行きつ戻りつ私の気持ち
私が野洲さんを好きになるのに、それほど長い時間はかからなかった。半年ほどよくぶつかった後だろうか。野洲さんがいると、自分のテンションが上がることをはっきりと自覚したのは。
恋心を自覚すると、野洲さんからますます目が離せなくなる一方で、野洲さんから向けられる視線に自意識過剰になる。
ちらちらと野洲さんを目で追ってしまうわりには、野洲さんと目が合いそうになるとふと逸らす、そんな毎日。
よく見ているからこそ、よりわかってしまう。野洲さんの私への親切は、単に後輩への親切なのだということが。
会社に入った女の子が上司に憧れるなんざ、少女漫画の王道。後輩だし指導係だから親切にしていたのに勘違いされた、なんてのは、よくあるネット掲示板の男性の相談。
今の私は、客観的に見れば、完全に勘違いの困ったちゃんに違いなかった。
そんなことはわかっていた。それに、私の恋心はおそらく外に漏れてしまっていたのだろう。野洲さんがなんとなく素っ気ないなという日も出てきた。
そりゃそうだ。野洲さんにしても迷惑なんだろうから。
それでも。
どれだけ気持ちを抑えようとも、野洲さんの一言一言に一喜一憂する日々。野洲さんが昼休みに出した話題が、私の好きなものと一致すると、それだけでその日1日が幸せだった。
今日は野洲さんとも飲めるといいなと思って参戦する飲み会。そんな日に限って野洲さんは一次会であっさり切り上げて帰っていく。野洲さんの背中を見送る時のがっくり感。
上がり下がりする心に疲れ果て、実りのない恋はやめるべきだと自分に言い聞かせる。
すこし距離をおき、がっくり来た時の脱力感をもう一度かみしめる。私の思いは報われはしないと今一度確認する。
期待などするから、傷つくのだ。
何度、私の心は行きつ戻りつしただろうか。
数年間、野洲さんへ、思いを寄せては返し、寄せては返し、出た結論。
それは、
どうしようもなく、私はやはり彼に惹かれるのだ
ということだった。
面と向かって振られても、きっと心のどこかで私は野洲さんが好き。この人が誰かのものになっても、やっぱり私は野洲さんをとても良いと思うだろう。
どうしようもない。この人は素敵な人だ。だから私は惹かれる。
この気持ちは認めざるをえない。
そう、あきらめがついたら、なんだか少し楽になった。そして、野洲さんにこの気持ちを押し付けない限りは、どんなに想っていようと自由なはずだ、とそう、自分に言い聞かせた。
少し切ない片思い。でも、それは、楽しいものでもあった。