桜神鬼神流
さて、朝食も食べ終わり、父さんは大学へ出勤し、母さんは買い物に行った。
僕は勉強でもやろうかと部屋に戻ろうとしていた。
僕はこの春から中学生になった。
小学生の頃の勉強は、はっきり言ってチョロかったけど
中学校の勉強は底が知れない。
そこで、毎日予習と復習は欠かさず行っている。
朝は弱いが結構真面目なんだよ僕。
それも、父さんみたいに頭良くなりたいからなんだけどさ。
「おい志狼」
じいちゃんに呼び止められた。
「今日は剣術の稽古はどうする?」
「そうだね、今日は他に用事もないし」
実は僕のじいちゃんは剣術師範でもある。
「桜神鬼神流」という流派の師範で、
武道が精神の鍛錬や一種の趣味の様になってしまった現代では数少ない
実戦的な剣術を教えている道場で、道場は自宅に隣接する一軒しかないし、
門下生はゼロだけど、剣の道に志した人達の中では
「桜神鬼神流師範 桜神 道玄」の名前はかなり有名らしい。
戦国時代から幕末にかけては桜神鬼神流の剣士が各地で功績を残したとかで、
桜神家はここらでは有数の名家なんだとか。
これが僕の父さんに婿入りを勧めたもう一つの理由。
じいちゃんには母さん以外に子供が居ない。
そのため、母さんが嫁ぐと桜神家の跡取りがいなくなってしまう。
そこで、父さんに桜神の苗字を名乗って貰う必要が有ったんだってさ。
因みに桜神鬼神流道場には腕自慢の道場破りがたまに訪れるんだけど、
全員じいちゃんが退けたらしい。御年七十にもなるのに、
とんだ武闘派おじいちゃんだよ。
そんなじいちゃんに僕は時間が有ると剣術の稽古を付けて貰っているんだ。
「じゃあ、お願いするよ」
「分かった。そうと決まれば道場へ行こう。四十秒で支度しな!」
そう言えば、この人も一緒に居間でラピ○タ見てたな…。
という訳で、僕は稽古を付けてもらうべく道具をとりに部屋への階段を早足で駆け上った。(流石に四十秒で支度は無理だった)
「ハァハァハァ…」
道場で僕は汗だくになりながら息を吐いていた。
稽古を一通り行い、今はじいちゃんと試合をしているんだけど、
如何せんじいちゃんが強すぎるんだ。
恐らく、じいちゃんは実力の一割も発揮していないんだろうけど、
僕の振り下ろした竹刀は殆ど受け流されてしまい、全然勝てる気配がない。
流石は日本中の名立たる剣豪たちを退けてきたスーパー高齢者だ。
「どうした?俊敏さが欠けてきておるぞ?」
じいちゃんは涼しい顔だ。クソッ…!
「そろそろ昼飯の時間だ。あまりチンタラ遊んでもおれんな」
時計を気にする余裕まで有るようだ。なんとも悔しい。
僕は再度竹刀を構え、じいちゃんに向かっていく!
「うおりゃあああああああああああああ!」
狙うのは面!あの涼しげな顔に一太刀叩き込んでやる!
「良い闘気だ…」
捉えた!これでじいちゃんに一矢報いれる…と思った次の瞬間、
「だが、…」
「なっ…!」
視界からじいちゃんが消えた!
「イライラしてちゃ、当たる太刀も当たらんぞ」
と、じいちゃんが言った。そして、僕の脇腹に強烈な重みがかかる!
