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「えっ?もうすぐ義務教育終わり?!
嘘っ何で?だって確か王子一人、騎士四人からですよね??
俺達、まだ3人じゃないですか、2人足りてないじゃないですかっ!」
夕食の席で、入橋圭は藤村教諭の義務教育終了発言に驚きかみついた。
家族団らんのようだった卓袱台の周りに緊張が走る。
不可侵の力と権限を持つ藤村教諭がいなくなる、その事実はまだこの世界の実情に疎い真菜月みするをもってしても、重大な事である事がよく理解出来た。
自然と藤村教諭に皆の不安げな視線が集中する。
藤村教諭は顔色を変えずにまた話を続けていた。
「本来なら入橋の言う通りだ。
日もまだ浅い。
しかし君達はこの国の理をすでに深く理解している。
それに何といっても「称号」を持つ男児を、始めから3人もそろえている国などすでに脅威だ。
私はこの国に関しては十分国として建っていけると判断を下した。」
入橋圭は「あ、それか!」と呟くや、向かいで「ごぉやちゃんぷるぅ」を旨そうにがっついている羽根井覚の方をじっと見つめた。
羽根井覚がその視線に気づき「ん?」と言いながらまだもぐもぐと食いついている。
「ハネー、短い付き合いだったね…。」
「んッ……ぐべッ!!
ちょっとちょっとけぇ、何すでに俺切ろうとしてる??
早くない??」
羽根井覚がのどに「ごぉや」を詰まらせながら何とかしゃべる。
「だって、お前力だけだしさぁ。
しかもその力の証の「称号」が重しになるんじゃさぁ。
ほら、よく言うじゃん。
何万の国民の為に一人の国民を犠牲にする事を厭んではいけないとか、まぁそんな感じ…?」
「ひっ…・・ひでぇ!!」
「うん、それはひどいよ圭。
圭が覚が良いと言ったんでしょう?
最後まできちんと責任もって面倒を見ないと。」
「みやぁ、ナイスフォロー。
けど何か捨て猫扱いでちょい悲しい。」
羽根井覚がにこにこ笑いならがら白石雅に話しかける。
しかしまた「とれぇどまぁく」の立てた髪の毛が心なしか傾き始めていた。
皆の動揺を一しきり眺めた藤村教諭は、眼鏡を少し押し上げると神経質な視線を皆に向けて語り出した。
「今すぐにという訳ではない。
「もうすぐ」と言っただろう。
あと一人、あと一人騎士をこの国が得たら私はここを去り、義務教育を修了する。」
「あと一人……。」
入橋圭のぼそりと呟く声が狭い用務員室に響く。
天井からぶら下がる豆電球にぶつかる羽虫の音がやけに耳についた。
「誰を誘う?」
白石雅がその涼しげな瞳を入橋圭に向けた。
質問しているにもかかわらず、白石雅の瞳には何かしらの確信めいた光が宿っていた。
羽根井覚が「決まってんじゃん」と口をもごもごさせながらしゃべり出す。
「ゆぅちんでしょ?
けぇの隣にゆぅちんいないの変じゃん。」
「でしょ?」と羽根井覚も入橋圭にそのくりっとした視線を無邪気に送る。
(ゆぅちん…?)
真菜月みするも入橋圭を見つめた。
「うん、勇は絶対初期の仲間にしたい。」
そう宣言すると、入橋圭はそっと真菜月みするに視線を送ってにこりと笑った。
「ほら、この前話した現世からの俺の友達。」
「現世からの友達…。
あ、えっと多喜……。」
「多喜勇治。
俺の家に出入りしてた金物屋の息子。」
「あぁ!入橋くんの幼馴染とかいう―――」
「うん。」
その時だった。
突如用務員室の戸を叩く音がした。
藤村教諭をのぞく皆が緊張した。
何の警告の音もしなかった。
けれどそこに辿りつくまでには、必ず白石雅の網を潜り抜けなければならないはずであった。
「みやぁ、腕落ちた?」
「そんなつもりはないのだけれど…。」
「じゃ、まさかまた姫?どこの??
「あらちん」とか?
でも今いないよねぇ、病人とか…。」
「「あらちん」て?」
「ん?
