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青春挽歌  作者:
2/12



「う…・・・・。」

真菜月みするはぼんやりと覚醒した。

年季物の傘のついた豆電球が目の先にある。

その周りを小さな羽虫が幾つか飛んでいた。


(ここは……。)


「よく寝てたね。」

「ッ……!」

真菜月みするは完全に覚醒した。

一気に横たえられていた己の体をがばりと持ち上げる。

声の主は真菜月みするの(かたわ)らで「かっぷらぁめん」をすすっていた。

背を向けていた声の主がゆっくりと振り返る。

その口元には小さな青ねぎが付いていた。


「ハラ減ってない?菓子パンかこれか選べるけど。」

そこには先程の青年が己の「かっぷらぁめん」を示してあぐらを掻いていた。

真菜月みするは何も答える事が出来なかった。

どちらかといえば彼女は空腹だった。

けれどそんな事より何よりも、真菜月みするは今のこの状況で頭がいっぱいだった。


「用務員室だから自炊出来んの、でも俺そういうの駄目だから材料なんも今ないんだよ。」

青年は自分の「かっぷらぁめん」に何故か「まよねぇず」を投入しながら説明をした。

くちゃくちゃとかきまぜると音をたてて(すす)り出す。

何とも胸やけのするおぞましい光景だった。


「君、名前は?」

「あっ…あたし?

みする…真菜月みする。」

「まなつきみする……ふぅんじゃあ「みする」って呼んでいい?

俺は入橋圭、好きに呼んでいいから。」

「ん……って、それよりここ何なの!学校でしょ?

用務員室ってあたしこんな所で寝てちゃまずくない?」

真菜月みするは辺りを見渡した。

御丁寧にも真菜月みするの体は、用務員室の備品と思われる布団の中に置かれていた。

見れば周囲には蚊帳まで張られ、蚊取り線香がするすると細く煙をなびかせている。

部屋の隅には気散らした「わいしゃつ」やら「かっぷめん」の空やら、急遽隅に追いやったであろう汚物の小山が出来ている。

目の前の入橋圭の手の物から推測するに、あの小山は彼の手によるものであろう…。

となれば彼はここで自活をしている可能性が高くなる。

彼の手元に置かれた使いかけの「まよねぇず」がその可能性を色濃く見せる。

男子学生が学校の用務員室で自活する、少なくとも真菜月みするの通う学校にそのような習慣はなかった。


「あぁ、大丈夫大丈夫、ここはみするの「城」だから。

それにもうすぐ「セン公」も来ると思うし…。」

「セン公…。」


真菜月みするはその言葉を反芻した。

線香ではない、発音が違う。先公、それは先生の軽称ではなかったか?


「駄目じゃんッ!!」

「失礼。」


真菜月みするが否定の叫びをあげたのと、その人物が用務員室の扉を開けたのはほとんど同時の事だった。

真菜月みするは蚊帳の網目から透けて見えるその人物を凝視した。

すらりと背の高い紳士、夏の陽気にも関わらず細身の体を黒の背広で固めている。

その髪の毛はきちんと撫でつけられ、神経質そうな眉毛と銀縁の眼鏡が印象的だった。


「ども、ひさしぶりですね。藤村センセ。」

入橋圭も軽く振り返り背の高い紳士、藤村に手をあげた。


(藤村・・・せんせ……センセって)

