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3: 添付ファイル



『未完の原稿』佐井たすく


『私が続きを書かなければ、あなたは生きてくれますか』

 このフレーズが頭の中に浮かんだのは、あなたが死にたいと言ったときだった。


「落としましたよ」

 私が黒い財布を手にそう声をかけると、猫背気味の落とし主がびくりと振り返る。オーバーじゃないかなと思うくらいに。けれど、態度には出さずにおいた。できることなら、無用な厄介ごとは呼び込みたくない。

「ありがとうございます……」

 財布を受けとると、消え入りそうな声でお礼を言われた。振り返った人は、全体的に毛髪量が多い。長さは顎までのショートカット。前髪も長いが、声の調子からすると男の子とみて間違いない。ぺこりと頭を下げて、渡した財布を握りしめ、歩いていく。

背格好から察するに、多分、同い年くらいなんじゃないだろうか。

 このあたりに住んでいるのだったら、同じ中学のはずだ。けれど見覚えはない。もしかしたら、相手は私立に通っているのかもしれない。はたまた、近くにある祖父母の家に帰省してきた孫だとか、ただの通りすがりとか。ここは駅にほど近い道路だから、住民ではない可能性もなくはない。

 私はそんなことを考えながら、移動図書館をあとにした。春先のことだ。

「ただいまー」

 家に帰ってみると、玄関先に洗剤のギフトボックスが置いてある。自分用に買う代物じゃない。

「お歳暮?お中元?新聞の景品?」

「季節も違うし景品は違うよ。お隣さんが越してきた挨拶」

「へえ」

長いこと空き家だったところにそのまま引っ越してきたらしい。

「あなたと同じくらいの子がいたわよ」

「ふーん」

 豆情報に生返事をした。

 洗剤よりもジュースのほうがよかったな、と心のなかでケチをつけることのほうが大事だったのだ。

 それに、隣の家の子供のことをそこまで重要視していなかった。大人が言う「同じくらい」は、誤差がある。予想と現実が二~三歳くらい違うのはざらだ。もしかしたらその人は大人びた小学生かもしれないし、童顔の高校生かもしれない。

 そうなると、実質関わらず、関係なんてない可能性が高い。だから母親の話を聞き流していた。

 頭の片隅に情報をやりながら、二階に上がる。自室に入るやいなや、本をどさりと床に置き、伸びをする。南向きで日当たりのいい部屋に埃が舞った。静かな環境で読書としゃれこもうとしても、どたばたと隣から音が聞こえてくる。引っ越しのあれこれで荷物を動かしているのだろう。

家は角地にたっている。私の部屋は道路側ではなく隣家に面していた。

 自分の部屋の窓から、隣の家の様子を見る。いや、見えない。曇らせている加工があることをすっかり忘れていた。これがなかなか優秀で、外の明るさくらいしかわからない。相手側からも、カーテンの色や人影くらいしか見えないはずだった。

 出窓というのだろうか。建物自体は密着していないのだけれど、窓と窓の距離は近い。家庭用の脚立は向こう側にかけられるくらい。頑張れば不法侵入もできなくはないほどだった。これは換気で窓を開けるのは注意しないといけないか。

 でも、今様子を伺うには開けてみるしかない。

 どんな人が来たのか。ただの好奇心だった。

 ……そろりと窓を開く。思わぬ人と再会した。

 ああ、さっきの人だ。窓を開けはなして、積みあがったダンボール箱もそのままに、床に腰を下ろして一心不乱に本を読んでいた。引っ越し準備はどうした!とか、優先順位はそれか!という突っ込みは、向こうの家族が見つけたらしてくれるだろう。私はするつもりはない。

 本を読んでいるその人は、とても幸せそうだった。つまらない小言で壊すことはできない。

 ただ一つだけ、荷解きをした形跡がある。部屋の壁には学ランがかかっていた。……うちの母親情報と目利きは、信頼性が高いということを覚えておこう。案外関係なくないことはなさそうだ。かかっていた学ランは、ぱっと見では私が通う中学の男子制服なのだから。


 隣の家に越してきた一家は表札をかけていなかった。母親情報では、稲垣というらしい。

そこの一人息子は、新学期、進級と同時に私の通う中学に転入した。しかも同じクラスだ。私は向こうを覚えていたが、あちらは私が財布を拾ったことを覚えていないらしい。きっと目を伏せて、こちらの顔を見ていなったからだ。

