新生
―――夜。
まあるい月が優しくも、煌々として輝き、一つの都市を照らし出していた。
皆が寝静まり、灯りも余程の勉強家か、都市の警備の兵隊位しか使わずに、明日のために体と心を休ませるための夜。
それがこの都市における日常である。
―――本来ならば。
何時もは静かな筈の町の一角。
メインストリートから少々外れたところに、とある家がある。
二階建ての一軒家は確りとした造りをしており、住人の収入が平均より多いだろうことを想像させる。
そんな一軒家は夜にも関わらず灯りをつけており、まるで戦場のような騒ぎでもあった。
何かを持ってくるように怒鳴り付ける声。
痛みを訴える叫びと悲鳴。そんな、悲鳴を上げる女を励ます言葉。
それらが飛び交い、バタバタと慌ただしくしていた。
そんな騒ぎのなか、先程男を怒鳴り付けていた年配の女性が今までとは少々毛色の違う声を上げる。
すると、男の励ましの声がより力強くなり、悲鳴を上げていた女性の声は一転して懸命なものに変わっていた。
―――そしてその時は来る。
悲鳴を上げていた女性の声が一際大きくなった。
その数瞬後、その場に新しい者の声が上がる。
すると、男は言葉に喜色を滲ませ、女は疲れきった体のために呼吸が速くなりつつも安堵して体の力が抜け、年配の女性は、新しく産声をあげた疲れきった女性から生まれた新しい命を産湯につけていた。
どうやら、年配の女性――おそらく産婆であろう――が赤子を綺麗にしたのか厚手のタオルに包み、母親である女性に一言注意してから、手渡す。
母親はそれに頷きつつ自らの赤ん坊を受け取り、五体満足で健康そうな姿に心底安心し、自分が産んだ命に微笑みかける。
父親である男は、その様子を見て感極まって泣きそうになっていた。
しかし、そんな男に産婆の女性が声をかけると男は顔を引き締め、男の妻と子に近づく。
そして妻に二言、三言話すと赤ん坊を受け取り、産婆に前もって聞かされていた注意事項に気を付けながら赤ん坊を掲げるように持った。
そうして、男性は口を開く。
「お前の名前はクロス。クロス・クライアル。父、ハワード・クライアルと母、フローラ・クライアルの息子。――汝に神と精霊の加護があらんことを」
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―――ゆら、ゆら。
一定の間隔で感じる心地好い揺らぎ。
それはなんとも思考を鈍らせ、夢へと誘う眠りのリズム。
(って、寝てる場合じゃねえ!)
そのリズムに抗って、起きようとしている赤ん坊がいた。
普通は赤ん坊にそのようなはっきりした意識などあるわけもないが、この赤ん坊は、クロス・クライアルは特別だった。
(転生ってのは本当だったか……)
そう、クロスは転生したあの青年であるからだ。
(しかし、赤ん坊の頃からはっきりした意識があるのか……これは辛いな)
クロスはこれからの赤ん坊ライフを想って鬱になりそうだった。
自分で自身の事が出来ず、何もかも世話をされるというのは屈辱的で、成人並みの羞恥心を持っているクロスには精神的拷問になりえるからだ。
(かといって、)
「クロスちゃーん、ごはんのお時間でちゅよー」
そうやって赤ちゃん言葉でクロスに話しかけてきたのは、クロスの母フローラだった。
(世話をされないと、生きていけないしなぁ――)
クロスの母フローラは美しい。有り体に言えば美人である。
腰ほどまである長くウェーブのかかったエメラルドグリーンの髪、大人の容貌に時折可愛らしさが混じるたおやかな容姿と性格。
「ほーら、クロスちゃん。おっぱいですよー、たんとお飲みなさい」
そして、抱えられたクロスの前に差し出された豊かな乳房。
流石に出産からそう日も経ってないせいかスタイルは少々崩れているが、それでも、モデルと比べても劣らないレベルであり、総評ともなると比較にならないほどの美人であった。
(しかし母親美人だわ。なのに、なにも感じないのは赤ん坊だからかな?)
授乳を受けているクロスは成人男性的反応が肉体は勿論精神にも及んでいない事をそう推測した。
クロスは前世との違いに気味の悪さを覚えたが好都合だとも思った。
(あの少年の配慮か、それとも俺が“変質”したのか知らないが、赤ん坊としては生きやすい)
「あぶ、だぶ」
クロスは今、庇護されなければ生きていけない状況にいるため、母親であるフローラと父親であるハワードに見捨てられるわけにはいかないのだ。
「あら、クロス、どーかしまちたかー?」
(それに……)
クロスは両親が幸せにならないと嘘だとも思っている。
クロスは出産時のことを覚えていた。
あれほどに、この命の誕生を心待ちにしていて、この数日しか知らないが、人格としても優れて思える両親の息子であることを心地好く思っていたから。
「あう、あーう」
「あらあら、私の髪に興味があるのかしら?」
幸せな家庭を形にしたい。
それに繋がる行動を積極的にしていた。
(第一人生目標はいい息子になることかなぁ)
クロスは前世の知識が役に立ちそうだと内心笑っていた。
成人並みの知識は人生において絶大なアドバンテージであるからだ。
そう、クロスは楽観視していた。
―――この言葉を聞くまでは。
「うふふ、あんまり引っ張っちゃダーメよ。自慢の髪なんだから、自慢の緑色。でも良かったわ。髪の色は生まれるまではわからないけど、私の緑とハワードの赤が混ざったような黒い髪なんて、すごい偶然なんだから」
(…………んん?)
クロスはフローラの発言からありえないことを聞いた気分だった。
髪の色は遺伝によるもので、推測できないものではないし、両親の色が混じるというのもない。
いや、そもそもが赤毛はまだしも、緑色の髪なんて実際にはそんな髪色をした人などいない。
あくまでも地球では、だが。
(……まさか、いやでもまさか―――)
「黒だから鍛えればクロスは良い魔法使いになれるわ。将来が楽しみね。……やだ私ったら、まだクロスは生まれたばかりなのに。ママはせっかちでちたねークロスちゃん」
「……あうー」
(…………一から勉強しないと駄目かもなぁ…………)
世界が変われば、法則も変わる。クロスの道はけして楽にはなりそうになかった。




