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エピローグ

    エピローグ

 

 太陽が一日の努めを果たし、その姿を地平線の彼方へと隠した。代わりに現れたのは、街を仄かに照らす、柔らかな月だった。


 月明かりの下、『乳揉み酒場』は、今夜も営業中だ。あたしが今居るのは控え室だが、一歩フロアに出れば、また中途半端な乱痴気騒ぎが繰り広げられていることだろう。

 

 さて──事件の顛末を話そう。


 ちーちゃん自身の自供もあって、あたしにかかっていた疑いは、完全に晴れた。『上の人』達からの物も含めて、である。

 そしてちーちゃんは──憲兵団に捕まった。


 あくまで嬢個人の暴走であり、ここまで言質も取れている以上、憲兵団も商売そのものを捜査したりはしない。ならば、いっそ犯人を憲兵団に引き渡し、殺人事件解決に協力したと言う形で、恩を売っておいた方が何かと得策──と言うのが、『上の人』達の下した判断である。


 全く以て合理的、かつ、情け容赦がない判定ではある。しかし、選択そのものは、常識的なものであるとも言えるだろう。


 ちーちゃん自身もまた、抵抗はしなかった。最後まであの娘は、あたしと店の人々に謝り続けていた。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」


 うわ言のように謝罪を繰り返す様を見て、彼女を責める言葉など、並べられるわけがない。


 何より、あたしにちーちゃんを責めようと言う意識は、もう残っていないのだ。なんなら、最初から大して無かったまである。

 

 冤罪を被せられたのだから、本来なら怒って当然なのかもしれない。けれどあの娘は、始めから被害者でもあったのだ。

 

 親に捨てられ、本来なら誰でも確立している『自分』と言うものが、ちーちゃんは持てていなかった。他者と自分の区別が今一つ付いていなかった、と言ってもいい。


 故にちーちゃんは、『ただそのままでいる』と言う事が、出来ないでいた。


 常に人の視線に怯え、自分がどうしたいかなどと言う事は、思考にも登らない。常に自分を悪く言い、誰かの言う事を聞き続け、誰かの言葉に従い続けるなれけばならないと言う、自己欺瞞を繰り返していたのだ。


 だから、逃げる時間は十分にあったにも関わらず、あの娘は昨日、馬鹿正直に出勤して来たのだ。逃げたいと言う気持ちを、仕事に対する義務感や、他の嬢への義理立てへと、置き換えることによって。


 だからこそ、同時に人にすがりもした。

 自分に価値が全くないと信じ込んでいたから、本来なら当たり前である、自分で自分を肯定すると言う事が、出来なかった。結果──自分以外の誰かに、自分を肯定して欲しいと、願い続けていた。

 

 そのままでいればいいと、誰かに言ってもらいたがっていたのだ。

 あたしもまた、親から存在を否定された人間だ。だから、気持ちはよくわかる。


 今回の事件は、そんなちーちゃんの特性と、店長の性格、そして口下手加減が引き起こした悲劇に過ぎない。

 

 店長の死は悼めなくもない。だが、あたしがわざわざ責めなくても、ちーちゃんは未来永劫、自分を責め続けるだろう。

 

「やれやれ……」

 

 今回の事件が起こってから、本当に何度目になるのか。あたしは、ため息を吐き出した。

 しかし、今のは疲労ではなく、ましてや絶望などではない。

 端的に言って──どうしたものか、と言うため息だ。


「ハナちゃん」


 控え室に小さく響いた、あたしを呼ぶ声に顔を上げた。すると、褐色の肌に黒いドレスを纏った、妙齢の婦人が立っていた。

 その表情は、真剣そのものだった。


「や、ちぃーっすベラ姉。色々あったけど、あたしは全然気にしてないか──ら?」

 

