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第21話 品質の鬼と、現場の王(続き)

3:品質の鬼と、現場の王(続き)

翌朝。台風一過の青空とは裏腹に、製餡エリアの空気は、敗戦処理のような重苦しさに沈んでいた。不良品の山を前に、後継者である青木をはじめ、若い職人たちは皆、俯き、自信を完全に失っている。


その、通夜のような空気の中へ、宮本が一人、歩みを進めた。その手には、誠一郎から受け取った数枚のグラフが握られている。


「全員、顔を上げろ」


地を這うような低い声に、職人たちがびくりと肩を揺らす。宮本は、不良品のまんじゅうを一つ手に取ると、それを高く掲げた。


「昨日、俺たちは負けた。完膚なきまでにな。だがな、それはお前らの腕が悪いからじゃねえ。もちろん、木村さんがいなくなったからでもねえ。俺たちは、見えねえ敵と戦ってた。ただ、それだけだ」


宮本は、誠一郎が作ったあのグラフを、職人たちの目の前に突きつけた。


「見ろ。こいつが、俺たちを地獄に突き落とした敵の正体だ。『気圧』だ。…馬鹿みてえな話だと思うだろ。俺も、昨日の夜までそう思ってた」


彼は、グラフを指差す。 「だがな、鈴木の旦那が、木村のオヤジが遺した日誌と、十年分の天気の記録を全部照らし合わせて、こいつを突き止めやがった。天気が崩れて気圧が下がると、水の沸点がコンマ何度か下がる。そのせいで、餡の火の通りが甘くなる。俺たちが『なんか今日はおかしい』と感じてた違和感の正体は、これだ。木村のオヤジは、肌でそれを感じ取って、毎日、練る時間を数秒単位で変えてやがったんだ。俺たちに、気づかせもせずに、たった一人でな」


職人たちの間に、どよめきが広がる。青ざめていた青木の顔に、わずかに血の気が戻った。


「俺たちは、素手で台風に立ち向かってたようなもんだ。勝てるわけがねえ。だがな」 宮本は、グラフで不良品の山をピシャリと叩いた。 「だが、もう違う。俺たちは、敵の正体を知った。そして、そいつと戦うための『武器』を手に入れた。もう、お前らは、得体の知れない感覚に怯える必要はねえ。この数字を信じろ。そして、自分の腕を信じろ。俺たちが、福あかりの餡の番人だ。誰にも、文句は言わせねえ」


宮本は、青木の肩を、バンと強く叩いた。 「青木、お前が釜場の指揮を執れ。迷ったら、これを見ろ。だが、最後の最後で頼りになるのは、お前の目と、舌と、指先だ。…やれるな?」


青木は、師匠を失い、自信を砕かれ、俯いていた顔を、ゆっくりと上げた。その目には、涙が浮かんでいたが、もう絶望の色はなかった。彼は、宮本からグラフを受け取ると、力強く、一度だけ頷いた。


「…はい!」


その日を境に、製造現場の空気は、確かに変わった。科学という名の羅針盤を手に入れた職人たちは、失いかけていた誇りを取り戻し、工場の釜には、再び、力強い火が灯った。

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