負け令嬢の幸せな結婚
「シルフィーア、君との婚約を無かった事にしたい」
そう申し入れてきたのは、婚約者のレンフィール侯爵家の令息、アルフレッド。
金の髪に緑の瞳の麗しい貴公子である。
その隣には、シルフィーアの親友だったはずの、ルシンダ・メルヴィル伯爵令嬢。
こちらも赤髪に青い瞳の、情熱的な美しさの令嬢だ。
二人とも派手な美貌で、社交界の人気を集めているお似合いの恋人同士となるだろう。
いや、既にそう、なっているのだ。
ルシンダの頼みを聞いて二人を引き合わせてからというもの、逢瀬の度に偶然を装ってルシンダが割り込んでくるようになり、何時の間にかアルフレッドの予定が合わなくなっていった。
だから、シルフィーアも気づかざるを得なかったのだ。
心移り。
浮気。
よくある事、ではある。
シルフィーアは白金色の髪をふぁさりと後ろに流して唇に笑みを浮かべた。
「分かりました。お父様に伝えておきますわ」
だが、応接室の長椅子の向かいに寄り添って座っていた二人の表情が凍り付く。
まるで、信じられないものを見たかのように。
(衝撃でも受けると思っていたのかしら?)
こてん、とシルフィーアは首を傾げて尋ねる。
「どうかされましたの?お二人とも」
「ごめんなさい、シル、貴女の婚約者を愛してしまった私が悪いの……!」
ルシンダが大袈裟に涙を浮かべて、傍らのアルフレッドの腕に縋りつけば、アルフレッドはそれを労わる様に身を寄せた。
「何を言うんだルシー。婚約者のある身で在りながら、君に恋をしてしまった私の方が何倍も罪深い」
「アルフレッド様……」
(ああそう、茶番をしたかったのですわね)
シルフィーアは紅茶を飲みながら、そんな二人を湖面の様な静かな青の瞳で見つめた。
何も言わずに紅茶を飲むシルフィーアに気づいた二人は、眉を顰めて責めるような目を向けて来る。
「君は、何も言う事が無いのか?」
「ええと……どうぞお幸せに?」
穏やかな笑みで確認するように言えば、今度は困惑の表情を浮かべる。
「……許して、くれるの?」
「許すも何も、わたくしは怒っておりませんけれど……でもお父様がどうされるかは分かりかねますわ」
ルシンダの問いは、半信半疑という体で。
それでもどこかその瞳には愉悦を孕んでいる。
けれど、面白くないのかアルフレッドは鼻を鳴らして吐き捨てた。
「……相変わらず可愛げのない。だから、君などと一緒に居たくないのだ」
「そうでございましたか。でしたら丁度良かったではありませんの。愛すべき女性と出会えたのですから」
ぐっと答えに詰まったアルフレッドが、怒りに任せて言葉を荒げる。
「泣いて縋ればまだ可愛いものを……!」
「そういった教育は受けておりませんの。泣いて縋られたいのでしたら、娼館にでも行かれては如何かしら?」
じっとルシンダの瞳を見ながら言えば、カッとその頬が赤くなる。
娼婦と言葉にして言われた訳では無い以上、ルシンダは何も言い返す事は出来ない。
「ああ、でもアルフレッド様のような財産と爵位をお持ちの方が相手にされるのは高級娼婦ですかしら?それでしたらやはり、泣いて縋るなど下賤な真似は致しませんわね。彼女達は各国の要人と会話が出来る知識をお持ちですもの」
「何故、そんな事を知っている……」
驚き目を瞠るアルフレッドに、シルフィーアはふ、と息を一つ吐いて答えた。
「常識でしょう。高位貴族の方の夜の嗜みですもの。外交に重用される彼女達と普段から交流を持っておくのは悪い事ではございませんわ」