あー保健室に住んでるお姫様。
本名は寿嵐。
超不思議ちゃんキャラで、自分以外人類皆モルモットな変態女。」
「え……。」
「安心しなさい、学生ではない。
学校の者だ。」
まだ扉の外を見ずして、藤村教諭は相手を看破し、一人扉に向かっていた。
「夜分失礼いたします。
お手紙をお届けに参りました。」
藤村教諭が開けた扉の先には、一人の子供が立っていた。
男の子なのか女の子なのかはいまいち判然としない。
紺のりぼんの付いた麦藁帽子を目深にかぶり、夏の開襟「しゃつ」に膝までの「ずぼん」という出で立ちで、肩から脇腹にかけてぽっこりと大きな蝦蟇口のついた黒革の鞄を下げていた。
左腕の所にはちょうど風紀委員や生徒会員がするような藍色の腕章が安全ぴんで止められており、そこに「勅使」の2文字が銀糸で刺繍されている。
その子供はぺこりと一度お辞儀をすると蝦蟇口から羊皮紙の巻物を取り出し、その場で開くや高らかに文を読み上げた。
「この度は建国誠におめでとうございます。
来る明日3時の「ちゃいむ」の鳴る時刻、本国は茶道室にてお祝いと今後の両国の交流を深める場としまして、お茶会を設けたいと思っております。
姫君並びに王子様、御都合よろしければその旨、ご一報いただきたく存じます。
姫、福箱芳乃、王子、蒲池大々(だいだい)」
それだけ読み上げるとその子供は羊皮紙を丸め直し、軍人の様なきびきびした動きで藤村教諭にその手紙を手渡した。
「だ、そうだが…どうする?
真菜月君、入橋。」
藤村教諭が振り返り、入橋圭と真菜月みするを確認した。
(福箱芳乃…。)
それはあの夏の夜、笛を吹いていた主の名前ではなかったか?
真菜月みするは入橋圭を窺った。
「どうなの?入橋くん。
これって大丈夫なのかな?」
「芳乃姫なら問題ないよ。
いつもこうやって顔合わせするのがあの人の流儀だから。
上品な良い人だよ。
どうする?
断っても問題ないと思うけど…。」
「…うん、大丈夫なら。見てみたい、かも…。」
「じゃ、そんな感じで…。
藤村センセ、書くものください!」
入橋圭は藤村教諭から羊皮紙と使いにくそうな羽ぺんをもらうと
伺います。
と一言だけ記し、「王子 入橋圭」と署名をし真菜月みするに署名するよう手渡した。
「あ、俺の上にね。
こういうの姫の方が優先だから。
あ、あと姫って名前の前につけて。」
真菜月みするは入橋圭に言われた通り署名を終えた。
書き慣れない羽ぺんで書かれたみみず文字は、何となく馬鹿っぽくて頼りない。
真菜月みするがやっぱり書き直したいという前に、入橋圭はずんずん勅使の子供に近づくとそれを「はい」と渡していた。
「確かにお預かりいたします。」
とその子供は言い、ぴっと敬礼をするともやのようにふわりとその場から姿を消していた。
夜校内の廊下で姿を消す子供、まるで学校の怪談を思わせるその光景に真菜月みするはぞくりとした。
「そういえば入橋、公式の訪問の際に着用する礼服が見当たらなかったがどうした?」
「エ……。」
入橋圭が固まった。
「礼服?」
真菜月みするは、白石雅を窺った。
「うん、他国への正式の訪問にはね、正装する事がマナーなんだ。
例えば真菜月さん、お姫様の正装は、密編みに袴着かセーラー服である事、あと称号を所持している場合はその印を身に付ける事になるのだけれど…。」
「じゃあ、あたしはこのままでいいって事?」
「うん、今の真菜月さんはそのままで問題ないという事になるね。
でも折角公式の訪問になるのだから、可愛いセーラーを選んであげる。
それで圭だけれど王子の正装は少し面倒でね、白の学帽に詰襟学ラン、サーベルに手袋を着用しなければならない、もちろん称号を持っていたらその印もね。
この気候だからね、普段からそんな恰好をしているのは、ことり姫の王子の静馬位だよ。」
「へぇ……。」
真菜月みするは、藤村教諭に尋問され狼狽する入橋圭に目を移した。
(学帽、学ラン、サーベルなんて…掃除した時なかったなぁ…。)
「入橋、答えなさい。」
「う……その、前の国がごたごたしている間にどこにやったものやら、すっかり忘れてしまいました。」
入橋圭はしょんぼりうなだれながらそう応えていた。
藤村教諭がお決まりの詰まらないものを見る侮蔑の視線をそんな入橋圭に送りながら、やれやれと溜息をつき「せかんどばっく」を手に取った。
「…あれをどうしたら全て失くすんだ?
