たこやきの起源
お題は『たこやき』
キーワードはひらがなでとのことでした。
ジャンルは歴史エッセイですがネタはフィクションですので注意ください。
たこやきと言えば明石。
いや、実際はたこやきと明石焼きは微妙に違うものらしいのですが、まあそこはルーツは同じですしそこまで拘ることもないかと。
ではそのルーツとはどのようなものか、私なりに考察をしてみました。
まず、いきなりですがその起源は明石地方の郷土料理である玉子の丸玉焼きであったようで、それが地元では『明石焼き』、広くは『明石焼き』と呼ばれていたようです。
さてそれでは、その開発者は何者であったのでしょうか?
時は遡ること江戸時代初期。徳川幕府により太平な世となり、武士も武芸での活躍よりも藩の経済を支えることが求められるようになっていました。それは明石藩も例外ではなく、近隣の赤穂藩の塩のような地域の特産品を意識したりしていたのではないでしょうか?
というわけで藩士たちもいろいろと試行錯誤。そこでは譜代の家臣でなくとも実績さえあれば成り上がりも可能という基盤ができていたのかも知れません。
そう、そこで登場するのが隣藩赤穂から流れて来た新参者である多胡矩辰。かの忠臣蔵事件に迎合できず出奔してきた青年でした。
彼は明石の主要産業である模造珊瑚の加工の際に使われる卵黄が無駄に廃棄されるということに目を付け、それの再利用を考えました。
こうして誕生したのが明石焼きでした。
しかし一度巷に出れば模倣品の出てくることも避けられず、大阪にて強力なライバルが登場することに。サイズが大きく肉や野菜の入ったお好み焼きである。
ただでさえ市場の大きさで負ける明石。そこに質と量で上回る上位互換の登場。矩辰の戦略は窮地に陥り、結果責任が重くのし掛かる。家訓である『命は軽く名は重く』が正に試される状況に。
一時は切腹を考えていた彼でしたが、それを救ったのはなんとも意外な存在でした。
頭を冷やすべく磯釣りに出掛けていた彼の足に絡み着いて離さない何か。
蛸であった。
そこで彼は閃いた。明石の名物蛸を使えば地域性を出すことが可能であると。その地ならでのブランド力の確立である。
こうしてできたのが『たこやき』。
それは使用された蛸に因んだのか、彼の家名である多胡に因んだのか、そのような名で呼ばれることとなり、従来の『玉子焼き』と敢えて区別して親しまれるようになったという。
フィクションです。本気にしないようご注意ください。(笑)




