゃったそうです。長寿と膨大なる魔力を得た大魔法使いの一人が暇を持て余し、娯楽の一つとしてダンジョンを作り出したそうです」
娯楽って。膨大な魔力とやらがあるならもっと世界貢献やら、やる事あるだろ。
思わずツッコミそうになったが、話の邪魔はやめておく。
「完成したダンジョンを他の大魔法使い達に自慢をして、暇なら攻略してみるか? と提案したそうです。そこで大魔法使い達は弟子や自分の支配する街の住民達をダンジョンへと向かわせたのです」
ゲームを作れるソフトで自作したゲームを友達にやらせる。そのノリを壮大にしたような話だな。
「そのダンジョン攻略はかなり好評で、それに触発された他の大魔法使いも次々に自作のダンジョンを作り上げたのですよ。そうなるとダンジョンを制作する側と攻略メインの大魔法使いに分かれるようになりまして」
制作サイドとプレイヤーに分かれたのか。
ますますゲームじみてきたな。
「ダンジョン制作側は攻略されないように凝った内容の新たなダンジョンを次々と作り出し、攻略側はダンジョンを攻略するための専門の職を育成して、どれだけ早くダンジョンを攻略するかを競うようになりました。その際に魔道具を使って攻略の記録を撮り、それを街で放映する事で住民達の娯楽にもなっていたようです」
ゲームプレイ実況か!
リアルなダンジョン攻略動画があれば、映画やドラマやゲームを見るよりも盛り上がるに決まっている。
こう言ったら不謹慎かもしれないが、楽しそうな世界じゃないか。
「ですが、その世界は唐突に終わりを告げました。何があったのかは未だ諸説あるのですが、ハッキリしていません。ダンジョンはその時代の遺物なのです」
「ダンジョンの成り立ちは理解できましたが。それと清掃がどう結びつくのですか」
「残されたダンジョンには制御装置と呼ばれる魔法の玉が配備されていまして、それを活用してダンジョンを経営する者が現れたのですよ。我が国王もその内の一人です。本来ダンジョンの生態系は計算されて作り込まれていて、死体の処理や汚れの清掃も人の手を借りずにやれるようになっていました」
「ちなみに、どのようにして衛生管理をしていたのか教えてもらってもいいですか?」
俺が今まで目にしてきた作品だと、死体は魔力に変換されてダンジョンに吸収される。なので死体も汚れも残らない。というのが多かったが。
「はい。ダンジョンの魔物は魔力で生成された存在ですので、死ねば魔力の粒子となりダンジョンに還元されます」
やっぱり、そこの設定は同じなのか。
「ただし、挑んだ者の死体や持ち込まれたゴミなどはどうしようもありません。死体はダンジョン内の虫や小動物や魔物が処理してくれるのですが、ゴミや飛び散った血などはどうしようもありません。普通はそういった汚れを全て消化吸収するスライムと呼ぶ、大魔法使いが生み出した魔法生物がいるのですが」
「……もしかして、スライムってダンジョンの掃除をする為だけに作られた存在なのですか?」
「ええ、そうですよ。人工的に作り出された魔法生物ですね。ダンジョンから逃げ出した個体が繁殖して野良スライムになる場合もありますが」
そう、なんだ。
とあるゲームの影響で最弱のイメージがあるが、そのゲームよりこの世界のスライムの方が不憫かもしれない。
「この国で運営しているダンジョンに不具合が発生しまして、そのスライムが現れなくなってしまったのですよ。それも浅い階層の。特に一階は初心者も利用しますし、護衛を雇ったツアー客が見物に来ることもあります。そこがゴミと血で汚れていると観光資源として問題があるのです!」
「観光資源なんですか、ダンジョンが……」
