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1,3

 転機が訪れたのは、三年生になったときの選択科目だ。私は国語を選択していた。そこの履修者に佐井くんも入っていたのだ。

 正直にいって、選択国語はかなり自由度の高い科目だった。選択科目にテストはない。成績評価は出席と授業態度、課題、最終日の提出物で決まる。けれど選択国語は最終日の提出物だけで判断されていたように思う。出すものは、国語的なものならなんでもよい。例えば、自分で買ってきた国語系のドリルとか、読書感想文とか、はたまた自作の詩や物語であるとか。

 完成形でなくてもいいということなので、当然多くは友達同士でおしゃべりをする。先生は我関せずというように、自分の書類仕事なんかをしている。冷静に考えて、受験生にこの内容はすごいよなあと、大人は感じるのかもしれない。

 授業場所は図書室。しかも授業時間内は資料を好きなように使っていいと先生のお墨付き。私は授業中に本を好きなだけ読めるなんて素晴らしい!と思い、迷わず第一希望にした。ただ、履修者の大半は勉強が苦手な人、不良扱いされている人、不登校気味の人だった。受験に身を入れたい人や、私みたいに一人勉強したいタイプの人は補習授業のような感じの選択科目をとっていたようだ。場違いな感じはひしひしと身に染みた。

 私はまだいい。一人で好きな科目をとったのだし。でもこんな混沌とした空間に佐井くんがいる。他の運動部エースメンバーと同じように、体育をとってそうなのに。しかも、佐井くんと特別仲のいい感じの人は一人もいない。選択希望に漏れたか、一人でとったか。そんなわけで、周りからはものすごく意外に思われていたようだった。

 そのときクラスは離れていたけれど、図書室での席順は、たまたま近いところになった。同じ六人掛けテーブルの斜向かい。先生から見て左から二番目の列、前から四番目が私、羽瀬川紗菜の席。一番左の列の、一番後ろの席が佐井たすくだ。同じテーブルに女子は私だけだった。視線がいくつか突き刺さってきたけどどうしようもない。先生が最初から指定したので不可抗力だ。

 初回の授業だった。先生が授業の説明をすると、みんな嬉しそうに友達同士で話し合う。授業開始五分でがやがやとし始めた。限りなくフリーダムだ。授業教室と離れているので、先生も咎めない。私は席をたって本を探しにいき、佐井くんも同じようにした。

 同じような棚を見るけれど、話しかけたりはしない。よさげな本を見つけ、一足先に戻った。

 ―‐違和感があった。空いているはずのところが空いていない。私の席がとられている。友達同士でおしゃべりしたい男子に占領されてしまったのだ。私にあてがわれた席に今いるのは不良に片足を突っ込んでいる人なので、そこをどいてというのは怖い。

「…………」

 私は立ち尽くすしかなかった。

「そこに座ったら?」

 いつの間にか近づいてきた佐井くんは、こともなげにそう言った。『そこ』は佐井くんの向かいの席だった。

「大丈夫、休んでる人の席だし、羽瀬川さんの席とられてるし、先生も多目にみてくれるよ」

 そう言い残すと、先に席についてしまう。確かに、いつまでも突っ立っているわけにはいかない。私はおずおずと、佐井くんの向かいに座る。持ってきた本を置き、筆箱とノートをすすすと移動させた。

「あれ、佐井、おまえ本なんか読むの?」

 私の動きに気づいて、ワックスでつんつんになった髪の男の子が大声で聞く。

「そうそう、いまさらハリポタ読みたくなったから、読めるだけ読む!だから俺に話しかけるの禁止なー」

「おー、でも俺らはこっちで勝手にしゃべっとくけどな、うるさいっつうのはナシな」

「おっけおっけ!」

 佐井くんは瞬く間に、自分が干渉されないようにしてしまった。大きな声だったので、女の子達にも聞こえたはずだ。こっそり様子をうかがうと、立ち上がろうとしていた女の子が座り直している。佐井くんに話しかけに行こうとしていたのかもしれない。私はその子達に背中をむけて座り、端っこに座る佐井くんと向かいあった。

 佐井くんはハリー・ポッターのハードカバーを開きつつも、ノートを広げている。シャーペンを振って、迷いなく書き出した。

 なにを書いているのだろう。私は自分の持ってきたノートと本を開くのも忘れていた。

視線が気になったのかもしれない。佐井くんは顔をあげた。

 正面の人物は表情を変えずにノートをくるりと回し、無造作に置いた。今までの作業に興味を失ったように、ノートの中身が私に見えるのも気にせずに本を読み始める。見えたページには、人名と簡単な紹介が書かれていた。