「セン公じゃんっ!!」

真菜月みするは驚きのあまり、その藤村という男を指でさして声を上げていた。

紳士、藤村の神経質な眉毛がひくりとわずかに動く。

真菜月みするの位置からではその様子はうかがえない。

しかし彼女は、先生と呼ばれる目上の人間にぶしつけな声を上げた事に、少なからぬ緊張感を覚えていた。


「あ……。」

「これはこれは随分と無作法な姫君だ。

それにしても、これは………。」

藤村が室内をぐるりと見る(程広くはないのだが、気分的に)や、薄く「めす」で切るかのような冷ややかな笑みを浮かべると呟いた。


「すでに愛の巣…。」

夜の学校、用務員室、六畳一間、蒲団、蚊帳、青春男女―――


「違いますッッ!!!」

「おわっ!」

真菜月みするは激しく抗議し、入橋圭はびくりと肩を震わせて驚いた。



「それで真菜月君、きみはどこまで入橋から聞いている?」

藤村教諭は真菜月みするに背を向けたまま質問した。

手元から軽快な包丁さばきの音が鳴り響く。

教師というより「えりぃと」官僚か要人の「えすぴぃ」にしか見えないその紳士は、あろう事か用務員室の小さな台所で男の手料理を始めていた。



「夕食は済ませたかね?」

藤村教諭の質問に真菜月みするが首を横に振ると「ちょうどいい、私もこれからだ。」というや手持ちの「せかんどばっく」の中から、黒の「えぷろん」とそろいの「あぁむばんど」、それに「とまと」やら卵やらの食材諸々を出すやいなや自慢の腕を振るいだしたという次第である。


「何も……それよりここでこんな事していていいんですか?

それに本当に藤村さんて先生なんですか?」

真菜月みするは納得がいかなかった。

不法侵入の学生の腹を満たす事よりも先にすべき事が教師にはあると、真菜月みするは考えたからだ。

「たおるけっと」を抱え込むように体育座りをしながら、藤村教諭の後ろ姿を凝視する。

広い背中ときちんと腰の辺りで絞められた「えぷろん」の紐、玄人の包丁さばきを見せる殿方にしてはすらりと長い指先、そして上品な時計で絞められた肘まで露わな筋の薄くのった腕の動き、真菜月みするは気づけばそこに見とれていた。


「えっちィ…。」

そんな真菜月みするの視線がわかってか、入橋圭がにやにやとちゃちゃを入れる。

「っぶ……!」

そんな入橋圭の顔面に真菜月みするは、手元の枕を投げつけていた。


「ここは真菜月君の「領地」だから問題はない。

そして私は確かに「教師」だ。

称号は「公爵」、「ゲオルク様」の命により、君のような生まれ落ちたたばかりの姫君を教え諭し、自らの領地を自らの力で治める力をつけるまで保護する事が私の使命。」

「…………はい????」

口調は至極まともな藤村教諭の、理解不能な中世話に真菜月みするはさらなる混乱をきたした。

その間にも藤村教諭は「ふらいぱん」に薄く油を引き、解きほぐした卵で薄焼きを作っている。

何とも甘い香りが室内を満たしていった。


「一種の神隠しにあったんだよ、みするも俺も。」

真菜月みするの隣で膝に枕とあごをのせた入橋圭が、けだるげにつぶやいた。

その間にも藤村教諭の包丁さばきの音が鳴り響く。

どうやら先程の薄焼き卵の千切りをしているらしい…。卵の千切り…もしかしたら夕食はあの夏の定番が来るかもしれない。


それにしても何とも現実感のない状況である。


「俺は変なババアに連れて来られた。そいつはここの女王で「べロニカ」っていうらしい。

で、たぶんみするは変なオヤジに会っただろ?そいつが「ゲオルク」、ここのキングだ。」


(変な、オヤジ………。)


黒と赤の交互に染まった歯、

ぜひ君を飼いたいなァ。


「……会った…気持ち悪いおじさん。」

真菜月みするは思わず身震いした。それ程にその男は薄気味の悪い姿をしていた。


ダンッ!!