「はい。ダンジョンは攻略ができるように魔物を倒した際に、力を多く効率よく吸収できる仕組みになっています。なので外で戦うよりも強くなりやすいので冒険者や戦士や騎士だけではなく、一般の方々も強い体を手に入れる目的や健康の為に挑まれるのですよ。第一階層では怪我はあっても、よほど油断しない限り死亡は少ないです。一か月で二、三人前後でしょうか」
殺伐としたスポーツジムか。
犠牲者が月に二、三人でも多いと考えてしまうが、この世界ではそうでもないのだろうな。
力を効率よく吸収という事はレベルアップや経験値みたいな概念が存在するのだろう。本当にリアルなゲームの世界といった感じのようだ。
「そこで汚れの酷くなった第一階層の清掃を異世界の技術を持って綺麗にして欲しいのです! 金貨や宝石になりますが、地球の相場の数十倍支払わせてもらいます。お願いできないでしょうか!」
依頼人の女性と女騎士団の面々が深々と頭を下げる。
伝説の勇者や国を救ってくれという壮大なものではなく、こんな理由で召喚されたのか俺は……。
だが、仕事の依頼としては悪くない。話が本当なら儲けは相当なものになるだろう。
でも、ちょっと待てよ……。
「あの依頼を受ける受けないにしろ、私は元の世界に戻れるのでしょうか?」
「はい、もちろんです。依頼を受けない場合でもご自宅のガレージに転送しますよ。依頼を受けてくださったら、今日の仕事が終わったら魔法陣で送らせてもらいます」
こういう話にありがちな一方通行ではなく、自宅まで送り返してくれるのか。
よくよく考えると、この人も日本にいたという事は行き来できるって事か。
これって千載一遇のチャンスじゃないのか。自営を始めたばかりで定期清掃の仕事も一か月に二か所だけ。
後は大手からの下請けどころか孫請けの仕事を得る為に、下げたくもない頭を何度も下げてこびへつらって仕事を貰うしかない。
そんな生活をするぐらいなら、少々の危険は覚悟の上でこの仕事を受けるべきではないだろうか。
「仕事内容と金額についてもう少し話を詰めましょうか」
俺は車から降りて彼女達の元へと歩み寄った。
「快く承諾していただいて安心しました」
「こちらこそ」
商談が成立したので和やかにレイピアさんと話している。
レイピアさんと言うのはスーツを着た女性の事で、彼女はここにいる女性達で設立された女騎士団の団長だそうだ。
本名はレイピアではないそうなのだが、各自愛称で呼び合っているそうで、全員が武器や防具の名前を付けられていた。
他にも身長が二メートル近くある手足のすらっと伸びた女騎士はスピア。
体が小さく手足も短めの女性はバックラー。
魔法使い風の女性はロッド。
これが彼女達、白翼騎士団の全てだそうだ。
「騎士団を名乗ってはいますが、実質は雑用を押し付けられてばかりで」
「女だけだから馬鹿にしているんっすよ! 陰じゃお掃除騎士団とか呼んでいるんすよ」
バックラーが腕を組んで地面を蹴りつけた。
目と口が大きく漫画のキャラのような愛らしさがあるが、少し短気らしい。
「バックラーちゃん、そんなこと言っちゃダメだよ……」
長身のスピアの方が大人しい性格らしく、怒り心頭のバックラーをなだめている。
俺よりも十センチ以上背が高い女性なのだが、垂れ目気味で落ち着きがない。
極度の人見知りのようで俺に近寄るどころか目が一度も合わない。試しに話しかけると、
「あ、あ、あ、ああ」
どもるだけで、慌ててバックラーの後ろに隠れた。
身長差があるので体の殆どが見えていたが。
「私はここで休憩して帰りの魔力を蓄えておくから……。おやすみー」
魔法使い風の女性というより女の子は白銀の髪に白い肌をしていた。
無口なのかと思っていたら、ただ単に眠かっただけのようで、何処からか現れた枕に頭を埋めてもう寝ている。