 おそらくは、オリジナルの。佐井くんが考え出したキャラクターの設定。

「……」

 声に出そうとして、やめる。

 私も自分のノートを広げシャーペンを取り出した。できるだけ急いで、でも丁寧に書く。

『小説をかくの?』

 同じようにノートを回転させて、相手に見えやすいようにする。

 気づいた佐井くんは、小さくうなずいた。

『読みたいなあ』

 本を片手にノートに走り書き。

『今度持ってくるよ』

 相手も同じように返事を書いた。

 見た瞬間に口角があがるのを感じた。きっと佐井くんは、お世辞やその場限りの調子のいいことじゃなくて、本当にそうしてくれるから。

『約束ね』

『でも、羽瀬川さんのも読みたいなあ』

『!?』

 次の言葉がくるまでには時間がかかった。向こうがそれだけ長く文字を書いていたから。

どういうことだろうと、どきどきしながら続きを待った。

『読んだら本の世界に没頭できる。でも、書いたら自分で世界を作れる。世界をつくれるって、面白いと思うよ。たくさん本を読んでるから、はせがわさんは面白いのが書けると思う』

 私はどんな顔をしていいか、わからなかった。どんな返事をしていいのかも。

 話が終わったとみたらしい。佐井くんは、雑談の名残があるページをめくり、新しいところから物語を書き始めた。

 誰にも邪魔されることはなく。私だって、邪魔なんてできるわけはなく。


『ランプを持った無垢でないこども』 羽瀬川紗菜

小学生のアイは、世界を危機に陥れている魔王と立ち向かう勇者に選ばれた。

年上の仲間とともに、魔王の正体を暴いていくところから始めるアイ。

魔王は着実に世界を征服している。魔王の正体は複数人か、かなり頭のいい人物だと予測されていた。しかし、世界が恐れた魔王は、アイと年の変わらない男の子だった。


『魔王のキャラがいい。これからどうなっていくか楽しみだから、続き待ってる!』

 返ってきたノートには、このように書かれたルーズリーフが挟み込まれていた。ちらりと正面を見ると、あいもかわらずにこりと笑う。

 黙って挟まったルーズリーフを取り出して、シャーペンを振った。

『佐井くんの話の方こそ、すごく読みやすくて心にすとんってくる。早く続きが読みたい』

『ありがとう…。じゃあ、早く続きを読むためにも、お互い書きますか』

『うん』

 私はルーズリーフをしまい、ノートを広げた。

 相手も同じく。

 ――私は本を読むことが、三度の飯より好きだ。それを誉められたことはあまりない。もっというと、こういうのができるんじゃないかとか、前向きな言葉を言ってくれた経験もほとんどない。だから、佐井くんの言葉についその気になって、自分にも物語が書けるんじゃないかと思って、気合いを入れて書いた。

 書いたものを佐井くんに見せたら、こんな風に感想をもらった。

 率直に、嬉しかった。

 さて、書こうと言い出した本人は、新しいルーズリーフを取り出している。

罫線を無視して文字を書く様子を、私は見守った。

『俺、しばらく最後の大会で忙しくなるから、続き遅れるかも』

 すっと差し出されたので、私は紙を手繰り寄せた。今年の男子バレーボール部は強い。いいところまでいけるんじゃないかともっぱらの噂だ。余白に自分の気持ちを書き込む。

『そうか、最後の大会、応援してるね!』

 目を見てにっこりとした佐井くんは、任せろと言っているみたいだった。

『だから、次の選択までノート持っといて。今日いっぱい書いとくから』

 反射的にOKを出そうとして、はたと気づく。

『じゃあ、私のノート、代わりに持って行って。そうしないと、出ていくとき手ぶらになっちゃうでしょ?』

 私は真新しいノートを一冊見せた。今のノートに書ききれなくなったときのために、予備のノートを持ってきていたのだ。変に注目はされないようにするのは心得ている。ただでさえ目ざとい人が多いのだから。私たちはお互いに小さくうなずく。そして、雑談を書いた紙を佐井くんは回収し、今度こそ書き物に集中した。

 無言で三十分以上。集中していたらあっという間だ。時間を見計らって佐井くんがアイコンタクトをした。授業終了のベルが鳴る前に、ノートをさりげなく交換する。色とデザインがおそろいの、そのあたりで売っている安物のノート。どちらも表紙は無記名だ。見た目が同じなのだから、入れ替わっても不思議じゃない。

 中をちらりとみると、そこにはのびやかな文字が並んでいた。

 佐井くんの痕跡だ。

 ベルが鳴って、挨拶もそこそこにみんなが図書室から出ていく。佐井くんもやんちゃな人たちと一緒に出ていった。

 私は最後に出ていくことにして、交換したノートをもう一度見た。ふと、プリントが挟み込まれていることに気づく。大事なものだったら大変だ。

 選択科目は週一。提出物を持っていたら佐井くんに迷惑がかかる。早く届けないと。

『今日もお疲れ様!この授業ほんとに息抜きだわ。いつのまにか受験生になったけどさ、高校どこ行くの?』

 慌てて中を確認すると、そんなメッセージが書きつけられていた。裏返すと、英語の設問が書かれた面には大きくばってんが書かれている。……余りプリントに書かれたメッセージは、私宛だろうか。