突然の大きな音に、思わず真菜月みすると入橋圭は肩をすくめた。

音のした方を見ると、藤村教諭が包丁を半分以上まな板に食い込ませて、こちらを睨みつけている。

もともと神経質な威圧感のある藤村教諭の敵視はすさまじいものがあった。


「両殿下の悪口を言う事は誰であろうと許されない。」


よくわからないがとりあえず真菜月みするは藤村教諭に謝罪した。

藤村教諭の放つ敵意が、その手に握る包丁を振り上げんばかりに強く感じられた為だ。

入橋圭も「もう言わないからさ。」と軽く謝罪を見せている。

藤村教諭は納得のいかない顔でとりあえず納得すると、小さな溜息をついてまた男の手料理へと戻っていった。


「この学校はその「両殿下」の箱庭で俺達は飼われてるって訳。

女の子がほんの数人しかいなくてさ、それぞれ集団作って敵対してるんだよ。」

「正確には真菜月君を合わせて現在7人の姫君が7つの国を築いている。」

「女の子はここでは姫って呼ばれる訳。」

「はぁ・・。」

わかったようなわからないような、とりあえず学園派閥争いのようなものがこの学校で展開されている事を真菜月みするはぼんやりと認識した。


「それじゃ王子は?男の子の事?」

真菜月みするは質問した。

質問しながらそれは少しちがうような気がしていた。

先程複数の男児がいながら「王子になるのは~」と言っていたのをぼんやりと思い出していたからだ。

おそらく無条件でなれるものではないに違いない。

そしてやはり藤村教諭は真菜月みするの予想通りの回答を背中ごしから投げかけてきた。


「いや、全ての男児が王子とはなりえない。

王子は姫と「婚約」して初めて称される男児の呼び名、大抵の男児は「騎士」に甘んじている。」

「「婚約」……。」

「そっ!……で、みするは俺と婚約したから俺王子。」

「ふうん、入橋くん王子なんだ…・・・・・・・・・…って。」


「婚約ゥ~~~~~~~~~ッ!!!」


真菜月みするは絶叫した。

その叫びは熱湯の湯でこぼし作業をしていた藤村教諭の手元を狂わせた程である。

藤村教諭はわずか指先に火傷を負った。

しかし藤村教諭は眉を少し動かしただけで黙々と麺の水洗いを始めていた。


「なっ…・・何で!!

あたし?あたしと??」

「そっ!みすると俺は婚約中。」

「うッ…・・嘘だ!

あたしそんな事してないし!!聞いてないし!!」

「……聞いてないけど、確かにしたよ俺達。

その証拠に―――」

「君たち。」

入橋圭の話を藤村教諭が遮った。

見ると藤村教諭は手早くごまをすり鉢麺棒で擂り潰している。

どうやら「たれ」を本格的に作り上げるつもりらしい。


「じきに出来る、布団を片付けたまえ。」


有無を言わさぬ藤村教諭の言葉に、二人はあたふたと布団を片付け隅に追いやられていた昔懐かしのちゃぶ台を中央に配置した。

背筋をぴんと伸ばして正座して二人の待つちゃぶ台へ藤村教諭が給仕を行う。

そこには藤村教諭特製の冷やし中華ごまだれが用意された。


「あのセンセ…俺のは?」

「入橋、君は先程あの気持ちの悪いものを食べただろう。」

入橋圭はそんなぁというと足を崩してうなだれた。

藤村教諭はそんな入橋圭を無視してさっさと「せかんどばっく」から出したきらきら輝く「ふぉおく」と「すぷぅん」で、何故か冷やし中華を「ぱすた」よろしく優雅に食べていく。

真菜月みするはそんな藤村教諭の姿をあっけにとられて見つめていた。


「…何だね、真菜月君。君もフォーク派かね?」

「いっ……いえ!!」

「…早く食べたまえ。麺が延びる。」

「はっ…はぁ…。」

真菜月みするはとりあえず藤村教諭の冷やし中華を食する事にした。

一口くちに運ぶとそのあまりの芸術性に真菜月みするは息を飲んだ。

(何これ…ピリッと甘辛香ばしいみそだれなんだけど…。

野菜もしゃきしゃきだし麺もエビみたいにプリッとしてるし…あり得ない位美味しい。)


「口に合わなかったかね?」

「っ…・・まさか!!

すっごく美味しいです藤村先生!

こんな美味しい冷やし中華あたし初めて!」

「そりゃそうだ…野菜から麺まで全部藤村メイドの絶品冷やし中華だもん。」

入橋圭がややいじけた様子で物欲しそうに二人の皿を見つめていた。


(野菜から麺まで……。)


そんな「すろぉらいふ」生活からほど遠い容姿と空気を放つ藤村教諭をまじまじと見つめながら、真菜月みするは絶品冷やし中華を堪能した。


「それでは本題に入ろうか。先程は何を話していたかな。」

藤村教諭の入れてくれた「あいす」緑茶を前にしてちゃぶ台講義が始まった。

真菜月みするが教師に質問する学生よろしく「はい!」と元気に挙手をする。


「真菜月君。」


そんな真菜月みするを学生を指名する教師よろしく藤村教諭が指し示す。


「「婚約」って何ですか?