 まあ、それはいい。家が隣でクラスも同じなんて、なんのフラグ。少なくとも、まわりから茶化される面倒な部類の情報は漏れないに限る。幸いこのことを知っているのは、住所を見ることができる先生を除けば、生徒では私一人だろうから。

 私はクラスの力関係を吟味しながら、誰にでも分け隔てなく接していった。一方、稲垣はせっかくキリのいい時期の転入だというのに、活かしきれていない。

 正直な話、稲垣はクラスにあまりなじめていないようだった。決してクラスメイトに恵まれなかったわけじゃない。人付き合いの方法がうまくないというか。いつもびくびくしている。警戒感が半端ない。人と話すのもつっかえつっかえ。受け答えはこれでいいのだろうかという風に、常に迷っている。先輩に対してならわかるけど、同級生に対してもこれだから。まあ、浮いていた。

 周囲はいぶかしんでいた。そしてそれとなく距離を置き始めた。

 こっちが気を使わなければならないのはかなり疲れるから、というのが理由だろう。疲れる人間関係は、築いてもいつか破綻する。だったら、最初から作らないほうがいいと、そういう計算が働いたのだろう。まあ、疎まれながらも表だって仲間には入れない感じの、微妙なところ。根は悪くないので、暴力的ないじめに発展することはないかなと思う。

 はてさて、稲垣の性格があんななのは……、なんとなくわかった。

 隣の家からは、毎日のように怒声が聞こえる。

「死んでまえー」とか「くそばばあ」とか、「おまえの育て方がわるいんじゃー」とか。他にもいろいろある。家庭環境はよろしくないらしい。いや、非常によろしくない。隣近所のヒソヒソによると、父親はほぼ無職で、看護師の母親が家計を支えているらしい。ただ、家に妻がいないことが古い考えの旦那は気に入らず、夜勤帰りには妻を殴り、はたまた罵り、というところらしい。突き抜けた亭主関白、みたいな。磯野波平のいい部分をすべて引っこ抜いて、残った部分を強化した感じ。

 我が家でも両親の間でちょっとした問題になっていたらしく、私はノイズキャンセリング機能のついたウォークマンを買ってもらったほどだ。誕生日でもクリスマスでもないプレゼント。ラッキー、なのかもしれない。よっぽど耳に入れたくないやりとりなのか。一応名目はあったけど、無理やりつけたような感じだった。

 かくいう私は携帯音楽プレーヤーを手に入れて以降、隣家でなにかが始めると、すぐに音楽を聞いて紛らわすことが習慣になった。もしくは、特に夜はあまり音の響いてこないリビングで過ごした。すぐ近くの同級生のことは、見ないふり。

 稲垣の家は、町内会でも問題になっているようだ。あれだけ派手にしていたらそうだろう。学校でも、先生方の話のタネになっている節がある。まあ、隣の家だから、いろいろな音は聞こえてくるわけで。それが何かを蹴とばすようなものだったり、食器らしきものが割れる音であったりするのもよくあることだ。稲垣自体は決して悪い人ではないけれど。先生たちが家庭訪問を何度も行っているのは見た。たまに顔にアザを作っていたから、家庭内暴力?とか。十分ありえる。

 自分がそうでなくても注目されていたり、性格に起因してよく弾かれていたり。だからか、人と関わることが苦手なようだった。それはそうだ。詳しくはわからないけれど、家でぼろくそに否定され、ずっとネガティブな感情をぶつけられていたら、引っ込み思案にはなるだろう。人を信じられなくはなるだろうなとは誰だって考える。考えるけど。

 きっと本当の意味ではわからない。想像、あるいは推測するだけしか。

 家だけでなく、稲垣は、見る限りいつも本を読んで過ごしていた。学校では基本的に一人だった。それでも本を読んでいるときは、幸せそうだった。一人でいることを誤魔化すために本を読むのではない。純粋に楽しんでいるみたいだった。その証拠に、真剣な目でページをめくり、たまに表情を和ませる。人と話しているときにおどおどしているのに。本の世界に入っているときは、感情豊かだった。休み時間は人と群れていなくても楽しめるということの体現者。

 私は学校が終わった後、友達と遊びに行くか、そうじゃない日はまっすぐ帰る。一方稲垣は、放課後は図書室で時間をつぶしている。広く知られていないけれど、放課後の図書室は生徒が自由に使っていい。あまり人のいない空間で、リラックスして、心ゆくまで本を読んでいるのだと思う。

