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青春挽歌  作者:
3/12



真菜月みするは、中々寝付く事が出来なかった。

先程気絶と共にそのまま寝入ってしまった事も要因だが、六畳一間に今日知り合ったばかりの接吻魔の青年と、視界の隅にちらりと入る、今や黒の「しるくぱじゃま」に着替えた藤村教諭の眠る「はんもっく」が、何とも落ち着かない事が大きいだろう。


(これで寝るとかってさぁ…・・無理だよ…。)


「んー……。」

「!」


蚊帳の隅で、座布団を枕にして寝ていた入橋圭が寝返りを打つ。

「しゃつ」が透けて、首の辺りがほんのりと淡い光を放っている。

真菜月みするはぼんやりとその光に目を奪われていた。


(「印」の証…・・。

あそこにあたしの唇が……。)


真菜月みするは先程見た、意外と白い入橋圭の白い首筋と鎖骨を思い出し、一人また懊悩した。


(絶対…眠れないから。)


真菜月みするはこちらに無防備な寝顔を向ける入橋圭を直視ししないよう、反対側に寝がえりを打っていた。


「…な……。」


布団の衣擦れの音に入橋圭の寝言がまぎれる。

真菜月みするは、もう一度入橋圭の方を振り返った。

入橋圭は先程と変わらないあどけない寝顔で眠りこけている。


(寝言……?)


真菜月みするはまた背を向けた。

遠くで夏虫と蛙の鳴き声が幻のようにこだましている。

昼間の熱気がしっとりと和らぐ夏の夜。

世界の全てがゆっくりと疲れを癒すそんな時間。


世界の全ての一つである真菜月みするも、気づけばうとうとと眠りに落ちてしまっていた。

遠くで笛の音のような音を聞いた気がしたが、夢か現かその時の真菜月みするには判然としなかった。



藤村教諭の朝は早い。

真菜月みするが目を覚ますと、すでにのりの効いた「しゃつ」に身をつつみ、おさんどんに励んでいた。

吊ってあった「はんもっく」もきちんと片づけられている。


「いつまで寝ているつもりだね?

もう学生の活動時刻はとっくに回っている。」

「えっ…あ、はい!すみません。」

真菜月みするは教師に遅刻を怒られた学生よろしく、しょんぼりと謝罪した。

うなだれて前を見れば、まだ入橋圭が蚊帳の隅で腹を出して眠っている。

入橋圭は昨日の「わいしゃつ」にひざ丈の「はぁふぱんつ」という、何とも中途半端な格好をして眠っていた。

対する真菜月みするはというと、藤村教諭が「せかんどばっく」から出してくれた夏用体操着の上下を着用している。

その胸元には御丁寧にも藤村教諭直筆の達筆で、「真菜月」と「まじっく」で記入されていた。

自分の持ち物にはきちんと名前を書かなければいけないという、いかにも教諭らしい有無をいわさぬ名言で書き上げられてしまった為だ。


(もしかしたら、これが嫌で入橋くん上シャツなのかも…。)


そんな事を真菜月みするはぼんやりと考えていた。


「真菜月君、いい加減入橋を起こしたまえ。

朝食が出来る。」

「あっはい!」

真菜月みするは、とりあえず入橋圭の肩の辺りを揺すってみた。

入橋圭はその顔に少し不快感を浮かべると、わずらわしそうに真菜月みするのその手をぱしりと払っていた。

「なっ…。」

「甘い。」

真菜月みするが入橋圭のその行動に少しむっとしたのと、蚊帳の外から藤村教諭が発言し入橋圭のその後頭部を宙に浮く程の勢いで蹴りあげたのは、ほぼ同時の事であった。

「うでッ!つ~~~ッ。」

入橋圭が後頭部を押さえて丸くなる。

そんな入橋圭の様子を藤村教諭は冷ややかな目つきで見下した。

「真菜月君、入橋はこの位しないと起きない。

よく覚えておきなさい。」

「はぁ……。」

真菜月みするは藤村教諭の手慣れた入橋圭の扱いに少し感心した。


その日の朝食は、納豆の卵かけご飯と浅漬けの一揃い、それと胡瓜の冷たい味噌汁であった。

品目としては何という事もない素朴な朝食ではあったが、藤村「めいど」のなせる業であろうか…。

全ての食材に新鮮極上が宿っており、真菜月みするも入橋圭も朝からおかわりをした程だった。

(これも全て藤村メイド…。)