「ふむ、そう……そうか」
何ごとかを考え込むアルフレッドに目を留めて、ルシンダがキッとシルフィーアを睨み付けた。
「娼婦なんて汚らわしいわ!」
「そう仰る女性も多うございますわね。わたくしはその点寛容ですの。仕事の糧になるのであれば結構」
「うむ……そういう考え方もあるな」
ルシンダの抗議を他所に、アルフレッドは鷹揚に頷く。
だが、ルシンダは納得がいかないように、シルフィーアを睨み付ける眼に力を込めた。
「ルシンダ様、殿方の浮気など笑って許されませ。ふふ、わたくしはそれで貴女に奪われてしまったのですけれど」
くすくす、と楽しそうに笑うシルフィーアを見て、ルシンダは信じられないと言うように目を見開いた。
悔しがると思っていたし、悲しむと思っていたのだろう。
わなわなと震える唇を見ながら、シルフィーアはもう一口紅茶を飲んだ。
「帰りましょう、アル!」
「あ、ああ……ではな、シルフィーア」
立ち上がって見送りながら、シルフィーアは穏やかな笑みで付け加えた。
「もうその名でお呼びになるのはおやめくださいまし。カルツァー嬢と」
カルツァー侯爵家の令嬢として、凛と誇り高く美しい淑女の礼を執る。
一瞬、その美しさに目を奪われかけたアルフレッドの腕をぐいぐいとルシンダは引っ張って行く。
(確かに見た目と爵位は宜しいけれど、それが何だと言うのかしら)
彼らを送り出す執事にも侍女の目にも温度は無い。
虫けらでも見るような目を新しい恋人達へ向けていたが、分を弁えた使用人二人は何も口にはしなかった。
シルフィーアは静かに窓の外を見る。
新緑の季節のまばゆい緑が、空にも地にも溢れていた。
力強いその色を見て、ふうとため息を一つ吐く。
(それでも、選ぶ自由は限られているのよね)
「そうか」
婚約の撤回の申し入れについて、カルツァー侯爵、父が漏らしたのはその一言だった。
厳しい顔は崩れないが、労わるような優しい色の瞳を見て、シルフィーアは微笑む。
「お父様、出来ましたら。この家の利に適い、誠実なお人柄の人をお選びください。見た目や爵位などではなく」
「……ほう、そうか。では考えておこう」
何ごとかを算段する目になり、父の口が弧を描く。
「心労をかけたな。もう心配せずとも良い。後は父に任せなさい」
「はい、お父様」
きっと、既に父の頭の中には新しい未来の絵図が描かれているのだろう。
シルフィーアにとってそれが楽園になる事を祈って、父の執務室を静かに立ち去る。
望みは低くも、高くもない。
ただ、積み上げた石を足蹴にするような人間でなければ、それでいいのだ。
暫くして学園でのシルフィーアは婚約者を奪われた令嬢、捨てられた令嬢と揶揄されるようになった。
その噂の発生源は、探るまでもなくルシンダである。
だが、その噂や嘲笑もほんの、つかの間だけだった。
友人もいれば高位貴族であるシルフィーアに対して、そこまで不遜な態度を取れる者達はそう居ない。
「貴女、婚約者を奪われたのですって?」などと馬鹿みたいに聞いてくる物語の様な悪役も居ないのだ。
特に卑下することも無く、悲しみに震えるでもなく、淡々と過ごすシルフィーアに対しての悪意は徐々に薄まっていった。
逆に、婚約者を捨てた男、婚約者の居る男を寝取った女として、アルフレッドとルシンダの方が評判を落としていく。