 けれど次第に学校を休みがちになって、夏休み前には不登校になっていた。

 学校ではずっと一人でいるわけにはいかない。班単位の掃除や、授業でのグループワーク。あとはいろいろな行事。どうやったって、一人で完結できないものはある。そのあたりが無理になったのかもしれない。

 ばたばたと朝支度をするときに、窓はお互い閉じたままだ。換気のために少しだけ開けて、様子をうかがってもやっぱり窓は閉まっている。人の気配は隣の家の子供部屋からは感じない。いるのかいないのか。

席は置いているから、まだあの家に住んでいて、生きてはいるだろうけど。

 部活に入っていない私は、夏休み中は暇をもて余していた。もっぱら部屋にいて、パソコンを触っている。だから気づいた。午後からは、稲垣の部屋の窓が開いていることが多い。部屋主の姿もしっかりと確認できる。午後から開くのは単純に暑いからだ、きっと。クーラーがあるなら別だけど、夏場の二階は窓を締め切って過ごすことはできない。私の部屋がそうなのだから。

 でもまあ、さすがにこっちも全開、とはいかない。着替えとかいろいろ問題がある。見られて困るシチュエーションは、異性だからこそ一定程度あるのだ。

 着替えたあとで、ほんの数センチ開ける。

 換気と涼を求めるためというのは言い訳だ。本当は部屋で一人本を読んでいるところを、私は自分の部屋からこっそりと見ていた。

 稲垣は本を読んでは眉間にシワをよせたり、ほのかに笑っていたりしてくるくると表情を変えていた。

 黒っぽいハードカバー。稲垣が持っているのは、いつも同じ本であるように見える。


「ねえ」

 二学期も始まってしばらくたった、ある土曜日の夕方だった。お互いの両親が外に出ているタイミングを見計らって、私は声をかけた。

 稲垣はトイレと風呂以外はずっと部屋にこもっているらしい。そして勉強するか本を読むかしている。たまに腹筋やスクワットをして、ごくごくたまにぼーっと座り、虚空を見つめている。観察を続け、行動予定はなんとなく把握した。計算ずくの行動だ。

 あちらはいきなりの声にびくりとして、きょろきょろとしている。主に背後を。

 違う違う。

「いや、幽霊じゃないから。こっちこっち」

 突っ込みを入れる私の声に、やっと気づいた。虚ろな表情でこちらをみて、稲垣はふらつきながらも立ち上がった。

 体勢を崩しながらも、なんとか窓際までやってくる。それはそうだ。そんなに同じ姿勢を維持していきなり動いたら、体がびっくりするわ。もしくは、運動不足による体力の低下か。

「水瀬、さん?」

 確認するかのように名前を呼ばれた。よれたシャツとジャージ姿で、髪の毛がぼさぼさだった。目の下には薄いクマ。見てくれは悪いけれど不潔ではない。中学生にして、稲垣は、世捨て人のようにも見えた。

「あ、名前覚えててくれた、うれしい!」

「……そりゃ、隣の家の、人だから……」

「そっか、表札かかってるもんね」

 私のボケにも、稲垣はのらない。

 ただ、窓は開いたままだった。人嫌い、というわけではなさそうだ。

「っていうか、私がここに住んでるの知ってた?」

「……なんと、なくは」

「だよね、名字がそうだしさ」

 私の言葉に黙ってうなずく。

「もしかして、放課後図書室にいたりした?」

「う、うん」

「そっかー、私帰宅部だけど、一回も帰り、一緒にならなかったもんね」

 私の予想は当たっていたらしい。そりゃあ、家にいるよりかは学校にいるほうが気が休まるのかもしれない。できたら一人で。

「ねえ、本好きなの?」

「あ、うん」

 聞いたことには応えてくれる。会話の方法が下手なだけ。人と話す方法を習得するのが遅れてしまっただけだ。簡単なのは、相手に話してもらうこと。どんどん相手に話をふればいいのだ。質問とか。

「けっこういっつもおんなじ本読んでない?」

「え?」

 警戒した白目が私を見る。やばいと思ったときには遅かった。

 そうだ、いつそんなのを見るというんだ。稲垣はもう不登校になっている。本を見ていると知るのは家しかないじゃないか。自分の部屋からのぞき見していたと自白したのも当然だ。

