第7話 最後の談判
2:最後の談判
翌朝。銀行へ向かう直前、高梨は役員たちを前に短く頭を下げた。 「皆さん、これから行ってきます。この計画は、私と鈴木さんだけのものではありません。皆さんの計画です。必ず、良い報告ができるように戦ってきます」 あれほど反発していた製造部長の宮本や、営業部長の田中が、無言で、しかし力強く頷く。福あかり本舗は、確かに一枚岩になりつつあった。
みらい銀行の、冷たく静まり返った応接室。磨き上げられた黒檀のテーブルが、こちらの顔を冷ややかに映し返している。高梨と誠一郎の向かいに座る融資担当部長、白川の表情は、能面のように一切の感情を読み取らせない。
沈黙の中、先に口火を切ったのは高梨だった。 「白川さん。本日はお時間をいただき、ありがとうございます。これが、我々福あかり本舗の、未来を賭けた再建計画です」
その声には、以前のような弱々しさは微塵もなかった。高梨は、計画書に沿って、自らの言葉で語り始める。新ブレンド豆による原価率の改善、不良品撲滅による年間千万円以上の損失圧縮、そして、生産工程の再設計。彼の言葉に具体的な数字とロジック、そして何より魂がこもり始めると、白川の能面のような表情に、僅かな変化が現れた。組んでいた腕がほどかれ、高梨をまっすぐに見つめる。
高梨が言葉を終えると、白川は計画書を手に取り、ゆっくりとページをめくり始めた。 「……拝見しました、高梨社長」 その声のトーンは変わらない。だが、その呼び方には、明らかに以前とは違う響きが込められていた。
「品質を起点とした、実に意欲的な計画だ。随所に鈴木取締役の『品質哲学』が息づいている。しかし、これをあなたの言葉で、あなたの計画として語られると、また違った重みを感じますな」
その言葉とは裏腹に、白川の目は全く笑っていなかった。 「しかし、高梨社長。我々が見たいのは理想ではない。『結果』です。この計画、あまりに楽観的な数字が並んでいる。資産売却にしても、不採算商品の整理にしても、本当にこのスケジュールで実現できるという確証は?」
白川の鋭い指摘に、高梨は怯まなかった。 「はい。そのご懸念は当然です。ですので、こちらもご覧ください」 高梨はアタッシュケースから、準備した証拠資料のファイルを取り出し、白川の前に提示した。不動産査定書、見積書、面談記録…。計画が絵に描いた餅ではないことを示す、具体的な物証の数々。
白川は、それらの資料に一つ一つ丁寧に目を通すと、初めて少しだけ表情を変えた。だが、その目はまだ値踏みするように高梨をじっと見つめている。その視線を受け、高梨はぐっと身を乗り出した。 「白川さん。計画に100%の確証がないことは、重々承知しております。ですが、これだけはお約束します。私を含め、福あかり本舗の全従業員が、退路を断つ覚悟で、この計画の実現に全力を尽くします」
その真っ直ぐな言葉を受けて、白川は初めて、ふっと息を漏らした。 「…覚悟、ですか。良い言葉だ。ですが、残念ながら、覚悟だけでは融資はできません」
白川は、ペンを取り、計画書のある一点を指し示した。 「我々が本当に見たいのは、あなたのその『覚悟』が、具体的な『数字』に変わる瞬間です。あなたのリーダーシップで、この死に体の組織を、本当に動かすことができるのかどうか」 白川は、そのペン先で、計画書の「新・標準品開発」の項目を、トン、と強く叩いた。
「よろしいでしょう。一つだけ、チャンスを差し上げます。この計画の最初のKPI、新商品の開発と市場投入。これを、四十五日以内に実行してください。そして、発売後、最初のひと月で、計画書にある売上目標を達成する。これが、我々からの絶対条件です」
四十五日。それは、開発から製造、営業活動までを含めれば、絶望的とも言える短期間だった。 隣に座る誠一郎が、かすかに息を飲む気配がした。
だが、高梨は、白川の目をまっすぐに見つめ返した。 「…分かりました。その条件、お受けします。必ず、達成してみせます」
それは、あまりにも過酷な、しかし唯一残された道への、宣戦布告であった。