最初はルシンダの言うように、悲劇の女主人公を演じた物言いを信じた人々も、その話を関係のない第三者にすれば、「でもそれって浮気ですよね?」という当たり前の返事が返ってくるのだ。
しかも渦中のシルフィーアがルシンダを責める訳でも泣く訳でもなく、淡々と過ごしていれば猶更。
ルシンダの方が何だかちょっと……と噂を好む女性達の方が離れ始めた。
決定打は静かに訪れる。
たった一度だけ、正義感の強い令嬢が口を挟んだ。
「ルシンダ嬢を許してさしあげたら?」と。
昼食を摂る為の食堂で、昼下がり。
シルフィーアと同じく侯爵家のリリアがそう口火を切ったのだ。
彼女の家はルシンダの寄家であり、何か相談でもしたのだろう。
けれど、シルフィーアは不思議そうに顔を傾げた。
「わたくしは怒っておりませんのよ?ですから許すも許さないもございませんわ」
「でも、友人としての仲が壊れたという事は、貴女もお怒りなのでしょう?」
シルフィーアはそのまま穏やかな笑みで問い返した。
「リリア・アルツィード様、円満とは言い難い状況で貴女が親友に婚約者をお譲りしたとして、今までの関係と同じでいられまして?」
「………それは」
「怒ってはおりません。けれど、わたくしに内緒でわたくしの婚約者と逢瀬を重ねていたという裏切り行為は、確かにあったのです。それは、友情を壊すものではございませんか?」
しん、と食堂が水を打ったように静かになる。
「ものには順序がございます。最初にわたくしに打ち明け、どうしてもと請われれば拗れる事はなかったでしょう。それは友人としての最低限の配慮に存じます」
「……ええ、確かにそうですわ。申し訳ございません、カルツァー嬢。出過ぎた事を致しました」
「謝罪を受け取りますわ、アルツィード嬢」
静かに始まり、静かに終わったこの出来事が、くっきりと明暗を分けたのである。
親友との友情を裏切り、親友の婚約者を寝取った令嬢。
それはルシンダとの今後の交流に目に見えない危険を伴うものである。
親友さえ裏切るのだから、その言葉の重みも価値もない。
陰口や嘲笑などはされずとも、決して心を許されず交流も最低限に留めるという判断をされるのは仕方のない事だった。
表向きは穏やかに微笑み、会話もできる。
だが、ある一定以上は踏み込まないし、踏み込ませないという鉄壁な淑女達の対応。
少なくとも皆が皆、友人という括りではなくなってしまった。
だが、ルシンダにとってアルフレッドは、侯爵家という爵位の見目麗しい男。
自分の地位そのものだ。
実家の家族達だって喜んでくれていた。
母親や姉妹は目に見えて冷たくなっていったが、父親は手放しで喜んでいる。
冷たい眼を向けながらも、母は穏やかに微笑んで提案した。
「卒業と共に結婚して頂けるよう取り計らってくださいませね、あなた」
「おお、おお、それは勿論だとも」
「ルシンダ、貴方も侯爵家をお支えするのだから、婚約者としてレンフィール侯爵家にお出向きなさい。私から侯爵夫人へ貴女の教育をお願いしておきますから」
「おお、それは良い、そうしよう!」
ルシンダは複雑な心境でそれを受け入れるしかなかった。
アルフレッドと共に暮らせるのは嬉しいが、母や姉妹は早く関係を断ち切りたいとばかりに冷たい。
けれど、問い詰めたところでその溝が決定的になるだけだというのはルシンダ自身も理解していた。
「承知いたしました。お父様、お母様」
(何よ、結局良い男を得られなかった女の僻みじゃない)
(手の届くところにあった、最高の物を奪って何が悪いの?)
