第14話 営業のエース、その誠実
3:営業のエース、その誠実
深夜、再び作戦本部に集まった数人の前に、一台のビデオカメラが据えられた。 佐藤が録画ボタンを押す。赤いランプが静かに灯った。 田中はカメラの前に立ち、一度、深く息を吸う。そして、レンズの向こうにいる、顔も知らない、しかし、確かに心を繋いできたはずのお客様たちに向かって、語り始めた。
「…福あかり本舗を、長年愛してくださっている、大切なお客様へ。営業部長の、田中でございます」 彼は、深く、長く、頭を下げた。 「この度は、私どもの新しいまんじゅうが、皆様の信頼を裏切る結果となりましたこと、誠に、申し訳ございませんでした」
顔を上げた彼の言葉は、もう単なる謝罪ではなかった。 「皆様から、『味が落ちた』『昔の方が良かった』という、厳しいお叱りの声を、何千件といただきました。言い訳がましく聞こえることを承知の上で、今日、その全ての『事実』を、私の口からお話しさせてください」
彼は、誠一郎たちが準備した分析パネルを、震える手でカメラの前に示す。 「私どもは、皆様からいただいたお声を元に、社内のラボで、二つの製品を徹底的に比較いたしました。その結果、食感や甘さといった、味の根幹をなす部分に、科学的に意味のある差はございませんでした。では、何が変わったのか。データが示した、唯一の、そして絶対的な『変化』。それは、『後味のキレ』でした」 「私たちは、これを『品質の進化』だと、信じておりました。しかし、それは我々の驕りでした。データの上では些細な差かもしれない。ですが、その差こそが、皆様がおばあ様と食べた記憶、故郷を離れる友に渡した想い、その全てを支えていた『懐かしい味』そのものであったことに、我々は気づくことができませんでした」 田中の目から、一筋の涙がこぼれ落ちる。彼はそれを拭おうともせず、言葉を続けた。 「どんなデータも、皆様一人ひとりの『記憶』という、かけがえのない品質には、敵わない。その、あまりにも当たり前の事実に、我々は、皆様に教えていただくまで、気づけなかったのです。本当に、情けない話です」
そして、彼は一呼吸おくと、それまでの悔恨の表情を、覚悟を決めた経営者の顔へと変えた。 「皆様の中には、『商品を元に戻してほしい』『再開発すべきだ』というお声があることも、承知しております。ですが、今の私たちには、会社の存続を考えると、それができないという、不甲斐ない現実がございます」 「ですが、これだけは、信じてください。この、新しい『福あかりまんじゅう』もまた、私たちが、一切の妥協なく、今の私たちにできる、最高の技術と、情熱を注ぎ込んだ、私たちの、新しい『答え』です。私たちの、新しい、誇りです」 「もし、もし、よろしければ…。もう一度だけで、構いません。どうか、私たちの、この新しいまんじゅうを、試していただけないでしょうか。そして、皆様の、正直なご意見を、私たちに、お聞かせ願えないでしょうか」 「私たちは、皆様の声から、逃げません。それこそが、福あかり本舗が、創業以来、守り続けてきた、『品質』そのものであると、私は、信じているからです」
動画の最後、彼は再び、深く頭を下げた。その背中は、一人の男の、会社の、誠実さの全てを物語っていた。
動画は、深夜に公開された。タイトルは『福あかり本舗より、お客様へ。一つの「誤解」と、私たちの「真実」について。』 燃え盛る炎上の火に、ガソリンを注ぐようなものだと、誰もが思った。 だが、最初に反応したのは、炎上の中心にいたはずの、長年のファンたちだった。
「…再開発しないのか。正直、がっかりした。…でも、正直すぎるだろ、この会社」 「営業部長の覚悟は伝わった。分かったよ。もう一回だけ、お前の『誇り』とやらを、信じてやる」 「『記憶の味』か…。そうだよ、俺たちが好きだったのは、それだよ。分かってくれたんだな。よし、明日、もう一度買いに行く。今度は、新しい味を、ちゃんと味わってみるよ」
コメント欄の空気が、ゆっくりと、しかし確実に変わり始める。批判の言葉が、徐々に共感と、そして「もう一度試してみよう」という声へと変わっていった。 『#福あかりは裏切った』のハッシュタグの隣に、『#福あかりの覚悟』『#もう一回食べてみる』という、新しいハッシュタグが生まれ、育っていく。 それは、鎮火ではない。 絶望の灰の中から生まれた、お客様との「共感」という、より温かく、そして強固な炎だった。




