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番外編 〜母と奴隷商〜

文字数一万、読まなくても本編にはあまり関わりありません。へぇー程度に読んでもらえると


 この商売をやっていくなら、こいつらを人ではなく生物てして見る事だ、商品は丁重に扱えよ。

 親父からそう教わって生きてきた。

 現在、年齢は30に入りかけてきて、忠実に今でもその教えを守っている。

 奴隷の用途確認、公平な値段設定、それなりの施設。

 祖父の時代から続いているうちの奴隷商売は、もはや確実に成功しているといっていいだろう。

 金貨を貰い、奴隷の生活を整え、自分の収益に回す。

 なんて健全な循環なのだろうか、赤字になる事は一度も無かった、これもひとえに己に商売の才能があったからだろう、なんて、一時期は考えていたが、実際の所俺は、父親の言葉を守っているに過ぎなかった。


「・・・全員、売れたな」


 もぬけの殻になった牢獄達を見据えて、ひとつため息を吐いた。

 牢獄の数はそこまで多くなく、10人程度を扱っているけれど、すべて売れてしまえば金貨数百枚はくだらない。

 貴族の生活、とまでは言わないが、畑仕事や馬車を乗り回すだけの仕事よりはよっぽど稼ぎは良いだろう。

 今月の収支を書き留めながら、男はため息を吐いた。


 奴隷という身分に落ちる人間は、大体同じだった。

 負債者、犯罪者、魔物の襲撃で寄るべを無くした人間。

 本当に様々だった、そして──。


「はーい?」


 扉を叩かれる、その音は一切の重さはなく、軽快な音だった。

 恐らくは、女性のノックだった。


「すみません、もう今日は店を閉めて──」

「・・・あの」


 ボサボサの髪と、病気かの様な真っ白な肌、細い身体つき、何よりも、その女は赤ん坊を抱えていた。


「この子を、売りたいんです」

「・・・悪いね」

 差し出された赤ん坊は、目を瞑っていた、恐らく眠っているのだろう。

 髪は生まれたての赤ん坊らしくサラサラで、灰色の髪を持っていた。


 ──混血のレヴァーティア人。


 男は、一目見てそれを理解した。

 女の髪はレヴァーティア人らしからぬ、緑色の髪。

 子供は、灰色、父親がレヴァーティアの家系なのだろう


「赤ん坊は引き取らないんだ、使えないからね」

「・・・そう、ですか」


 自分からお金を払って、赤ん坊を育てたいなんて言う酔狂な人間がいるわけない、それにここはレヴァーティア。

 冷たい人間の集まる、冷めた国だ。

 一銭にもならない、デメリットしかないのだ。


「なら・・・私を奴隷にしてください」

「は?」


 唐突な発言に目を喰らう、拠り所を無くして、なくなく奴隷になる人間はいる。

 けれど、その女性は清潔感のない身体をしていたが、明らかに貴族の出立ちをしていた。

 服なんて、上等な物を着ていたし、最もな証拠はその赤ん坊。


「あんた、貴族に嫁いだ人間だろ?どうして・・・」

「深い事情は、言えません・・・。ただ、住んでいた地は荒れ果ててしまって」

 それは深い事情なり得るだろう、と心の中で突っ込みながら、男はそれでもと続ける。

「なら、親戚を訪ねたらいいだろう」

「──っ」

