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青春挽歌  作者:
4/12


 4


その日も優雅に、ことり姫は食後のお茶を楽しんでいた。

何処から調達したものか、猫足の長椅子にゆったりと腰を掛け華やかな「くっしょん」にその華奢な体を預けている。

その背後では学校にはいささか不似合いな「れぇす」の「かぁてん」が、夏の風に吹かれて揺れていた。

「くっしょん」や「れぇす」の「かぁてん」、それらは全てことり姫と一部の騎士達の手によるものであった。

学内校舎三階家庭科室並びに裁縫室、そしてそこに隣接する教室3つ。

それがことり姫の領地であった。


「ねぇ、静馬(しずま)。」

ことり姫が、そっと隣りに腰掛ける日野宮(ひのみや)静馬(しずま)に向けて手を伸ばす。

その白く小さな手の甲には、桃色の淡い花火が咲いていた。

日野宮静馬がことり姫の問いかけに目視で応じる。

彼は存外無口で真面目な人物であった。

その事は彼の精悍な顔つきや、夏の陽気にもかかわらず詰襟もきちんと学らんを着こなしている所にも窺える。

教室の中こそ冷房が効いておりそれなりに過ごしやすいが、日野宮静馬は屋外でもこの服装で行動をしている。

それでいて汗は一粒も浮かべず涼しい顔をしていられるのは、日野宮静馬の精神力のなせるわざと言った所だろうか…。

そんな日野宮静馬をことり姫こと、早蕨(さわらび)ことりは真に信頼を置いていた。

そう、彼はことり姫の王子であった。

「雅をここに連れてきて。

昨日新しい生地を取り寄せたの。

今度造る制服の柄について二人でお話したいわ。」

ことり姫が、まさに小鳥のさえずりのような可愛らしい声で、日野宮静馬にお願いをした。

日野宮静馬は室内に目を移す。

そこには十数人の男児がそれぞれ華を生けたり、ことり姫の食後のお茶を片づけたり、扉の前で見張りをしたりと、ことり姫の為に静かに騎士としての務めを果たしていた。

日野宮静馬の視線が一人の男児に止まる。

日野宮静馬がその男児に向けて上げかけたその手を、ことり姫がそっとその小さな手で包み込むように押しとどめた。

「ことり?」

日野宮静馬が静かな声でその名を呼ぶ。

ことり姫は穏やかな笑みを浮かべて日野宮静馬に告げていた。

「静馬に呼んできてもらいたいの。

静馬と雅、二人が並んで扉を開けてくる姿を眺めていたいの。

とても素敵な絵になるから。」

ことり姫がはにかむように微笑んだ。

日野宮静馬は、このことり姫の微笑みが好きだった。

この微笑みの為なら何でもしたい、そう心に誓うようになって随分と久しい。

日野宮静馬はことり姫のその可愛らしい小さなお願いに軽く頷くと、そっと隣に置いておいた軍刀を手にことり姫の元を後にした。


日野宮静馬が廊下に出るとそこでもことり姫に仕える騎士たちが、床を拭いたり廊下の窓に掛けられた「かぁてん」を取り換えたりと、それぞれの仕事に従事していた。

ことり姫に仕える騎士は、皆穏やかな顔をしていた。

良い所を見せて共に卒業したい、そういった欲の皮を貼り付けたものはすでにこの国には一人としていなかった。

皆ことり姫の人柄に惚れ、心から慕っていた。


(本当に良い国になった…。)


日野宮静馬は、仕事の手を休め己に挨拶をする騎士達に軽く手を上げながら奥の裁縫室へと向かっていった。

裁縫室からはすでに「みしん」を動かす音が鳴り響いていた。

扉を開けば整然と並べられた「みしん」を前に、男児達がそれぞれ自分の作品を創作している姿がまず目に入る。

そして壁際にはやはり猫足椅子に腰かけた男児達が、刺繍をしたり編み物をしたりとそれぞれの仕事に没頭していた。

良い年した青春男児達が裁縫に勤しむ姿は、一種異様な雰囲気を醸し出していたが、この国ではそれが正しい姿として存在していた。

皆が脇を通り過ぎる日野宮静馬に、仕事の手を止め軽く会釈をする。

日野宮静馬はそれに応えながら、目指す奥の一角へと向かって行った。


「雅、ことりが呼んでいる。

新しい制服の生地が届いたらしい。」


窓辺で優雅に、まるで「おるがん」でも弾くかのように「みしん」を動かしていた白石雅はおもむろに顔を上げた。

肩までかかる栗色の髪の毛、同じく栗色の透き通る硝子玉のような夢見る瞳、「あんてぃくどぉる」を思わせる上品な顔の造形、何より淡い花柄に「れぇす」をあしらった既製品のようなお手製の「せぇらぁ」姿は、深窓の令嬢を想わせた。

