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第3話 日々は宇宙にて

宇宙を渡るというのは、派手な戦いの連続でもなければ、未知との遭遇が日常なわけでもない。


 むしろほとんどが、「何も起こらない」時間だ。


 静かな、無重力に満ちた、無限の空白。




「今日は魚にしてみたわ。地球型合成のD7種。味の保証はしないけど」


「それはつまり、まずいってことか?」


「“宇宙食としては標準レベル”ってことよ」




 ケインは、重力制御の効いたダイニングスペースで、パック入りの料理にフォークを突き立てた。




 光の加減で赤銅に近くも見える、ワインレッドの髪が額にかかる。


 肩には届かない絶妙な長さ。無造作に流しても、きっちり整えても絵になるタイプだ。


 その琥珀色の瞳は、どこか沈着で、人を射抜くようでいて、責めるような色ではない。


 180近い長身に、引き締まった体つき。無骨ではないが、無駄もない。


 言葉を選べば、“無駄に格好いい”男だった。




 咀嚼、飲み込み、そしてひと言。




「まあ……喰えなくはない」


「最高の褒め言葉として受け取っておくわ」




 ケインの隣には、銀色の髪が浮いていた。


 ――いや、正確には、その髪の主の姿が浮かび上がっていた。


 アテナ。ノクス・エレイネの中枢AI。ホログラムとして映し出される姿は、あまりにも“人間”に近い。




 腰まで流れる銀髪は、まるで夜の星屑を糸にしたようで。


 キリッと整った目鼻立ちは、冷たい美人というよりも、気品と知性を帯びている。


 しかしその声は、思わず立ち止まるほどに柔らかく、深い。


 まるで誰かの記憶を抱いて語るような――そんな包容力がある。




 船の内部は、必要最小限ながら快適に保たれている。


 ケイン用の個室、シャワー、狭いが居心地のいいダイニング。


 宇宙生活に慣れた者の空間。無駄がなく、だが温度はある。




「依頼のレビュー、更新されてるわよ。前回の救援任務、評価S。報酬も満額支払い済み」


「たまには楽な仕事も回ってくると助かるな」


「楽? スクラップ化寸前の宇宙艇からの救出が?」


「それは比較の問題だ」




 彼はうっすらと笑って、パックをテーブルに放った。


 食事を終えると、ケインはそのままコックピットに戻った。


 アテナも当然のようについてくる。




「ステーションのこと、気になる?」


「……まあな。あれは、ただの“偶然”には見えなかった」


「それだけ?」




 問いの温度が、ほんのわずかに変わった気がした。


 ケインはホログラム越しのアテナに視線をやる。




 彼女は、誰かの“脳”をもとに作られた。


 有機記憶体――機械でありながら、人間の情報を基盤とした意識構造。


 もともと誰のものだったのか、アテナ自身も知らない。


 だが確かに、“彼女らしさ”はそこにある。プログラムにしては、感情の揺れが繊細すぎる。


 時々、驚くほど人間らしく沈黙することもあるのだ。




「アテナ、お前は――」


「……なに?」


「いや、なんでもない。明日の予定、どうする?」


「メンテナンスが一件。小惑星帯での探査補助。そこそこ退屈な内容よ」




 そう言いつつ、彼女の声には少し安心がにじんでいた。




 




* * * 




 




 ノクス・エレイネは再び航行を開始していた。


 小惑星帯宙域β-2。進路の先には、細かく砕けた岩塊が無数に漂う。




「機体を擦らずに抜けられたら、夕飯は俺が作ってやる」


「レトルトを“温めただけ”の物体を夕飯とは呼ばないのよ」


「じゃあ手動で加熱してやる」


「それ、進化とは真逆の行為なんだけど」




 そんなやり取りを交わしながら、ケインは操縦桿に指を添えた。


 視界いっぱいに展開される岩の群れ――そこを、まるでスラローム競技のようにすり抜けていく。




 彼の操縦は、正確かつ無駄がなかった。


 船体のわずかな揺れ、推進ユニットの出力調整、重力制御の切り替え。


 それらすべてが、まるで身体の延長のように自然に繋がっていた。




 ――この宇宙において、彼にとって最も信頼できるもの。


 それはこの船であり、アテナであり、そしてこの“自由な感覚”だった。




『宙域通過、完了。外部損傷ゼロ』


「はい、俺の勝ち。夕飯は俺の手料理な」


『いいえ、それは私の負けではなく、あなたの自爆宣言よ』




 ふっと、笑い声が船内にこだました。


 宇宙は広く、静かで、そして退屈だ。


 だからこそ――この船内の笑い声は、どこまでも温かく感じられる。




 




* * * 




 




 夜――という概念は、宇宙には存在しない。


 だが船内時間が“夜”を示す頃、ケインはシャワーを終えて自室に戻った。


 軽く濡れた赤い髪をタオルで拭きながら、ベッドに身体を倒す。




 天井には、アテナが作った星図が投影されている。


 いままで通ってきたゲート、訪れた星域、名前もない宙域の数々。




「……アテナ」


『なに?』


「お前って、夢を見るのか?」


『……たまに、見るような気がするわ。だけど、それが本当に“私のもの”かは、分からない』




 その声は、珍しく曖昧だった。


 人間のように、あるいはそれ以上に。




「でも、それでも悪くないわ」


『あなたといる限り、私は“私”だって思えるもの』




 ケインは言葉を返さなかった。


 ただ静かに、天井に浮かぶ星々を見上げた。




 この声が、誰の記憶から来ているのか。


 それを、いずれ確かめる日が来るのかもしれない――




 そんなことを思いながら、ケインはゆっくりと目を閉じた。




 




 ――星の彼方から、呼ぶ声がする。

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