「カハッ…!」
胴に竹刀が入ったと気づいた時には、僕の体は横に吹っ飛んでいた。
「ぐっ…」
起き上がろうとするが、じいちゃんが俺に竹刀を向けていた。
「儂の勝ちだな?」
「ああ、完敗だよじいちゃん」
この日は僕の記念すべき百連敗記念日となり、
同時にじいちゃんの百連勝記念日となった。
稽古を終えると、左の脇腹が案の定、アザになっていた。
僕とじいちゃんは着替えて、
母さんが買い物に行く前に用意してくれたおにぎりを道場で頬張っていた。
「やっぱり、おにぎりは筋子が一番だな!」
と、じいちゃんが言う。
「僕はタラコの方が好きだな」
「うむ、タラコも捨てがたいが、やはり儂は筋子だな。赤くて強そうだし」
じいちゃんの食の好みは味覚ではなく視覚によるらしい。
母さんは十個ほどおにぎりを作ってくれていたのだが、
運動後の僕とじいちゃんの食欲は凄まじく、あっという間に平らげてしまった。
成長期の僕はともかく、じいちゃんの食いっぷりは圧巻だった。
豪剣を生み出すには相応のカロリーが必要なようだ。
おにぎりを全部食べ終わって、
お茶を飲みながら家に帰ったらやる予定の宿題について考えていたら、
じいちゃんが、紫色の布にくるまれた1メートルほどの物体と
桐で出来た玉手箱のようなものを持ってきた。
玉手箱の蓋には「桜神鬼神流 指南書」と彫られている。
「志狼に見て欲しいものがあるんだ。」
じいちゃんはそう言って、まず紫色の布の包みを開いた。
「これは…日本刀?」
布の中から出てきたのは鞘に収められた日本刀だった。
「そうだ、これは桜神家に伝わる太刀、『赫月』だ」
じいちゃんは朝よりもずっと真剣な顔で僕に語りかけている。
「持ってみろ」
じいちゃんは僕の眼を真っ直ぐに見据えながら言った。
そのプレッシャーに促されるように、僕はその刀―赫月―の鞘を握った。
握った瞬間、手の平を通して強い力を感じ、危うく取り落としそうになったが、
鞘を更に強く握り刀を持ち上げた。
質量そのものは一キログラムにも満たないのに、
刀から言い様の無い「重み」を感じる。
日本刀なんて持つのは初めてだが、これは明らかに異様だと、そう感じた。
「この太刀は一体…?」
「重いだろう。それが生命を断つ重みだ」
そう語るじいちゃんの眼はどこか冷たさを感じさせた。
「鞘から抜いてみろ」
僕は柄に手をかけた。鍔と鞘とが触れ合い「チャキッ」という金属音が鳴った。
決して大きい音ではなかったのだが、その音は道場の隅まで響くようだった。
柄を握る手に汗が滲む。
ゆっくりと刀を抜いていくと、赫月の刀身が徐々に姿を見せた。
その刃は僕の顔を映しながら冷たく光っている。
赫月を完全に鞘から抜き出すまで、恐らくは数秒の出来事だったのだろうが、
僕には数時間にも感じられた。
「抜いたか…」
と、じいちゃんはやや訝しげに呟いた。
「この太刀は一体…何なんだ…?」
「それはこれから説明する。まずは赫月を鞘に収めろ。
今にもぶっ倒れそうな顔色してるぞ」
僕は赫月を鞘に収めた。
その途端、体から力が抜けて、その場にへたり込んでしまった。
じいちゃんは赫月をまた紫色の布にくるんだ。
「大丈夫か?ちと、無理をさせてしまったか」
そう言い、じいちゃんは僕にペットボトルのお茶を差し出した。
僕はそれを一口飲み、じいちゃんに向き直った。
「志狼、お前に教えている桜神鬼神流が
そこいらの剣道などとは全く違うという事はわかっているな?」
「うん、型や精神論のようなものは完全に取り払った、
究極の論理的かつ実戦的な剣術。それがじいちゃんが修めた桜神鬼神流だよね」
「うむ、では何故に桜神鬼神流が実戦での勝利を追求していると思う?」
「それは…」
言われてみると、今まで考えた事も無かった。僕は答えに詰まる。
「分からないか。正解はな『戦いを終わらせる為』だ」
「え?どうして勝利を追求すると戦いが終わるの?」
「戦は一度始まってしまえば、もはやどちらかが敗北するまで終わる事は無い。ならば、戦を最も早く収束させるにはどうすれば良いと思う?」
「…話し合う?」
「フハハハ!お前は優しいな、志狼。
だが、儂らのご先祖様はそうは考えなかったんだよ。
ご先祖様達は『敵に一刻も早く負けを認めさせる』事が最良だと判断したんだ。
つまり、相手が『絶対に勝てない』と判断しうる戦力が居て、
相手の最大戦力を一番最初に倒してしまえば、
最小限の被害で戦いを終結させられるってな」
「随分と乱暴な理論だね…」
「だが論理的ではあるだろ?