「水瀬さんって、変態……」

「違う違う違う」

「え、のぞき、え?」

「違う、いや違わないけど違う」

 稲垣は多少引きながらも、会話を打ち切りはしなかった。許されるかはわからなかったけれど。正直に話すことにした。

 音をたてて手を合わせる。

 パンっという音が反響した。

「……ごめんね!ここの窓近いじゃん。だから、換気してるときとか、けっこうそっちの様子見れるんだ。それでさ、いつも本読んでるなって。それで、見間違いじゃなかったら、同じ本、繰り返して読んでるんじゃないかなって」

「確かに、そうだね。ここの窓、近いよね。つい見えちゃったりとか……」

 納得してくれたことにほっとする。ただ、すぐにぷいと顔を背けられてしまった。

「……ごめん、部屋干ししてるやつ、どこかによけてくれると助かる」

 くるりと部屋を見渡すと。部屋に干していた下着が目に入る。私は窓だけでなく、カーテンも開け放していた。これでは部屋の様子がばっちり相手の窓から確認できてしまう。

「わわわわわ!」

 私は慌ててそれにタオルケットをかけて見えないようにした。

 そそそとみると、相手の耳が赤くなっている。

 それは、きっと、年相応だから、たぶん。きっと自然なことだ。稲垣のセリフいわく『つい見えちゃったり』したのだ。相手に悪気はない。私みたいに意図的に見ていた方がたちが悪い。

「あの、ごめん」

 がばりと頭を下げられた。

 まあ、見られたのは、あれだけど。

「う、ううん、たぶん不可抗力だし、気にしないで」

 下着だったので、セーフだと思いたい。これが着替えだったらきついけど。ああ、置き換えてたら私は大概なことをしてたんだなあと反省した。

 まあ、だからこの一件は、これから気を付けろというなにかからの警告なのかもしれない。

「ただ、ごめん。できたら見えちゃったこと、忘れてもらえると、助かる」

「わかった」

 忘れる努力をすればするほど忘れられなくなるということを耳にした気もするけれど、まあいい。

「それで、話の続き!同じ本、読んでない?」

 大げさに切り替えて、聞きたかったことをぶつける。稲垣は咳払いした。

「……うん、大体同じ本読んでるけど。気に入ってるから」

 しっかりとした返答に、新たな羞恥が混じる。

 たくさんの本を読むより、気に入った作家の本を繰り返し読むタイプか、と気づいたから。人が何を読むかはその人の自由だ。

「そっか……お節介しちゃって、ごめん!」

「ううん」

 キリもいい。それじゃ、と言いかけようとしたときだった。

「あの」

 呼び止められた。みるからに寡黙な稲垣に。

 素直に驚き。自分から話しかけるタイプじゃないと思っていたから。

「水瀬さんって。本、好きなの?」

「うん、好きだよ」

 即答した。降りる沈黙。

「……」

 話が終わりかな、と思ったら違った。

「……意外。運動できて明るくて、おしゃれで。読書とは縁がないと思ってた」

 心から思っていたらしい。口をぽかんと開けている。

 運動は好きだし、人と話すことにも抵抗はない。服装はそれなりに気を使う。それでも一人で本を読むことは好きだ。世の中の、運動できる人がバカ傾向というキャラ付けは控えてほしいと真剣に思う。

「うわー偏見だー」

「うん、偏見だね、ごめん」

 私のちゃらけたクレームにも、真摯に謝ってくれた。

 どんなことにも素直でまじめ。やっぱり悪い人じゃない。

 そんな稲垣は、手に本を持ったままだった。

 黒っぽい装丁で、あまり見たことがないものだったから純粋に気になった。

「今は何読んでるの?」

「コーネル・ウールリッチ短編集。推理小説で、面白いよ。だいぶん昔のだけど、トリックが色褪せないからこれから先も読めると思う」

 人と話していなかったからか。かすれかけていた声は、ややハリを取り戻している。しかも饒舌だ。

 さらに稲垣は表紙を私に見せてくれた。黒っぽいしっかりとしたカバーには、白人男性と思われる写真が写っている。

「へえ…はじめて聞いた」

 素直につぶやくと、向かいの同級生は仕方ないというような笑みを浮かべた。

「やっぱり、コナン・ドイル、アガサ・クリスティ、モーリス・ルブランがメジャーなのかもね」

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