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引っ越したこともあり、移動図書館に行かなくなってすでに何年も経っている。だけどきっと場所は変わっていない。私たちの思い出の場所は柑橘広場だ。
念のため、市のホームページを調べた。図書館の利用率が高いということをPRするポップを横目に、図書館のタブをクリックする。ーー予想通り。今日は移動図書館が柑橘広場に巡回する日だ。
立ち上がると体がふらつく。目も回る。こんな体たらくではだめだ。
私は水を飲んで、アルコール分の分解に努めた。何度もトイレに出たり入ったりをして、二回ほど吐いた。
胃液を垂らしながらトイレットペーパーを破る。急性アルコール中毒になってはいけない。動けなくなったら困る。
いつの間にか夜が明けていた。吐き続けで死にそうになりながら横たわる。実際死ぬかもしれない。それは私が望んだことだから、本来は喜ぶべきことだ。
そんなときに限って二通目のメールが届く。なんだろう、私がこんな状態だってことをどこかで見ているんだろうか。
ドーナツ屋さんで佐井くんが笑っていた。昔私が移動図書館を使い始めたころ、誰かに図書カードを拾ってもらった話をしていた。どうも拾ったのが佐井くんだったようで、初対面は中学じゃなかったんだね、という話になっていた。
あるいは、好感を持てるキャラクターの話。刹那的でひょうひょうとしている感じの男性キャラクターがわりと好きだというと、現実でもそんなやつがタイプなのかと半ば心配された。
私のほうばかり話していたっけ。
「羽瀬川さんは好きな人とかいないの?」
「いないよ?いきなりどうしたの?」
「女子の恋愛感情は女の子の実体験を聞いたほうが物語に落とし込めると思って」
そんなふうなことを言っていて、協力したくてもできないことを謝った。
気にしていない風だった。確かそのあと私も聞いたのだ。
「佐井くんは?」
――なんとも言えない。夢みたいな、記憶を都合のいいように書き換えたみたいな感じ。私は肘で体を支えながら起き上がった。音は響くしめまいもするが、いけないことはない。べたべたの顔を洗面所で洗った。
外出できる用意を整えて、インターネットで相模セナに関する記事を残らず集めて、頃合いを見計らって家を出た。いつのまにか既読マークのついていたメールを見る。内容はやはり変わらなかった。
ベンチシート型の座席の端に座り、壁に寄りかかりながら目的地へと向かっていた。悪くはないがよくもない、動きやすさを重視した服装だ。かばんには水を何本か突っ込み、途中で停車するたびに水を飲んだ。思い出すのは昔のことばかりだ。
佐井くんのお姉さんは、投稿サイトを皮切りに、中学生のときから同人活動を行っていた。平凡なペンネームだったけれど、確かな作品力で固定ファンも多かった。ただそれも、相模セナが注目されたことで、お姉さんの情報がネットに流出するまでの話だ。
お姉さんの本名は、控えめにいってもかなり特徴的だった。同人活動を周りに伏せて行っていたけれど、本名までばれたらすぐに情報は行き渡る。その影響で勤めていた会社を辞めた。作家名義のアカウントや、投稿サイトは全て閉じた。今ではすっぱり足を洗って、遠方で家庭を築いている。
インタビューで答えていた、イベントから離れざるを得なくなった二人のうちの一人は佐井くんのお姉さんのことだ。
私は私で佐井くんのおまけのように感じただけではない。瀬川みなせでばれるのなら、名前を変えて活動しようとしたこともあった。ただ、オークションで「モノクロランプ」の切り抜きが、私の作品をそぎ落としたものが売られているのをみて、なにかが折れてしまった。
もう、つくれない。必要とされていない。必要とされていなくても書こうと思える強さが私にはなかった。
私は物語を書かなくなったし、同人誌イベントにも行かなくなった。相模セナの本を読んで、かなわないと思うことで才能の差だと自分を言い聞かせた。
どうしようもなく悲しくて苦しくて。しんどかった。
書きたいのに書けない。私じゃなく、佐井くんが書き手だったら、もっと多くの人に受け入れられるような話になるのに。私の手で書かれたばっかりに、ごめん。物語に何度も謝った。
好きなのに嫌いなの。まぶしすぎて目が痛い。
こんな自分を見ないでよって。そして離れた。
でも本当は。
書きたい。読んだよって、伝えたい。誰か一人でも読んでくれるなら、私はその人のために書きたい。
私は佐井たすくに会いたい。だから、電車に乗って、昔住んでいた町へ向かっている。
車窓の景色はどんどん見覚えのあるものになってきて懐かしい。本を見た風景が昨日のことのようだ。
