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青春挽歌  作者:
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「決闘場へ参ります。」


芳乃姫のその声を合図に、二人の長身の男児がそれぞれ日傘を持ち、芳乃姫と真菜月みするの後に付き従った。

思わずぎょっとして、真菜月みするはそちらを振り向いてしまう。

男児達は表情を崩さない、じっと前を見つめる様はまるで訓練されつくした精鋭軍人のようである。

何やらぴりぴりとした空気に真菜月みするは落ち着かない。


「どうしました?みするさん。」


階下へと向かう芳乃姫が、そっと真菜月みするの様子を窺う。

真菜月みするは少し後ろを気にしながら、そっと芳乃姫に囁いていた。

「なんだか…後ろの人達、無表情だから少し緊張して…。」

「まぁ、ふふふ。」

芳乃姫は軽くほほ笑むと、後ろの二人に向けて話しかけていた。


「渡さん、脩平さん、いつも通り楽にして下さって結構ですよ。

みするさんもその方がよろしいようです。」

芳乃姫がそういうやいなや、渡、脩平と呼ばれた二人の男児はそれまでの無表情が嘘のようにへらりと相好を崩すと、「あーありがたいです。」と額をふきふき、襟元をぱたぱたと仰ぎ出した。

いきなりあふれ出た二人の男児の人間臭さに、真菜月みするはあっけに取られる。

そんな真菜月みするを見て、芳乃姫はくすくすとほほ笑んだ。

「普段からこんな堅苦しくしている訳ではないの。

他国を迎える時だけ特別にね。

普段は見ての通りこんな感じです。」

「そうそうこんな感じこんな感じ。」

「ねぇねぇ、みするさんお幾つですか?」

二人の男児が人懐こく真菜月みするにからんでくる。

真菜月みするはまだびくびくとしながらも、そんな二人の男児を交えて芳乃姫と歓談した。


校舎の正面玄関から面に出る。

飴色の観音扉はすでに開け放たれていた。

二人の男児がさっと芳乃姫や真菜月みするの頭上に日傘をかぶせる。

見れば学らんのまま、肌を刺すような直射日光を浴びている。


「あの、大丈夫ですか?」

思わず真菜月みするは額に汗する男児を窺ってしまう。

勿論男児は「大丈夫ですよ、この位。」というしかない。

ちなみに、真菜月みするに傘を掛けている男児は渡である。


「芳乃さん、学ランは脱いでもらっちゃ駄目なんですか?

もし礼儀で着ているとかだったら、あたし全然気にしないですから。」

真菜月みするは芳乃姫を窺う。

芳乃姫はやんわりと真菜月みするにほほ笑んだ。


「優しいのね。

ありがとう、みするさん。」


すぐさま芳乃姫が背後の二人に是を示す。

渡と脩平という男児は、「わぁ!ホントみするさん助かります!」「死ぬ程暑かったんですぅ~、あ、これ2人共若大将には内緒で願いますよ。あの人すぐ日本男児が何たるか始めますから。」と言いながら嬉々として、学らんを脱いでいく。

何だかその子供っぽい様子がとても微笑ましくて、真菜月みすると芳乃姫はくすくすと顔を合わせて笑ってしまった。


「芳乃、遅いぞ!