心の中で毒づいても、それを言葉にする事は出来ないし許されない。
手に入れた宝に満足して、その他を切り捨てる方法しか、もう残されてはいないのだ。
数日後、ルシンダはレンフィール侯爵家に私室を与えられ、婚約者として引越しをした。
見送ったのは数人の使用人達だけで、家にいる筈の母も姉妹も前庭に出てくる事すらないまま。
一抹の不安と怒りを感じながらも、侯爵家の美しく広大な屋敷を見れば、その感情すら吹き飛んだ。
(ここが、私の物になるんだわ)
親友から奪い取った侯爵家の婚約者という地位。
そして。
「いらっしゃい、ルシンダ嬢。……シルフィーア嬢に比べたら全てにおいて劣るけど、まあ仕方のない事ね。わたくしも子育てを間違えたのだから、お互い様、というところかしら?」
早速侯爵夫人の冷たい目線と冷たい言葉の洗礼を受けたのである。
ルシンダは蒼褪めたまま、一言も発することが出来なかった。
機嫌を損ねれば、追い返されて幕切れだ。
「お眼鏡に適わず、申し訳ありません」
しおらしい態度で淑女の礼を執ると、ふん、と扇の下で侯爵夫人は鼻で嗤った。
「ええ。ですから、貴女の為に家庭教師を付けましょう。閨での作法以外の、ね」
かっと頬が染まるほど怒りに震えるが、ルシンダは何とか激情を呑み込んだまま、ぎこちなく淑女の礼を執る。
「ふ、ふふ。この程度の言葉で見苦しいこと」
言い捨てて、侯爵夫人は話は終わりとばかりに口元を覆っていた扇を閉じた。
それを出て行けと言うように扉の方へ向けて振って、無言で命じる。
頭を下げながら、ルシンダは何とか表情を取り繕って部屋を出た。
今更ながら母や家族に見捨てられたのだと、この侯爵家を取り仕切る夫人の前に放り出されてルシンダは理解する。
誰も守ってくれる人は居ない。
支えてくれる家族も、友人も。
けれど、後戻りなど出来る道はもうない。
エルデン伯爵領は王国の南に位置していて、三国との街道が交わる交易都市である。
爵位も財産も申し分のないその伯爵家の長男ロバートは、婚約者がいない。
そして今、シルフィーアとロバートは婚約の為の顔合わせをしていた。
王都でのエルデン伯の邸も見事なもので、特に庭は素晴らしい美しさである。
エルデン伯の係累が営む商会は三国間のみならず、大陸中に独自の交易網を持っているため、エルデン伯自身もまた各国の要人との繋がりが深い。
父が目を付けたのはそこだろう、とシルフィーアは察していた。
そしてロバートとの面会に用意された蔓薔薇に囲まれた東屋。
挨拶を終えると、シルフィーアは早速切り出した。
「ロバート様は、わたくしの噂をご存知でいらっしゃいますか?」
「あ、ああ……あの、婚約の白紙撤回について、ですか」
「ええ、どう思われますか」
王国の政情は今落ち着いていて、派閥同士の争いと言うものも殆どない。
いがみ合う家門はあるけれど、ごく個人的な諍いであったり、利権争いだったりと小規模である。
貴族の婚約も解消も撤回も、貴族院を通じて国王が裁可をするが、儀礼的な側面と事務処理のため。
王室が口を挟む事は無いし、法律上問題なければ貴族院も特に動かない。
「非効率だと思います」
ん?とシルフィーアは動きを止めた。
非効率。
非効率?
(今、私は婚約についての話をしていたのではなかったかしら?)
「あ、いや、すまない……何と言ったものか……こういう物言いをするから女性に敬遠されるというのに……」
顔色を悪くしたロバートを改めてシルフィーアは見つめた。
短い黒の髪に、精悍な顔、理知的な灰色の目。
今は焦りを浮かべて、ああでもないこうでもないと言葉を探している。
令嬢達から人気の高い美しさとは無縁だが、言葉を選んで慌てる様にシルフィーアは今まで覚えた事のない感情が湧き上がり、同時におかしさも込み上げて来て慌てて扇で口元を覆った。
「ふ、ふふ、非効率………確かに、そうですわね」
第三者からこれほどまで、的確に、それも感情を廃したような言葉で評された事は無かった。
笑いを堪え切れなかったシルフィーアを見て、ロバートは慌てた様に言い繕う。