男児でも思わず見惚れる女装の麗人、それが白石雅その人であった。


「本当に?嬉しい。

今行きます。」

男声というより声の低い落ち着いた女性のような声音で白石雅は日野宮静馬の言葉に応じると、蝶のように軽い足取りで日野宮静馬に付き従った。

誰もがその後ろ姿に振り返り、そして目を奪われる優雅な所作。

皆白石雅を密かにもう一人の姫君として慕っていた。


「ことりは雅の事を気に入っている。」

「僕もことりさんの事は好きです。」

「……なら共に「卒業」しよう…。」

日野宮静馬が隣を歩く白石雅を歩みを止めてじっと見つめた。

それに合わせる様に白石雅も足を止めて、その硝子玉の様な瞳にその精悍な顔つきを穏やかに映す。

まるで青春映画の「わんしぃん」のような光景に、廊下にいた騎士達は我知らず見とれていた。

「御好意はとても嬉しく思います。

けれど僕は―――」

「入橋圭か?

彼は駄目だ。」

「・・・・・。」

白石雅が夢見る瞳でぼんやりと日野宮静馬をじっと見つめた。


(……これが本当に男児の顔か?)


不覚にも胸の奥でうずきかける自分を日野宮静馬は心の内で叱責する。

「行方不明になって久しい。

ここでは姫なくして男児は生きていけない。」

「けれど圭の墓標はありません。」

「っ―――」

「ありがとう静馬、けれど僕は圭を待ちます。」

穏やかだけれど、芯のある静かな言葉に日野宮静馬は黙した。

こうしたやりとりを白石雅は、ことり姫や日野宮静馬との間で何度も交わしていたが白石雅の決意が揺らぐ事はなかった。

日野宮静馬は歩み始める。

けれど白石雅は歩みを止めてそこに留まっていた。


「雅?」

怪訝に思った日野宮静馬は白石雅を振り返る。

あまり感情を外に出す事のない日野宮静馬ではあったが、その時の彼は誰の目から見ても驚きの表情を浮かべていた。

そこにいる白石雅の表情が、日野宮静馬が初めて目にするものであったからだ。

いつも夢の中からこちらに寂しげに微笑むような表情しか浮かべた事のなかった白石雅が、今や瞳を大きく見開き、まるで初めて生命誕生の瞬間を目撃しているかのような高揚感を湛えている。

その唇がわずかに震え、小さく言葉を紡ぎ出していた。


「圭……。」

その言葉に我を取り戻した日野宮静馬は白石雅の視線を辿った。

幻ではない、そこには確かに入橋圭の姿があった。

人をくったようにわずかに浮かべた微笑みも、実はその瞳の奥に見え隠れする誠実も全て日野宮静馬の知る在りし日の入橋圭の姿であった。

まるで「だんす」にでも誘う貴族さながらに、入橋圭がそっと右手を差し出した。


「行こう、雅。」


日野宮静馬がいけないと思った時にはすでに遅かった。

日野宮静馬の両の腕が己の意に反して背中へ回るのと、白石雅が隣を風のように駆けていくのはほぼ同時の事だった。


(蜘蛛。)