立会人の姫がいなくちゃ決闘出来んじゃないか!」

そこにはうずうずとしびれを切らした蒲池大々が立っていた。

真菜月みするはその景色に目を疑った。


決闘場、そこは体育館の裏に設けられていた。

普通ならば体育館の影になりうす暗くなっているはずのそこには、穏やかな木漏れ日が漏れている。

そう、それはあまりに穏やかだった。

どう考えても先程までの夏の日差しではない。

それは穏やか過ぎて春の日差しを思わせる。

その証拠にそこは一面桜並木が群れをなし、桃色の花弁を乱舞させていた。


「芳乃さん、桜……咲いてるよ。夏なのに。」


真菜月みするはとりあえず、事実をぽつぽつと並べ立てる。

そんなぼんやりした様子の真菜月みするの初々しい反応に、傘持ちの二人の男児はくすくすと笑い合った。


「えぇ…。

何故かここには咲いているの。

ここだけいつも春の陽気なんですよ。

べロニカ様の演出と言われています。

桜散る決闘なんていかにも絵になるでしょう?」

「……そう、ですね。」

確かに絵になるが、季節がこうも場所場所で変化するのは如何なものか、真菜月みするは今一つ納得できないまま目の前の現実に目をくれていた。


桜並木は体育館の裏一面に続いている。

その並木の間に、人が横並びに三人位は通れる幅の石畳が敷かれていた。

石畳の両端付近に、塗装の施されていないぼろぼろの鳥居が設置されている。

ちょうどその石畳の真ん中あたりに、蒲池大々と入橋圭は並んで立っていた。


「決闘の方法はどうされますか?」

そんな二人の元へ近づくと、芳乃姫が慣れた様子で蒲池大々に質問を投げかける。

「圭と話して決めた。

これでいく。」

蒲池大々が己の手にする「さぁべる」を肩でとんとんと叩く。

「称号は無しだ。」

そういうや蒲池大々は、下駄をぽんぽんと石畳の外の地面に蹴って投げる。


「芳乃、持ってろ。」

「はい大さん。」

芳乃姫はしずしずと散らばった下駄を拾い上げ、その胸元に抱え込んだ。

それを確認した蒲池大々は、入橋圭に向けて鞘のついた「さぁべる」を示して声を荒げる。


「さぁ圭!

お前も称号捨てろ!」


(捨てるって……。)


真菜月みするは入橋圭に視線を向ける。

「ごめん、大さん捨てらんない。」

入橋圭がへらりと答える。

「何だその捨てられないというのは!」と蒲池大々が激怒する。

しかし入橋圭はどこ吹く風で蒲池大々に答えていた。


「俺、失くさないよう食べちゃったから。」

「何?」という蒲池大々の表情は一瞬怪訝な色に曇ったが、すぐにそれは固い表情に変っていた。

芳乃姫の表情も陰りを見せる。


(この人達も知ってるんだ。)


真菜月みするはひそかに思った。


「大丈夫、持ってても称号の力は使わない。

決闘でそんな情けない事するつもりはないよ。」

「仕方ないな。」と蒲池大々は一応了承を見せると、芳乃姫を呼び外套のように羽織っていた学らんと学帽をその腕の中に手渡した。


「頑張ってくださいね。」

「おう。」


蒲池大々はにやりと笑う。

芳乃姫は柔らかくほほ笑みを見せている。



(なんか……良いなぁ。)


真菜月みするは、その青春絵巻のような二人のやりとりに思わず見とれてしまっていた。

「みするみする!

俺の荷物もちょっと持っててよ。」

入橋圭が真菜月みするを呼ばわる。

真菜月みするはあたふたと入橋圭の側に近寄った。

入橋圭は足元の革靴と手袋をはずしにかかる。


「大丈夫?入橋くん。

勝てそう?」

「さぁ~。一応手ほどきは受けてるけど…。

ちゃんばらって久しぶりだしなぁ。」

入橋圭が足元に置いた「さぁべる」に瞳を映す。

真菜月みするの視線も自然そちらに流れていた。

ふとある疑問が真菜月みするの頭をよぎる。


「それって、真剣……?」

「うん真剣。」

「ッ……何それ危ないよ!

怪我するよ入橋くん。」

思わず真菜月みするは声を荒げてしまっていた。

格闘漫画でもあるまいし、いくらこんな現実味のない世界といえどもその命は現実だ。

こんな訳のわからない戯れのような理由で、命のやりとりをしていいはずがない。

靴下を脱いでいた入橋圭は少し驚いた顔をして、上気する真菜月みするの顔を見つめ返していた。


「みする、俺の事本気で心配してんの?」

「あたり前じゃない!

だって―――――」


(だって……何??)


真菜月みするは混乱した。

だって、何だというのだろう…。

「愛しているのよ!」これは違う、絶対違う。さすがにそこまで気持ちは育っていない。

「友達だから!」うん、これは近いような気がする。しかし何か今一つ……。


(あれ、あたし……入橋くんの事友達として見ていない??)


真菜月みするには男児の友達は現世にいない。

もっぱら女児の友達である。

しかし真菜月みするが入橋圭に抱く感情は、女児の友達に抱いている感情とは少し異なるものであった。

真菜月みするはその事実にさらに混乱した。


(じゃあ……あたし、入橋くんの事何だと思ってるんの??)


(えっ……ちょ………え??)