 台詞は、最後まで言う事ができなかった。言葉の途中で、ベラ姉がその腕で、強くあたしを抱きしめたからだ。


 驚いた。余りにも唐突だったので、今回で一番かって言うくらい驚いた。

 そして気付いた。この人おっぱいめっちゃでけぇ。あたしよかカップサイズで二つは確実にでけぇ。今回で一番かって言う位腹が立った。


「ごめんなさい……疑って、本当に、本当にごめんなさいね……!」

 ベラ姉は、その切れ長の瞳から、大粒の涙を流していた。ぼろぼろと溢れる涙は、しばらく止まりそうにない。


「……ん。大丈夫、本当に気にしてないよ。ありがとう、ちゃんと謝ってくれて。ベラ姉は、ホントに真摯な人だね」


 茶化せる雰囲気でもないので、ペら姉の後頭部を撫でながら、あたしも真面目に返事をした。心が暖かったので、それをそのまま言葉にしただけだけど。


 けどベラ姉は、あたしを離してくれない。ぎゅうっと、ハグされたままだ。

 嬉しい反面、流石にちょっとだけ恥ずかしかった。


「うぃっすハナっち! 疑い晴れてよかったね! あーしは最初から信じてたよ!」


 ハグされたまま声をかけられ、視線だけで主を探した。無論、すぐに見つかる。

 あたしと同じ黄色い肌に薄茶色の髪、そして濃い目の化粧を携えた元気無限大娘が、すぐ側に立っていた。その顔には、負い目など欠片も感じさせない、満面の笑みが浮かんでいた。


「変わり身早ぇなおい」

 天然もここまで行けば記念物レベルだ。なんなら不思議ちゃんまである。

 それでもあたしは、りっちゃんの持つ、不動の明るさと底なしのエネルギーに対し、呆れる反面、どこか安心も覚えていた。


「ちーちゃんは……長いんだよね」

 ぽつりと、零すように言った。自分の双眸が、遠いものを見るようになっていそうだ。


「ええ……この国じゃ、未成年にも罰は下るの。多少の減刑処置くらいはあるから、死刑にはならないにしても──十年やそこらでは、出て来れないと思うわ……」


 やっとあたしを解放してくれたベラ姉が、涙を拭きながら言った。長いまつげを伏せたその顔は、完全に意気消沈という感じだった。


「いくらちーちゃんが心を病んでいたとしても、罪は罪なの。だから、どれだけ私達が願っても、彼女自身が反省しても、無罪にはならないわ……」


 まるで、自分自身に言い聞かせるかのような言い方だった。

 この店で、誰よりもちーちゃんを大切に思っていたのは、他ならぬベラ姉なのだ。心配していないわけがない。

 

 本当なら、すぐにでも刑務所を兼ねている宮廷に乗り込んで、ちーちゃんを解放してあげたいのだろう。

 けれど彼女には、三人の子供がいる。向う見ずに暴れまくる事は、出来ないのだ。


「あーし、今度会いに行って来るよ。ベラ姉が心配してたって、伝えとく」

 

 りっちゃんも、りっちゃんなりに心配しているようだった。

 いつもと比べて、小指の先程は神妙そうな顔をしているし、纏うテンションも、普段の常夏っぷりは抑えられ、晩夏くらいになっていた。

 ……よくよく考えると、あんまり変わってなくない?


「十年以上か……」

 思わず、ぼやいた。長い期間だ。余りにも長い。ちーちゃんが大人になってしまうには、十分過ぎる期間だ。


 そして──若さもまた、永遠ではない。

 女の華は寿命が短い。十分に若さを楽しむこともなく、刑務作業だけで散らしてしまうのは、余りにももったいない。


 だが、仮にあたしやりっちゃんが強硬手段で助け出したとしても、彼女は自分を許さないだろう。それだけ、ちーちゃんが持つ罪の意識は重い。

 

 仮にシャバに出たとしても、また殺人者になる可能性もある。下手をすれば自殺する事だってあり得る。

 けれど──見捨てるなんて選択肢は、あたしにはない。


「……」


 問題は大きい。限りなく大きい。

 事は、ちーちゃんの事情に限定されない。彼女のような人間は、数えきれないほどに居る。治安という意味でも、衛生や食糧不足の意味でも、この国は、いやさこの世界は、悪意と不幸が多すぎる。

 

 ほんの少し、目先の厄だけを消し去ったとしても、根本的な所では、何も変わらないのだ。


「あんまり、面白くないなぁ……」

 状況を確認し、鑑みて、再びぼやいた。誰かに聞いてもらうためではなく、ただ感想が口から洩れたのだ。


 実に──すっきりしない。


 面白くない。面白くない。実に面白くない。胸がもやもやする。濃霧が視界を占めてる感じ。正直不愉快。マジむかつく。MK5(マジで切れる5秒前)。

 