入橋くんはあたしと婚約したっていうけど、あたしそんな事してません!」

「えっ…ちょっとしたじゃん、ちゃんと…。」

「ちゃんと?ちゃんとって何がっ!

いつちゃんとしたのよ!!両親への挨拶は?婚約指輪は?結納は??」

「待ちなさい、真菜月君。

「婚約」しているというのなら二人共「印」を持つはずだ。

入橋、真菜月君の「印」はどこにある?」

「しるし?」

「えっとみするの「印」はここに―――」

「ッ…!」

真菜月みするは、無造作に己の太ももに触れてきた入橋圭の顔に向けて「あいす」緑茶をぶっかけた。

そんな二人のやりとりを、藤村教諭は証券市場の動きでも見極めるかのような冷めた目つきで傍観している。


「つめて……おい、みする!

いきなり何すんだよッ!」

「何すんだは入橋くんじゃん!

勝手にあたしの太もも何度も触んないでよ!」

「だってそこにッ―――」


「真菜月君、立ちなさい。」


「え?」

藤村教諭の一言に、あわや本気の痴話喧嘩に陥りそうであった二人の動きがぴたりと止まる。

真菜月みするは何となく釈然としなかったが、とりあえず藤村教諭が怖いのでその場にすくりと立ち上がった。


「それが「印」だ…。」

藤村教諭がすっと長い指先で指し示す。

真菜月みするはその指先を追って自分の太ももを凝視した。


「あ……。」

真菜月みするの太ももには夜空に咲く花火のような模様が小さく浮かび上がっていた。

白と藍と黄色の輝き、それが綺羅綺羅と色めいている。

「何これ!いつの間に…。」

「それで入橋、お前の「印」はどこにある?」


驚く真菜月みするをそのままに、藤村教諭は入橋圭に視線を移す。

入橋圭は少しそのまま黙した後、己の「わいしゃつ」の襟もとを開き首筋を露わにした。

入橋圭の花火の刻印は左の首筋の鎖骨近くに咲いていた。


「確かに二人とも「婚約」しているようだ。」

「だからどうしてですかっ!」


一人混乱する真菜月みするを残して藤村教諭は早々に結論を出していた。

少し神経質そうに眉をひくりと動かすと、教諭らしく真菜月みするに丁寧な説明を始めた。


「初めに姫の体の何処かに口づけした男児、この者が「王子」候補となる。

そして「王子」候補となった男児が「姫」から許しの口づけを体の何処かに受けるとそこで「婚約」が成立し、その男児はそこで初めて「王子」となる。

二人の体にあるその「印」が口付けの証。

しかしその場所は――」


真菜月みするの太もも、そして入橋圭の首筋、藤村教諭は順々に二人の「印」を一瞥すると――――

「……君達には、恥じらいというものがないのかね?」

不快感をわずかに浮かべ溜息をつくように藤村教諭は呟いた。


「っっち……違いますッ!!藤村先生、誤解です!

ちょっとどういう事!入橋くん!」

「はい……?」

「はいじゃないよっ!

何で入橋くんに「印」があるの?

あたし今の今まで寝ててキスなんてしてないのに!!」

「……あー、それは。」

「あっ…もしかしてあたしが寝てる間に無理矢理?

太ももだけじゃなくて色々触ったんでしょ!!

やだよ、信じらんない…最低だよ、入橋くん。」

真菜月みするは、今や瞳一杯に涙を浮かべ一粒こぼれ落ちるやわっと顔を覆って泣き出した。

そもそも真菜月みするはこの非現実的な状況にまだ適応出来ずに疲れていた。

その事もあってか真菜月みするはせきを切ったように泣きに泣いた。


「入橋、今の真菜月君の話は真実か?」

藤村教諭が「せかんどばっく」に手を伸ばしながら入橋圭を詰問する。

その声音は、今まで聞いた藤村教諭の声音の中で一番低く冷たい刃をはらんでいた。

そっと「せかんどばっく」の中から出席簿と書かれた黒い板を抜き出す。

「公則違反だ。」

「ちょっ…!待った、藤村センセ!」

入橋圭が両手を目の前に突き出して慌てて手を振る。

そんな入橋圭を無視して藤村教諭はぱらぱらと出席簿をめくる。

「マジで不可抗力だったんだよ!