大概の場合、戦争で勝っても負けてもボロボロになるのは
双方が最大戦力を引っ張り出すまでの被害が尋常じゃないからだ」
「まあ、確かに…」
「その為に桜神鬼神流は、最強の剣術を創りあげる事を目標に、
これまで何百年もの間練り上げられてきた。
分かり易く言えば、核爆弾を独占しようって事だ」
「例えが物騒すぎやしない?」
「いや、実際に桜神鬼神流は単純な近接戦闘なら、恐らく地上最強だ」
じいちゃんがとんでもない事を言ったが、
実際に外国の総合格闘家が異種格闘技戦を申し込んで来た時も、
木刀一本で相手をのしてしまった事も有ったし、あながち冗談でもない。
「話を戻すが、その赫月は桜神家に代々伝えられてきた、いわば伝家の宝刀だ。
月下を赤く染める魔刀と呼ばれ、儂が生まれる何代も前から人を、
その生命を断ち、生き血を啜り続けてきた、深い業を背負った太刀だ。
お前が感じたプレッシャーはそれらによるものだ。常人なら触れる事も敵わん。
正直、お前が赫月を抜く事が出来るとは思わんかったぞ」
「どうして、そんな物を僕に?」
「お前の本気を見たかった。
普段の修行から、お前の剣にかける思いは感じていた。
それを疑う訳ではなかったが、不思議だったんだ。
何故お前はそこまで剣にかける?
赫月を抜刀出来たという事が、お前の覚悟や技術の高さを物語っている。
この世の剣術家の九割が恐らく鞘から抜く事は出来無いだろう。
そういう物なんだよ、あの魔刀は。
何の為に、お前はそこまで極められる?何がお前をそうさせる?」
じいちゃんは俺にそう問いかけた。強い、とても強い口調に促され僕は答えた。
「好きな子が…居るんだ」
「ほう…」
じいちゃんは訝しげな表情で俺の顔をのぞき込んだ。
「馬鹿みたいだと思われるかも知れないけど、
僕には今、好きな人が居るんだ。その子を護れる様になりたい。
僕の剣は、ご先祖様達みたいに平和とか大それたものの為じゃなく、
その子の為なんだ。笑っちゃうでしょ?」
「なるほどな…。」
じいちゃんは落ち込んだ様な顔をした。呆れられちゃったかな…?
「そうか…好きな人が…」
「じいちゃん…?」
「…良かったぁ!」
「え?」
表情が一転、じいちゃんは安堵の声を上げた。
「儂はな、お前が剣に快楽を覚えて
大量殺戮者になっちまうんじゃないかと心配でなぁ…
そうか、好きな人か…」
「何度も言わないでよ、恥ずかしいなあ…」
「恥ずかしがる事無いだろ~。良い事じゃないか!
好きな人の為に剣を振るう。カッコ良いじゃないか」
「テキトーだなぁ…」
「結局、人は平和だの正義だのみたいな『何か』よりも
『誰か』の為の方が強くなれるんだよな…。」
じいちゃんは悲しげに呟いた。
「儂はな、父親に『やれ』と言われて剣の道に――桜神鬼神流に志したんだ。
信念も何も無く続けてきた。
儂には才能があったようでな、見る間に上達していき、
歴代最強の一人とまで言われたよ。
それでも桜神鬼神流の『平和の為の武力』という考え方は
今ひとつピンとこなかったし、その頃の儂には赫月を抜く事が出来なかった。
そんな中で女房に出会った。お前のおばあちゃんにあたる人だ。
初めての恋だった。強くなりたいと思った。お前と一緒だ。
やがて儂らは結ばれ、桜子――お前の母さんが生まれた。
護りたいものが出来る度に儂は
『この子たちの為に今の平和を、未来を護りたい』そう思った。
お前が生まれた時もだ。
儂はな、お前たちの平穏な暮らしの為なら鬼にでも悪魔にでもなれる。
神とも戦える。」
「『平和の為の武力』…」
僕はその言葉を頭の中で反芻した。
「実を言うとな、儂の代で桜神鬼神流は終わらせようと思っていたんだ」
「どうして?」
「桜神鬼神流の創設から時代は流れ、戦の在り方は大きく変わった。
今や戦争の主力は銃火器だ。
引き金を引けば誰でも人を殺せてしまう様になってしまった。
人を殺すのが簡単になってしまった。
あってはならない事だが歴史はそのように動いた。
そんな時代において桜神鬼神流は必要なのかと疑問に思ったんだ。」
確かに現在の戦争は昔とは違う。覚悟も必要ない。
引き金を引くだけで誰でも兵士になれる。
現に子供が兵士として雇われている地域が今も有るという。
刀で渡り合うのは難しいだろう。
