私の中ですとんと落ちた。
野洲さんが好き。たとえ振られても、どうなっても。もはやそれは動かしようがない。
はっきりとそう自覚した途端、切なくて苦しかったはずの気持ちが、すとんと私の中で落ち着いた。
仕事上の立場もあるし、なにより野洲さんは個人的に私になど興味はないだろう。
変に言い寄られてもきっと迷惑なだけ。
何度も何度も自分に言い聞かせて、野洲さんのことをあきらめようとしたけれど、それは所詮無理なのことなのだとあきらめがついた瞬間だった。
野洲さんが好き、野洲さんに近づきたい。
そう思ってしまうことは止められないし、止めようもない。
一度、そう認めてしまえば、思考はスイッチを入れたように切り替わった。
彼に迷惑にならないようにするなら、好きでいるのは私の自由。
行きつ戻りつする私の気持ちに、何とか終止符を打とうと躍起になっていたことが、私の中の苦しさの原因だったのだと、この時ようやく気が付いた。
ただ好きでいるだけなら、かまわない。
そう思えば、野洲さんの反応を自然と期待することはなくなった。
苦しさも減って、ただ、野洲さんと会社で会えればラッキー、一緒に仕事ができればラッキー、ちょっとしたプライベートなやり取りができれば、とってもラッキーと、そんな風に思うようになった。
無理して追いかけたりしない。ただ、私が勝手に好きでいて、野洲さんの姿やしぐさに癒されるだけ。
そうして少し落ち着くと、これまでの自分がいかに野洲さんと個人的に仲よくなりたいと切望し、野洲さんを追いかけていたかがわかってしまった。休日のちょっとした仕事のやりとりにかこつけてLINEをきいたり、野洲さんのSNSに友達申請したり。
野洲さんは来る者拒まずで、距離をとりつつも、誰に対しても親切だったから、私のそういった願いも受け入れてくれていた。時折プライベートのLINEを送ったこともあった。
すぐには返ってこないけれど、野洲さんのペースであたりさわりのない返事を必ずくれた。
思い返せば、随分と恥ずかしいことをしたものだ。野洲さんがそっけなくなってしまうのも、我ながら頷けてしまう。
私はこの時を境に、ただただ野洲さんに近づきたい衝動にかられて動いていた時期を脱し、きっと適度に野洲さんとの距離をとれるようになったと思う。
こうして私が心の中の葛藤と一つの決着をつけたころ、私は部署替えになってあっさりと野洲さんの下から外れてしまった。
でも、自分の状況をわかってしまったからか、思っていたほど、さみしさは感じなかった。
そして、適度に離れたからだったのか、会社から自宅に帰って、さて寝るかというころあいになると、時折野洲さんから他愛もないLINEが入るようになった。