みする抱えて校舎の窓から飛び降りたら、みする気失ってて!

体持ちなおそうとしたらたまたま首にみするの口が当たったみたいでさ!

気づいたら正式に婚約成立してて!

嘘じゃないってホントだよ!!」


「…不可抗力。」

藤村教諭が手元の出席簿をぱたりと閉じた。

じぃっと入橋圭を一しきり見つめた後、藤村教諭は真菜月みするに向けて言った。

「……だそうだが、どうする?

「婚約破棄」するか?真菜月君。」

「え……婚約破棄?出来るの?」

「出来る。

姫から婚約破棄をする事は可能だ。」

「本当に?」

真菜月みするの顔が涙ながらも華やいだ。

入橋圭が難しい顔をしている。

しかし真菜月みするはこの年で「婚約」などひやかしの対象にしかならない称号を掲げている事には我慢ならなかった。

「どうすればいいんですか?藤村先生。」

「思いきり入橋の頬を張れ。

それで婚約破棄は成立する。」

藤村教諭は感情のこもらない声で告げた。

真菜月みするはまじまじと隣の入橋圭を見つめた。

入橋圭は覚悟を決めた様に畏まって座っている。

「張るって…思い切りぶつって事ですか?」

「そうだ。」


(ぶつ……。)


真菜月みするは拳を作り握り締めた。

余談になるが真菜月みするには兄弟はいない。

真菜月みするは一人っ子である。

ゆえに彼女は体を使った喧嘩というものをこれまでした事が全くなかった。

幼児の頃にあったのかもしれないが、物心ついてからその先その記憶は彼女にはない。

人の頬を張る、「どらま」や漫画の中で頻繁に見かける、その人の触れ合いを自分が主導者となって行う事に真菜月みするは少なからず躊躇を覚えていた。


「やれよ、みする。

嫌なんだろ?」

しびれを切らした入橋圭がぼそりと呟く。

戸惑う真菜月みするの瞳と俯いていた入橋圭の瞳がぶつかった。


「けどそうなったらさっきみたいな野郎共が皆みするを求めてやってくるからな。

覚悟しとけよ。」

「えっ……!」

「入橋、脅迫はよくないな。」

「あ…いッ…ち…違うから!藤村センセ!」

また出席簿を持ち上げた藤村教諭に入橋圭は動揺した。

真菜月みするは考える。

どうして皆王子になりたいのか?

けれど真菜月みするの今の知識ではその結論を出す事は出来なかった。


「待ってください、藤村先生。どうして皆王子になりたいんですか?」


藤村教諭が入橋圭から真菜月みするに視線を戻す。

その途端、入橋圭があからさまに安堵の表情を浮かべていた。


「普段の特権もあるが、殿下に認められた姫と王子はこの学園を「卒業」出来るからだろう。」

「「卒業」…それって…。」

「このおかしな世界から抜け出す方法の一つって事さ。

「卒業」しないと年は取らないがずっとここに閉じ込められる。」

「そんなっ…・・!何で!」

「言っただろ?俺とみするは一種の神隠しにあったんだってさ。

ここにいる学生連中は皆そうだよ。

ほとんどの奴がここを抜け出す為に必死こいてる。

そしてその鍵を握るのが―――」

入橋圭がじっと真菜月みするを見据えた。

こんな近くで結構美形の青年に見据えられた事のない真菜月みするは幾分動揺を胸にきたした。

「この世に数少ない姫君だ。」

入橋圭の熱い真剣な眼差しと自分に向けて告げられた「姫」という言葉に、真菜月みするは不覚にもときめきを覚えていた。



「「姫」は不可侵の存在。

「姫」に認められた「王子」のみが「姫」に触れる事が許される。

一方「王子」より後に認められた男児を称して「騎士」という。

「訣別」の時を除いて「騎士」は「姫」の許し無く「姫」に触れる事が出来ない。

ただ「騎士」でも「姫」に認められた者のみ共に「卒業」が許されている。」

藤村教諭が軽く注釈を入れる。

「だからすっごい逆ハーレム世界。

どう考えてもべロニカの趣味だよな。」

へらっと笑う入橋圭に真菜月みするは緊張が解けてほっとした。


(…ってなんであたしほっとしてんの!)