日野宮静馬が忘れかけていた白石雅の「通り名」を思い出す。

日野宮静馬の手を離れた軍刀が床を鳴らすのと、白石雅がことり姫のいる教室へ足を踏み入れるのもほぼ同時の事だった。


「雅ッ!」

跡を追おうとした日野宮静馬であったが、まるで簀巻(すま)きにされているかのように体の自由が利かず、その場で受け身もとれずに倒れ込んだ。

いきなりの事に行動を起こせなかった廊下にいた騎士達が、慌てふためきながらも日野宮静馬の救出に向かう。


「俺よりことりを守れッ!」

その言に何人かの騎士達が白石雅の跡を追って教室へと踏み込んでいく。

入橋圭は何もしない。

ただその光景を眺めていた。


教室に突如飛び込んできた白石雅に、ことり姫は初め驚きと喜びの表情を浮かべていたが、すぐに色を失くし寂しげな微笑みを柔らかく浮かべていた。

ゆっくりとことり姫を見つめながらことり姫に近づいてくる白石雅。

その後ろからなだれ込むように廊下の騎士達が突入する。

中にいた男児達は誰もがぎょっとした。


「誰もその場を動く事は許しません。」


ことり姫が可愛らしい声で静かに告げる。

すると室内の騎士達はもとより、白石雅もその場に足が固まったように動けなくなっていた。

ことり姫の徳の高さ故の力だ。

この国の男児は触れる事はおろかその言葉にも逆らう事は許されない。

しかし白石雅にとってそれは一瞬の事でしかなかった。

すぐさま己の意思で歩を進めことり姫を目指し始める。


「行ってしまうのね…。」

そんな白石雅を見つめながら、小さくことり姫は呟いていた。


動けなくなった男児達がその意味を察し、口々に白石雅に向けて非難の声を上げていたが、ことり姫の「静かにして」の一言で誰も話す事が出来なくなっていた。


白石雅はことり姫の前に静かに跪いていた。

ことり姫がそっと手を差し出すと、白石雅は慣れた手つきでその指先に口づけをした。

それはかつてことり姫に「騎士の誓約」を立てた時と全く同じ情景であった。

白石雅がゆっくりと顔を上げ、少し上に位置することり姫の顔を眺める。

ことり姫はそんな白石雅の顔を眺めて寂しく微笑んだ。


「雅、今までで一番綺麗。」

「ありがとうございます。」

そう言うと白石雅はことり姫の手を握ったまま立ち上がる。

今度はことり姫が白石雅を見上げる形となった。


「私は綺麗な雅が好き。

私には雅を傷つける事は出来ないわ。

だから雅が私を拒絶して。

私はそれを許します。」

ことり姫が恐れのない瞳で白石雅を見つめる。

その言の意味を悟った室内の動けず話せない男児達が、悲痛の表情を浮かべて苦悶した。

白石雅の手がことり姫の手から離れる。

そしてその右手は頭上へと大きく振りかぶられ


「幸せになってね、雅。」


ことり姫の小さな願いの言葉と共に振り切られていた。



           ◆

彼はとある国の騎士であった。

騎士といっても下級騎士である。

その証拠に彼はいつもごみ捨ての仕事を仰せつかっていた。

彼の仕える国は五十人の騎士がいる。

彼はその国のごみを全て一人でいつも焼却炉に捨てていた。

どれだけ頑張っても汗臭いから近寄るなと皆から敬遠される今の状況に、彼は不満を覚えていた。

その日もいつものようにごみを捨てていた。

そこにいつもとは違うものを見た。

人影だ。

この時刻にごみを捨てに来る国はここ随分とない。

彼はその姿に驚いた。

どう見ても女子である。

「すかぁと」でなく「はぁふぱんつ」の体操着姿をしているが、明らかに女子である。

彼は茂みを迂回してその女子を窺った。

見た事のない女子だ。

美人ではないが十分可愛らしい魅力的な女子である。

その体のどこにも「印」は見られない。

彼は女子の「はぁふぱんつ」に隠れた太ももにそれがあるとは思いもしなかった。

だから彼は思わず喜び叫んで飛び出していた。



何が起きたのか真菜月みするはわからなかった。

いきなり背後の茂みから飛び出してきた汗だくの男児。

真菜月みするは嫌悪を覚えた。

真菜月みするは恐怖を覚えた。

次の瞬間その男児はまるで真菜月みするとの間に壁でもあるかのように、弾かれまた茂みの中に戻っていった。

「………何?」

おそるおそる真菜月みするが茂みを除けば、そこには男児が伸びている。


(「騎士」は「姫」の許し無く「姫」に触れる事が出来ない。)


昨晩の藤村教諭の説明が真菜月みするの頭に浮かぶ。


(これが、それ……??

でも吹っ飛ぶとかって……うわぁ…。)

真菜月みするはそれが理屈ではない事を知った。

とりあえず男児の危険が無い事を知り安堵する。


(でも起きると面倒だから今の内にさっさと済ませちゃお。)