 どうやら、それも憚れるらしい。

 男は考える、まず女の着ている服はそれなりに価値があると踏んで、商人の爪を見せる事にした。

「なら、その服を俺にくれ。そしたら、あんたを奴隷として登録してやる」

「わ、わかりました!」

 いいんだ、と男は自分で言っときながら驚いた。

「交渉成立だな、じゃあ中に入れ。今日からお前の住む檻を案内してやる」

「ありがとうございます・・・」


 ──こういうこともある。

 自分から奴隷になりにくる、人生を諦めた様な奴も。

 けれど、この女は違った。


 諦めたけど、諦めきれない様な眼差しを秘めていた。

 蒼く輝いたその瞳は、夜の海の様に深いものだった。


 ガチャン、と檻が閉まった。

 女の服はそこまで状態は良くない、けれど品質は良い。

 仕立て屋のツテを使えば、ある程度売り捌けるものにはなるだろうと思った。


「・・・なぁ」

 これは男のルールだった、いや、渡されたルールというのが正しい。

 まず、どうして奴隷になったのかを聞くのがこの男の使命感にも似た、何かだった。

「なんで、奴隷になりたいんだよ」

「・・・」

 女は黙りこくる、それでもいいかと、名簿を記す。

「ガキはあんたとセットで売る、金貨40枚ぐらいだ」

「え、わ、私と?」

 今度はちゃんと口を開いた、どうやらちゃんと聞く耳は持ってくれていたみたいだ。

「当たり前だろ、さっきも言ったが、赤ん坊を自分から買いたいなんて馬鹿はいねぇんだよ」

「──、それはそうですけど」

「母親の癖して、ガキと一緒は嫌なのか」

「・・・母だから、嫌なんですよ」

 訳がわからない、自分には母が居なかったし、そこの所はよく知らない、けれど母のいない子の気持ちは少しぐらい理解できる。

「俺は母親ぐらいは近くにいてやるべきだと思うけどね」

 近くの麻袋を漁って、パンをふたつを手に持って皿に乗せる。

「ほらよ、飯だ」

「・・・ありがとうございます」

「赤ん坊は、どんくらいなの?」

「2ヶ月になります」

「そうか、なら尚更売りもんになんねぇな」


 そう言いながら、男は2回の自室へと向かって、寝巻きに着替えてさっさと寝てしまった。



 次の日の朝が来た。

 女は大事そうに赤ん坊を抱えて起きていた、うつらうつらと、首を動かしている。

「おいあんた、寝てないのかよ」

「・・・ねれ、なくて」

「ガキか」

 男はそう呟きながら、カウンター近くの窓に目を向ける。

 いつもなら、ここに小鳥が止まって、仕入れ先から連絡が来るのだが、何故だか今日は来なかった、まぁ、別に特別珍しい事ではなかった。


「なぁ」

「はい?」

「あんた、どこに住んでたんだ?」

「・・・キリア村です」

「へぇ、荒れ果てたって言ってたよな。どういう事だ?魔物にでも襲われた?」

「・・・悪魔に、燃やされてしまいました」

 聞いて損した。

 男はこういう不幸話は苦手だった、もう何年もこの商売をしてる訳だし、奴隷達がそういう身の上話をする度に、自分はなんて言えばいいのか、わからなくなる。


「そりゃ、災難だったな」

「はい」


 しばらく、会話は無かった。

 ボーッと窓を眺めながら、人々の流れを観察する。

 村がひとつ消えたのに、変わらず人々は生活を続けている。

 