よく分からないが彼女の役目は魔法陣での運搬らしいのでそっとしておこう。
「すみません、個性的な部下ばかりで」
「可愛いらしい女性ばかりで嬉しいぐらいですよ。いつもはむさ苦しいおっさん連中に囲まれて作業していますからね」
俺の周りの同業者は三十代以上の男ばかりで、女性と一緒に仕事をする事は滅多にない。
女性に対して何かと意識するような歳でもないが、どうせなら女性に囲まれたほうが嬉しいというのが本音だ。
「可愛らしいですか……。変わった方ですね、タスク社長は」
異世界の女性で騎士をやっている人達に可愛いという表現は尊厳を傷つける事になるのではないかと、少しだけ焦ったのだが大丈夫だったようだ。
他の団員も怒っている様子もなく、それどころか照れているように見える。
「あっと、その社長はやめてもらえますか。言われ慣れていないので違和感があるのですよ」
「それではタスク様とお呼びしますね」
様も大袈裟だが、今はそれでいいか。
「仕事の話に戻りますが、今は魔物達が出てこないように制御装置とやらで制御中。探索する人が入れないように出入り禁止にもしているので、ダンジョン内には誰もいない。それで間違っていませんね」
「はい、今日一日は無人です」
「それを聞いて安心しました。ではまずは先ほど渡してもらった地図を参考に入り口から真っすぐ伸びる道と、その先の三叉路の右と部屋の中をやりましょうか」
地図を取り出し地面に広げ、指さしながら内容を確認する。
第一階層はかなり広いが、やれるところまでやってみよう。どんな依頼であれ清掃の仕事なのでプロとしてやり遂げなければ。
よっし、気持ちを入れ替えて必要な道具を選別するか。
「ポリッシャー、バキューム、高圧洗浄機、あとは発電機は必須か。あとはバケツとモップと水切りもいるか」
「これが地球の魔道具ですよね、電撃で動く」
異世界の道具に興味津々の様でレイピアとバックラーが覗き込んでいる。スピアはしゃがんで背中に隠れた状態だが、それでも頭が抜け出ているので余裕で見えるようだ。
「まあそうですね。これが電気を生み出す機械……道具です。それでポリッシャーというのは先端の丸いブラシが回って床を磨く事が出来ます。レバーを握ると洗剤……よく落ちる液体が出ます。バキュームは汚水を吸い込むことができる掃除機……箱です。高圧洗浄機はこの棒の先端から水が、ええと、凄い速度で飛び出します」
分かりやすく説明したつもりだが、半分も分かってないようだ。
実際にやって見せた方が分かりやすいか。
車から道具を降ろして、ダンジョンの入り口まで持っていく。
まずは発電機を起動させる。低騒音の物を選んだので静かなものだ。前に働いていた清掃会社の旧型発電機はうるさくて苦情が来ていたからな。
「どういう仕組みで動いているのかな。不思議な箱……」
寝ていたはずのロッドが枕を握りしめたまま、発電機をじっと見つめている。
……静かにしているのなら放っておいていいか。
「触ったりはしないでくださいね。止まってしまいますので」
小さく何度も頷いているので大丈夫だろう。
ダンジョン内部を覗き込むと外に面した部分なのでかなり砂が入り込んでいる。
なだらかな下り坂になっているので、これなら楽にやれるかもしれない。
「確か地図だと一本道の先に谷があって川が流れているのですよね。その上に橋が架かっている」
「はい、そうですよ」
「その川に汚水を流しても大丈夫ですか?」
「いけますよ。死体や糞尿が流れたりもしていますし」
そうかダンジョンにトイレがあるわけがないよな。
そっち系で汚れている場合も考慮しないと。
「じゃあ、まずは高圧洗浄機を使って入り口から奥に向かって、汚れを洗い流していきます」
高圧洗浄機はガソリンで動くタイプなので発電機は必要なく単独で動かせる。