混乱する真菜月みするの視界を何かが遮った。

入橋圭の学帽だ。


「あ………。」

「ありがとう、みする。心配してくれて。」


入橋圭の声は優しい。

学帽の縁を握る入橋圭の指先が目の先にある。

真菜月みするはその学帽を頭からよけて入橋圭の顔を見る勇気がなかった。

何だか恥ずかしくて、心が温かくて仕方がない。


「じゃ、行ってきます。」


入橋圭の指先が帽子から離れる。


「入橋くんッ!」


思わず真菜月みするは声を上げて入橋圭を呼びとめていた。

石畳の端に向かいかけていた入橋圭が、「ん?」と真菜月みするを振り返る。


「えっと……今度から名前で呼んでもいい?」


真菜月みするは自分の顔が赤い事を感じていた。


「初めに言ったじゃん。」

入橋圭が優しく真菜月みするにこたえる。


(あ………。)


「俺の事は好きに呼んでいいからって…。」


(今までで一番穏やかな笑顔だ。)


いじわるな薄笑い、寂しげな微笑み、いつも心からの笑みを見せた事のなかった入橋圭。

その入橋圭が見せる心からの満面の頬笑みに、真菜月みするは思わず涙が出そうになってしまった。

けれど真菜月みするもそれをこらえて、入橋圭に満面の笑みを返して答えていた。


「うん、頑張って……圭くん。」



「うん、頑張って………圭くんってか!?

ひゅ~ひゅ~。見せつけてくれるねぇ!

ご両人。」

蒲池大々の冷やかしに真菜月みするは一気に我に返る。


(そうだ……皆いたのに。)


見れば蒲池大々も傘持ちの渡や脩平も、にやにやと「せくしゃるはらすめんと」の表情を浮かべている。

入橋圭は入橋圭で「羨ましいだろ、お前らぁ~。」と、恥ずかしげもなく胸をはって自慢までしている始末だ。


(最悪だ…・・・・。)


真菜月みするは一人学帽のつばを抑えて、ぷるぷると羞恥に耐えた。

ぷるぷるしている真菜月みするが面白いのか、蒲池大々はなおもひゅ~ひゅ~呟いている。

それに合わせて二人の男児もひゅ~ひゅ~合奏を始めてしまった。

しまいには冷やかされている入橋圭もひゅ~ひゅ~言っている。



「みなさん。」


芳乃姫の声が静かに響く。

その表情は頬笑みにあふれていた。

しかし―――


「怒りますよ?」


その瞳は笑っていなかった。



真菜月みすると芳乃姫は、石畳のちょうど真ん中辺りに位置する見物用の桟敷席に移動した。

そこには一人の男児が控えていた。

背の低い男児である。

おそらく女子の平均身長より少し上といった所であろうか?