……仕方ない。
一国につき一揃いの決まりだ。
新調しよう。」
「わぁ、藤村センセ、太っ腹!」
そういうや華やいだ顔をして入橋圭は藤村教諭から真新しい王子の正装を受け取った。
まるで舞踏会へ着ていく「どれす」に心躍る乙女のように、入橋圭は正装を抱きしめてくるりとまわった。
「でも、これ袖長いですよね。」
入橋圭がぼそりと不満げに呟く。
「それは既製品だから仕方がない。
どうにかしたいのなら失礼のない程度に自分達で手を加えるように…。」
「雅ィ~~~!」
「はいはい。」
入橋圭はすぐさま白石雅に泣きつき、白石雅はそれを了承した。
◆
「どう、かな…。」
「う?
おぉッ!めっちゃくぁーいィッ!
やべぇッ!」
「問題ない、真菜月君。一国の姫君として十分及第点を得られる装いだ。」
「うん、とてもよく似合ってるよ。
真菜月さん。」
あくる日のお昼過ぎ、真菜月みするは白石雅が選び裾を直した「せぇらぁ」に身を包み、皆の前で披露した。
薄手の白地の「わんぴぃす」の上を菖蒲色の「れぇす」で飾り付けた「せぇらぁ」は、上品に涼しげな雰囲気を醸し出していた。
黒の襟もとを飾る「わいん」色のりぼんに白石雅の「せんす」を感じる。
「本当白石くんこれ上手過ぎるよ。
絶対戻ったらお店出して売れるよ!」
「そうかな、制服なんて学校でしか着れないものだし。」
「あ、それは違うよ!
白石くんの頃はそうだったかもしれないけど今制服で接客するお店とかあるし。
男の人でも買って着るんだよ。」
「えっ…そうなの?」
「そうそう!
みやちん、今生まれてれば絶対良かったのにねぇ。」
真菜月みすると同じく、この平成の御世に生まれた羽根井覚もそれに同意を示す。
羽根井覚、本編からいつの間にやらあぶれていたので彼についてここに少し補記しておきたいと思う。
羽根井覚、17歳。ここ数年内に神隠し。
6人兄弟の次男で下の兄弟の面倒をよく見る兄貴であった。
当時某「れんたるしょっぷ」で勤労に勤しみ、同じく勤労に勤しむ女子大生に恋心を打ち明けるも空しく惨敗。
その帰り道の公園で一人男泣きしていた所を神隠しされた男児である。
「あとはその御髪を整えれば完ぺきだね。
真菜月さん、ちょっとここに座ってくれる?」
真菜月みするは白石雅の指示に従い、白石雅に示された位置に腰を下ろした。
白石雅はその後ろに膝立ちになると、そっと真菜月みするの髪を取り丁寧に梳いていった。
白石雅は手持ちの椿油で真菜月みするの髪を整えると、二つに分けて密編みを編み始める。
白石雅の細い指先が真菜月みするの頭、首筋に時々触れる。
その度に何やら真菜月みするは、乙女心を揺らしてどきどきとしてしまっていた。
「はい、出来たよ。
真菜月さん、確認してみて。」
白石雅はそう言いながら真菜月みするに鏡を手渡した。
「うわぁ…白石くん。
上手い、すごいよ。あたしなんかがやるより全然上手だよ。」
真菜月みするの髪は綺麗に艶やぎ、きちんと左右対称におさげが編みあげられていた。
「せぇらぁ」の「すかぁふ」に合わせた「わいん」色のりぼんが形良く結びつけられている。
「喜んでもらえて僕も嬉しい。」
そう言いながら優雅に白石雅は微笑む。
そういう時の白石雅の瞳はとても男性的な色を帯びるので、真菜月みするはどぎまぎしてしまう。
(あたしって……ある意味今すごく贅沢な女子高生なんだろうな…。)
そう思うと自然顔がにやけてきてしまう。
真菜月みするが思わず頬を押さえ、そのにやけを押さえようと悪戦苦闘し始めた時、用務員室の扉を開けて正装をした入橋圭が入ってきた。
純白の学帽、純白の学らん、純白の手袋、腰から下げた「さぁべる」、袖は入橋圭の要望通りに半袖に揃えられていた。
「あ~~~、暑い。」
だるそうに入橋圭が頭の学帽を手に取りぱたぱたと顔の周りを団扇代わりに仰いでみせる。
その姿すら制服の放つ気品ゆえか、とても見栄え良く瞳に映る。
「おッ!けぇ、いいじゃん!