最近は電気で動くのも高性能になってきているのだが、威力で比べるのであればガソリン式にはまだ及ばない。
業務用の巨大なバケツに水を入れようと思ったのだが、この世界に水道はないよな。
「あの、水は何処で汲めますか?」
「その容器に入れたらいいのですか。それなら私が」
レイピアが右手中指にはめている水色の宝石が付いた指輪をバケツに向ける。
「清らかなる水よ」
すると宝石から大量の水があふれ出し、バケツを満たしていく。
「これが魔法ですか。はーっ、便利なものですね」
俺にも使えないかなこの魔法。水が何処でも出せるなら、清掃がかなり楽になるんだが。
満タンになったバケツに高圧洗浄機の尻から伸びたホースを突っ込む。
そして銃のような形をした――ガンをしっかりと掴み、ノズルの先をダンジョンの床に向ける。威力を調整してからレバーを握ると先端から水が勢いよく噴出した。
「おおおおっ! 詠唱もなく水が!」
レイピア達が噴射される水を見て感嘆の声を上げている。
高圧の水は砂だけではなく砂利も軽々と吹き飛ばしていく。
「人に向けるのはやめてくださいね。これはかなり威力があるので冗談ではなく危険です」
家庭でも使う電気式であればそこまで危なくはないのだが、業務用の高圧洗浄機はシャレにならない。
初めて見る物への恐怖なのか、血の気の引いた顔で全員が何度も頷いている。
バケツは台車の上に置いてレイピアさんに押してもらい、高圧洗浄機の本体は力自慢のバックラーに頼む。重量はかなりあるが下に車輪があるので問題なく押せるはずだ。
そのまま地面や壁を水で流しながら緩やかな下り坂を進むと、巨大な空間が待ち受けていた。学校の体育館がすっぽりと入るような地下空間。
岩肌がむき出しで天井も高く、ダンジョンらしい雰囲気が出てきた。
ここが自然にできた物ではないと分かるのが足場の良さだ。地面が平らに均されているのは自然にできた洞窟ではない証拠のようなものだろう。
先は谷になっていて一本の頑丈そうな橋が架かっている。大人が横並びで二人なんとか歩けるぐらいの幅しかない。そして信じられない事に手すりが存在しない。
高所恐怖症気味の俺には結構辛いぞ。
谷を覗き込むと、ごうごうと水の流れる音が聞こえてくるが暗くて見えない。
ここは本格的に冒険に向かう前の休憩所らしく、ゴミも多く地面も汚れている。血の跡があるのは魔物から逃げて避難してきた者がいたのだろう。
「いやー、いい具合に汚れていますね。テンション上がりますよ!」
「嬉しそうですね?」
「ええ! 清掃の何が楽しいかって、それは汚れた場所をキレイにすることですよ! 本来は綺麗な岩肌をしている地面も泥や血やゴミで薄汚いじゃないですか。これを見違えるように綺麗にできたら。そう思うだけで楽しくなるでしょ」
同意を求めるように話を振ったのだが、全員が苦笑いを浮かべているだけだった。
うーん、理解してもらえなかったか。少し残念だ。
落ち込む時間ももったいないので、さっきと同じように水で床の汚れを飛ばし谷へ汚水を流し込む。
「おー、凄く綺麗になりましたね」
レイピアさんは喜んでいるようだが、物足りない。
こびりついた汚れが全然取れていない。ここはポリッシャー回してみるか。
一度ダンジョンの入り口に戻り、他の清掃機器と道具を持ってきた。
「このポリッシャーは先端が取り外せるようになっていまして、この円形のブラシに付け替えます」
デッキブラシを円盤型にしたようなブラシを取り付け、ポリッシャーの電源を入れる。
丁字のハンドルから伸びた先にモーターがあり、そこに取り付けられたブラシが高速で回る事で汚れをこそぎ落としていく。