「そ、そうです。商売や外交をしていても同じですが、信頼や信用というものは金だけでは買えない。積み上げる時間や約束の履行によって、その価値を高めるのです。それを一瞬にして失う愚行を冒すのは度し難い。もう一度同じように気持ちを得るためには倍の労力と時間がかかるものです」
「ええ、まさに。効率が悪うございますわね」
「申し訳ない……適当な言葉が見つからず」
恐縮するロバートに、シルフィーアは微笑んだ。
「いいえ、貴方の言葉はとても興味深いですわ。それに、わたくしの為に言葉を選んでいる姿も素敵でした」
思えばそんな風に、家族以外の誰かに一生懸命な素振りを向けられた事は無かった。
がっしりとした身体を縮こまらせて悩む姿も、その不均衡さに微笑ましさが心を満たす程。
「あの……私も。……私の言葉に嫌な顔をせず、笑って受け止めてくれた貴女の寛容さと、可愛らしい笑顔に心を撃ち抜かれました。どうか、伴侶として、私を選んでいただきたい」
跪いて言われて、可愛らしいという言葉に、シルフィーアの頬も熱くなっている。
扇で顔を隠しながら、差し伸べられた手に、震える手を乗せた。
「はい……」
婚約はほぼ決まっているというのに、膝を突いて迄愛を乞われるとは思わなかったのである。
それに、今まで感じた事のない熱が、自分の顔を真っ赤に染め上げているだろう事はシルフィーアにも理解出来た。
「抱きしめてもいいだろうか?……そうしたら、貴女も顔を隠す必要は、ない」
「……は、い」
断るべきなのかもしれないと思いつつ、シルフィーアは抗えずに頷いてしまった。
強く抱きしめられながら、髪を優しく撫でられる。
どうしようもない荒れ狂う感情と、安堵とが入り混じった奇妙な感覚がシルフィーアは嫌ではなかった。
そして与えられる温もりと、知らない香り。
「私は、貴女だけに愛を誓う」
「わたくしもです」
「聞いたか?ルシンダ。シルフィーアはエルデン伯爵家のロバートと婚約したらしい」
「えっ?伯爵……?」
「私が捨ててしまったから、相手の家の格を落とすしかなかったのだろう。可哀想な事をした」
「ふふっ、仕方ないじゃない。でも……いい気味だわ。貴方に泣いて縋れば良かったのに」
厳しい現実に直面していたルシンダにとって、シルフィーアの格下との結婚は朗報だった。
抑えようとしても笑いが込み上げて来る。
アルフレッドも意地悪く口の端を上げた。
「泣いて縋られたら、困るのは君の方じゃないのか?ルシー」
「まあ、アルったら意地悪ね」
「さて、私も仕事に行かなくては」
さっさと寝台から降りるアルフレッドに、ルシンダは怪訝な顔をした。
今は情事を終えたばかりで、まだ夜も更けていない。
「今から……?」
「ああ。やっと約束に漕ぎつけられた相手がいてね。外せない用事なんだ」
夜の約束。
それが何を意味するのか、ルシンダの顔が蒼褪めていく。
「そんな顔をするなよ。結婚相手は君だ。私の子供を生むのもな」
だから満足しろ、と傲慢なその笑みは言っていた。
落とされた口づけでさえ、氷のように冷たく感じる。
喉がからからに渇いて、言葉はそこに貼り付いたように出てこない。
(何のために)
針の筵に座って、耐え続けたのは。
呆れた様に笑顔のまま溜息を吐いて出て行くアルフレッドの後ろ姿を見つめる。
美しく寛容だった親友を裏切り、友を失くして親にすら見捨てられたのに。
手元に残ったのは、これは何だというのだろう。
(いいえ、でも負けてない。シルフィーアの無様な姿を見て、気晴らしでもすればいいのよ)
迎える大祝祭の日は、王室の主催で行われる大夜会である。
その年に婚約を迎えた二人が、夜会で紹介をされて舞踏を踊るのだ。
晴れ晴れしい舞台。
自分の独壇場だとルシンダは疑っていなかった。
実家では用意出来ないほどの豪華な衣装も、この日の為に耐えて来た侯爵夫人と家庭教師の厳しい教育も、今やルシンダの身を飾る武器となる。
派手な容姿のアルフレッドとルシンダの二人は、人目を惹いた。
だが、その後に来たロバートとシルフィーアに、その注目が奪われていく。
ロバートの見た目は洗練されていて男らしいが、それよりも。