チョー王子!」
「……本当、かっこいいよ圭。」
「………う。」
(………ほんとあたし、贅沢過ぎる。)
「どう、みする。
俺かっこいい?」
入橋圭が学帽をかぶり直し「ぽぉず」を決めて真菜月みするに質問する。
「ッ……ヤダ、言えない。」
真菜月みするは青春乙女故の恥じらいで、その質問に正しく答える事が出来なかった。
「は……?」
その答えを予期していなかった入橋圭は、思わずぼけた顔をして真菜月みするを見つめた。
けれどすぐにいつものいじわる笑いを浮かべると、「んふふぅん?」と訳の分からない言葉を呟きながら真菜月みするににじりよっていた。
「言えないって何がァ?
何々?みするってば俺にときめいちゃったりしちゃってるぅ?
しちゃってるぅ~。」
「うるさいッ!」
「ぶッ―――」
入橋圭はまたいつものごとく座布団をくらっていた。
「どうして圭はいつもそういう意地の悪い事するのかなぁ」と白石雅も不満顔で入橋圭をたしなめる。
「やぁい、だっせだっせェ~」とはやし立てる羽根井覚の顔に向けて、入橋圭が座布団を投げつけた所で藤村教諭が口を開いていた。
「そろそろ時間だ。
二人とも出発しなさい。」
「はぁーい。」
すでにあぐらをかき始めていた入橋圭がよいしょと立ち上がる。
「じゃ行こうか、みする。」
そう言って入橋圭は真菜月みするに手を差し伸べていた。
「うん。」
真菜月みするはその手の平に自分の手を重ねていた。
◆
茶道室は一つ上の2階に位置する。
真菜月みすると入橋圭は人気のない廊下を過ぎ、上階へと向かう階段に足を掛けていた。
「ねぇ、入橋くん。」
「ん?何みする。」
「いつまで手つないでんの?」
「ん?いつまでも。」
入橋圭がにんまりと微笑む。
その時真菜月みするは入橋圭の手を通してその心の色を知った。
どう見てもそれは邪な色に染め上げられている。
「やっぱセクハラじゃん!」
真菜月みするはすぐさま入橋圭の手を振り払っていた。
「えー、てか何せくはらって」とのたまう昭和育ちの入橋圭の質問に、真菜月みするは持ち前の淑女精神を振るい、その言葉の持つ意味とその邪悪さを入橋圭に熱弁した。
「まぁつまりスケベって事ね。」
と入橋圭はひとりごちる。
「今度使ってみよ」と新しい玩具を見つけた子供さながらに喜ぶ入橋圭のその姿は、きちんとその言葉の持つ邪悪性を理解出来ているかはなはだ怪しい。
「誰に使うのよ。」
「勿論みするに。
だってたまにみするの視線「セクハラ」じゃん?」
「ッ…!」
手近に座布団のない真菜月みするはただのか弱い青春乙女である。
「せくはらせくはら」と連呼する入橋圭を真菜月みするは必死になって追い掛けた。
「ははッ!