先端が円形の電動歯ブラシを大きくしたような形と言えば分かりやすいだろうか。
洗剤を直接地面に撒きそこを入念に擦ると泡が立つ。それが汚れと混ざりあいどす黒い泡に変色するが、それがいい。汚れが落ちている実感がわく。
ポリッシャーで入念に洗っている最中に一旦手を止めて、高圧洗浄機の扱い方を三人に教える。
レバーを握るだけの簡単な操作なのだが、三人が譲り合い最終的に一番弱い立場のスピアが担当する事になった。
俺が洗った跡を高圧洗浄機で洗い流してもらうのだが、腰が引けた状態でガンを手にすると仲間に怯えた顔を向けている。
二人が「やれ」と身振りで命令すると、渋々レバーを握った。
「きゃっ! あ、あああ、あーあれ? これ少し楽しいです」
出初めは想像以上の威力にガンを落としかけたようだが、慣れてくると面白くなってきたようで嬉々として操っている。
泡を流し終えた床は壁際のランタンの光を反射するぐらい表面が輝いていた。
「見事なものだな。やはり、貴方に頼んで間違いはなかったようだ」
顎に手を当ててレイピアが感動している。
口調が変化しているな。本来の話し方はこっちなのだろう。
依頼主が満足している姿を見て、俄然やる気が増してきた。
そのまま地面を洗い終わり、水で全てを流すと汚れの下に隠れていた本来の地面が姿を現す。
濡れているので乾いたモップで全体を拭いて終了だ。
しゃがみ込み手で触れると固く光沢があり凹凸のないつるっとした手触り。
そこに俺は大の字になって寝ころぶ。
「何をしているのだ?」
「掃除を終えた床に寝ころぶのが好きなんですよ。綺麗にしたという自信がなければこんな事できませんからね」
「なるほど。私も試してみるとするか」
「じゃあ、あたしもあたしも」
「そ、それじゃあ、同じく……」
女騎士達も俺を真似て寝ころぶと天井を眺める。
付き合いのいい子達だ。
「ダンジョンで寝ころぶなんて初体験だが、悪くないものだな」
「うんうん、のびのびするねー」
「気持ちも大きくなった気がします」
このまま休憩したいところだが、まだ清掃範囲が残っているので休むわけにはいかない。
上半身を起こすと、川の流れる音に紛れて何かの音が聞こえた気がする。
音の方に視線を向けると橋の向こう側から、何かが走ってくるのが見えた。
「今日は誰もいないんですよね? 何か向かってきていますけど」
「えっ、そんな事は……みんな起きて!」
素早く体を起こした彼女達は地面に置いてあった武器を取り、橋の前に並んだ。
清掃機器を前にはしゃいでいた人達と同じとは思えない変わりようだな。
鋭い目つきにきりっとした表情。年頃の女の子ではなく立派な戦士がそこにいた。
橋の向こう側から迫ってくるのは無数の……化け物⁉
肌が茶色で一つ目で腕が三本ある猿のような化け物が、手に錆びた剣や鈍器を持って駆けてきている。その数は三体。
「この階層にいる魔物ではないぞ! タスク様は早く逃げてください! 私達では持ちこたえられないかもしれません!」
ホラー映画やゲームでよくあるシチュエーションだ。と頭が冷静に判断しようとする。
そういった映像は苦手な方じゃない。……でも、本物の化け物の迫りくる迫力は映像の比ではなかった。
足が震え、全身と心が怯えているのが自分でも分かる。
考える事で冷静なふりをしているが、逃げろ逃げろ、と心が警鐘を鳴らし、逃げる事だけで頭が一杯になっていく。
「バックラーは橋の前で構えて! スピアは敵を後ろに逃がさないで!」
「はい、隊長!」
「わ、分かりました!」
俺は召喚に巻き込まれただけだ。ここで逃げても咎められるいわれはない。
だが、しかし、自分よりも年下の女の子が勇気を振り絞って立ち向かっているんだ。
大人の俺に逃げるなんて選択肢は――存在しないよな!
