早朝のふたり
朝日よりも先に、セナは起き上がった。
「・・・ミラ、おはよう」
朝の挨拶は大事なのに、ミラは一言も発しない。
セナとは違って、かの魔王様は朝が苦手だった、それでも少女は変わらず挨拶をする。
「ミラ、起きて。ミラおはよう」
「うるさい」
いつも通りの偉そうな声、構わず少女は挨拶を交わそうと、口を開く。
「おはよう」
本日3回目のおはよう。
「ああ」
変わらず、ミラはぶっきらぼうだった。
「じゃあ、行ってくる」
「うむ」
運動着に着替えて、セナは扉を開いて、朝の静かな世界に歩みを進める。
なぜ、こんなに朝早くに外を出るかと言うと、前日に出来た友人、イザベル・ステインとの約束があるからだ。
「明日、一緒に郊外を走らない?」
その言葉に対して、セナは二つ返事を返した。
幸いにも、早起きは習慣付いていた、だからまだ暗い朝の景色はセナにとっては見慣れたものだ。
「・・・速すぎたかな」
正真正銘、独り言。
ミラはセナについて行く事なく、セナの部屋で二度寝をかましていることだろう。
だから、セナは久しぶりのひとりぼっち。
緑生い茂る芝生、大木の下に少女は一人、座り込む。
何もかも変わった生活に、セナは困惑の中にいる、それでもなお、この暗い朝は愛おしい。
ひとりだけど、独りじゃない。
セナは、目に見えない安心感の中、冷たい朝の凪風に当たりながら、静かに目を閉じた。
「どこかしら・・・。あ、いたいた!!」
紫色のギブソンタック、快活な声は大木の下で眠る灰色の少女へと向けられた。
「セナ──、・・・!」
声をかけて、イザベルは息を呑む。
「──スゥ、スゥ」
綺麗な寝息を立てながら、生きているのか死んでいるのかわからない、セナ・イディアルを一目見て、その姿に見惚れてしまう。
──昨日の事が、嘘みたいだ。
前日のアーバンとの一戦を、イザベルは審判という役割でセナの戦いを見ていた。
鮮烈だった、圧巻だった、驚愕した。
アーバンが恐怖に呑まれるのもわかった。
アーバンが憧れるのもわかった。
イザベルとて、その1人だ、いや、1人になってしまった。
「貴女は、とても不思議な人ね・・・」
セナに近づいて、その幼過ぎる寝顔を覗き込んで、その顔立ちを凝視する。
人形みたいな顔立ちは、寝ていると更にそれが際立っている、けれど、イザベルの好きな黄金の瞳は、覗かせない。
「セナ・・・、イディアル──」
剣術科に通う、魔法の極地の名を持つ女の子。
はっきり言って、イザベルは好奇心と興味心でしかセナを見ていない、友達になりたい、というのは嘘ではない。
でも、確かにイザベルは・・・惹かれている。
「──ふふ、アーバン様の気持ちが分かるわね」
その独り言が聞こえたのか、セナの瞳が静かに開かれ始める。
「ん──、あぁ、おはよう。イザベル」
「・・・ッッ!!」
ふにゃり、と無防備な笑顔だった。
みーつけた、とあどけない声色だった。
「あ、えっと!!お、おはようセナ!こんなところで寝ていたら、風邪を引いちゃうわよ」
「うん。でも、大丈夫、慣れてるから」
「そ、そう・・・。そっか──」
セナは立ち上がって、その小さな体躯が顕になった。
そして、イザベルが惹かれる黄金の瞳を向ける。
「じゃあ、行こう?」
「──ええ。行きましょう」
イザベルは、妙な胸騒ぎを不思議に思いながら、灰色の少女の背中を、紫色の少女は見つめる事しか出来なかった。
「はぁ、はぁ・・・」
郊外を一周し終わる。
セナは本当に体力が無いのか、何度も呼吸を繰り返して肺の酸素を入れ変えている。
「セナ、大丈夫?」
「ん、はぁ・・・。うん、でも・・・、もう走れないかも」
「そうね、授業が始まる前に汗を流したいわよね」
木の脇に置いていた荷物を手に取って、イザベルは歩き出す。
セナも、着替えを持ってその後について行く。
「今度こそ、大浴場に着くわよ!」
「うん」
変な所に気合いを入れて、昨日は辿り着けなかった浴場を目指した。
今日はなんとか辿り着けた。
「さ、行きましょ」
「うん」
声は平坦であるものの、表情は少し明るいセナ。
初めての浴場に好奇心が刺激されている、そんな可愛いらしい様子のセナを見て、イザベルは微笑んだ。
「セナ、こういう所初めて?」
「初めてだよ。楽しみ」
また、可愛らしい笑顔を向けられる。
これを見れただけで、朝速く起きて良かったと思ってしまう。
女湯に入って行き、僅かな湿気を感じる更衣室。
温風の魔法術式が刻まれた乾燥機を、セナは面白そうに見つめている。
「あれ、なに?」
