ことのはじまり
おなじ場所にいて、同じことができる。それだけで嬉しい人がいる。
別にデートでもなんでもないけれど、その人が来るというだけで、ちょっとした集まりが嬉しい、なんてこともある。
五年前、入社したての私の教育係をしてくれた野洲さんは、あの頃からずっと憧れの人だ。
野洲さんは、一見、とってもクールに見える。あんまり自分のことは話したがらないし、プライベートは謎だらけだ。飲み会の席で、誰かが野洲さんに恋人はいないの?と聞いたら、いないと言っていたけれど、だったら、携帯のストラップについてるキティちゃんは貴方の趣味なの?と聞きたい。
五年前、私が入社したころ、野洲さんもやっと一人前になった頃だった。だから、野洲さんにとって、私がはじめての教え子。
少し指導を受けて、野洲さんが一兵卒としては抜群に能力の高い人だということは、すぐわかってしまった。
少し、技術者肌のところがあって、こだわりを持つと頑固だけれど、彼のそばで、彼の仕事を見るにつけ、私もこんな風にできたらいいのに、と何度も思った。
ただ、有能な人によくあるように、無能な私たちの気持ちやペースがわかってない。指示の出し方や指示を出すペース、教育方針なんかは、そりゃ、貴方だって何事もはじめてのこともあるもんね、と言いたくなる事が多かった。
だから、言ってやった。
野洲さんには簡単にできても、新人には難しい。
野洲さんのスピードなら今からでも間に合うが新人にはもう遅い。
野洲さんはなんとも思わないのかもしれないけれど、その言い方は劣等感を刺激するんです。もう少し、なにか言いようがありませんか?
おかげで、随分と野洲さんとは口論した。
野洲さんとの口論は気をぬく事ができなかった。自分の言いたいことを常にクリアーに、たとえ感情的になっても、どうして野洲さんに文句を言うのか、最初の目的は見失わないように。私は野洲さんと上手くやっていきたいのだと、野洲さんには迷惑をかけてばかりだが、私だって必死なのだと、伝わるように。だから、喧嘩した後はいつもぐったりだった。
でも、わかってた。そうやって、私が野洲さんにくってかかれたのは、野洲さんが、私の言った些細なことを、いつもきちんと覚えてくれていたからだ。
困った時に、雑談でぼやいたようなことなのに、気がついたら机の上に資料が置かれてたり、落ち込んでいる時に限って、課での飲み会を企画してくれたり。なかなか上手くできないプレゼン資料を、最後の最後までつきあって修正してくれたり。
よくよく考えれば、私は野洲さんに頭が上がらない。
皆がなかなか知りえなかった、本当は人に優しい人なのだということを、私はそばで働くことで、よく見ることができたのだ。
当初、私にだけかと、少々夢見がちなことも考えたが、野洲さんが実は誰に対しても親切で優しいのだということは、やがてわかった。
でも、それが単なる野洲さんの性質であっても、入社したてで不安だった私には、やはり、とても嬉しいことだったのは間違いない。
野洲さんが私には気がないとわかっていても、私はやっぱり野洲さんを好きになっていた。