短く刈り込んだ黒髪に太い眉毛、印象の薄い二軍の球児のような風采をしている。

その男児は芳乃姫が桟敷に入ってくるのに気付くと、ぺこりと軽く会釈をしていた。

そして真菜月みするの方をじっと見つめると、同じく控え目にぺこりと軽く会釈をしていた。

芳乃姫が真菜月みするを振り返る。


「みするさん、彼が多喜勇治さんです。」

「えっ!」

真菜月みするは多喜勇治を凝視した

まじまじと見つめられた多喜勇治は、かぁっと頬を赤く染めたが真菜月みするにぼそぼそと語り始めた。

「はじめまして、多喜勇治です。」

「あ、こちらこそはじめまして、真菜月みするです。」

「……。」

「……。」


しばしの無言が二人を襲う。

そんな二人の空気に気を利かせて、芳乃姫がやんわりと話し始めた。

「勇治さんはとても人見知りなの。

でもとても真面目で良い方なのよ。」

「あ、それは…い、圭くんに少し聞いてます。」

「え……圭がおいらの事話したの?」

多喜勇治が小さく驚き、真菜月みするに質問する。

真菜月みするは多喜勇治を見据えてこくりと頷いた。

「うん、俺の大切な幼馴染で一緒に帰るんだって…。

あと一人で義務教育終わりなら絶対多喜くんが良いって…。」

「…圭のやつ…おいらなんかいても役に立たないのに。」

そういう多喜勇治の顔には、やはり少し嬉しそうなものが混じっていた。

真菜月みすると芳乃姫は、そんな多喜勇治を見て温かい気分にさせられる。


「さ、もうすぐ決闘が始まります。

席に着きましょう?みするさん。」

「あ、はい。」

芳乃姫に促された真菜月みするは、桟敷席の手前の席へと歩きかけた。

「あ、あの!みするさん!」

そんな真菜月みするを多喜勇治が呼びとめる。

真菜月みするはくるりと多喜勇治の方へ振り返った。


「さっきは……有難うございました。」

多喜勇治が深々と頭を下げる。

真菜月みするは何に対しての謝罪なのか今一つぴんとこない顔をして、そんな多喜勇治の後頭部を見つめていた。

多喜勇治が顔を上げる。

背の低い多喜勇治の視線は、ほとんど真菜月みするの視線と同じ高さに位置していた。

まっすぐに正直な瞳が真菜月みするの顔を捉える。

「圭を、ちゃんと笑えるようにしてくれて…。」

「あ……。」


先程の入橋圭の満面の笑みと、真菜月みするの心の中を襲った、小さな温かい嵐の間隔がよみがえる。

「別に…あたしは何もしてないから…。」

もじもじとそれだけこぼす真菜月みするに対して、多喜勇治はぶんぶんと首を振るとまた深々とお辞儀をして感謝の言葉を述べていた。


「本当に…有難うございました。」

その声は、わずかに震えていた。


「多喜くん……。」

「おォ~い、芳乃!

早く開始の合図を出してくれよ。」

そんなしんみりとした桟敷の空気を打ち払うかのように、しびれを切らしに切らした蒲池大々の声が飛んでくる。

その言葉で、多喜勇治も顔を上げ朗らかに笑うと「どうぞ」と芳乃姫と真菜月みするを席へと案内していた。



「それでは私、姫福箱芳乃並びに姫真菜月みするの立会いの元、王子蒲池大々並びに王子入橋圭の決闘を執り行いたいと思います。」

芳乃姫が桟敷席の最前列で起立して両端の鳥居の下に立つ、両男児に目を走らせる。

「みするさんはまだ決闘の作法をご存じないかと思いますので、今回は私が――」

という芳乃姫の言に任せて、真菜月みするはその隣の席で座りこみ、その決闘の様子を傍観していた。


芳乃姫の手には、その平にすっぽり収まる小さな陶器の小皿が握られていた。

その小皿には、先程芳乃姫の手ほどきの元書き上げた真菜月みするの名前と、芳乃姫の名前が記されている。

この小皿に姫自ら名前を記す事が決闘の承認となり、この小皿を割る事が決闘開始の合図とされていた。


「それでは参ります。」


芳乃姫のその声と同時に、穏やかな春の風がふわりと流れる。

それは桟敷席の中まで満たし、その流れに身を任せていた桜の花びらがひらひらと視界を横切った。


(わぁ……。)


真菜月みするがその花びらに心を奪われる。

また一陣の風が起こりその風は沢山の花びらを空へと巻き上げた。

これほど沢山の花びらが乱舞する景色を見た事のなかった真菜月みするは、どこまでもその花の流れを目で追ってしまっていた。

多くの花びらは桜の木を飛び越えていずこかへと流れていく。


(え…・・・・・。)


花の流れを追いかけた真菜月みするの瞳は、そこにあり得ないものを捉えていた。

桜の木の一際大きな枝の上に二人の人が立っている。


ひどく超えた女と小柄な男。

遠目にも乙女には見えないその女は、あひるを一匹載せているのではないかという程の量の羽飾りの帽子を頭に載せ、どっさりと「ふりる」と「れぇす」を使った真っ赤な「どれす」をその春風になびかせている。

まるで化け物梟だ。

時折その太い足が見え隠れするのを、隣りの頭に小鳥程の羽飾りの帽子を載せた小男があせあせと抑えにかかっている。


(何あれ……。)

―――ぱりぃいいんっ!