すごいなお前ら。
すでに夫婦漫才じゃん。」
一つ階段を駆け上がった先に一人の男児が立っていた。
かなり身長の高い男児である。
きりりと鋭くぎらぎら輝く瞳、頭上で「ぽにぃてぃる」に纏めるもその先からくしゃくしゃと広がる蓬髪、極めつけの口の周りにわずかに生える不精髭はさながら戦国武将を彷彿とさせる。
(……違う、戦国武将っていうより…えっと、あれ……何ていうんだっけ……。)
真菜月みするはその怪人物の容姿をさらに凝視して、これぞというこの人物を表現するにふさわしい言葉を導き出そうとした。
指先で玩ばれる白い学帽、「まんと」のごとく羽織る白学らんとその下の真紅の「たんくとっぷ」、腰に当てた腕に咲く碧の花火、足元の今時珍しい下駄、そう…何というか―――
「番長さん??」
番長、それは真菜月みするの暮らす現世ではすでに絶滅種と化した、青春時代の若大将の呼称であった。
しかし今現在目の先に立つ青春男児を形容するには、まさにこの伝説の言葉が何よりも適していた。
「おっ!わかる?いける口だねィお嬢ちゃん。
俺は蒲池大々、芳乃の旦那!よろしくな!」
伝説の怪人こと芳乃姫の王子、蒲池大々はからからと腰に手を当てて笑い出した。
「え……みするああいう番長系いける口なの?」
「べッ…別にいけないし!」
入橋圭のすっとぼけた質問に、真菜月みするはひそひそと答えを返した。
蒲池大々にそれが聞こえた様子はない。
「じゃ行くか!」といういうや、無防備にも傍に立て掛けておいた「さぁべる」を手に取るとからんころんと下駄を鳴らしながら前を進み出した。
二階の廊下に上がるとそこには、大勢の男児達が両側に腕を組んで立ち並んでいた。
まるで応援団のごとく思わず圧倒されるその光景。
真菜月みするは躊躇した。
しかし入橋圭は躊躇を見せなかった。
真菜月みするの手をするりと取ると、軽く握り蒲池大々の後に続く。
「大丈夫、何もしてこないよ。」
入橋圭の言う通り、廊下に並ぶ男児達は真菜月みすると入橋圭をじろじろと見ていたがその場から足を動かす事はなかった。
2人が通過すると同時に軽く頭を下げてしばしそのまま停止している。
(すごい……。)
まるで軍人映画のような動きを見せる男児達に、真菜月みするは目を丸くしてしまった。
(みするの手、や~らかぁ~~…。)
真菜月みするは思いっきり入橋圭の手を振り払い、廊下に立ち並ぶ男児達を驚かせた。
「芳乃ォ~、今帰ったぞォ~~。」
蒲池大々が「茶道室」とかかれた札のかかる教室の前で止まると、まるで帰宅した亭主よろしく声をかけて扉を開けた。
ひんやりとした空気が真菜月みするの体を通り抜けていく。
それは夏の空気に決してあらず、されど冬のものでもない限りなく人工的なもの……。
(わ…冷房効いてる………!)
そこには一人の青春乙女が鎮座していた。
淡い黄色地に水色のしぼりを効かせた浴衣を身につけ、下は黒の袴を穿いている。
何とも涼しげで上品な装いである。
顔立ちは真菜月みするのいる現世ではあまり見なくなった、穏やかな昭和美人の顔だちをその乙女はしていた。
ゆるやかな輪郭、瞳と鼻は小さくすぅっと細く、その下の唇は薄い。
額を露わにし、真中で分けられた濡れるような漆黒の髪は耳の脇で一度水色の「りぼん」を結び細いお下げを緩やかに流している。
「御帰りなさい、大さん。」
その青春乙女は、やんわりと蒲池大々に微笑んだ。
そして入橋圭と真菜月みするにゆっくりと視線を移す。
右手に碧の華を咲かせたその両の手を、三つ指にきちんと立てて深くその場でお辞儀をする。
乙女の頭が下がるのに合わせて、裾とおさげがゆっくりと華開くように広がっていく。
乙女の白いうなじが何とも清らかで眩しい。
(綺麗……。)
真菜月みするは、その流れる所作とうなじに思わず見惚れてしまっていた。
「本日はようこそおこしくださいました。
私は福箱芳乃と申します。
どうぞよろしくお願いいたします。」
ゆっくりと青春乙女、芳乃姫は顔を上げた。
その顔にはすでに穏やかな笑みが浮かべられている。
(お姫様って、ホントお姫様なんだ……。)
真菜月みするはゆっくりと溜息をついていた。
靴を抜いで畳にあがった入橋圭と真菜月みするはきちんと正座し、芳乃姫そして蒲池大々に対峙した。
ちなみに蒲池大々は下駄のまま畳の上にのし上がった。
欧米文化を取り入れているものなのかと真菜月みするはぎょっとしたが、それに気付いた入橋圭が真菜月みするの指先に少し触れ
(あの下駄が大さんの「称号」だから。)
と心の内に告げていた。
見れば畳の上に敷かれた専用の繊毛絨毯の「るぅと」を経由して自分の席と思しき座布団に腰かけている。
どうやら欧米文化を取り入れている訳ではないという事が、真菜月みするにも理解できた。
(みする!挨拶挨拶!)