 面と向かってしゃべれない分、私たちはこうして文字でやりとりしている。授業のときの雑談以外にも増えるのは、楽しみが増えた気がした。

 返事は家で書くことにして、私はノートを抱き締めて、教室に戻った。


『部活お疲れ様。香月高校の普通科で考えてる。もうすぐ模試もあるもんね。移動図書館も行けなくなるかなあ』

『香月か~。って、めちゃかしこいとこじゃん!はせがわさんなら余裕じゃない?こっちもそろそろ考える。ってわけで今度の移動図書館でもまたあおー(。・ω・。)ゞ』

『男バレ県大会突破おめでとう。このまえの移動図書館、あんまりおすすめ本言えなくてごめんね。佐井くんの書く話は、すごく優しくて、読んでてあったかくなる。もしかして、児童書とか絵本とか小さいころよく読んでた?』

『ありがとう!れんしゅーきつくなってすげーねむい!でも、はせがわさんの話読むの楽しい。こっちも続き、ちょっとずつでも書くから!あ、絵本とか児童書だけど、小さいときけっこう読んだ。っていうか、児童書は今も読んでる(笑)。ちょっと年のわりにあれかな?でも、できたら今度その話したい』

『部活動、大変だね。児童書の話、楽しみにしてる 』

 ノートの交換は選択科目のたびに続けた。そのたびに手紙みたいなやりとりの文章は更新されていった。

 でも。続きをかけないまま、紙に書いたやりとりは止まっていた。

 雨はあがって。部屋の中は蒸し暑くなっていた。何度も読んだ雑談のプリントは、触りすぎたからか角が薄くなっている。

 誰もいない部屋で、ノートを見て。何回繰り返しただろう。そんなところに、インターホンが鳴った。

 息を殺す。玄関前は物音ひとつしない。壊れたのだろうか?いや。間を開けて、もう一度鳴るインターホン。誰かが扉の前にいる。私は存在感を極限まで消す。訪問者が諦める気配は感じない。

「…………羽瀬川さーん」

 いらつきが滲まない声。懐かしい声が聞こえてきた気がした。

 聞き間違い?

「羽瀬川さーん」

 おずおずと、玄関に近づいていき、木製のドアを開ける。

 ぎい、という音とともに、ひゅうっと風が入ってきた。

 帰りかけようとしていた訪問者が、振り返った。夏服の白いシャツがまぶしい。

 ないとは思いながら、そうだったらいいと思っていた人だった。

「羽瀬川、さん?」

 振り返った顔は、いつもと違っていた。

 戸惑って、いたのだと思う。

 出てこようとしない私に。

「佐井、くん、どうしたの?」

「……あ、選択科目のノート提出、学期末だから、出さないといけなくて、確か羽瀬川さん、僕の持ったままかなって」

 復活した低いコミュニケーション能力は、佐井くんにも伝染したのかもしれない。いつもの朗々とした感じではなく、どことなく歯切れが悪かった。

 そういえば、もうそんな時期になっていた。日付感覚が狂っていて、思い出すまでにしばらくかかった。

 もしかしたら、課題の締め切りが今日で、今日中の提出を命じられたのかもしれない。一度家に取りに帰ってこい、とか言われていたりして。生徒間で『忘れました』なら怒られて『持ってくるのを忘れました』ならあまり怒られないことが発見されて以来、先生たちも対抗策をたてていた覚えがある。

「……ごめんね、持ってくる」

 私は返事を聞かず、奥に引っ込んだ。借りっぱなしのノートに少しだけ文章を追加して、急いでとってかえす。

「長い間ごめんね、ありがとう」

 ドアの隙間からノートを差し出すと、佐井くんの瞳が揺れた。ゆっくりと受け取ろうとするが、その手がとまる。

「…………羽瀬川さんの、ノートは?」

「……え?」

「え、じゃないよ。三週間も学校休んで。期末テストも全然来なかったんじゃ」

「……佐井くんには、関係ないよ」

 これ以上は踏み込まれたくない。私にしては珍しく、はっきりと拒絶した。

 隙間越しに見た瞳は揺るぎない。

「関係、あるよ」

 それは、あなたが、困っている人を放っておくことができないからだ。私が本をぶちまけたとき、さりげなく助けてくれたみたいに。

 あの目を見てしまえば、石にはならなくとも、自分の姿がさらされて、暴かれているようで。

 だめな自分を突き付けられているようで、逃げたい。

「…………ごめん、帰ってほしい。家族が帰ってくると、いろいろとうるさいから」

「ちょ、羽瀬川さん?」

 ノートをむりやり押し付けて、ばたんとドアを閉める。

 ドアの向こうにはしばらく人が留まっていたけど、諦めたように離れていった。ぼろぼろのアパートに、ゆっくりとした足音が響く。私はドアから離れ、部屋へと引っ込んだ。

 そしてカーテンの隙間からこっそりと、外を歩く姿を探した。

 離れていく人は少しだけうつむいていたように見えたけれど、それはきっと気のせいだ。

 私は自分を省みて、ひとまずは着替ることにした。


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