真菜月みするは一人頭を抱えて懊悩した。

そんな真菜月みするを見つめて静かに入橋圭が言葉を告げる。


「俺じゃ、駄目かな…。」

「え………。」

「だから俺が、みするの王子じゃ駄目かな?」

「あ……えと…どうなんだろ…。

あたし、まだよくわかんないし…さ…。」

真菜月みするは、自分の耳が熱くなるのを感じでいた。

助けを求めるように真菜月みするは藤村教諭の方を見たが、いつの間に蚊帳の外へ出たのものか、藤村教諭はこちらに背を向けて流しで片づけを始めている。

(えっ……ちょ…先生~!!)


藤村教諭は不純異性交遊は良しとしないが、青春男女の自由恋愛は奨励している。

そんな藤村教諭なりに気を使っているようだ。

「ごめんなさい!

無理だよ、入橋くん!

あたしそんないきなり結論出せないよ!」

真菜月みするはお手上げの「ぽぉず」を取って入橋圭に詫びた。

入橋圭はそっかと呟くと己の頬を真菜月みするに突き出した。


「じゃ、どうぞひと思いにやって下さい。

みする姫。」

「いや……実をいうとそれも無理。」

「はい??」


入橋圭は訳がわからないといった顔をして真菜月みするをまじまじと見つめた。

こういう間の抜けた顔も可愛らしいなと真菜月みするは密かに思った。

「あたし、人叩いた事ないし…。

それに入橋くんと縁切ったらさっきみたいな男子達が沢山襲ってきてあたしにキスするんでしょ?

それも困るし絶対ヤダし…・・。」

「それじゃどうすんのさ?」

「だから同盟!!」

「どーめい…?」

「じゃなかったら友達!」

「友達…。」

真菜月みするは入橋圭の目の前に手を出した。

ちょうど握手する様な形で差し出されたその手を入橋圭はまじまじと見つめる。


「この世界から抜け出す為にはとりあえず「姫」と「王子」が最低条件なんでしょ?

幸か不幸かこうして縁があった訳だし…。

とりあえずお互い元の世界に戻る為に力を合わせて頑張るって形じゃ駄目かな?」

「…つまり、お友達からのお付き合いってやつ?」

「うん、まぁ、それ。」

「ふむ…。」

入橋圭は己の口元に手をあてて少し思案する様な姿勢を取った。

悩むまでも無い事だろうと真菜月みするは少し呆れた。

しかしそんな入橋圭の姿に、真菜月みするは彼は本気で自分と恋仲になりたいのではという甘い疑惑を不覚にも頭によぎらせてしまっていた。


「うん、じゃあいいや。それでよろしく!」


それまでの「ぽぉず」が嘘のような軽い応答で、入橋圭は真菜月みするの要求をのんだ。

そして差し出された真菜月みするの手をしっかりと握る。


「しっかり俺が守るから…。」

「うん!」


二人の視線が信頼でつながる。

しかし入橋圭は真菜月みするのつかんだ手をそのまま自分の唇に近付けた事によりその信頼をすぐにぶちやぶっていた。


「ギャあっ!」

「…ッテェ!!」

「何すんだ!お前!

てかさっきから悲鳴ひどすぎ!怪鳥かよ!

それに人殴った事ねぇって嘘だろ!

思いっきりかましやがって…!」

「入橋くんが悪いんじゃん!

いちいちぽいぽいキスなんかして!

俺が守る?

そうよ!まず入橋くんが守ってよ!

あたしの体に触れんの禁止!」

「…禁止だぁ?

はっ…あいにくだったなァ。

王子は姫の意思なんか無視して勝手に触れんだよ!!」

「最低ッ!そんな事したら婚約破棄してやるからッ!」

「あっ!みする…それはよして…。ごめん、顔はやめて、ぶたないで…」


和解と同時に始まった痴話喧嘩を背中越しに聞きながら藤村教諭は密かに思った。


(案外似合いの「婚約」だ…。)


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