柑橘広場まであと少し。あのときみたいにまた笑えるだろうか。イベントでの一件以来、時間は止まってしまっている。それはひとえに私の怠慢だ。歩み寄ろうとしなかったのは私だから。まだ間に合うなら精算したい。時計の針を進めたい。ただ、会いたいだけだ。
会って話したい。こんな感情を今までどこに隠していたのかというくらい。私は自分を隠して生きてきた。
はやる鼓動を抑えてホームに降り立つ。
救急車の音がけたたましく鳴っている。それ自体は珍しいことじゃない。ただ、なんとなく鼓動が遅くなる。
――スマートフォンが震えた。ニュースの号外だ。
逃走中のとある犯罪集団と、それを追ったパトカーのカーチェイス。
終着点は、人が集まる場所へ突っ込んだ死亡事故。場所は柑橘広場だった。
死傷者の中には、相模セナも含まれた。
足がもつれた、アスファルトのざらついた感覚が着衣越しに伝わる。
たっていられない。アルコール?それとも。
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タイトル 「私が続きを書かなければ、あなたは生きてくれますか」
本文
羽瀬川さん
佐井です。久しぶり。メールが届いてよかった。
別送の添付ファイルは、表に出していない原稿です。
読んだのは羽瀬川さんが最初。
なんでそういうのを送ったのか。
もしかしたら、疑問に思うかもしれない。
あれは羽瀬川さんに読んでほしかったから。羽瀬川さんに読んでほしいために書いて送った。
内容には、あえて触れない。
なんで送ったのか。
僕は羽瀬川さんに生きていてほしかった。それだけはわかってほしい。
今でもそう思っている。
「私が続きを書かなければ、あなたは生きてくれますか」は、僕の言葉でもある。
僕が作家デビューするきっかけになったイベント、覚えてる?
あのとき僕は「僕が続きを書かなければ、羽瀬川さんはそばにいてくれる?」って聞いた。
「ごめん、できない」って言われたね。
呆然としてた。どうしてって思った。でも当然か。
侮辱していたも当然だから。あのとき傷つけて、本当にごめん。
謝るの、今更すぎるけどね。
ツイッター、たまに見てる。最近の羽瀬川さんを心配に思う。
中学のとき、マンションの34階。本気だったよね。あのとき止めて、本当によかったのか、正直悩むんだ。
止めたのは、僕のエゴじゃないかって。
僕は生きていてほしかった。羽瀬川さんに。本の話がしたかった。それ以上に、羽瀬川さんといることが楽しくて。たぶん、あのときから、好きだったんだ。
同じ高校や大学に行けるように志望校を聞いたり、本の話、できるように忙しくてもちょっとずつ読んでいったり。そういうことをした。
本の話を楽しそうにする羽瀬川さん、すごく幸せそうに笑うんだよ。知らないでしょう。
だから、いま、本のことで苦しんでいるなら、僕はそれがつらい。
好きなものを好きじゃなくなって、きらいになるって、ほんとうにつらいと思うから。
だから、また、羽瀬川さんに聞きたい事がある。
僕が作家でいることをやめたら、あなたの苦しみは晴れますか。生きていたいと思ってくれますか。僕がそばにいることを、あなたは許してくれますか?
あなたを好きでいることを、対等に感じてくれますか。
できたら、返事を聞かせてください。
柑橘広場で待ってる。
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目が覚めると、病院のベッドの上だった。どうやらアルコールの影響で意識を失っていたらしい。
病院内はあわただしい感じがする。きっと柑橘広場での死傷者を受け入れていて忙しいのだろう。一人むくりと起き上がる。病室には誰もいない。
私はスマートフォンを片手に、ふらりと病院内を歩いた。たわむれに画面を開いても、メールの中身は変わらない。インターネットに接続すると、相模セナは意識不明の重体だというニュースが出ていた。発信は数時間前で、続報はない。
なにが変わった?
アルコールがまだ残っているのだろうか。少しだけ歩くのに疲れた。メーラーを起動して書こうにも、うまい言葉が見つからない。
それに。私がこれはという文章を完成させたとして。読んでもらうことはできるのだろうか。書く意味はあるのだろうか。
言葉にすると、やっぱり何かがなくなってしまう。伝えきれないと思うと冗長で、削りすぎると捨てすぎたかと思う。
タイトルだけはすぐに入れた。肝心の本文は、なにを書いていいかわからなかった。
『私の気持ちを伝えたら、あなたはそばにいてくれますか
私は生きると誓うから、あなたは書いてくれますか』
=了=