 トントン、と窓を小突く音で男は飛び上がった。

 どうやら居眠りをしていたらしい、音の先を見てみれば小鳥が止まっていた。

「遅かったな・・・。ん」

 内容は、端的に言えば、こちら側まで来れなくなったという旨だった。

 理由は、国の閉鎖命令、つい最近、レヴァーティア領の村が何村も燃やされていたらしい。

「マジかよ・・・」

「どうしました?」

「いや、まぁ、ちゃんと回ってるな」

「?」


 こっちの話と言って、男は切り上げる。

 買い出しに出かけるために、かけていたコートを羽織る。

「あの」

「なんだよ」

「・・・出かけるのなら、この子も一緒に」

 差し出される赤ん坊、昨日と同じ様にずっと眠っている。

「いや、寝てんだろ。あんたが見ろよ」

「──お願い、します」

「ちっ、わーったよ・・・。なんだってんだ」

 イラつきながら、牢の扉を開ける。

 赤ん坊なんて抱いた事は無いけど、なんとなくで抱えてみる。

「・・・おい、こいつ生きてんのかよ」

「大丈夫です、ちゃんと生きてますよ」

 冷たくて、浅いながらも呼吸はちゃんとしていた。

 男は抱えて驚いたのだ、まさか死んでいるのではないか?なんて本気で疑問に思った、けれど、それを聞いてひとまず安心する。

 女に振り返る事なく、扉を開けて、男は買い出しに出かけた。


 季節的には秋頃、寒さが目覚めようと牙を剥き始めた。

 乾いた風は容赦なく肌を突き刺す、外気は己の身体を震わしてくる、最悪な季節だ。

「大丈夫かよ、本当に」

 赤ん坊を見やってみれば、相も変わらず目を瞑って眠っていた。

 静かで規則的な寝息から、生命活動を終えていないのだなと理解できる。

 歩き慣れた道を赤ん坊を抱えて歩く、周りから見れば子供の面倒を見る良き父親に映るだろうか、いや、ないな。

 そもそも父親という柄じゃない、男は苦笑して、その足の歩みを速めた。


「なんだ、お前いつからガキなんてこさえたんだよ」

「違う、これは・・・まぁ、友人の子供の面倒を見ろって」

 男はいつもの場所で飯を買おうとしたら、世間話に付き合わされた、常連ではあるし、男の顔は覚えられたのだろう。

「そうか、にしても・・・、灰色の髪か」

 灰色の髪はレヴァーティア人特有のものだった。

 黒でも、白とも言えないどっちつかずの髪色を、自分達の象徴として崇めている。

 男の髪は黒色、レヴァーティアの血なんて遠い過去の血脈だ。

「あんまひけらかさない方がいいぞ、色目で見られる」

 純血主義のレヴァーティア。

 何を隠そう、この国では純血を尊ぶのだ。

 血が他の国と混ざった途端、よーいどんで始まる人生の競争、それ自体に不利になると言っていい。

 つまるところ、貴族の殆どが純粋なレヴァーティアの血脈なのだ。

 そして、そんな赤ん坊を抱えてこんなところにいる奴隷商人の男は、貴族の子を攫う愚かな人間にも見えるだろう、慌てて、赤ん坊を隠す様に抱えた。

「ご忠告どうも、いつもの頼む」

「はいよ」

 有り金を渡し、男はお礼を言いながら立ち去る。

 後で、諸々の食料が自分の店に運ばれるのだ。

 互いの商売を終えて、男は帰路につく。

 その間、赤ん坊が目覚める事は一度も無かった。


 カランカランとベルの音を鳴らしながら、男は帰宅した。

 流れる様な動作で、各所の檻を見てみれば、女が壁を背にして眠っていた。

「・・・おい」

 ガンッ、と力強く檻を蹴っ飛ばして、男は女を目覚めさせる、手荒い目覚ましが功を制して、女は静かに目を開いた。

「あぁ、お帰りなさい」

「おう」

 家族かなんかか?と心の中で突っ込みながら、檻を開ける、赤ん坊を返すために、女に近づくと、急に咳き込み始めた。

「こほ、けほっ」

「病気持ちか?」

「こほ、いえ・・・げほっ!」

 荒かった咳は次第になりを顰めて、落ち着きを取り戻し始める。

 病気を持っているなら、価格を下げないとな、なんて思いながら抱えていた赤ん坊を返す。

「ありがとうございます」

 女が赤ん坊を受け取ったのを確認して、男は扉を閉める。

 そのまま、女に冷めた視線を向けながら、なんて事ない様に口を開いた。


 

「なぁ、そいつ起きるどころか泣きもしねぇけど」

 ここいらで男はひとつ聞いてみる。

 おかしいと思わない程、男は鈍感では無かった。

 踏み込んであれこれ聞いておかないと、商品として扱った際に問題が起きる。

 それは良くない、仕事に支障をきたすのは男としては避けたい事だった。

「隠せると思うなよ、そいつは普通の赤ん坊じゃねぇ。昨日からずっと眠りっぱなし、泣きもしない、それどころか何にも反応しない」

 世間一般の赤ん坊からはかけ離れている。

 男は子育ての経験なんてある訳ないけど、生きていくうえで赤ん坊は総じて喚く生き物だと知っている。

 けれど、目の前の寝息を立てている生物はどうだ?喚かない、静かすぎる。

「これも隠すってんなら、奴隷として扱えない。あんた諸共、放り出す」

「それは・・・。わかりました」

 大事そうに抱えながら、女は口を開いた。

 それは、あまりにも衝撃的な内容だった。


「この子と目と耳には、魔法がかけられています」

 小さいながらも男はその言葉を認識する、目と耳に。

「不自由になる魔法を・・・かけたんです」

 ──私が。

 

 そう続けた女に、男は何も言えなかった。


「なんで・・・」

 もはや絶句にも近い感情だった。

 いつもみたいに、話半分で流すには重たすぎた。

「そいつが、灰色の髪を持った混血だからか?」

「──ふふ、違うんです」

 笑った、初めて笑う所を見た気がした。

 歓喜とか悲しみとかではなく、滑稽とか自傷を含ませた己を責める様な笑みだった。

「それだけなら・・・、よかったのに」

 その先を男は聞く事が出来なかった。

 そして、この女を追い出す事もできなかった、ここから出せば、世界にとって、不都合な事が起こると、何故だかそう思えてしまったから。



 