真菜月みするは「すぅつ」で鶏舎を見回る牧歌的な藤村教諭の姿を、悶々と思い浮かべながら朝食を堪能した。



「あー、幸せ~。藤村センセ、まじ俺の嫁にしたいから。」

朝食にご満悦の入橋圭はお腹をさすりながら告白する。

「入橋、教師と生徒の恋愛は禁止されている。」

その告白に藤村教諭は後片付けをしながら真面目に応対をする。


(藤村先生って案外、可愛い…。)


本人に告げたら、相当殺気のかかった視線で釘づけにされるであろう印象を真菜月みするは思いつき、一人微笑ましい気持ちに浸っていた。


「ところで真菜月君、君は料理は出来るのか?」

微笑ましく浸っていた真菜月みするに、藤村教諭が痛い所を質問する。

見れば興味深げに入橋圭も真菜月みするの方に視線を向けていた。


「……ちょっとだけ。」

真菜月みするは、消え入りそうな声で呟いた。

「ちょっと?それってどんだけ?」

入橋圭が怪訝そうな顔をして真菜月みするを見つめている。

真菜月みするは目をさ迷わせて狼狽した。

彼女の手料理はもっぱら「温めてちん」であったからだ。


「……こりゃ早々に雅の奴でもスカウトするかなぁ。」

何となく真相を察した入橋圭が、やれやれと言った感じで投げやりに呟く。

「みやび?」

真菜月みするがその名前を復唱していると、入橋圭は着るものを持ってさっさと用務員室の扉に手をかけていた。


「藤村センセ、俺一風呂浴びて雅んトコ行ってくるから。

その間みするの事よろしく。」

「入橋、騎士の一人もいない姫を一人にするのか?」

「騎士がいないからこその先生でしょ。

弱者の特権使わなくちゃ。」

「……教師を「使う」?」

「うわっ!やべ、嘘だからっ!」

入橋圭は暗殺者のような空気を放出する藤村教諭と真菜月みするを部屋に残して、さっさと部屋から逃げるように出て行った。


ぱたぱたと遠く響いていく入橋圭の足音。

その音が扉のばたりと閉まる音と共に消失した。

おそらく「といれ」にでも入ったのだろう…。

気づけば六畳一間に真菜月みするは、このとっつきにくそうな藤村教諭と二人きりになっていた。


(う……微妙にきまずいんですけど。)


何とも重い空気が立ち込める。

真菜月みするがどうにも耐えずらくなってきたその時、藤村教諭が言葉を発していた。

「今日はこの恐ろしく汚い部屋を掃除する。

真菜月君、君にも手伝ってもらいたい。

いいかね?」

一応了承を取ろうとするが、そのはらむ空気が明らかに否を言わせない藤村教諭の言に、真菜月みするは素直に従った。

どの道彼女にはこの世界でまだすべき事を見いだせていない。

それにちょうど体操着というのも掃除に適している。

藤村教諭指導のもと、真菜月みするは主婦と化して六畳一間の掃除に参加した。


             ◆

入橋圭は用務員室傍の男子便所で全ての身だしなみを整えてそこを後にした。

一見するとただの男子便所のようになっているが、内部にはすでに入橋圭の専用と化した「しゃわぁ」まで内蔵されていて、外国の「ばするぅむ」の様相を呈していた。


入橋圭は男子便所を後にすると校内の上階を目指していた。

入橋圭の目指す人物、白石雅。

多喜勇治と共に最後まで入橋圭のそばを離れなかった人物である。

入橋圭は白石雅が姫に仕えるとは思えなかった。

しかしここでは姫無しでは生きていけない。

それは冗談ではなく事実としてだった。

この学内では生活のあらゆるものが配給制だった。

そしてそれは姫の徳によって左右された。

姫が己の配下に施しを与える。

これがこの学園での不毛な支配体系だった。

男児一人では生きていけない。

しかし白石雅が死ぬ事は死んでもあり得ない事だった。

入橋圭は確信している、何故なら己が生きているからと。

そう…白石雅は入橋圭を心から愛している男児であった。


              ◆

「入橋はよくこんな所で生活をしていられたな。」


藤村教諭の言葉に真菜月みするも賛成だった。

冷蔵庫を開けば闇、戸棚を開ければ闇、押入れを開けば闇。

昨晩までそこでよく寝ていたものだと真菜月みするは寒気を覚えた。

ほこりをごっそりと載せていた蚊帳は、今や外され窓も扉も全開にされている。

黒一色だった藤村教諭が、ほんのり白くなる程に用務員室の闇は深かった。

藤村教諭と真菜月みするは、今や揃いの黒「ますく」で格闘している。


「もう!

