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第24話 魂のプレゼンテーション

2:魂のプレゼンテーション

運命の月曜日。みらい銀行の、冷たく静まり返った応接室。壁の時計の秒針が刻む、金属的な音だけがやけに大きく響いている。 高梨と誠一郎は、巨大なモニターの前に立つ最強の「門番」、白川と対峙していた。プレゼンが始まるまでの数分間、白川は窓の外の灰色のビル群に、遠い日の記憶を重ねていた。彼の父親が経営していた小さな町工場。実直な職人だった父が、たった一度の、しかし致命的な品質問題で、泣きながら土下座をして回っていた姿。そして、なすすべなくシャッターを下ろした工場の、あの錆びた匂い。品質管理の、そのどうしようもない難しさと重要性を、彼は誰よりも骨身に染みて知っていた。だからこそ、彼は福あかり本舗の「再生」という言葉を、安易に信じるわけにはいかなかったのだ。


やがて、リモコンを静かに操作したのは、誠一郎ではなく、高梨だった。 「白川さん。本日は、我々の『結果』と、そして『未来』についてご報告にあがりました」 高梨は、最初のスライドを映し出す。そこに表示されたのは、SNSの炎上、エース職人の退職、生産ラインの混乱といった、彼らが直面した**『三つの壁』**だった。 「我々は、多くの過ちを犯し、いくつもの壁にぶつかりました。まず、市場の壁です。顧客の『記憶の味』という、数値化できない品質を見失い、信頼を大きく損ないました。次に、組織の壁。一人の天才に依存する脆弱な体制が、エースの退職という形で露呈しました。そして最後に、技術の壁。新しいレシピは、量産ラインで全く通用しませんでした」


彼は、一つ一つの失敗を、一切の言い訳なく説明していく。その上で、スライドを切り替えた。 「ですが、我々はその失敗から、三つの『学び』を得ました。第一に、顧客の声こそが最高の羅針盤であること。第二に、個人の『勘』は、組織の『科学』へと昇華させなければならないこと。そして第三に、部門間の壁を壊した時、初めて本当の力が生まれること。この学びこそが、我々が手に入れた最大の資産です」


「そして我々は、この学びを、二度と失うことのない**『自己進化する経営システム』**へと昇華させることを決意しました。これが、我々の答えです。このシステムは、普遍的な課題解決の仕組みです。まず『市場対応システム』は、顧客の声という外部の変化を捉え、新たな市場機会を発見します。次に『技術継承システム』は、開発や製造、営業といったあらゆる部門の暗黙知を、組織全体の資産に変え、持続的な成長を可能にします」


高梨は、システムが生まれた背景と普遍的な意図を語った後、その具体的な内容へと踏み込んだ。 「『市場対応システム』では、SNSやPOSデータ、Webの行動履歴など、あらゆる顧客接点の情報を統合分析し、潜在的なニーズや新たな顧客層を発見します。そして、『技術継承システム』では、製造現場の『勘』だけでなく、開発の失敗データ、営業のクレーム対応ノウハウといった、これまで個人の中に埋もれていた知見を、全社で共有・活用できる資産へと変えていきます」


ここで高梨は、隣に立つ誠一郎に、目で合図を送る。誠一郎が静かに一歩前に出た。 「補足します」誠一郎は、気圧と餡の練り時間の相関グラフや、釜内部の生地の流動性を改善した際の解析図をスクリーンに表示する。「我々は、職人の『勘』と呼ばれていたものを科学の言葉に翻訳しました。例えば、気圧と水の沸点の関係。豆の含水率と蒸らし時間。これらを数値化し、マニュアルに落とし込むことで、誰でもエース級の判断ができる状況を作り出したのです。さらに、製造部長の長年の経験から生まれた『生地が釜の縁に滞留する』という仮説を、流体シミュレーションで科学的に裏付け、釜の構造そのものに改良を加えることで、不良率を劇的に改善しました。勘を科学で翻訳し、科学を経験で乗り越える。このフィードバックループこそが、我々の品質が今後、決して揺らぐことのない、何よりの保証です」


誠一郎は静かに一歩下がり、再び高梨が前に進み出る。彼の声は、もはや若者のそれではなく、幾多の修羅場を乗り越えた、一人の経営者の声になっていた。 「…白川さん。鈴木取締役が、我々の『再生』をシステムとして証明してくれました。ですが、このシステムは、数字やデータだけで動いているわけではありません」 「その根底には、市場の厳しい声に真摯に耳を傾ける『誠実さ』があります。エースが去った絶望の中から、若者たちが自らの力で立ち上がり、未来を掴み取った『誇り』があります」


高梨は、アタッシュケースからそっと二つのまんじゅうを取り出し、白川の前のテーブルに置いた。一つは、かつての。そして、もう一つは、今の、福あかり本舗のまんじゅうだ。 「…これが、私たちのシステムの、全てのアウトプットです。そして、私たちの、偽らざる、今の、『魂』です」


高梨は、そこで言葉を切らなかった。彼は、もう一つのファイルを白川の前に差し出す。


「そして白川さん、これが私たちの『未来』への覚悟です。我々は、今回ご提案する融資を、単なる延命資金とは考えておりません。この**『共創型ファンド』を核とした、新しい経営モデルへの『未来への投資』**と位置づけております。従業員、お客様、そして地域社会。全てのステークホルダーと共に、会社の価値を創造していく。そのための、新しい資本政策です。白川さん、あなたは、この挑戦に、加わっていただける最初のパートナーになってはいただけませんか?」

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