「えッ…あ?挨拶。
あぁ、えと真菜月みするです。
よろしくお願いします。」
一応今見た芳乃姫の挨拶に倣って、真菜月みするは挨拶を試みた。
けれども真菜月みするがそれをすると、どうにもぎこちない。
三つ指がぷるぷるしているのに気付いた、隣の入橋圭と手前の蒲池大々がぷっと笑った。
「ちょッ…入橋くん!」
「大さん、失礼ですよ。」
二人の姫君が二人の王子をたしなめる。
その「たいみんぐ」があまりに同じであったので、やはり二人の王子は声を上げて笑い始めた。
茶道室での会談は穏やかなものであった。
見た目どおりに気品ある動作で芳乃姫がお茶を立ててくれた所で、またもや真菜月みするはあたふたとうろたえたが、見た目どおり豪快な蒲池大々が「無礼講じゃあ。」と言うや立てたばかりのお茶を豪快に片手でずびずびすすり切った。
「大さんたら、お客様からでしょう?」
軽く蒲池大々をたしなめた芳乃姫は「確かに無礼講ですからね。」と人数分のお茶を立てると、「さ、作法など気にせずお飲みください。」とお茶を勧めてくれた。
(なんか……いい人たち、良かった。)
真菜月みするは、お茶を少しすすりながら手前の二人を盗み見た。
一見優等生のような芳乃姫と一見番長のような蒲池大々。
真逆のこの青春男女が何故か妙にお似合いの、ほほえましい「かっぷる」のように真菜月みするの瞳には映った。。
「で?
圭、今お前んトコ、人何人?」
「えっと…今4人です。
俺でしょ、みするでしょ、で雅に羽根井覚。」
(え………?聞くの、そういう事。
しかもそれに答えちゃうの?入橋くん。)
真菜月みするはぺらぺら内情を話す入橋圭をはらはらと見つめる。
それでも入橋圭の口は止まらない。
「日野宮静馬が放送かけた日あったじゃないですか。
あの日凌子様が奇襲掛けてきたんです、もう知ってると思いますけど…。」
「あぁ…知ってる。
少しうちにも流れ者が来たからな。」
「凌子様の罰則は徳の半減と1カ月の休学。
だからもうすぐ動き出します、色々と気をつけて下さいね。」
「あぁ、てかまず気をつけるのはお前んとこだろ?
あ、でもセン公怖くて近寄んないか。」
「いやそうもいかなんですよねぇ、藤村センセがあと1人で義務教育終わりって言うんですよ。3人称号者がいるからって…。
でも少なくいですよね?どう考えても…。」
「ちょっ……入橋くん!
そんな事話しちゃっていいの?」
さすがに真菜月みするは入橋圭の袖を引っ張った。
入橋圭がいつものうすら笑いをにんまりと浮かべる。
「もちろん良くない。」
「ちょッ……。」
「でも得るものもある。」
「え………?」
真菜月みするは入橋圭をまじまじと見つめた。
「そんなに見つめちゃセクハラよ。」と軽口を叩くと、蒲池大々に向き直った。
「って訳で俺としては、最後の一人に多喜勇治を探してる訳です。
今どこの国にいるかわかりませんか?」
「おいおい、わかるかってそんな見くびった聞き方すんじゃねぇよ。
俺達の国を何だと思ってんの。
なぁ、芳乃。」
「そういう鼻を高くするのは大さんの良くない癖ですよ。
私嫌いです。」
「え……嫌われた?俺を捨てないでぇ芳乃ォ~。」
目の前の芳乃姫がついと蒲池大々から顔をそらして、蒲池大々がおろおろとそれを取り繕うと悪戦苦闘している。
その間に入橋圭がこそりと真菜月みするにささやいた。
「芳乃姫の国はね、学園の食を支配してるんだ。
つまり学食ってやつ?