「ッ……!」

突如響いた音に真菜月みするはびくりとした。

芳乃姫が合図の小皿を、桟敷の外の地面に設えられた大岩に叩きつけたのだ。


見れば鳥居に立っていた二人の男児は、正面の相手目指して突進を始めていた。

蒲池大々は走りながらすぐに「さぁべる」の鞘を投げ捨てている。

嬌声を上げ嬉々として突進する様は、本当に戦国武将のようである。

対する入橋圭は、鞘を抜かずに滑らかに突進する。


二人の男児は、丁度桟敷の正面辺りで衝突していた。

がきんと硬い物同士がぶつかる音が響き渡る。

蒲池大々が斬りつけた「さぁべる」を、入橋圭が鞘で受け止めた、と思ったのも束の間、入橋圭は一瞬だけ衝撃を殺すとその身体を横にそらし蒲池大々の脇をするりと通り過ぎながら鞘から刀身を抜き出していく。

突如空の鞘を掴まされ、力の行き場を失くした蒲池大々はたたらを踏む。

入橋圭はいつもの薄笑いを浮かべながら、蒲池大々の脇を「さぁべる」をひと振りして通り過ぎた。

蒲池大々の頭髪がぱらりと広がる。


ぽつっという聞こえるか聞こえないかの小さな音を鳴らして蒲池大々の髪留めが地面に落ちたのと、入橋圭が刀を肩に置いて後ろを不敵に振り返ったのはほぼ同時の事であった。


「え……。」

真菜月みするは絶句した。

その間にも、髪をかき上げにやりと笑った蒲池大々と入橋圭は互いに打ち込みを開始する。


蒲池大々が猛々しい斬撃を繰り出すのに対し、入橋圭はしなやかな猫のように身体を動かしながら一瞬の隙を突く鋭い斬撃を繰り出している。

どう見ても玄人達の殺陣である。


(一応手ほどきを受けてるって……??

え、剣道部とか入ってればこの位は普通??)



「相変わらず筋が良いですね、圭さん。」

今や真菜月みすると同じく腰を掛け観戦する芳乃姫がぽそりとつぶやく。

真菜月みするはそんな芳乃姫を凝視した。

「え、あの……相変わらずって…。

でもさっき圭くん、あんまり出来ないみたいに……。」

「それは謙遜です。

圭さんがあまり出来ないなどという事はありません。」

芳乃姫が苦笑する。

真菜月みするは訳が分からないという顔をすると、前を見据えて芳乃姫は口を開いていた。


「圭さんは一度、剣術で「称号」を賜った事がありますから。」

「えっ……!

そうなんですか!」

「はい、他にも幾つかの称号をお持ちで、学内一の男児として一時は名を馳せていたんですよ。」

「え!

あれ……でも。」


(今は、一つだよね……?たぶん。)


真菜月みするの疑問に気付いた芳乃姫は、はっとして話していいものか戸惑いの表情を見せていた。

まずい話だったのかなと真菜月みするがぼんやり思った時、後ろに控えていた多喜勇治がぼそりと口を開いていた。


「圭は一度全ての称号を返上した事があるんだ。

協定を結んだ三つの国を救う為に…。」

「他の国を救う為に……?

どうして他の国の為に―――」

「それは…・・・・」

「駄目です、勇治さん。

今そのお話をしてはいけません。」

芳乃姫が静かにその言を遮った。

ゆっくりと先程真菜月みするが瞳を移していた方へと顎を少し傾ける。


「見ています。」


(見てる……?)


(あ、さっきのあの――――)


「芳乃ッ!」

突如蒲池大々の声が芳乃姫を呼ばわる。

真菜月みするがその声に我に返った時、すでに事は済んでいた。


何かが弾ける音がこだました。

芳乃姫はすっくりと立ち上がっている。

前を見据える芳乃姫の横顔は高貴な光りをたたえていた。

ふわりと細い二本のおさげが風に舞って揺れている。

桜の花びらがはらはらと芳乃姫の気品を彩る。


「え………?」

音の正体も突然の芳乃姫の直立の理由もわからない真菜月みするは、ただただ芳乃姫を見上げていた。



「大さん、気をつけてくださいね。」


芳乃姫が蒲池大々に向けて声を発する。

真菜月みするは蒲池大々の方へ眼を向けた。

見れば蒲池大々も入橋圭も、先程までの決闘を一時中断させている。

何が起きたのだろう?

決着はもう着いたのだろうか?