 女を預かって、数週間が経過していた。

 あれから、男はあまり女に追求はしなかった、かといって、仲良くもしなかった。

 奴隷とその商人という、極めて合理的な関係だった。

 けれど、その中でも変わった事があった。

「ほら、赤ん坊寄越せ」

「お願いします」

 赤ん坊を連れて、そこら辺を散歩する様になった。

 何故だか分からないけど、そうさせたくて、男は赤ん坊を連れて散歩していた、無論、布でぐるぐるにして、髪を晒さない様にしている。


「ほら、今は川の近くにいるぞ」

 自分の身体を揺らしながら、男は赤ん坊に問いかける。

 もしかしたら、川の匂いに反応するんじゃないか?

 なんて、期待を込めながら数分、その場でゆらゆらと留まってみるけど、反応はない。

「・・・はぁ、お前、彫刻みてぇだな」

 長いまつ毛を見て、男は少しだけ微笑んだ。

 この目が開いたら、どんな色をしているのだろうか。

 最近の男の楽しみは、この瞳を開く事を夢見る事だった。


 それから色々と歩き回って、日が沈み始めていた。

 今日も赤ん坊の瞳は開かない、致し方なし、諦めて男は帰路についた。


「ただい──」

「ゲホッ、ゴホ、けほ、う、ゲホッ」


 尋常じゃない、男は一瞬でそう理解した。

 慌てて女がいる牢を見て、男は目を丸くした。


 その床の半分、白かった床が黒い血で染まっていた。


「お、おい!!あんた!!どうしたんだ!!」

「あ、げほっ──、お帰りなさい」

「いってる場合か!!」

 男は急いで、そして慎重に牢を開錠する。

 ピチャ、ピチャ、なんて黒色の何かが跳ねる音がしたけれど、そんなのはどうだってよかった。

「どこだ!どこが、悪いんだよ!」

「ゲホ、だ、大丈夫・・・。す、すぐ治ります」

 言っても、また激しく咳き込んだ。

 その際も、何回も黒色の何かを吐き出して、深呼吸して、咳と共に黒色を吐き出す。

 見てられなかった。

「水、持ってきてやるから。横になっとけ」

「はい・・・」

 弱々しくそう答える女は、黒く染まってない床に這いずって、横になった。



「落ち着いたか?」

「・・・おかげさまで」

 女はいつもの調子に戻った。

 奴隷商は黒色の溜まりを見ながら、じっと観察する。

 けれど、いくら凝らして見てみても、それの正体なんて皆目見当つかない。

 

「なぁこれ、なんだよ」

 ぶっきらぼうな物言いだと、自分でも感じた。

 そうなるのも仕方ないと思う、だって、ここにきてまた知らない事が増えたのだ。

 人間、謎が多い方が魅力が増すと言うけれど、ここまでの謎は必要ない、赤ん坊だけで十分だと言うのに、この女もまた、謎に満ちていた。

「・・・貴方には感謝しています。ここまで私達を面倒見てくれて」

「あんたらに40枚は高ぇみたいだな」

「──ふふ、みたいですね」

 軽口を叩きながらも、男は逃さないと眼で訴える。

 言わないと、この赤ん坊を返さないという意味も込めて。


「これを聞けば、貴方に迷惑がかかります。それでも、聞きますか?」

「迷惑・・・なんて、今更だろ」

 たった数週間の付き合い、それなのに、男は少しだけ変わった。

「感謝してんなら、俺の言う事ぐらい聞いてくれ。これはなんだよ、あんたは・・・なんなんだ?」

 もうこれは、奴隷商人としての銀次とかではない。

 この女の隠している全てを、問う質問だった。

 男の覚悟を受け止めて、女は黒色の溜まりを一瞥した、忌々しい物を見る様な冷たい瞳だった。

「汚してしまってすみません、これは・・・私の血なんです」

「は?」

 鮮血の赤ではなく、夜の様な黒を吐き出したとでも?