「確かに桜神鬼神流は強い。
だが、戦火の中においては無力に等しい。
今の世の中、刀一つで戦争を終わらせることは出来んのだよ。
これは桜神鬼神流の理念が時代に追いつけなくなってしまったということだ。
それにな、戦うための技術、
人を殺すための技術を後世に残したくなかったんだよ。
お前たち、若い世代には平和に暮らして欲しいからな。」
「じゃあ、じいちゃんは僕のせいで…」
「なに、お前が気に病むことはない。
儂もお前から剣術を教わりたいと言われた時は驚いたが、嬉しくも感じたよ。
儂が極めた桜神鬼神流を受け継ぎたいと、お前から言ってくれたからな。
しかも、それが好きな人を護りたいからってんなら、
これほど嬉しい事はない。」
「じいちゃん…。ありがとう、本当に。これからも稽古を頼むよ。」
「そのことなんだがな…。」
じいちゃんの表情が少し曇った。
「儂ももう老い先短いジジイだ。明日にもポックリ逝っちまうかもわからん。」
「そんなこと…。じいちゃんはピンピンしてるじゃん。
死ぬなんて考えられないよ。」
「考えられない事が或る日いきなり起こるのが人生だ。
儂だって女房と出会う前日までは一生独身でいるつもりだった。」
冗談交じりにじいちゃんは言った。
「今日はお前の覚悟を知れた。だからこれを託しておこうと思ってな。」
そして、じいちゃんは例の玉手箱を開いた。
中からは古文書のようなものが出てきた。
「これは桜神鬼神流を修めた者が代々加筆・修正を行って練り上げた、
桜神鬼神流の指南書だ。
儂も一部だが修正をしている。
桜神鬼神流は未だ完成しておらん、未完成の剣術なのだよ。
故に進化し続け、最強であり続ける。」
「これを僕に…?」
「ああ、お前は剣術において凄まじい才能を持っている。
その上、儂以上の努力家だ。きっと近いうちに儂の剣を超えるだろう。
そのお前だからこそ指南書を託したい。
お前なら桜神鬼神流を更なる高みへと導いてくれるだろう。」
じいちゃんはそう言うと僕に指南書を手渡した。
受け取り、表紙をめくってみると、
そこには図とともに字がびっしりと書かれていた。
「今日まででお前には桜神鬼神流の基礎となる部分は全て叩きこんである。
お前ならそこに書いてある内容が理解できるだろう。」
「うん、でもじいちゃん…。」
「どうした?」
「これってご先祖様たちから受け継いでるんだよね?
なのに、どうして現代の仮名遣いで書かれてるの?」
「儂が受け継いだ内容を元に書きなおしたからだ。実用的で良いだろ?」
「それなら、わざわざ和紙に筆で書いて古文書風に装丁する必要はなかったんじゃない?」
「そこは儂の趣味だ。剣術指南の書物なんだから、
こういうデザインで良いだろう?」
「まあ確かにそうだね…。」
「という訳で、今度からはその指南書を元に稽古をつける。
今までより、更に実戦に近いものになるから覚悟しておけよ。
それから指南書は絶対に門外不出だ。外部に漏れないように気を付けろ。
今までは蔵の金庫に保管していたから今後もそこに保管しておくことにする。」
僕の家の庭には蔵が有るのだが、その中に大きい金庫が有る。
でも、あの金庫って確か…。
「あれって開かずの金庫なんじゃないの?」
「それはお前たちが不用意に触れないようにするための嘘だ。
あの金庫には指南書の他に赫月も保管してあったからな。
じゃあ、これから金庫の開け方を説明するから一緒に蔵に行こう。」
僕は指南書を、じいちゃんは赫月を持って蔵に向かった
蔵の中には桜神家に代々伝わる品々の他に、
父さんの研究資料、じいちゃん秘蔵の酒などなど、
多種多様なものが置かれている。
一般的な蔵に比べると頻繁に人が出入りするせいか、
母さんも割とマメに掃除している。
お陰で蔵に特有の埃っぽさは全く感じない。
「よし、それじゃあ今から説明するぞ」
僕とじいちゃんは金庫の前に立っている。
蔵の一番奥に有るその金庫は高さ二メートルほどのかなり大きい物で、
その鉄の扉には門番を思わせる鬼の意匠が施されており、
どことなく恐ろしさを感じさせる。
扉が発するその空気に僕は少し緊張していた。
じいちゃんがドアノブのようなダイヤルに手をかけた。
「良いか、まずこのダイヤルを…。」
じいちゃんは僕に暗証番号を説明しながらダイヤルを回した。