見れば入橋圭の手には「さぁべる」が握られているが、蒲池大々は素手である。


「いや、待ってくれ、芳乃。

そっちに飛ばしたのはこいつだぜ。」

そう抗議するや髪を振り乱した蒲池大々は、入橋圭を指差した。

入橋圭は入橋圭でへらへらと「いや久しぶりだから」と何やらきまり悪そうに照れている。


「大さんに腕があれば、こちらに飛んでくる事はありません。」


そういうや芳乃姫は、桟敷の壁に向けて歩き出した。

その先に何があるのか真菜月みするにはまだ判別できない。

しかし後ろ姿で何やら手元を動かしていた芳乃姫の肩口から、刃が見えたのを見て真菜月みするもそれを理解した。


何かどうにかしていつのまにやら、とにかく蒲池大々の手からこちらへ向けて「さぁべる」が吹っ飛んできたらしい。

「ごめんごめん2人共。

怪我ないよね?」

そしてそれはどうやら入橋圭のせいらしい。

その事実関係に気付いた真菜月みするは、両腕に鳥肌がぞくぞくと立ち上がるのを感じた。


「ちょっと……本当に何処向けて飛ばしてんのよ!

危ないじゃない!」

真菜月みするは照れる入橋圭に声を荒げた。

「ん~、でも真剣勝負だったからさぁ。

あまりそういうのに目が行かなくなっちゃって…。」

「目がって……!」

そういう入橋圭の二の腕はばっさり斬り傷を刻み、ぽたぽたと血を垂らしている。

対する蒲池大々も頬や手の甲に小さな斬り傷を作っていた。


(ひぃ………血出てる~。)

真菜月みするはくらくらとした。


「本日はもうよろしいですね、大さん。」

「えっ…・・そんな訳ないだろ、芳乃!

まだ決着が着いて―――」

「桟敷の中まで刀が飛んでいる状態でですか?

確かに決闘の性質は、命のやり取りです。

ですが今回は、王子同士の勝負は決闘の作法に則らなければ出来ないから許可したんです。

その事は大さんともきちんとお話して決めましたよね?」

「……う、まぁ…。」


(……意外と芳乃さんが敷いてるんだ。)

真菜月みするは凛々しい福箱芳乃をまじまじと見つめた。


きっちりと蒲池大々を見据えた後、芳乃姫は入橋圭の方へ視線を向ける。

「本日の決闘は、姫真菜月みするの王子入橋圭の勝利です。」


芳乃姫が厳かに裁断を下していた。


「んだよ、くそっ!

てめぇ卑怯だぜ!わざと飛ばしたろッ!!」

蒲池大々が芳乃姫には当たれず、傷口にぺろぺろ舐めた指をあてる入橋圭に八つ当たる。

芳乃姫はふぅっと小さく息を吐き出してその様子を見つめていた。


「大丈夫ですか!

芳乃さん、お怪我は…。」

決闘の決着を見ると、後ろに控えて座っていた脩平が芳乃姫を気遣い近寄ってきた。

そうである、先程衝撃音がし桟敷の真横に刃は立った。

正面から飛んできた刀が真横にそれる事は物理上あり得る事ではない。

そう、誰かがそこに衝撃を加えない限り…。

その時芳乃姫は前を見据えて直立していた。

つまりは―――


(芳乃さんが????)


「え、大丈夫ですか?!」

真菜月みするも事態に気付き、芳乃姫を気遣った。

芳乃姫はやんわりと気遣う脩平、そして真菜月みするに対してほほ笑む。

片手には先程引き抜いた蒲池大々の「さぁべる」が、そしてもう一方の手には――


綺麗な彫刻と彩色を施した篠笛が一本握られていた。


「あ……それ……。」


(夜の笛………。)


「はい、これで弾きましたので大丈夫です。

私に怪我はありません。」

「その、木の笛で…・・?」

それは少し真菜月みするにとって驚きであった。

勢いよく飛来する大きな刃物を、このような細い木の笛で弾く事が出来るとはとても思えなかったからである。

それを察した芳乃姫がくすりといたずらな笑みを真菜月みするに向ける。

「これは称号の印なんです。

ですから普通のものではありません。」

「えっ……!

称号、それがっ!?」

真菜月みするはまたまた驚愕した。

「お姫様も称号とかって持つんですか?!」

称号は男児が持ち力を使うもの、そうであると自然に理解していたためである。

「いえ、必ずしも必要なものではありません。

けれど―――」


「こうした時に便利でしょう?」

「……・はい。」


―――――――この子、すごい…。


その時真菜月みするは、自分の隣でしゃんと背筋を伸ばしほほ笑む青春乙女に、静かに感動を覚えていた。



「圭!」

「おっ…あっ!