「ん?あぁ、温風が出てくるのよ。ほら」
そう言って、ポンと触ってみれば、魔法陣が展開されて。
「ほら、あったかいでしょ?」
「おぉ〜」
玩具を与えられたみたいに目を輝かせて、温風の熱を手で感じている。
──可愛い。
楽しそうにしているのはいいけど、時間は有限だ。
ノロノロとしていたら、湯浴みの時間が減ってしまう。
「セナ、速く脱ぎましょう」
「わかった」
妹の様に、イザベルの背中を追いかけるセナ。
自分に妹が出来たらこんな感じなのかな、なんて幸せな想像をしてしまうイザベル。
──幸せは、一瞬で冷えた物になる。
「セナ、先に──」
「私も準備できたよ」
「・・・ッ、それ」
指を刺す、その先はセナの身体に刻まれた傷跡。
傷に抱きしめられた様に、至る所に残った痕跡。
セナ・イディアルはなんて事なさそうに、自分の傷跡を確認した後、変わらずに答えた。
「ちょっと昔ね、もう痛くないよ」
「──、いたく、ないって・・・」
そうじゃないでしょ。
痛さを気にしているのではない、なんでそんなに傷をつけられているのかを聞いているのに。
「んー、あんまり気にしなくていいよ。もう大丈夫だから」
「そう、わかったわ・・・」
切り裂かれ、貫かれ、焼かれて。
イザベルの顔を特に歪めたのは、お腹の貫通跡。
その跡達から、セナの歩んできた人生が如何に凄惨な物だったかを、嫌でも理解してしまう。
でも、セナが。
気にしないでというなら。
「──さ!速く、入りましょう」
「うん」
私は、この背中を見つめるだけに留めよう。
身体を流して、2人は溜まった湯に浸かる。
時間までまだ余裕はある、イザベルはセナの話を聞く事にした。
「セナは、どうして魔法科と剣術科両方を受講してるの?」
「え?」
3時間ずつ、ふたつの道を歩もうとするセナが、イザベルには不思議に見えた。
「どうして・・・。ただ、学びたかっただけだよ」
「それは分かるわよ。でも、大変じゃない?今日もこの後、3時間剣術科で勉強して、その後魔法科に行くのよね」
「そう」
とても中途半端で、どうしたって他の人達と差が生まれてしまうだろう。
恐らく、ふたつの道を受講しているのはセナぐらいだ。
「大変ね、私じゃ出来ないわ」
剣術科は誤魔化せるだろうけど、魔法科は徹底的な理論の世界だ、ひとつ学べなければ置いていかれる。
そしてふと、セナの名前の意味に気づく。
「イディアルって、そういう事なのね。魔法が得意なの?」
「ううん、周りの人から才能ないってよく言われる」
「ダメじゃない・・・。魔法は血筋と才能よ、幼少期から魔法に触れていないと理解するのが難しいんだから」
「うーん、私は・・・そう思わないけど」
チャプチャプと、お湯を掬って、砂時計みたいに垂れていく。
「イザベルにとって、魔法は?」
「うっ、私はそういう問いかけ苦手なのよ」
「教えて」
「い、嫌よ。変な事言ったら笑うでしょ」
「笑わないよ」
傷だらけの身体に似合わない、朗らかな笑顔。
そうだ、セナはそうやって人を笑わない人だ、理解を示そうと、一生懸命になってくれる人だ。
「え、えっと・・・。私の家は、騎士の家系だから。魔法とは無縁でね」
自分のルーツを語れば、セナは興味津々と言わんばかりに耳を傾ける。
「だからかしら、私にとって魔法は・・・一種の憧れかしら?」
「憧れ・・・。イザベルも魔法を使いたいの?」
「そういう事じゃないわ」
自分は頭が悪い、魔術理論や法典を読み込んでも一切理解出来なかった。
途方も無く遠い、雲と同じ存在だ。
「魔法使いは、御伽話から出てきた存在って感じね」
「・・・そっか」
その呟きと共に、セナは目を瞑った。
途端、お湯が息を与えられた様に、小さな雫が浮かび上がった。
「わぁ〜!」
ぐるぐると、イザベルの周りを漂う。
そのひとつが、目の前で弾けた。
「えへへ、どう?」
「凄く綺麗で、可愛らしいわ」
シャボン玉の様に漂っていた水滴達は、魔力から解放されたのか、パチンといって弾けた。
この一連の出来事で、イザベルは理解する、目の前の少女は魔法使いだ。
「やったね」
綺麗で愛らしい笑顔。
イザベルに見せたい想いで、きっと魔法を唱えてくれたのだろう、そんなセナを見て、胸が締め付けられると同時に、その甘さに酔いそうになった。
「セナの魔法って、こんなにも綺麗なのね・・・」
イザベルは知識がない、魔法を発動するために必要な工程と、術式の必要性を。
ここには誰もいない、目の前の異常性に気づかない。
──セナは、魔法陣の展開をせず、願っただけで魔法を発動させた事に。