 ありえない、どんな英雄でも勇者でも、血の色は赤色なのに。

「血を吐き出したのは、魔力欠乏の症状です。長い時間、この子に魔法をかけているので、当然の因果ですね」

「・・・黒色の、理由は?」

 論点はきっとそこの筈だと、男の勘がそう囁いた。

 女は観念した様に笑って、黒色の溜まりに手を置いて、涙声に近しい声で、話した。


「私は・・・悪魔に侵食されているんです」

 ポツリ、ポツリと、女は喋った。


 悪魔が自分達が治めていた村で暴れ回った事、夫が命と引き換えに悪魔を葬り去った事。

 女は、夫を愛しているのだろう、夫の武勇伝を誇らしげに語っている。

 しかし、その声色は一瞬にして変貌した。

 葬った悪魔を、封印出来ずに、魂を逃してしまったと言った。

 悪魔というのは殺した後、封印を施さなければ完全に殺したとは言えない。

 強すぎる魂は現世を彷徨って、ひとりの人間の魂に寄生して、また復活してしまうのだ。

 そして、女はその輪廻転生の輪に巻き込まれた。


「この黒く変色した血は、私の魂が、もう少しで悪魔に侵食される事を指しています」

「侵食されたら・・・どうなるんだよ」

「私の身体を突き破り、悪魔が再び復活を果たします」

 全身の血の気が引いた、そんな、あんまりな事が許されて良いのだろうか。

「もうどうにも出来ないのか、魂を引き剥がすとか」

「出来ません、魂が侵食されたら、後は・・・死を待つのみとなります」

 視界が揺れる、全てを聞いた男は今、選択の場に立たされているのだ。

 いや、選択肢なんてない。

 そもそも、男には最初から選択肢はないんだ。

 あるとすれば、この、女だけだ。


「──死ぬ気、なんだろ」

「ええ、もちろん」

 その言葉で、男は全てを理解した。

「こいつの耳と目を塞いだのも、やけに俺に世話を頼んだのも・・・」

「そうです」

 あんまりだと思った、それと同時に残酷な世界と人間があったものだと知った。

「私は、この子の思い出には・・・なりたくありません」



 

 ガラガラ、と馬車が車輪を動かす。

 男は遠出をするために馬車のひとつぐらいは持っている、それを今、ひとりの母と、ひとりの赤ん坊のために動かしていた。


「──悪いが、その子の責任を取るつもりはない。死ぬんなら、そいつと一緒に逝ってくれ」

 男がそう言うと、女は一瞬だけ顔を歪ませた後、表情に何も出さないまま、そうですか。とだけ呟いた。


 森林に入る、ここを抜ければ断崖、落ちれば海原の絶壁へと出る。

「この先に、私達の村があったんです」

「そうか」

 女は、森林の奥を指差す、ここまでかなりの道すがらだった。

 数時間、下手したら数日歩かないと行けないだろうに、子を持つ母親は偉大だと思った。

 

 天気は最悪だった、雨は降り注いでるし、なんでこんな事をしなきゃいけないのか、男は疑問だった。

 けれど、女が死に場所は自分で決めたいと言ったから、仕方なかった。


 そう、仕方ないんだ、何もかも──。


「ありがとうございました」

 諸々の事だろう、奴隷として身を置かせてくれた事、話を聞いて、ここまで連れてきた事。

「この子に、触れ合ってくれて」

「──もういいだろ、さっさと死んでくれ」

 徹頭徹尾、男は冷めた態度を取りたかった。

 もう、何が何だか男には分からない、何が正解なのか、どうしたらいいのか分からない。

 だから、男も冷たくなるしかなかった。


 女は歩む、服は着替えさせた、死んだ人間の服を売り捌くのは抵抗があった。

 よく似合っていると思う、死にゆく人間に相応しいとさえ思った、死装束というやつだ。


 崖に立つ、男は数歩後ろで、ことの経緯を見守った。

 雨は降り注ぐ、誰かのために泣いてやれ、例えばあの赤ん坊のためとか。


「ごめんなさい」

 女は言った、俺にではない、その腕に抱えた赤ん坊にだろう。


「ごめん、ごめんなさい・・・。私が母親でごめんなさい、他の人の元で生まれれば、こんな事にはならなかったのにね」

 懺悔だった。

 泣きながら語るその言葉は、あまりにも痛々しい。

「許して、ごめん、ごめんね。──。」


 女が子供の名前を呼ぶ、男は耳に入れない、そんなの入れても仕方ないだろうから。


「──、ごめん、なさい。──、──ッ!!──、──!!」


 何度も呼んだ。

 呼んだ。


 何度も。

 