真菜月みするはもと来た道を戻り、全てのごみを焼却した。


             ◆

日野宮静馬が白石雅の呪縛から逃れことり姫のいる教室に踏み込んだ時、室内は男児達の聞くに堪えない号泣で溢れていた。

騎士達は自らの意思で姫の体に触れる事が出来ない。

まるで毒林檎で亡くなった白雪姫を悼む小人のように、皆ことり姫のいる長椅子の周りで臥して涙を流していた。

日野宮静馬はその小山のような人垣を乱暴に掻きわけて、中心にいるであろうことり姫の元へと辿り着いた。


そこにはことり姫が長椅子に寝そべるようにして気を失っていた。

男児に思い切り振り切られたその左頬はすでに赤く腫れてきている。

おそらく時間が経てばもっと腫れあがる事だろう。

悲しみと苦痛を儚げに浮かべて、その閉じられた瞳からわずかに涙を滲ませている。

その涙に気づいた途端、理性を失い日野宮静馬はことり姫を掻き抱いていた。

誠実な日野宮静馬がことり姫をこんなにしっかりと抱き締めた事は、これまでに一度もない。

そのあまりに小さく華奢なことり姫の体に、日野宮静馬は驚くと同時に狂おしい愛しさを、そして入橋圭達に対する狂おしい憎悪を抱いていた。

ことり姫の優しい香りと柔らかさが、何とか日野宮静馬の怒りをぎりぎりの所で押さえつける。

けれど日野宮静馬は心の中で深く誓いそしてそれを口にしていた。


「……許さない。」



「何か前より綺麗になってない?雅。」

入橋圭は隣を歩く白石雅をまじまじと眺めながら明るく言った。

白石雅はそのあまりに直接的な賛美に思わず頬を赤らめる。

「恥ずかしいよ圭。」

そう言って伏し目がちに恥じらう様は乙女そのものだった。

そんな白石雅を懐かしそうに眺めながら、入橋圭はふいに階段の踊り場で立ち止まる。

そんな入橋圭に合わせて白石雅も慎ましやかにその場に留まった。

「前にも言ったじゃん。

恥ずかしがる事ないって。

雅は雅らしくしている姿が一番だよ。」


恥ずかしがる事ないって。


それが素直になる事を白石雅に教えてくれた入橋圭の大切な言葉。

そして白石雅が入橋圭に恋をした大切な言葉だった。

白石雅が伏し目がちにしていた瞳をそっと入橋圭に向けて窺う。

入橋圭は何も言わず白石雅の頭をそっと己の肩に抱き寄せていた。


「お待たせ雅。」

「うん・・・。」


白石雅は入橋圭が自分を恋愛の対象としていない事を知っていた。

入橋圭は白石雅が自分を恋愛の対象としている事を知っていた。

通常こうした認識を持った同性同士の関係は、一方からの強烈な拒絶によりすぐ終わりを見せてしまう。

しかし入橋圭はそれをしなかった。


白石雅から愛の告白を受けた時は、さすがに驚きはしたが不快感を表す事はなかった。

入橋圭は頭を掻きながら照れくさそうにこう言った。

「ん~男とか女とかで雅見た事無いからよくわかんないなぁ。

とにかく俺は雅が好きだよ。」

白石雅は自分自身を好きだと言ってくれた入橋圭に再び恋に落ちていた。

その後俺とどうかしたいのと訊くびくびくとした入橋圭の質問に、白石雅はただそばにいたいと素直に答えていた。

そっかわかったと答えた入橋圭の顔を見た時、白石雅は彼なら自分が望めば受け止めてくれるかもしれないと思った。

けれどそれを白石雅は望まなかった。

そういう望みがないと言えば嘘になる。

しかしそれを望めば初めて自分を認めてくれた入橋圭を傷つけ、今の関係が壊れる事は間違いない。

それは閉じられたこの世界であまりに苦しく辛いものであった。

だから白石雅は時に男のように信頼し、時に女のように信頼してくれる、この今の入橋圭の傍にありたいとこの時より強く思ったのだ。


「……何かこうしてると微妙にムラムラしてくんだけど。」

入橋圭が白石雅の頭を抱えたままぽつりと呟いた言葉に、白石雅はくすりと笑った。

「そうなると僕は嬉しい。」

「えっ…やっぱそういうもんなの?」

「だって僕は男の子だよ、圭。」

「なる程。」

二人はお互いの顔を見つめて無邪気に笑った。

友情とも愛情ともつかない不思議な関係、けれど確かな信頼で二人は結ばれていた。

入橋圭が笑いを止めて静かに白石雅を見つめる。

その決意に満ちた顔に白石雅も笑いを納めてその顔を真剣に見つめ返した。

「俺はここを「卒業」したい。」

入橋圭は決意を言葉に表して己の首筋を白石雅に露わにした。

淡く咲く花火に白石雅は目を見開き、ついで入橋圭の顔を眺める。


「圭、どうして…もう。」

困惑する白石雅に対して入橋圭は軽く微笑んだ。

その瞳の奥の寂しさに白石雅の心も思わず悲しみがよぎる。


「帰りたいんだ、元の世界に…。

ここはもう嫌なんだ。」


その短い言葉に白石雅は入橋圭の心の全てを読み取っていた。

軽く唇を結んだ後、白石雅は優雅に入橋圭に微笑んでいた。

男児でも見惚れる極上の笑顔を、入橋圭を心から安心させる為に…。


「わかったよ圭。

僕は君の為に騎士になる。」


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