 面白くないのは、嫌いだ。

 だから──


「ちょっと、女王様にでもなってみようか」

「へ?」

「ん?」

 今度のぼやきには、返事があった。ベラ姉とりっちゃんが、目を点にして、あたしの方を見ていた。


「ちょ、ちょっとハナちゃん? あなた今なんて言ったの?」

「ねぇベラ姉、この国の王様って、世襲制じゃなくて選挙で決まるんだよね」

 ベラ姉の質問は無視して、あたしは確認のために問う。ベラ姉は、白昼夢でも見るかのような顔のまま、答えた。


「え──ええ。王の選挙に立候補出来るのは貴族だけだけど、制度として、世襲制を採用してるわけじゃないわ」

「平民から貴族になるのは、制度的に有りだよね」

「それも、その通りね。貴族って、要は土地を持ってて、地租税と所得税を一定以上収めてる人の事だもの。成り上がる平民もいないわけじゃない──って、ハナちゃん!?」

「ん、だよね。じゃあ金さえ稼げば、貴族にはなれるか。出馬は問題ないってことね」


 あたしは、確認が取れた事で、戦略を構築し始めた。


 とりあえず第一歩としては、この店の店長に成る所から始めて、夜の街を仕切る首領ドンでも目指そうか。取っ掛かりとなる資金集め的な意味でも人脈作りの意味でも、風俗街は有用だろうし。


 ああ、副店長を極地に飛ばすのも忘れないようにしないといけない。あの恨み、晴らさでおくべきか。

 

 で、裏社会を仕切るようになったら、科学技術の布教でもするとしよう。銃とか爆弾とか作って売れば、剣と魔法で喧嘩してるような戦争には勝てるだろうし、一財産位は固い。

 その辺りで適当な土地を買って、貴族を目指すとしようか。小作人は、路上で生活している子供や女でも雇えばいい。


 隣国との戦争を勝利に導いた勝利の女神となれば、民衆からの支持も強くなる。となれば当然、政治の世界に口を出すのも容易になる。

 むしろ、裏金なんかを受け取ってる現貴族政治家なんぞよりは、よっぽど人気が出るんじゃなかろうか。


 そこまで行けば、選挙への出馬は自然の流れとして、世間に受けれ入れられるというものだ。


 おっと、忘れちゃいけない──もしもあの三十路男が、まだ客として来るほどに根性があるなら、側近くらいにはしてやろう。

 忠実っぷりは折り紙つきだし、職人連中へのパイプにもなるかもしれない。とりあえず、同伴出勤で手懐ける所から行ってみようか。


 後は選挙で勝つ事だけど──まぁ、投票権持ってる貴族のおっさん共を身体でたらしこめば、なんとでもなるっしょ。肉体関係を盾に脅せば、ここでも資金提供も見込めるかもしれないし。

 

 そう言えば、この世界の歴史上、女王は一度も居たことがないって、どこかで聞いたな。あたしが成れば、史上初か。

 

 史上初の女王──悪い響きでもない。


 で、無事女王になれたら、ちーちゃんはもちろん、他の可哀想な子も助けるとしよう。社会の制度ごと変革して、心の病を治す仕組みを形成してから助ければ、ちったぁちーちゃんも改心して、自分を許す気にもなるだろうし。

 

 ついでに──世界の覇権くらいは狙おうかな。核兵器とか作り出せれば、他国への脅しにもなる。生成技術が他国に広まる前に、法制度とかで上手いことやれば、その位は行けるでしょ。


 よっしゃ、腹は決まった。後は実行あるのみだ。


「ありがと、ベラ姉。お礼に、もしあたしが女王になったら、ベラ姉の子供達、重役騎士にしたげるね」


 あたしはお礼を言って、開いた口がふさがらないでいる、ベラ姉の許を離れた。

 ベラ姉には悪いが、既にあたしはわくわくしていた。常識人などに、構っている余裕はない。


「ハナっち、女王様になんの? じゃああーし、女王様専属の髪切り職人になる!」

 誰よりも心の強い、ちょっと年上の親友は、あたしの女王宣言に全く動じることなく、笑顔でそう言って来た。

 あたしもまた、おはようと言う程度の感覚で、言葉を返した。


「そんときはりっちゃん、王宮の中に店開かせてあげるよ」

「にしし!」

 パァン!