巨大なバケツを確認して、量が減っている水に液体を足す。
高圧洗浄機のガンを手に取り、彼女達の前に立つ。
「何をなさっているのですか、タスク様! 逃げてください!」
「断る!」
勇気と声を振り絞り高圧洗浄機のガンを構えると最高の威力で発射する。
最高の圧力で飛び出した水が先頭を走る化け物の体に突き刺さる。
「グリギイイアアアア!」
着水地点から血が噴き出し、のけ反った化け物が悲鳴を上げる。
それもそのはず。この高圧洗浄機は最高の威力まで高めるとコンクリートも削れる威力がある。だから決して人に向けてはいけないのだ。
たが皮膚を削り辛うじて肉にまで到達しただけの様で、倒れてはいるが致命傷といった感じではない。
仲間を踏みつけて乗り越えようとした別の個体にも水を掛けるが、そいつは腕を交差させて懸命に耐えている。
橋が狭いとはいえギリギリ横を通る隙間はあるので、強引に身をねじ込ませて化け物が抜けてこようとしている。
「後ろに下がってください、タスク様!」
「大丈夫だよ」
自信満々に返した俺の前で盛大に魔物が転び、それに巻き込まれた残りの二体が一緒に谷へと落ちていった。
「「「……はあっ?」」」
この展開についていけない三人が呆けた顔で俺を見ている。
「あっと、今は橋に近づかないでくださいね。かなり滑りますから」
化け物が落ちた理由は単純で、さっきバケツの中身を確認する際にポリッシャー用の洗剤を入れた。ただそれだけ。
高圧洗浄機から洗剤の混ざった水を飛ばし、滑って転ばせた。
説明するのも恥ずかしい単純な方法だった。
「それで掃除はどうします?」
「ぷっ、あはははは。今日は帰りましょうか。予期せぬ魔物が出た事も報告しないといけませんから」
軽いノリで声を掛けると彼女達は微笑み、異世界での初仕事が終わった。
最後まで足が震えていたのがバレなくて助かったよ。
その後、報酬を貰った後に自宅のガレージに帰還した俺は大きく息を吐く。
全てが夢幻だった。そう思いたくなるぐらいの経験だった。だがそれが偽りの記憶でない証拠が手元にある。
金貨が入った袋を手に取ると、ずっしりと重みがあった。
「でもこれ、どうやって金に換えるんだろうな」
貰ったのはいいが、そもそもこの世界の物ではない。貴金属や宝石の買い取りもしている現代の質屋みたいな所は知っているが、持っていっても偽物として扱われそうだ。
「まあ、異世界の記念として残しておいても悪くないか」
一生に一度の貴重な体験をさせて貰ったんだ、家宝にするのも悪くない。
風呂に入ると体と精神の疲れがどっと出て、一気に襲ってきた睡魔に身を任す事にした。
今日の経験があればこれからの辛い道のりも笑って乗り越えられる。そんな気がする。
次の日の朝、車に乗り込み、顔見知りの大手の清掃会社や同業者へ挨拶まわりに行くことにした。
夢のような世界は昨日で終わりだ。俺はこの世界で現実と向き合わなければならない。
「改めて、クリーンツバサの仕事を開始します……か?」
エンジンを掛けようとした俺の視界が光で埋め尽くされる。
嫌な予感がしたが、咄嗟に閉じた目を開けるとそこは……昨日見た景色と同じダンジョン前だった。
そして昨日のメンツが並んでいる。
「あ、あのう。清掃の仕事は昨日ちゃんとやって終わったはずですが」
「何を仰っているのですか。約束は一か月ですよ。今日も頑張ってダンジョンを磨きましょう!」
夢だと思った異世界清掃生活は、まだ始まったばかりらしい。
扉を開けて地面に降り立つと、大きく息を吸った。
「異世界でのお仕事始めますか!」