シルフィーアの身を飾る珍しい宝飾品や衣装は令嬢達の目をくぎ付けにしたし、その磨き上げられたシルフィーアの美しさは男達の心を鷲掴みにしたのだ。
白金色の髪は一部を結い上げ、異国の簪で飾られている。
その簪には揺れる鎖で、星屑の様に青く煌めく宝石が垂れ下がり、歩くたびに上品に揺れた。
さらりと艶のある白金色の髪に、良く映える宝飾品と、髪よりも美しく透き通る白い肌。
ほんのりと染まった薄桃色の頬と花弁の様な唇が美しさと、可憐さの間で揺らめいている。
衣装も異国の流行を取り入れた、美しい意匠で王太子妃殿下と似たような意匠だ。
それが何を意味しているのかは、貴族ならば誰でも分かる事だろう。
元々王室と縁がある訳では無い家柄であるカルツァー侯爵家ではなく、エルデン伯爵の人脈の力。
だが、年若い令嬢や令息達はそんな事よりも、その美しさに夢中になっている。
ルシンダの隣に立っているアルフレッドも例外ではなかった。
「美しい……シルフィーアは、あそこまで美しかったか……?」
隣に冴えない男がいるせいだろうか、と不遜な事すらアルフレッドは口走っている。
改めて見れば、ルシンダもその理由が分かった。
今までシルフィーアという美しい薔薇を覆っていた、険という棘が取り払われているような。
傍らの婚約者に向けるその笑みは、無防備な可愛らしさを宿している。
ふらり、と一歩近づいたアルフレッドの手をルシンダは掴んだ。
「婚約を撤回した貴方が近づいたところでどうするのです」
冷水を浴びせるような言葉に、アルフレッドは眉間に皺を寄せた。
「挨拶くらいは良いだろう」
「いいえ、こちらは挨拶を受ける側です」
本当は近づけたくないだけだ。
そしてそれはアルフレッドも分かっていて、冷たい目を向けて言い放った。
「……つまらない女になったものだな、ルシー」
今までだったら、私だけを見てと拗ねる事が出来た。
けれど、婚約してからの短い間に叩き込まれた教育がそれを許さない。
侯爵夫人の冷たい目を逃れられないのと同じように。
ふいと目を逸らした視線の先で、婚約者と笑い合うかつての親友の姿が目に映る。
全て奪ったと思っていたのに。
私は何を奪った気でいたのだろう。
ルシンダは虚ろな目で、幸せそうな二人を見る事しか出来なかった。
シルフィーアとロバートの結婚生活は順風満帆だった。
エルデン伯爵の息子、ロバートの弟のジェラルディンが跡を継いだ商会もその勢力を広げている。
「シル、君のお陰で宝石の売れ行きが良いと評判だぞ」
「きゃっ、ロバートったら」
急な浮遊感に抗議の声を上げたシルフィーアは、抱き上げられてロバートの腕にすっぽりと収まった。
抗議の声も、甘さを含んでいて、その笑みも柔らかい。
そのシルフィーアの笑みを見たロバートも幸せそうに微笑み返す。
シルフィーアは柔らかな声で問いかけた。
「星屑石ですね?」
「ああ、そうだ。君の発案で台座を鏡面仕上げにしたから、内容物の輝きが増したのが良かった。さすがだ、私の女神」
「ふふ、素敵な旦那様の為ですもの」
前までは億劫だった宴も傍らに立つ夫の為なら苦ではない。
シルフィーアはその腕の中で甘えるように逞しい肩の上に頭を預けた。
夫となったロバートは、婚約していた時からずっと、彼の実直さを裏付けるように時間も愛情も注ぎ続けてくれている。
シルフィーアはそれに応えて、返すだけで精いっぱいだ。
そして、それが何よりの幸せなのだと感じている。
「でもね、旦那様。もっと素敵な贈り物がありますのよ?」
「ん?貴女以上にか?」
「ふふ、どうでしょうね?」
言いながら、シルフィーアはまだ平らな自らの腹を撫でた。
その仕草で察したのか、ロバートは壊れ物を扱うかのように丁寧に、腕の中のシルフィーアを長椅子に下ろす。
「そうか……貴女の次に素晴らしい贈り物だ」
震える声で言い、ロバートはシルフィーアを強く抱きしめる。
そのぬくもりに包まれて、シルフィーアはかつての自分の判断に感謝をしたのだった。
電気毛布がふわふわであたたかくて、睡眠時間が増えてる気がします。もふもふ。