 何度も、何度も、何度も。



 何度も何度何度何度何度何度何度何度何度何度何度。


「ふざけんなッッッ!!!!」


 男は、叫んだ。


「──ぇ」

「いくらあんたが謝っても、名前を呼んでも!!そいつには聞こえてねぇだろ!!」

 滑稽な奴だった、自分から全てを閉ざしたくせに、何をどうしてそんな馬鹿な事が出来るんだ。

「そいつは、なんもわかんないまま!!あんたの顔も!!声も!!わかんないまま!!死ぬんだ!!!」

「──ッ」

「謝るぐらいなら、どっか他の国行って教会にでもなんでも預けて、あんたは勝手に死ねば良いだろ!!なんで、俺の所に奴隷になりきたんだよ!!」

 何もかも、矛盾している。

 この女の行動は、この子のためとか言っているくせして

最初から最後まで──。

 

「てめぇの都合だろ!!てめぇは──、自分が死ぬ最後まで母親でいたかったんだろ!?」

 赤ん坊が奴隷にならない事ぐらい、この女が知らない筈ない。

 最初からずっと、この赤ん坊といたかったから奴隷の身に落ちたのだ。

「ごめんなさいじゃねぇだろ!もっと他に言う事あるだろうが!」

 久しぶりに声を荒げた気がする。

 自分はどこか冷めた人間だと思っていたのに、この親子が来てから、自分はどうやら変わってしまったみたいだ。

 けれど、女はまだ抵抗があるらしい。

 当然だ、今までずっと魔法を解かずにいたんだ、それなりの覚悟もあったんだろう。

 意地というか、なんというか、徹底してるななんて思った。

 

 ──そんな覚悟を取り除いたのは雨雲が割った陽射し。


 

 ではない


「ぇ──」

「あーぅ、うぁ〜」


 赤ん坊が、女の頬に触れた。


 何も見えないのに、何も聞こえないのに、匂いですら雨で分からない、何も感じれないのに。

 赤ん坊は、母の頬に触れたのだ。


 泣いている誰かを感じ取ったのかは、分からない。

 でも、そう信じてしまう。


「あ、あぁ・・・ッ!!ああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 泣きじゃくった、女は膝から崩れて、赤ん坊に頬と己の頬をくっつけた。


「──、──。──、──、──!!!──!!」

 何回も、名前を叫ぶ。

 

 甘える様に、可愛がる様に、互いの頬を擦り合う。


 そして、言ってのけた。

 

「お願い、──。最後まで・・・貴女の母で居させて」


 覚悟を決めて、女は立ち上がった。

 

 崖に立たず、あの時、初めて会った時みたいに赤ん坊をこちらに差し出した。


「この子を、お願いします」

「・・・馬鹿かお前」

 男は一歩後ろへ下がる、受け取れない、受け取れるわけない。

 男はこの子の親ではない、いつか絶対に後悔する。

「どうか・・・、この子の目が開くその時まで」

 自分の楽しみを、女は知っていた。

 だからこうやって、勝ち馬を選ぶ人間みたいに踏み込めるんだ。

「条件が、ある」

「はい」

 一種の予防線みたいな物だった、自分を自分たらしめる鎖とでも言って良い。

「あんたの言う通り、面倒は見てやる。けど、4歳になったら、奴隷として売る」

「──、構いません」

 それでもいい、生かしてくれるのならそれで良い。

 道端に置いて、見知らぬ誰かに持ってかれるなら、男に預けておいた方が良い。

「そして、最後に・・・赤ん坊を売るんなら、あんたはいくら欲しいんだよ」

「え?」

 面倒を託すのだから、これぐらいは言ってやりたかった。

 何も残さないで消えていく最低な母親らしく、それを貫き通せ。

「こいつの価値を、あんたが決めろ」

 そして、善き母になりたいなら、最低でも何かを残せ。


 

「・・・酷な事を、言いますね」

「奴隷商だからな」

 考える素振りすら見せなかった、女は嬉しそうに微笑んで、男にこう告げた。


「金貨1万枚以上の価値がこの子にはありますよ」

「アホか、国が動くだろ」

「・・・そう信じてますから」


 女は飛び立った、男はそれをただ見つめた。


「親ってのは、いつも勝手だ。なぁ、──。」


 男が赤ん坊の名前を呼んだのは、これで最後だった。

 

 


 


 


 


 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

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