 言って、あたし達は笑い合い、ハイタッチを交わした。


「ちょ、ちょっとハナちゃん落ち着いて! 女王様って、プレイの女王様じゃないんでしょ!? 敵だって滅茶苦茶出来るだろうし、なろうって言ってそう簡単になれるもんじゃ──ちょっと!?」  

 割と不安症な、年がそこそこ離れた親友は、大慌てであたしを止めようとした。


 けれど、あたしは止まらない。止まるわけがない。


 あたしは自分の欲を満たすこと、自分の意志を貫くことを諦めたことは、生まれたから一度もいない。

 今日もまた、あたしはあたしを貫いた。明日も同じだろう。だからあたしは、あたしが助けたいと思う人を、何をぶっ潰してでも助け出す。世界を、あたしの思う様に変え──征服する。


 人の欲は限りない。そして、あたしは人だ。故にあたしは、どこまでも貪欲に生きる。助けたいと思う人は全員助け、欲しい物は全て手に入れる。

 

 あたしは、あたしのために生きる。あたしが欲しい物を手に入れるために生きる。あたしの好きに生きる。

 それこそが正義。この自慢の胸に刻んだ、決して折れる事のない、エゴという誇り高き名前を持った、最強無比にして、天下無双の刃だ。

 

 そしてあたしの望みは──大好きなこの世界、そのものだ。


「あ……」

 決意を固めた所で、斜め後方から、驚いたような声がした。呟いたのは、りっちゃんか。


 半端な感動詞が気になったので、視線の先を追うと、そこにあったのは、採光窓の下、事件の鍵となっていた金庫──ではなかった。

 

 あったのは、採光窓のすぐ側に置かれた、鑑賞用らしきサボテンだった。おそらくは生前、店長が自身の趣味で置いていたのだろう一物だ。

 

 仄かに月明かりを受けるサボテンは、ほんの少しだけ、いつもとは違った顔を見せてくれていた。その違った顔は、端的に言って──とても美しく、心が揺れ動かされた。


「……そっか。だから店長は、これを置いていたんだ」

 なかなかに、洒落しゃれの効いた事をすると、素直に感動した。惜しい人を亡くした、と言っても過言ではない。まさにこの店に飾るには、ふさわしい逸品だ。

 

 神様とやらがもしもいるのなら──どうやらそいつは、あたしに惚れているらしい。


 とても綺麗になったサボテンを見て、あたしはふっと笑った。しかしその笑みは、穏やかな世界で生きる街娘が、その顔にほっこりと浮かべるような、柔らかなものではない。

 

 その笑みは、サボテンが素顔を見せてくれたこの夜が──運命が、自分を肯定し、祝福してくれたように感じたから、形作られたものだ。


 すなわち──街娘のそれよりも、もっと物騒で、もっと残忍で、もっと残虐で、もっとぎらついていて、もっとセクシーで、もっと凶悪で、もっと非道で、もっと強力で、もっと貪欲で──もっと、気高い笑みだ。

 

 愚民どもよ、ひざまずけ。


 あたしの名前は花華ハナヤカ。花に華と書いてハナヤカ。花の中の花にして、華の中の華。


 夜のとばりの中に生き、決して陽を浴びる事はなく、されど諦めると言う事を知らない、誰よりも強き花。くだらぬ性欲の権化たる男どもを、単なる餌として捕食する、何者よりも美しく、何者よりもたくましく、何者よりも気高き、至高の花。


 そう、あたしは、どんな生き物よりも強靭な肉体を持ち、万能たる適応力を有し、灼熱と多湿による地獄の中でもたった一人で生き抜き、ほのかな月灯りの下で、一人静かに美しさの象徴のような白き花を咲かせ、甘い芳香ほうこうで他の生物を惑わせる、この月下美人(A Queen of the Night)の如き、この世で最も気高く、美しき生き物──夜の女だ。


(END)

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