入橋くん何でゴミ捨てないのぉ。

…っぐ、臭いよォ。

ヒィッ!小蠅ェ!

げェッ!ゴキィッ!」

またまた乙女らしからぬ奇声をあげて押入れを冒険していた真菜月みするが錯乱した。

入橋圭の服を分別していた藤村教諭が、そんな真菜月みするにそっと近づく。

近づきながら藤村教諭は、真菜月みするを翻弄し散開した無数の小蠅と「黒の貴婦人」を目にも止まらぬ速さで捕えていった。


「騒ぐ程のものじゃない。」

それだけ言うと藤村教諭は何事もなかったように窓辺に近づくと、そっとその手を開き彼等を逃がしていた。


「無駄な殺しはしない。」


慈愛の言葉も藤村教諭が語ると、何故か凄腕の暗殺者のように聞こえてくるから不思議である。


(良い人なんだろうけどなぁ…。)


真菜月みするはそんな藤村教諭をぼんやりと見つめていた。

藤村教諭の氷の視線が真菜月みするの瞳を貫く。

常時敵意を放つ藤村教諭の視線に、真菜月みするは叱られているような気分にさせられる。

「真菜月君、君は私の分類したものを外に出す作業をしてもらおう。

この部屋の掃除は骨が折れる。」

思わず助かりますと口にした真菜月みするは、藤村教諭から運搬の指導を受ける事となった。


「この袋の山が入橋の衣服だ。

これは男子トイレの脇にでも放置しておきなさい。

入橋には私から洗濯するよう指示する。

もし従わない場合は焼却炉へ捨てる。

そしてこの袋の山はごみだ。

焼却炉で燃す。

焼却炉の場所は知っているか?」

「いえ、知りません。

まだどこがどこかもわからなくて…。」

真菜月みするがそう言うと、藤村教諭はだまって自分の「せかんどばっく」を漁り始めた。

中から折りたたまれた羊皮紙を一枚抜き出す。

それを藤村教諭は真菜月みするに手渡していた。

「入橋がすでに持っていると思うが、この学園の地図だ。

使いなさい。」

くたりとした羊皮紙を真菜月みするは広げてみた。

黄ばんだ羊皮紙の上には筆で描いた様な学園の見取り図が描かれている。

まるで某魔法学校の地図である。

階層ごとに平面に描かれた教室の枠の中央には、何年何組などといった教室名が書かれている。

全ての文字が旧漢字で書かれたそれはまるで古文書のようであった。


「ここが今真菜月君のいる用務員室だ。」


藤村教諭の示した1階の小さな部屋が、絵の具を落としたような淡い藍色に染まっている。

よく見れば大小様々の7色の色が校内のあちらこちらに広がっていた。

「この色は領地を示している。

今真菜月君の色はここから男子トイレの所まで続いている。

つまりこれが真菜月君の領地だ。」

「あたしの領地…。」

ざっと見取り図の色を辿る。

どの色も真菜月みするの色より大きく広がっていた。

「領地の色は一定期間その場所にその色の騎士が出入りすると染まるようになっている。

とにかく今は他の色のある所に近づかないようにしたまえ。

さて焼却炉の場所だが―――」

そういうと藤村教諭はその羊皮紙を引っくり返し、今度は校庭全ても網羅された立体的な学園図を示して焼却炉の場所を真菜月みするに教授した。


真菜月みするは用務員室の外へ出た。

とりあえず入橋圭の汚物を男子便所の前に山積みにすると、焼却炉目指して外に向かう。

外へ出る為の一番近い通用口は、用務員室の隣の奥まった廊下の先にあった。

外に出た真菜月みするは夏の日差しの強さに思わず目を細めた。

遠くで油蝉のやかましい鳴き声が聞こえてくる。

けれど人の気配はやはり全く感じられなかった。


(あたし、本当に何してんだろうなぁ…。)


夏の日差しは容赦なく、地面とそこを歩く真菜月みするをじりじりと焼きつける。

地図で示された場所には確かに焼却炉があり、煙をゆらゆらと空へ伸ばしていた。


(環境に悪いから焼却炉って駄目なんじゃなかったっけ…。

でも先生が言うんだし、いっかもう…。)


夏の暑さと焼却炉の熱さで考えるのも面倒になった真菜月みするは、両手のごみをぽんぽんと焼却炉に投げ込むと、もと来た道を歩き出した。

あともう一往復しなければならない、それを思い真菜月みするが少しうんざりした時だった。


「姫だぁ~~~!!」


何処にいたものやら、一人の男児が真菜月みするに飛びかかってきた。


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