勇、お前そこにいたのか!!」

桟敷席より芳乃姫や真菜月みすると共に表に出てきた多喜勇治に気付き、入橋圭は素直に驚きの声を上げていた。

「圭、お前―――」

多喜勇治は真菜月みする達を足早に追い越し、そのままがっしりと入橋圭を抱きしめた。

かなり「しゃい」な男児に見えていた多喜勇治の、その「だいれくと」な行動に、真菜月みするは少しぎょっとした。

入橋圭はというと奇声を上げている。

「勇!痛い!痛いって!

俺の腕斬れてんから!

そこ痛いって!」

それでも多喜勇治は入橋圭を放さなかった。

むしろそれまで以上の力を入れて抱きしめている。

入橋圭の胸からもれる多喜勇治のわずかな吐息は湿り気を帯びていた。


桜舞い散る中、抱き合う青春男児(ご丁寧にも1人お涙)。


桜が踊ると何でも桜色に映えてくるから不思議である。

と、真菜月みするが破廉恥な夢想を不覚にも抱き始めた時、多喜勇治は絞り出すように口を開いてた。


「良かった、元気で良かったよ、圭。」

「勇……。」

「お前あのまま死んじまうかと思って……おいら。」

「ん・・・・ごめんな。」

入橋圭は腕が痛いのもおそらく我慢して、まるで怪我がないかのように穏やかな表情を浮かべて、多喜勇治の腕の中でなすがままになっていた。


(そんなに……圭くん、傷ついてたんだ。)


真菜月みするはその光景を眺めながら、胸に一筋せまるものをこらえていた。

今でも十分泣き出しそうな心をしている入橋圭、今では薄笑いを浮かべて飄々と振る舞う入橋圭は、一体どんな状態にあったのだろう。


「それでは勇さん。

よろしいですね?」

入橋圭を抱きしめていた多喜勇治が芳乃姫に向けて顔を上げた。

その頬は涙にぬれて光っている。

涙に洗われたその瞳は、純粋に綺羅綺羅と輝き、強い光を帯びていた。

多喜勇治はおもむろに入橋圭からその腕を放す。

芳乃姫に向き合い、芳乃姫が近づくのをしっかりと見つめていた。


「本当に、今まで有難うございました。」

「…頑張ってくださいね。」

そういうと、芳乃姫は多喜勇治の頬を思い切り張っていた。

ぱぁんと乾いた音が、桜吹雪の中に消えていく。


人が人を叩くという行為は、どうしてこんなにも胸に迫るのであろう?

別離と出会いを告げる花の中で、振り切ったその手をゆっくりと握る芳乃姫の後ろ姿にも、顔を振り切られたままの状態で無言に佇む多喜勇治の姿にも、真菜月みするは絞めつけられそうな切なさを覚えていた。

春風は穏やかに吹雪き続ける。

儚い色を浮かべる花びらはくるくる、ひらひら美しく翻弄させられている――――


まるで、ここに閉じ込められている青春男女のように。


「さ、これで多喜さんは私の国の者ではなくなりました。

決闘は終わりです。

もう場所を移しましょう。」

芳乃姫がやんわりと頬笑みを浮かべて皆に告げる。


「圭くん、腕大丈夫?」

真菜月みするは入橋圭に近づいた。

「ん、まぁまぁかな。」

入橋圭はいつもの薄笑いでへらりと答える。

しかしその腕の傷は未だに鮮血を滲ませていた。

入橋圭の肘を伝いぽつりと一粒、地面で揺らめく桜の花びらに落ちていく。


「みするさん、圭さん。

本日は大さんのわがままに付き合って下さって本当に有難うございました。

傷の手当てですが、大さんと合わせてこちらにお任せいただいてよろしいでしょうか?

先方への連絡はすでに済ませております。」


(先方への…連絡?)


「みするさんもお近づきになる良い機会ですし…。」

「お近づき?」

どうやら茶道室へは戻らずに、何処かへこのまま行くらしい。

芳乃姫はその通りですよと言わんばかりに、真菜月みするを見つめて一つこくりと頷くと、言葉を発していた。


「はい、今から嵐さんの治める保健室に参ります。」


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