大抵の国は大所帯だから自分らで毎日飯を作り切れない。
出来ものを仕入れると徳が無駄にかさばる。
そこに目をつけた芳乃姫は給食室を占領して学食統治を行ったって訳。
食を提供する代わりに各国と協定を結んだり献上品をもらったりしていて、この学校の情報にかなり精通してるんだ。」
「統治?!協定?!献上品??!
そんなもの作んなきゃなんないの?!」
「まぁ国によりけりだけどね。
でも他国と何かしらの協定を取ってないと色々大変だからさ。」
「なんか、本当に国家みたいなんだね…。」
「うん、ここでは本当に国家だからね。」
しかし青春男女が王子姫で国を統治、やはりどうにも現実味のもてない話である。
「つまり内情とかの秘密情報を教える代わりに、その多喜くんの居場所を教えてもらおうって訳?」
「そう、そういう事。」
「でもそういうのってまず相手に情報交換はそれでいいか了承してから始めるものじゃないの?」
「そう、その通り!」
「じゃあ今入橋くんがしたの情報のただ漏らしじゃない!」
「そうとも言う!」
入橋圭がへらへらと笑った。
信じらんないと真菜月みするがそんな入橋圭を呆れて見つめる。
「でも大丈夫だよ、みする。
こういう話するのがいつもの手順だし。
ねぇ!大さん!」
そこそこに芳乃姫の機嫌を取り戻した蒲池大々が、「あぁまぁな。いつも通りだ。」とそれに応じる。
「だが、圭。
そんなに他国を信用するもんじゃないぜ。
これで俺がそこに突け込んだらお前どうするよ?」
「俺は俺で復讐します。ついでに大さんは大さんで芳乃姫に嫌われます。」
「……ッ・・・・違いない。」
苦しげに蒲池大々がかかかと笑った。
それに合わせて入橋圭が高圧的にあははと笑う。
なるほど…どうやらこの件に関しては問題はないらしい。
校内放送をかける日野宮静馬とやらの国や、奇襲をかける暗罪凌子の国とはまた違った国のようだ。
入橋圭はこの国の性質を十分理解した上で、この会談に臨んでいる事を真菜月みするは理解した。
「それにね、みする。
大さん達が勇の居場所を教える事は、大さん達の得になるんだ。」
「そうなの?」
「そうなの。
だって勇が仲間になれば俺達の義務教育が終わるでしょ?
あわよくば、うちを滅ぼせる。」
「ッ……。」
入橋圭は「ねぇ?」と手前の芳乃姫と蒲池大々に同意を求める。
それに対して芳乃姫は少し悲しげな顔でこくりと、蒲池大々は「まぁな!」と笑いながら答えを返した。
「国を維持するのに怖い時はね、みする。
新しい国が出来た時なんだ。
新しい国が騎士をもぎ取りに必ず来る。
騎士の謀反がどこかしらの国で必ず起きる。
謀反のなかった国でもその波紋は必ず起きる。
そうやって何処の国も不安定な状態にさせられる。
下手をするとそれで滅んじゃう国とかあるからね。
出来ればすぐ潰れて無かった事になってくれるのが一番良い。」
入橋圭がまた「ねぇ?」と手前の芳乃姫と蒲池大々に同意を求めた。
それに対して蒲池大々が「おぅ!」と明るく返す。
「でも――。」
不安そうな真菜月みするに、うすら笑いの入橋圭がゆっくりと答える。
「俺が王子の国は簡単に潰させない。」
「ねぇ?」
入橋圭が蒲池大々を見据える。
いつものうすら笑いを浮かべているが、その瞳は強い光を放っている。
「さぁなぁ…。」
蒲池大々もそれに対してうすら笑いを浮かべて応じる。
瞳がぎらりとしてその様子は戦を喜ぶ戦国武将さながらだ。
(う……何か空気がまずいんじゃ…。)
人並みに空気の読める真菜月みするがその空気を察して息を呑んだ時、二人の王子はげらげらと高らかに笑っていた。
