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第5話 覚悟の朝

2:覚悟の朝

銀行との交渉があった翌朝、午前九時。高梨は、緊急で役員会を招集した。


会議室には重い沈黙が流れている。まだ昨日の銀行とのやり取りの余波が、よどんだ空気となって役員たちの肩にのしかかっていた。高梨と誠一郎が夜を徹して作り上げた分厚い「経営再建計画書」が、各役員の席に静かに置かれている。


高梨が、意を決したように口を開く。 「皆さん、本日は緊急でお集まりいただきありがとうございます。昨日、みらい銀行の白川部長と話をし、我々は来週の金曜日までという、最後の猶予をいただきました。この計画が、我々に残された唯一の道です」


その言葉に、役員たちの間に緊張が走る。皆、手元の資料へと視線を落とした。ページをめくる乾いた音だけが、やけに大きく響く。


高梨は、スクリーンに計画書の骨子を映し出し、自らの言葉で説明を始めた。コスト構造の抜本的改革、そのための新商品戦略、不採算事業からの撤退…。彼の説明が進むにつれ、それまで不安げながらも静かに聞いていた役員たちの表情が、一人、また一人と険しくなっていく。営業部長の田中は眉間に深い皺を刻み、財務部長の佐藤は血の気が引いた顔で資料の数字を何度も指でなぞっている。そして、それまで腕を組んで目を閉じていた製造部長の宮本が、カッと目を見開いた。


最初に沈黙を破ったのは、営業部長の田中だった。彼は添付資料①『原材料コスト比較表』を、まるで汚いものでも見るかのように指で弾いた。 「社長、これは一体どういうことです!『新ブレンド豆』だと?国産手亡豆の味を守り抜いてきた先代が泣いていますよ!こんなことをすれば、一番大切なお客様からそっぽを向かれます!」 続いて添付資料②を叩きつけるようにテーブルに置く。 「それに『不採算商品の中止』!『栗きんとんもなか』は、数は出なくとも熱心なファンがいる商品だ!目先の数字のために、お客様との繋がりを切り捨てろと!」


「田中部長、落ち着いてください。これは単なるコストカットでは…」 高梨が言いかけた言葉を、それまで黙ってデータに目を通していた開発部長の織田が、遮った。彼の声は冷静だったが、その分、強い拒絶の意志が込められていた。 「社長、私も営業部長の懸念に同意します。ですが、問題はそれだけではない。添付資料③のKPI、拝見しました。『新・標準品開発 四十五日以内』。失礼ながら、これは無謀です。新しい豆の特性を見極め、安定した品質のレシピを確立するには、最低でも三ヶ月はかかる。このスケジュールでは、我々が作れるのは、ただコストを下げただけの『安物』です。それは、我々開発部のプライドが許しません」


織田の技術者としての真っ当な反論に、今度は財務部長の佐藤が、青ざめた顔で資金繰り表を震える手で持ち上げた。 「り、理想論とプライドだけでは会社は守れません!この添付資料④『資金繰り表』、私は昨晩から何度も見直しましたが、恐ろしくて眠れませんでしたよ!社長、これは銀行の返済猶予と追加融資が満額で実行されるという、あまりに楽観的なシナリオが前提じゃないですか!もし、資産売却が計画通り九十日で進まなかったら? この悲観シナリオですら、一気に資金は底をつきます!即、黒字倒産ですよ!」


財務部長の悲痛な声に、それまで鬼の形相で黙っていた製造部長の宮本が、ついに怒りを爆発させた。 「現場からも一言、言わせてもらう!」 その場の全員が、宮本に視線を集中させる。 「お前ら、机の上で数字や理屈をこねくり回しているだけで、現場がどうなるか分かっているのか!『カイゼン・チーム』?『標準作業手順書(SOP)の導入』?長年この道一筋でやってきた職人たちの技や勘を、まるで機械の部品のように扱う気か!こんなことをすれば、腕のいい人間から会社を見限って辞めていく。そうなればもう、福あかりの味は二度と作れなくなる!あんたにその覚悟はあるのか!」


会議室に、四者四様の「できない理由」が渦巻く。顧客、品質、資金、そして現場。その全てが、若き社長に鋭い刃となって突き刺さった。高梨は一度、目を閉じ、そして、今まで誰も見たことのない、鋭い光を目に宿して、ゆっくりと立ち上がった。


「――もう、やめだ」 静かだが、腹の底から響く声だった。全員が、息を飲んで高梨を見る。


「田中部長。お客様が心配なのは、私も同じです。だからこそ、私が先頭に立ってお客様に説明します。『福あかりの味を守るための、新しい挑戦です』と頭を下げて回ります。そのための広告費です。決して、繋がりを切り捨てるためじゃない」 「織田部長。あなたのプライドは、福あかりの宝です。だからこそ、あなたに挑戦してほしい。コストのためじゃない、福あかりの『未来の味』を、この四十五日間で創り上げてほしいんです。必要なサポートは、全て私がやります」 「佐藤部長。資金繰りの不安も当然です。だから、この計画の全ての数字の責任は、私が負います。銀行との交渉も、資産の売却も、私が最後までやり遂げる。あなたには、その現実から目を逸らさず、私を支えてほしい」 「そして、宮本部長。職人の皆さんのプライドは、私が一番、理解しているつもりです。これは、彼らの技術を否定するものではない。逆です。あなた方が持つ、言葉にできない素晴らしい『勘』や『技』を、この会社のかけがえのない『資産』として、未来に遺すための仕組み作りなんです。だから、私も作業着を着て、現場に立ちます。一人一人と話をし、なぜ今、これが必要なのかを、誠心誠意、伝えます」


高梨は、全役員を一人ずつ見渡し、そして、深々と頭を下げた。


「これは、誰か一人の計画じゃない。我々、福あかり本舗が生き残るための、『全員』の計画です。痛みが伴うことは、覚悟の上です。しかし、この道しかない。皆さん、どうか…私に、力を貸してください。一緒に、戦ってください」


社長の、魂の叫びだった。あれほど反発していた田中も、織田も、悲観していた佐藤も、現場を憂いていた宮本も、ただ唇を噛み締め、目の前の若いリーダーの覚悟を見つめることしかできなかった。 会議室の重い沈黙は、破られていた。それは、絶望の終わりと、本当の戦いの始まりを告げる、静かな号砲だった。



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