ダイヤルがカリカリと音を立てて回る。
「そして最後にここに合わせると…。」
カチッ――。扉から微かに音がした。解錠されたみたいだ。
「と、まあこんな感じだ。覚えたか?」
「うん、頭に叩き込んだよ。」
「なら良い。それじゃあ扉を開けるぞ。」
言うとじいちゃんはダイヤルに手をかけて扉を開いた。
「――えっ?」
僕は驚いた。金庫の中には――階段が有った。階段は地下に続いているようだ。
「じゃあ行くぞ。」
「…うん」
「驚いたか。まあ無理もないだろう。
外から見れば金庫にしか見えないからなぁ。」
そして、じいちゃんは金庫、もとい地下への入り口に入ると
内部側面に有るスイッチを押した。
パチッという音とともに階段の向こうが明るくなった。
どうやら照明のスイッチらしい。
「入ったら扉を閉めてくれ。帰りに中からの開け方を説明する。」
「分かった。」
僕も扉をくぐり、言われたとおりに扉を閉めた。
ガチャンッと大きい音がした。鍵がかかった音だろうか。
そして僕はじいちゃんの後に続き、薄暗い階段を降りていった。
「この先の部屋に赫月と指南書を保管しておく。
保管そのものには大した手間は要らん。」
階段を降り切ると、十畳ほどの広さの地下室が有った。
「これって…。」
裸電球に照らされた地下室の床には
何やら文字や記号の様なものが放射状に書かれており、
その中心に祭壇のようなものが有った。その異様な光景に僕は身震いした。
「これは守護の呪いだそうだ。
儂は眉唾ものだと思うが先祖代々の習慣みたいなものだ。
あまり気にしなくていいぞ。」
じいちゃんはそう言って、僕に赫月を手渡した。
「祭壇の上に置くだけだ。難しいことは何もない。」
僕の背中をポンと押して、じいちゃんは言った。
緊張感のある空気の中、僕は祭壇に歩く。
そして赫月の入っている紫の包みと
指南書の入っている箱を祭壇にそっと置いた。
それらの物理的な重さ以上に感じていた重みも僕の手から離れるようだった。
「はぁ…。」
僕はため息を漏らし、祭壇から離れた。
「よし、戻るか。」
僕とじいちゃんは階段を登り、あの鉄の扉の裏に来た。
帰りは行きよりも短く感じた。
「それじゃあ内側からの解錠方法を教える。」
じいちゃんは内側に付いているダイヤルを操作しながら
僕に解錠方法を教えてくれた。
「これを忘れると金庫から出られなくなるから絶対に忘れるなよ。」
「分かってるよ。」
じいちゃんはダイヤルを握り、扉を開けた。
「あと、電気を消し忘れるなよ。電気代の無駄だからな。」
パチッとスイッチを押すと後ろが少し暗くなった。そして僕も扉の外へと出た。
僕が出るとじいちゃんは扉を閉めた。ガチャンと鍵がかかる音がした。
「こんな具合に赫月と指南書は保管しておく。。分かったか?」
「うん、分かったよ。」
「それと、今後お前に教えていくのは桜神鬼神流の奥義だ。
決して無闇に使うな。死人が出る。」
真剣な表情だ。僕は頷く。
「儂も道場破りに対しては基本の剣術のみで対処している。
桜神鬼神流の奥義は戦場でのみ真価を発揮する。
儂も奥義を他人に対して使ったことはない。
お前にとって本当に大切なものを護るためにのみ剣を振るうと約束してくれ。」
「分かった。約束するよ。」
「それともう一つ、
指南書や赫月の存在をお前の父さんや母さんにも知られないようにしてくれ。
桜神鬼神流は彼らが思っている以上に業の深い剣術だ。
お前のように覚悟を持って剣に向き合う者のみが触れるべき剣術なのだよ。
故に彼らのような剣術の素養を全く持たない人間を遠ざける必要がある。
そのことをどうか理解してくれ。」
僕は黙って頷いた。
「そして最後に、強さに奢らぬことを約束して欲しい。
桜神鬼神流は最強の剣術だ。
だが如何に強い力を持っていても太刀打ち出来ないものも有る。
儂の剣術では女房の病気は治せなかった。
自然の摂理には抗うことは出来んのだ。
どんな強さにも限界は有る。どうか忘れてくれるな。」
「分かったよ。僕、じいちゃんの言ったこと絶対に忘れない。
そして桜神鬼神流を今以上のものにしてみせるよ!」
「良い表情だ。お前の志は本物だな。楽しみにしてるぞ、お前の成長を。」
じいちゃんは笑った。僕も笑顔を返す。蔵から出るとそよ風が吹いていた。