「安心しろ!圭。
お前らがうちの騎士、引き抜きに来たら全力抗戦はするだろうが、こっちから手を出すつもりは今の所ねぇよ。
勿論今お前らからもらった情報はそれなりに流すけどな。」
あっけにとられた真菜月みするに蒲池大々が軽く「ういんく」をする。
思わず真菜月みするははっとして頬を染めてしまっていた。
芳乃姫が「もう、大さん。」と軽くたしなめる。
蒲池大々はあははははとまた高らかに笑いあげた。
「という訳で、うちの持つ情報はそんな所。
……で、そっちの情報ほしいんですけど…。
多喜勇治、何処の国にいるか、何処の国にいる可能性が高いか、教えてほしいんですけど…。」
入橋圭が芳乃姫、そして蒲池大々をゆっくりと瞳に映す。
蒲池大々は笑いをおさめ、隣りでしとやかに控えている芳乃姫をうかがった。
芳乃姫がゆっくりと口を開く。
「みするさん、圭さん。」
「あ、はい!」
芳乃姫の声に入橋圭と真菜月みするはぴしりと座りなおす。
芳乃姫の声は柔らかく温かな声で藤村教諭のような威圧感は露程もないが、気品があって自然と背筋が正しくなってしまう。
「多喜勇治さんは、この国にいます。」
「えっ……!」
入橋圭と真菜月みするの驚きが重なる。
入橋圭は瞬時に驚きを冷静にすり替えると、目の前の芳乃姫と蒲池大々にすばやく瞳を滑らした。
「それじゃ俺達は、どうしたらいいですか?」
入橋圭は目の前の芳乃姫に話しかける。
芳乃姫は涼しげな瞳をふせ、顎を小さく横に振った。
「いいえ、何も。
勇治さんにも確認を取りました。
圭さんの側につく事を希望されております。
ですから今回私は無条件で勇治さんだけは引き渡したいと思っています。」
「ホントですか?芳乃姫!」
入橋圭が大きな驚きと小さな喜びを浮かべて、芳乃姫の方へ身を乗り出す。
芳乃姫はこくりと小さく頷いた。
「芳乃はな…。」
隣りに控える蒲池大々が、低く声を響かせる。
入橋圭が蒲池大々に瞳を映す。
蒲池大々は、好戦的な笑みを浮かべて顎をさすりながら、そんな入橋圭を見つめ返した。
蒲池大々が人差し指を一本立てる。
「俺からは一つ条件を付けたい。」
「何ですか?条件って……。」
「俺と決闘しろ。」
「……決闘…。」
真菜月みするの呟きが茶道室に響く。
「決闘ッ??!」
真菜月みするは驚愕した。
「勝たないと渡さないってヤツですか?大さん。」
「いや、勝ち負けに関わらず多喜勇治は渡すぜ。
とにかく俺は―――」
「――お前と戦りてぇんだよ。」
不敵な表情を浮かべながら蒲池大々は入橋圭をじろりと見つめる。
入橋圭は薄笑いを浮かべながらやれやれと瞳をそらして溜息をついていた。
「本当、大さんは戦国武将なんだから。」
「じゃ、決まりだな。」
蒲池大々がすっくと立ち上がる。
「来い、圭!
場所を変えるぞ!」
蒲池大々は誰の言葉も待たず、嬉々として専用絨毯を渡り歩き茶道室を後にしていた。
「ちょっ…え?
決闘って決闘?!
喧嘩するの??入橋くん。」
「うん、まぁ何だかそういう成り行きになっちゃったね。
応援してね、みする。」
入橋圭は動揺する真菜月みするににこりとほほ笑むと、その頭をぽんぽんと叩いて茶道室を後にしていた。
「え……?え??」
「ごめんなさいね、みするさん。
大さん本当に喧嘩が好きで好きで…。」
「あ…・・いえ。」
真菜月みするに目の前の芳乃姫に瞳を映した。
芳乃姫はゆっくりと袴をつかんで立ち上がる。
そんな芳乃姫をぼんやり見つめる真菜月みするに、芳乃姫はそっとその手を差し伸べた。
「それでは私達も参りましょう。」
「はぁ…。」




